3 実際の御座
ア. 神様はすべてにまさって偉大です
代下6:18 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
詩139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
詩139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネ1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」
1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス․キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
エフェ4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
詩102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
詩102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
詩102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
† 神様は常に無限を存続させています。神様は非存在の神様でもありますが、存在の神様でもあります。無限の非存在の中で、神様は時間と空間を創造されます。時間と空間の中で、神様は御使いの天とハデスを創造されます。御使いの天の中で、神様は御使いたちを創造されます。ハデスの中で、神様は人を創造されます。
† 神様は、過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所に同時にいらっしゃって、過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所を同時に存続させています。神様は時空間を満たされ、時空間のすべてを同時に存続させています。神様にとって時空間は小さすぎ、まるでないようなものです。
† 神様には全能です。被造物の想像さえ実現させることができない存在を全能だとは言いません。被造物の想像力を維持させていらっしゃる方が神様です[1]。神様は被造物の考えよりも大きくなります[2]。被造物は無限までしか想像できません。しかし、神様はその無限よりも大きいです。被造物が無限を認識させられる方が神様です。被造物は考えても無限の終わりに到達できません。しかし、神様は無限をいつも満たされていらっしゃいます。神様が被造物に知らせただけにだけ、被造物は悟ることができます[3]。
出33:19 主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネ6:46 だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
ヨハネ14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」
ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
ヤコ1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から來るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
1ヨハ1:5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
1ヨハ4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
† 神様が被造物に示しただけに、被造物は神様を見ることができます[4]。神様を見ることができない被造物たちに、第2位神様が被造物となって被造物たちに自らを示します。今、御使いと人間は神様を見ることができます。しかし、御使いと人間はまだ第1位神様を見ることができません。第2位神様のみが第1位神様を見ていらっしゃいます。御使いと人間は、第2位神様を通してのみ第1位神様を見ることができます。
† 第2位神様は、過去現在未来のすべての瞬間すべての場所に同時にいらっしゃって、過去現在未来のすべての瞬間すべての場所を同時に存続させています。過去現在未来に同時にいらっしゃる第2位神様がどのように被造物になれるのかは、被造物が分からないのです。時間と空間を存続させていらっしゃる神様がどのように時空間の中に閉じ込められるのかは、被造物が分からないのです。被造界を存続させていらっしゃる神様がどのように被造界の中に閉じ込められるのかは、被造物が分からないのです。
† 被造物となられても、御子はいつも父の懐の中にいらっしゃいます[5]。しかし、十字架でも[6]御子が父の懐の中にいらっしゃるのかは分かりません[7]。十字架で父は御子を捨て、御子は父に捨てられました。十字架で父と御子はお互いから切れました。時空間の中で父と御子はお互いから切れました。しかし時空間の外でそれがどのような意味なのかは、被造物などがあえて分からないのです。被造物は時間の中にのみ存在します。被造物は神様が知らせるだけにだけ分かります。
† 御使いたちの自由意志はまだ完成されていません。御使いたちも依然として犯罪の可能性を抱いています。犯罪の可能性を抱いている御使いたちが父を見ることができるとは思えません。被造物から犯罪の可能性を消滅させた後、御子は被造界を父に渡されます[8]。被造界で罪を消滅させた後[9]、父が被造界のすべてになります[10]。
1テモ6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。
1Tim.6:14 That thou keep [this] commandment without spot, unrebukeable, until the appearing of our Lord Jesus Christ:[KJV]
1Tim.6:15 Which in his times he shall shew, [who is] the blessed and only Potentate, the King of kings, and Lord of lords;[KJV]
1Tim.6:16 Who only hath immortality, dwelling in the light which no man can approach unto; whom no man hath seen, nor can see: to whom [be] honour and power everlasting. Amen.[KJV]
† 第2位神様を説明するみことばかもしれません。第2位神様が被造物となられていなかったならば、被造物は第2位神様を見ることができなかったでしょう。「王の王、主の主」という表現は、通常、被造物となられた第2位神様に使われる[11]表現です[12]。この御言葉を第1位神様を説明するみことばとみなす見方もあり得ます。それなら、第1位神様を表現するのに「王の王、主の主」という表現を使った独特の場合になるでしょう。
マタイ18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
† 御使いたちが実際に第1位神様を見ることはできないでしょう。被造物は時間の中にのみ存在します。時間の中だけに存在する被造物が時間を超越される神様を実際に見ることはできないでしょう。第2位神様が被造物となられたので、被造物たちが第2位神様を見ることができるのです。被造物は神様が許されたただその分だけ何かをすることができます[13]。
