2 存在のお召し

1 自由意志の重さ

aparke 2025. 5. 23. 10:12

1

神様は被造物に自由意志をくださいました。自由意志をいただいた被造物は神様から離れることができます。神様だけが命です。被造物が神様を離れると、死にます。神様が被造物たちに自由意志をくださったという意味は、それゆえ、神様が被造物を「死ぬことができる存在」として作られたという意味です。ですから、神様のみが「生きている者」です。

自由意志は死ぬことができる可能性です。この可能性が完全になくなり、0%にならない限り、いつかは必ず死にます。この可能性が完全になくなり、0%にならない限り、いつかは必ず神様の戒めを破ります。自由意志を持つ被造物は、いつかは必ず神様を離れるものであり、したがってすぐに死ぬものです。ですから神様が被造物の存在自体のみを創造されたのは、まだ創造が完成されていないのです。

神様は被造物に自由意志をくださいました。被造物は生きる選択をすることができます。神様のみが「生きている者」です。被造物は「生きている者」の命を受けることを選択できます。被造物が再び神様を離れないようになれば、その被造物は死ぬことはありません。自由意志が完成されると、その被造物は死ぬことはありません[1]。父は御子がすべてであり、御子は父がすべてです[2]。被造物が死なないようにするために、神様は神様の全部を注ぎました[3]

神様は被造物をいつでも無数に創造することができます。被造物自体は父や御子には何の価値もないものです。しかし、父は被造物のために御子を贖いの代価として与えました。御子は被造物のためにすべてを捨てられました。今、被造物たちに御子の血が覆われます。今、被造物たちに父の涙が覆われます。今、被造物は父に大切です。今、被造物は御子に大切です。神様がなぜ被造物を創造されたのかわかりません。とにかく、被造物を自分の愛の中に入れるために、父と御子はすべてを捨てられました。

今、被造物は神様の愛を知りました。今、被造物の自由意志はついに完成になりました。自由意志を持っていても、被造物は決して神様を逆にしません。自由意志を持っていても、被造物は決して愛の戒めを破りません。自由意志を持っていても、被造物は決して隣人を踏みつけません。今、いよいよ被造物は完成されました。今、いよいよ創造は完成されました。

被造物たちの選択が終わると、裁きが始まります。生き残る被造物と火の池に投げ込まれる被造物が区別されると、裁きが始まります。死も火の池に投げ込まれます。生き残った被造物はもう死ぬことができません。御子を受け入れた被造物は永遠に生きます。神様の命を受け入れた被造物は永遠に生きます。神様の愛の中に入ることを選んだ被造物は永遠に生きます。残りは火の池に投げ込まれます[4]。裁きが終わると、安息が始まります。

 

2

[時間の中だけに存在する被造物の限られた思考能力を通して、最善を尽くして考えてみます。神様は時間を保っています。] 神様が神様のために被造界を創造することを予め定めました。第2位神様が被造物となられ、被造界に対する所有権を放棄することを事前にあらかじめ定められました。第1位神様が被造物となられた第2位神様に被造界を相続してくださることを予め定めました[5]。第2位神様が被造界で罪を消滅させられ、創造を完成されることを事前に予め決められました。第2位神様が完成された被造界を再び第1位神様に渡すことを事前にあらかじめ定められました[6]。そのように定めた後、神様が被造界を創造しました。

神様は被造界に閉じ込められません[7]。被造界は小さすぎて神様には被造界があたかも存在しないのと同じです。神様は完全です。神様を見た瞬間、被造物は消滅されます[8]。被造物が神様を見ても消滅されないようにするには、神様がご自分を無にしなければなりません。ですから、神様の本性はご自分を無にして被造物となられます[9]。第1位神様と同等の第2位神様は、自分を第1位神様より下げています。

もちろん、第1位神様と第2位神様と第3位神様は、すべての場所を満たされています[10]。時間や空間も被造物に過ぎません[11]。未来も神様から来るのです。時間と空間を存続させる方も神様です[12]。神様は過去現在未来のすべての瞬間とすべての場所に同時にいらっしゃって、過去現在未来のすべての瞬間とすべての場所を同時に存続させています。第2位神様は過去現在未来のすべての瞬間とすべての場所に同時にいらっしゃって、過去現在未来のすべての瞬間とすべての場所を同時に存続させています。神様の外はありません。神様から離れて存在するものはありません[13]。神様は存在の神様であるだけでなく、非存在の神様でもあります。神様が召されると、非存在は存在になります[14]。神様のみがすべてです。神様のみが「存在」です。

