8 サタンは神様の支配を拒否しました
1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
† 愛の法は、被造物が必ず守ることができるのです。神様は、被造物が守ることができない法を守るよう命じられていません。隣人を踏みにじる被造物を神様が火の池に燃やされます[1]。もし神様が被造物が隣人を踏みにじるしかないように創造されたなら、神様は法を守るよう命じなかったでしょう[2]。
† 自由意志を持った被造物は、愛しなければならない場合と愛してはならない場合を自分の善悪で判断します[3]。自由意志を持つ被造物は、自分のために愛し、自分のために愛しません[4]。自分が善悪の基準となった被造物は、神様が善とおっしゃることを善として認めません[5]。彼には自分を楽しませてくれるのが善です[6]。自分が善悪の基準となった被造物は、神様が悪とおっしゃることを悪と認めません[7]。彼には自分を苦しめるのが悪です[8]。
† 愛の法は恵みでしか守れないのです[9]。神様の愛を知らずには、神様を愛することができません[10]。神様を愛さなければ、隣人を愛することはできません[11]。自由意志を持つ被造物は、愛すべき理由を知らなければ愛しません[12]。自由意志を持つ被造物は、まず愛を受けなければ愛しません。それゆえ、神様は被造物にまず愛を注がれます[13]。被造物は神様の愛を通してのみ愛の戒めを守ることができます[14]。
ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
† 神様は愛の戒めで支配されます。サタンは戒めを被造物が守れない基準だと主張します。サタンは十戒を破ります。サタンは殺人、姦淫[15]、盗賊[16]、偽証します[17]。サタンは主イエス様の花嫁と所有を欲しがっています[18]。サタンは教会と被造界を欲しがっています。サタンは自分を神として仕えます[19]。サタンは御座を偶像として仕えます。サタンは神様を嘘つきであると主張します[20]。サタンは神様の御名をみだりに唱えます。サタンは被造界の安息を破ります。サタンは父なる神様を[21]敬いません[22]。
† もし戒めが被造物が本当に守れないものであれば、すべての被造物は結局すべて死ぬことになります。守れない戒めによって、すべての被造物がすべて堕落することになるからです。すべての被造物がみんな隣人を踏みにじるようになるからです。隣人を踏みにじる被造物を神様が裁かれたら、すべての被造物が死ぬでしょう。もしそうなら、神様の公義は被造物を殺すための手段です。もしそうなら、神様の愛は偽りでしょう。
† しかし愛の戒めは守れるのです。神様の公義は愛を守ることです[23]。神様の愛は真実です。十字架を通して、神様は神様の愛を証明されました[24]。隣人を踏みにじる犯罪者を受け入れるという意味は、犯罪者に踏みつけられる隣人を捨てるという意味です。ですから、神様が公義で裁かれないという意味は、神様の愛が偽りであるという意味です。しかし、神様は愛であるので、隣人を踏みにじる犯罪者にも長く我慢してくださいます[25]。
† 父は御子を通してのみ被造物に命を与えます[26]。正確に言えば、御子はすなわち被造物の命です[27]。御子を受け入れる者だけが生きます[28]。命を受け入れる者だけが生きます。御子の支配に服従しない被造物はすべて死にます[29]。御子を受け入れれば、戒めを守ることになります[30]。命を受け入れれば隣人を愛するようになります[31]。聖霊神様が彼に神様の愛としてお見えになるからです[32]。聖霊神様が彼に新しい契約としてお見えになるからです[33]。
† 御子を受け入れない者は神様の愛を知ることができません。神様の愛を知らない者は、愛の戒めを守ることができません。十字架の愛を知らない者は愛の戒めを守ることができません。愛の戒めを守らない者は隣人を踏みにじります[34]。踏みつけられる被造物を苦しみから救われるために、神様は踏みにじる犯罪者を裁かれます[35]。神様は愛であるので、隣人を踏みにじる犯罪者を裁かれます。御子を通して、生き残る被造物と火の池に投げ込まれる被造物が分かれます。御子に服従する被造物は生き残り、御子を逆らう被造物は火の池に投げ込まれます。
† 被造物は神様の命を通してのみ存在します。被造物は神様の命を通してのみ戒めを守ることができます[36]。被造物は神様の命を通してのみ隣人を愛することができます[37]。もし被造物が自分の力を通して隣人を愛することができれば、その被造物は神様の命を通して愛しているのではありません。もし神様の恵みがなくても、被造物が自らの力で戒めを守ることができれば、その被造物は自らの命を通して愛しているのです[38]。もし被造物が自らの命で愛しているなら、その被造物は自ら存在しているのです。しかし戒めは、神様の恵みで守るのです[39]。被造物は神様の恵みで隣人を愛するようになります[40]。
被造物に隣人を愛させる力は神様の愛です[41]。神様の愛はすなわち御子です。御子は肉体になった愛です[42]。被造物が御子を受け入れると、その被造物は隣人を愛するようになります[43]。自ら捧げ物となった御子の血で、新しい契約が立てられます[44]。自ら供え物になった御子の血の中で、聖霊神様がお見えになります[45]。聖霊神様を通して、被造物が隣人を愛します[46]。新しい契約を通して[47]、被造物が隣人を愛します[48]。
[1] 創18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
[2] ロマ3:5 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
ロマ3:6 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。
[3] 創4:6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[4] 王上22:8 イスラエルの王はヨシャパテに答えた。「いや、ほかにもうひとり、私たちが主のみこころを求めることのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。それは、イムラの子ミカヤです。」すると、ヨシャパテは言った。「王よ。そういうふうには言わないでください。」
[5] 王上22:23 今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」
王上22:24 すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って來て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。「どのようにして、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。」
王上22:25 ミカヤは答えた。「いまに、あなたが奥の間にはいって身を隠すときに、思い知るであろう。」
[6] 王上22:10 イスラエルの王と、ユダの王ヨシャパテは、おのおの王服を着て、サマリヤの門の入口にある打ち場の王の座に着き、預言者はみな、ふたりの前で預言していた。
王上22:11 そのとき、ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう仰せられます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶滅させなければならない。』」
王上22:12 ほかの預言者たちもみな、同じように預言して言った。「ラモテ․ギルアデに攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」
[7] 王上22:26 すると、イスラエルの王は言った。「ミカヤを連れて行け。町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。
王上22:27 王が『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰って來るまで、わずかなパンと、わずかな水をあてがっておけ。』と命じたと言え。」
[8] 王上22:17 彼は答えた。「私は全イスラエルが、山山に散らされているのを見た。まるで、飼い主のいない羊の群れのように。そのとき、主は仰せられた。『彼らには主人がいない。彼らをおのおのその家に無事に帰さなければならない。』」