† その上、御使いたちの自由意志はまだ完成されていません[14]。御使いたちにも依然として犯罪の可能性が残っています[15]。犯罪の可能性がある被造物が第1位神様を直接見せることはできません。罪と完全に分離されていない被造物が[16]神様を[17]見ると[18]死にます[19]。御使いたちから犯罪の可能性を消滅させるために、神様が神様の愛と公義を証明されるのです[20]。
† だから御使いたちが父の御顔をいつも見るという意味は、第1位神様を実際に見るという意味ではないようです。おそらく御使いたちが御座に置かれた神様の御名を見るという意味のようです[21]。さて、第2位神様は被造物となられました。今、御子は父の名によって来ました[22]。今、御使いたちは神様の御顔をいつも見つめています。今、御使いたちは主イエス様の御顔をいつも見つめています[23]。
† 聖霊神様は御子の名によってお見えになりました[24]。それでは、聖霊神様を見る御使いたちが主イエス様の御顔を見るのでしょうか。よく分かりません。とにかく御使いたちは主イエス様に直接命じられます[25]。
† 第2位神様が被造物となられる前は[26]、エホバの使いが[27]神様の御名によって送られました[28]。第2位神様が被造物となられる前には[29]、御使いが神様として現れました[30]。第2位神様が被造物となられる前には、御使いが人間に「エホバ」として現れました。神様ご自身が被造界にお見えになりました。今はもはや御使いが人間に神様として現れません。今はもはや御使いが人間に「エホバ」として現れません。
† したがって、もうこれ以上「エホバの使い」という言葉は登場しません。今は「主の使い」という言葉が登場します[31]。「主」は主イエス・キリストです[32]。今は御使いが「イエスの使い」として送られるだけです。今は御使いが人間に「イエス」として現れません。神様ご自身が人間としてお見えになったからです。「イエス」ご自身が人間としてお見えになったからです。「エホバは救いだ」ご自身が人間としてお見えになったからです。「有って有る者は救いだ」ご自身が人間としてお見えになったからです。「存在される方は救いだ」ご自身が人間としてお見えになったからです。
† 御使いたちが実際に第1位神様を見ることができると考える見方もあり得ます。御使いが第1位神様を実際に見ることができるかないかというのはそれほど重要な問題ではありません。御使いが第1位神様を実際に見ることができるかどうかにかかわらず、私たちはむやみに隣人を軽蔑してはいけません。
イ. 神様にとって被造界は小さすぎてまるでないようです
代下2:6 天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。
イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
† 被造物は時間と空間の中にのみ存在します。神様は時間と空間を存続させています。神様は無数の時空間を一瞬で創造することができます。神様は無数の時空間を一瞬で消滅させることができます。
† 御使いの天や宇宙も時空間の中でも存在するだけです。宇宙はなかった時があります[33]。宇宙は過去現在未来から抜け出すことはできません。そのような宇宙を神様は無数に創造することができます。神様は無数の宇宙を一瞬で消滅させることができます。御使いの天と宇宙は、神様にはまるでないようなものです。神様は存在の神様であるだけでなく、非存在の神様でもあります。
† (私たちは逐次的な時間の流れの中にのみ存在します。私たちの考えは逐次的な時間の流れから抜け出すのが難しいです。私たちの考えは無限からさえ逃げることはできません。私たちは今、これらの制限的な考えで神様を考えています。しかし、神様は無限より大きいのです。被造物は、すべての瞬間に常に同時にいらっしゃる神様の時間を理解することはできません。)
† (被造物は、非存在と存在を常に同時に存続させる神様を理解することはできません[34]。被造物は、ある可能性とあることを常に同時に存続させる神様を理解することはできません。被造物は、ないことをまるであるかのように見なされる神様を理解できません[35]。被造物は、あることをまるでないかのように見なされる神様を理解できません[36]。)
† 神様は大きいです。神様は被造界に閉じ込められません。ですから、被造物は神様を見ることができません[37]。自由意志を持っている被造物は、神様を見なければ神様を愛することができません[38]。神様を愛さなければ、被造物は隣人を愛することはできません[39]。隣人を愛していない被造物は火の池に投げ込まれます[40]。神様はそうするように定められ、被造界を創造されました[41]。ですから、被造物を救うために、神様ご自身が被造物となられます[42]。有って有る者は、親しく「イエス」としてお見えになります[43]。
† 被造界は至聖所と聖所と庭で構成されています。被造界は至聖所天と聖所天と天で構成されています。実際の神殿とハデスの間に、ガラスの海があります。
† 至聖所天と聖所天=御使いの天=実際の神殿
† 天=ハデス=燔祭の祭壇
エズ6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」
代下7:15 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
代下7:16 今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
詩11:4 主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。
詩103:19 主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。
詩103:20 主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。
詩103:21 主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
イザ6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
イザ66:1 主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
エレ17:12 私たちの聖所のある所は、初めから高く上げられた栄光の王座である。
エゼ1:25 彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。
エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
エゼ1:27 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。
エゼ1:28 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
エゼ10:1 私が見ていると、ケルビムの頭の上の大空に、サファイヤのような何か王座に似たものがあって、それが、ケルビムの上に現われた。
1ペト3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
黙4:2 たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
黙4:3 その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、綠玉のように見える虹があった。
申5:11 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