神様はすべてを満たされます。しかし、「すべて」はすなわち神様ではありません。神様が「非存在」を「存在」するよう呼びかけられますが、非存在はすなわち神様ではありません。神様は「存在」を「非存在」に戻しますが、存在はすなわち神様ではありません。神様は存在と非存在の神様ですが、「存在+非存在」がすなわち神様ではありません。いつもいらっしゃる方はただ神様だけです[15]。しかし、被造物は時空間の中にのみ存在します。被造物の永遠は時間の無限の延長に過ぎません[16]。時間の中だけに存在する被造物が、時間を存続させていらっしゃる神様を理解することはできません[17]。被造物は、神様が彼に悟らせるのと同じくらい悟ることができます[18]

被造界は神様の命でその存在を維持されています[19]。神様が被造界に閉じ込められないと表現したのは、神様が被造界にいらっしゃらないという意味ではありません。神様が被造物たちに、被造物たちが消滅されるまでご自分を示さずにいらっしゃるという意味です[20]。神様をお会いすると不正な被造物が消滅される仕組みで被造界を存続させていらっしゃる方が神様です。神様は、被造物に神様を逆らうことを可能にする自由意志をくださり、その自由意志が完成されるまで、その被造物からご自分を隠していらっしゃいます。神様は自分の命で被造界を存続させながらも、同時に被造界に罪と死が存在することを許されます。神様が予め定められた時が来れば、神様は被造界で罪と死を消滅させます[21]

 

3

2位神様が被造物となられて被造界に入るまで[22]、神様は御使いを通して被造界を治めました。神様を見ると死になるので[23]、御使いたちは神様を見ることができませんでした[24]。時間の中にのみ存在するので、御使いたちは神様を見ることができませんでした[25]。神様は御使いの天の御座に神様の御名を置きました[26]。神様は神様の御名によって御使いたちに命令を与えました[27]。神様が被造物となられるまで、人間に神様として現れた存在はすべて御使いでした[28]。御使いたちは神様の御名を受けて人間に神様として現れました[29]。神様が被造物となられるまで[30]、人間と神様をつなげてくれる一時的な中間連結者はすべて御使いたちでした[31]

神様が予め定められた時となりました[32]。第2位神様がついに被造界に入って来ました[33]。御座に置かれた神様の御名を御子が相続しました[34]。神様がご自分を無にして[35]、被造物として神様の御名を相続しました[36]。神様が被造界を放棄され、被造物として被造界を相続しました[37]。被造界を存続させていらっしゃる神様が[38]、被造物となって被造界を相続しました[39]。時間と空間を存続させていらっしゃる神様が被造物となられたのに、時間と空間が依然として存続しています[40]。どうやってできるのかは、被造物なんて分からないことです[41]。被造物は時間内にのみ存在します。被造物となられた第2位神様は、時間を存続させていらっしゃる方です[42]

2位神は聖を通して被造界にお見えになりました。聖は御子を通して聖徒たちお見えになります。聖徒たちに覆われた御子の血の中に、聖霊神様お見えになります[43]霊神様が来られ聖徒たちの様の律法みます[44]。御使いが石の板に刻んだ戒めを[45]、神様が心の板に刻みます[46]。御子がお見えになる前には、律法が石の板に書かれているしかありませんでした。それゆえ、神様は御使いを通して人間に限られた行ないだけを命じられました[47]。律法は御子の影でした。影を通して、律法の真の意味は完全に明らかにすることができませんでした[48]

律法の実体が来ました[49]。律法の真の意味が明らかになりました[50]。御子を通して被造物が律法を目で見て手で触れます[51]。被造物が御子を同じように行います[52]。御子を通して被造物が律法を守ります[53]。御子を通して被造物が神様の形を目で見て手で触れます[54]。御子を通して、被造物が神様の形に似ています[55]。御子を通して被造物が神様の形になります[56]。御子を通して、被造物が神様と隣人を愛するようになります。律法を守れなかった被造物が、御子を通して律法を守ることになります[57]。神様と隣人を愛することができなかった被造物が、十字架の愛を通して神様と隣人を愛するようになります。死の法であった律法が[58]、聖霊神様を通して生命の法となります[59]

御子は裁きの基準です[60]。御子はすなわち律法です[61]。御子はすなわち愛です[62]。愛の支配に服従する被造物は生き残ります[63]。御子の支配に逆らう被造物は火の池に投げ込まれます[64]。御子を逆にする被造物は父を逆にすることです[65]。被造物は御子のためのものです[66]。御子のために存在する被造物だけが生き残ります[67]。御子に反対し、隣人を踏みにじる被造物は火の池に投げ込まれます[68]