王上22:18 イスラエルの王はヨシャパテに言った。「彼は私について良いことを預言せず、悪いことばかりを預言すると、あなたに言っておいたではありませんか。」
[9] 創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
[10] ロマ10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
ロマ10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人人の足は、なんとりっぱでしょう。」
[11] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[12] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[13] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[14] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
[15] ユダ1:6 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
ユダ1:7 また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町町も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。
[16] ヨハネ10:10 盗人が來るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが來たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
[17] 1ヨハ4:6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
[18] 1ペト5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
[19] エゼ28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
[20] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
[21] イザ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
[22] ヘブ12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
[23] イザ61:8 まことに、わたしは公義を愛する主だ。わたしは不法な略奪を憎む。わたしは誠実を尽くして彼らに報い、とこしえの契約を彼らと結ぶ。
[24] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[25] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
[26] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
[27] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[28] ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
[29] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[30] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[31] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
[32] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
[33] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[34] ミカ3:2 あなたがたは善を憎み、悪を愛し、人人の皮をはぎ、その骨から肉をそぎ取り、
ミカ3:3 わたしの民の肉を食らい、皮をはぎ取り、その骨を粉粉に砕き、鉢の中にあるように、また大がまの中の肉切れのように、切れ切れに裂く。
ミカ3:4 それで、彼らが主に叫んでも、主は彼らに答えない。その時、主は彼らから顔を隠される。彼らの行ないが悪いからだ。
[35] 詩9:12 血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。
[36] エフェ4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
エフェ4:19 道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。
[37] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[38] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
ロマ3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
ロマ3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
ロマ3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
ロマ3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
ロマ3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、
ロマ3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。
ロマ3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」
ロマ3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
[39] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[40] ガラ2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト․イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト․イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
[41] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[42] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
[43] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[44] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[45] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。
ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
[46] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
エレ31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ。―
エレ31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[47] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
2コリ3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
2コリ3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
[48] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。