† 神様は大きく、被造界は小さいです。神様は被造物に自由意志をくださいました。自由意志を持つ被造物は犯罪の可能性を抱いています。犯罪の可能性を抱いている被造物は時間の流れの中でいつかは必ず犯罪します。犯罪の可能性がある被造物が神様を見ると死にます。したがって、神様は被造物からご自分を隠します。被造物が犯罪する前に、神様は十字架で被造物の自由意志を完成されます。被造物が犯罪する前に、神様は被造物となられて被造界に入ってお見えになります。
† 神様が被造界に入られる前に、神様は被造界に御座を置かれます。神様は御座に神様の御名を置かれます。神様は神様の御名によって被造界を支配しています。神様は神様の御名によって御使いたちに命令を下します。御使いたちは神様の御名によって下された命令を受けて実行します。被造物は神様の御名によって神様に近づきます[44]。神様は神様の御名によって被造物に近づきます。神様と被造物は、神様の御名によって互いにつながります。
† 模型神殿に神様が神様の御名を置かれました。これにより、実際の神殿に神様が神様の御名を置かれたことが分かります[45]。神様はすべての場所を常に存続させています。神様はすべての場所をいつも満たされます。神様はいつもどこでもいつも同時にいらっしゃいます[46]。それにもかかわらず、神様は神様の御座を神様の右と[47]表現します[48]。父の御座はすなわち御子の御座でもあります[49]。御座には神様の御名があります。神様は被造物となられ、被造物として神様の御名を受け継がれました[50]。主イエス様は2024年現在、御使いのようになられて御座に座っていらっしゃいます[51]。
† 御座は実際の神殿にあり、ケルビムに囲まれています。しかし御座は移動できます。御座が移動すると、御座がある所がすなわち神殿になります[52]。御座には神様の御名があります。神様が神様の御名を置けば、そこは御座となります。神様の御名を祀った所は御座となります[53]。神様の御名を祀った所は神殿となります[54]。
† 実際の神殿の御座は神様の星の上、北の果なる集会の山の上、雲のいただきの上にあります。模型神殿の御座は神様の足台で表現されました。御座に置かれた御名を通して、神様はサタン噓群れを踏みにじられます[55]。聖霊神様を祀った聖徒たちを通して、神様はサタン噓群れを踏みにじられます。神様の御名を受けた聖徒たちを通して、神様は敵を神様の足台になるようにします[56]。「イエス」の御名を受けた聖徒たちを通して[57],戒めは裁きの基準として立てられます。
エ. 神様が被造物となられて神様の御名を受け継がれます
ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
ヘブ1:4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
詩2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
詩2:7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
詩2:8 わたしに求めよ。わたしは国国をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
詩2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉粉にする。』」
イザ43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
イザ43:21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄轝を宣べ伝えよう。
ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
エフェ1:11 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
† 神様が神様のために被造界を創造されます。被造物が神様のために創造されたので、被造物は神様のために働くとき最も幸せです。第2位神様が第2位神様のために被造界を創造されます。被造物が第2位神様のために創造されたので、被造物は第2位神様に服従する被造物と第2位神様に逆らう被造物に分けられます。御使いにも人間にもただこの基準だけです。権威も能力も知恵も地位も名誉も豊かさも基準ではありません。第2位神様に服従しない被造物は、火の池の裁きを絶対に避けられません[58]。被造物は神様の中にのみ存在します[59]。特に[60]、被造物は第2位神様の中に[61]存在します[62]。
† 神様は愛の戒めで被造界を支配しています[63]。御子が被造界を受け継ぐと、御子に服従しない被造物はすべて火の池に投げ込まれます[64]。御子が被造界を受け継ぐと、隣人を踏みにじる被造物はすべて火の池に投げ込まれます。
† 神様は御使いと人間に自由意志をくださることを決められます。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることを決められます。第2位神様が被造物となられて被造界を受け継ぐことに決められます。第2位神様が十字架を通して被造界を受け継ぐことに決められます。第2位神様が被造界を受け継ぐ過程を通して、被造界で罪が消滅され、創造が完成されます。
† 被造界で罪が消滅されると、神様がもともと意図されたように創造が完成されます。創造が完成されると、安息が成されます[65]。第7日に安息が成されます[66]。アダムを創造してから7番目の1000年になると安息が成されます[67]。
† 神様は御座に置かれた御名を通して被造界を支配されます。したがって、被造界の支配権は神様の御名にあります。被造界を受け継ぐという意味はそれゆえ、神様の御名を受け継ぐという意味です[68]。御子は父の御名によって来て相続を確定します[69]。聖霊神様は御子の御名によって来られ、相続を[70]保証されます[71]。アブラハムに誓った[72]約束が[73]聖霊神様を通して[74]聖徒につながるのです[75]。聖徒が相続するのは1000年王国の新しいエルサレム都です[76]。
十字架で神様の愛が確証されます。被造物は神様の愛を知り、神様を愛するようになります[77]。神様を愛する被造物は愛の戒めを守ります[78]。御子の血が被造物から犯罪の可能性を洗い流します。御子の血が被造界を贖います[79]。御子の血が被造物の自由意志を完成させます。御子の血が被造物を永遠に生きるようにします[80]。御子の血が創造を完成させます。被造物が御子の中で一つに集まり、父と平和になります。被造物が愛の戒めの中で一つに集まり、父につながります。教会は助ける手としてすべてのものを花婿に服従させます[81]。教会は、花婿が被造界で罪を消滅させることを助けます[82]。
[1] 出4:11 主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
[2] 1ヨハ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
[3] 1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
1コリ2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
[4] イザ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。
[5] John1:18 No man hath seen God at any time; the only begotten Son, which is in the bosom of the Father, he hath declared [him].[KJV]
[6] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
[7] ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息(霊)を引き取られた。