御子は十字架を背負った。十字架を通して、被造物は神様の愛を見ました[69]。十字架を通して、被造物は神様の公義を見ました[70]。十字架を通して、被造物が神様を愛するようになります[71]。十字架の愛によって、被造物は罪を捨てます[72]。十字架の愛によって、被造物は死に至るまで神様と隣人を愛します[73]

初穂すなわち長子たちは死に至るまで神様と隣人を愛します[74]。定められた数の証人は殉教します[75]。第1の復活は起こります[76]。死は征服されます[77]。戒めが遵守可能であるという真実は証明されます[78]。サタンの主張は噓だったことが暴露されます[79]。御使いたちはもう神様を誤解しないようになります[80]。義なる被造物の自由意志は完成されます[81]。御子に逆らう被造物は火の池に投げ込まれ、公正な罰を受けることになります[82]。罪は消滅されます[83]。被造界には、神様に服従する被造物だけが残るようになります[84]。安息は成されます[85]。創造は完成されます[86]。被造物となられた御子は、完成された被造界を父に渡されます[87]。父はすべてにおいてすべてとなられます[88]



[1] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

  ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[2] ヨハネ17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

[3] 8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

  8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。

  ロマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

[4] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

  ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[5] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

[6] 1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

  1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

  1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[7] 代下2:6 天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。

[8] ヘブ12:29 私たちの神は焼き尽くす火です。

  13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」

[9] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

  フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

  フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

[10] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。

  エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。

[11] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、

  ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリストイエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

[12] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。

  イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

[13] ルカ1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」

[14] イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。

[15] イザ48:12 わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。

  イザ48:13 まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を引き延ばした。わたしがそれらに呼びかけると、それらはこぞって立ち上がる。

[16] 4:40 きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。

[17] コヘ7:14 順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。

[18] 1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

[19] 使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。

[20] イザ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。

[21] 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

[22] 1テモ6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

  1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。

[23] 33:19 主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

  33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

[24] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。

  ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。

[25] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。

[26] エズ6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」

[27] 103:20 主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。

[28] 使徒7:30 四十年たったとき、御使いが、モ-セに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。

  使徒7:31 その光景を見たモ-セは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。

  使徒7:32 『わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』そこで、モ-セは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。

[29] 13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」

[30] ヘブ1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、

  ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

[31] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

[32] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。

  ガラ4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。

[33] ルカ1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

[34] ヨハネ5:43 わたしはわたしの父の名によって來ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において來れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。

[35] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

  ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。

  ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」

  102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

  102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。

  102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。

[36] フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

  フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

  フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

  フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

  フィリ2:11 すべての口が、「イエスキリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

[37] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』

  ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』

[38] ネヘ9:6 「ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。そして、天の軍勢はあなたを伏し拝んでおります。

[39] コロ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方(プロトトコス長子)です。

  コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

  コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[40] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[41] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

  エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

  エフェ3:11 私たちの主キリストイエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

[42] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

[43] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

[44] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

  ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

  ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[45] ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

[46] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

  マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

[47] マタイ19:8 イエスは彼らに言われた。「モ-セは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。

[48] ヘブ10:1 律法には、後に來るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて來る人人を、完全にすることができないのです。

[49] ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

[50] コロ2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。

  コロ2:17 これらは、次に來るものの影であって、本体はキリストにあるのです。

[51] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

  1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[52] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

  1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

  1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

[53] ロマ10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

[54] コロ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方(プロトトコス長子)です。

[55] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

[56] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

[57] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

  2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[58] ロマ7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

  ロマ7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

[59] ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

  ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

[60] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

[61] マタイ5:17 わたしが來たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために來たのです。

[62] エフェ5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

[63] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

  ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[64] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。

  ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

[65] ヨハネ12:44 また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。

  ヨハネ12:45 また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。

[66] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

[67] 2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

[68] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―

[69] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[70] 34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」

[71] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

  1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

[72] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

[73] 12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

[74] 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。

  14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。

[75] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

  6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

  6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[76] 10:7 第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」

  1コリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。

  1コリ15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

[77] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

  1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

  1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[78] ヨブ1:7 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから來たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って來ました。」

  ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

  ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

  ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

  ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

[79] 1ヨハ2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

[80] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

  1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

[81] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[82] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。

  ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。

[83] ダニ9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。

[84] イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。

  イザ65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも樂しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を樂しみとする。

  イザ65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を樂しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

[85] 2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。

  2:3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。

[86] 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

  21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

[87] 1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

  1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

  1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[88] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。