[8] 1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[9] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[10] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
1Cor.15:28 And when all things shall be subdued unto him, then shall the Son also himself be subject unto him that put all things under him, that God may be all in all. [KJV]
[11] 黙17:14 この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
[12] 黙19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。
[13] ヨハネ3:27 ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。
[14] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[15] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。
ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。
[16] イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
[17] 創32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。
[18] 出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
[19] 士13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」
[20] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[21] 代上16:29 御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、御前に行け。聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。
[22] ヨハネ5:43 わたしはわたしの父の名によって來ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において來れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
[23] 1ペト3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
[24] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[25] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
[26] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
[27] 出3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
使徒7:35 『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人人が拒んだこのモ-セを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになったのです。
出3:13 モ-セは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
出3:14 神はモ-セに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」
[28] 士13:21 ...主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。...そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。
士13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」
[29] 使徒7:30 四十年たったとき、御使いが、モ-セに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。
使徒7:31 その光景を見たモ-セは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
使徒7:32 『わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』そこで、モ-セは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。
[30] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
[31] マタイ1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主(キュリオス)の使い(アンゲロス)が夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
[32] ヨハネ11:27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に來られる神の子キリストである、と信じております。」
[33] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[34] 2コリ12:3 私はこの人が、―それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。―
[35] ロマ4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
[36] イザ29:7 アリエルに戦いをいどむすべての民の群れ、これを攻めて、これを取り囲み、これをしいたげる者たちはみな、夢のようになり、夜の幻のようになる。
イザ29:8 飢えた者が、夢の中で食べ、目がさめると、その腹はからであるように、渇いている者が、夢の中で飲み、目がさめると、なんとも疲れて、のどが干からびているように、シオンの山に戦いをいどむすべての民の群れも、そのようになる。
[37] イザ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。
[38] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[39] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[40] ヨブ20:5 悪者の喜びは短く、神を敬わない者の樂しみはつかのまだ。
ヨブ20:6 たとい彼の高ぶりが天まで上り、その頭が雲まで及んでも、
ヨブ20:7 彼は自分の糞のようにとこしえに滅びる。彼を見たことのある者たちは言う。彼はどこにいるのかと。
ヨブ20:8 彼は夢のように飛び去り、だれにも彼は見つけられない。彼は夜の幻のように追い払われ、
[41] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
エフェ1:11 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
[42] 2コリ8:9 あなたがたは、私たちの主イエス․キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
[43] マタイ1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
[44] ヘブ4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
[45] ヘブ8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ-セが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
[46] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
[47] イザ48:13 まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を引き延ばした。わたしがそれらに呼びかけると、それらはこぞって立ち上がる。
[48] ロマ8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト․イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
[49] 黙3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
[50] フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
[51] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[52] ヨハネ2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
[53] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[54] 1コリ3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
[55] ヘブ10:13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。
[56] 創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
[57] マタイ16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
[58] サム上2:9 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。
[59] エフェ4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
[60] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
[61] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[62] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
[63] ガラ5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
[64] 詩2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
[65] ヨハネ5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
[66] 創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[67] 2ペト3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
[68] フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
フィリ2:11 すべての口が、「イエス․キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
[69] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
[70] 使徒7:5 ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。
[71] エフェ1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
エフェ1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
[72] ロマ4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人人にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人人にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人人の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
[73] ガラ4:23 女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです。
ガラ4:24 このことには比喩があります。この女たちは二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。
[74] ガラ4:28 兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
ガラ4:29 しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。
[75] ガラ3:29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
[76] ヘブ11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
[77] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[78] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[79] レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
[80] ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
[81] エフェ1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
エフェ1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に來る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
エフェ1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
エフェ1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
[82] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。