12 アダムはサタンの惑わしに敗北するしかなかったか
Ω アダムはサタンの惑わしに敗北するしかなかったか |
見方1: 惑わしに打ち勝つことができた。 |
神様は、被造物がよく守ることができる戒めだけを守るように命じられます[1]。神様は、被造物が十分耐えられる誘惑だけを許されます[2]。神様は、被造物が戒めを守れるように、被造物に恵みを与えてくださいます。 もしアダムがヘレルの惑わしを克服していたら、アダムの自由意志は苦しみなく完成されることができたでしょう。ヘレルの惑わしを克服した御使いの自由意志は、苦しみなく完成されます。もしアダムがヘレルの惑わしに勝ったならば、おそらく神様が被造物の自由意志を完成されるために十字架以外の方法を使用されたかもしれません。 しかし、アダムが敗北することをあらかじめご存じでいらっしゃった神様は、アダムを通して被造界に十字架を立てるようにあらかじめ定められ、創造を始められました。したがって、もしアダムがヘレルの惑わしに打ち勝つだろうとすれば、敗北する他の被造物を神様が最初アダムとして作られた可能性もあります。アダムが犯罪した今、神様は十字架という方法で神様の愛を証明され[3]、御使いとアダムの自由意志を完成されます[4]。 アダムが罪を犯します。地は呪われ、茨とアザミを生み出します[5]。肉体は呪われて肉の欲望を出します[6]。肉体は死の体になります[7]。肉の欲望によりアダムは戒めを守るのが難しくなりました[8]。アダムはもう聖霊神様を祀らなければなりません[9]。今、聖霊神様がアダムの心に法を刻んでこそ、アダムは肉の欲望を克服することができます[10]。 神様はアダムに地に対する支配権を任せられました[11]。神様はアダムに愛の戒めで地を治めさせました[12]。アダムはサタンに負けました[13]。サタンと同様に、アダムも罪の奴隷となりました[14]。サタンはアダムより強いです。今はサタンが地を支配します[15]。サタンは愛の戒めで支配しません[16]。サタンは力で支配します[17]。今、地では茨とアザミが出ます[18]。今、地は暴力でいっぱいです[19]。今、地は弱肉強食の世界に変わります[20]。 犯罪の前でも後でも、アダムは神様の恵みだけで戒めを守ることができます[21]。御使いでも人間でも、被造物は神様の恵みだけで隣人を愛することができます[22]。この恵みの核心は十字架であります[23]。被造物は、十字架の愛を通してのみ、神様と隣人を愛するようになります[24]。神様と隣人を愛する被造物だけ永遠に生きます[25]。自分の欲を満たすために隣人の苦しみを無視する被造物は死にます[26]。自分の意志を立てるために神様の意志に挑戦する被造物は死にます[27]。神様ご自身が被造物として来られ、隣人を愛するものとして、被造物を完成されてくださいます[28]。神様ご自身が被造物として来られ、被造物を永遠に生きるものとして完成されてくださいます[29]。 神様はアダムの堕落をあらかじめご存じでいらっしゃいました。神様はヘレルとアダムの堕落を使って被造界に十字架を立てるように定められました。もしヘレルやアダムが堕落しなかったならば、神様は他の方法で創造を完成されたでしょう。あるいは、堕落する他の被造物をヘレルやアダムの席に置かれたでしょう。 神様はアダムが惑わしに打ち勝つことができないことをご存じでいらっしゃいました。もしアダムが惑わしに勝ったならば、アダムの自由意志は苦しみなく完成されることができたでしょう。もしアダムが惑わしに勝ったのなら、神様はアダムの堕落を利用しようとしなかったでしょう。あるいは、堕落する他の被造物をアダムの席に置かれたでしょう。 もし神様がアダムが決して勝つことができない試みをアダムに許されたなら、それは神様がアダムに選ばせたのではありません。アダムが選択したものでなければ、アダムには罪はありません。アダムが選択したものでなければ、神様はアダムを裁かれてはなりません。しかし、神様はアダムをエデンから追い出されました[30]。アダムが犯罪することを選んだからです。 もしアダムが禁断の果実を食べなかったとしても、アダムの自由意志はその時完成されなかったでしょう。今のような構造の被造界では、被造物の自由意志は十字架の愛を通してのみ完成されます。しかし、アダムが禁断の果実を食べなかったならば、アダムは苦しみを経験せずに自由意志を完成させてもらうことができたでしょう。ヘレルの惑わしに勝った御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。アダムは禁断の果実を拒むことができました。アダムはサタンの惑わしに打ち勝つことができました[31]。 |
私はこの見方を支持します。 |
見方2:敗北するしかなかった。 |
多くの御使いたちが神様と対抗しているヘレルに従うのを見ると[32]、ヘレルは被造物の中で最も強いようです[33]。アダム自らの力では決してヘレルに勝てません。聖霊神様が聖徒と共にいらっしゃるので、聖徒がサタンに打ち勝つことができるのです[34]。聖霊神様がアダムにお見えになる前でした。ですからアダムはサタンに敗北するしかありませんでした。戒めが間違っていたからではなく、アダムの状態が不完全だからでした。 神様はアダムの犯罪を使って、被造物の自由意志を完成されることに決められました。神様が犯罪した最初アダムの罪を贖うために、最後アダムとしてお見えになることを決められました。神様は十字架を通して被造物たちに神様の愛を確証されるように定められました。 被造物は十字架の愛を悟り、罪を捨てることになります。十字架の愛を知らない被造物は戒めを守ることができません。アダムは十字架の愛を知りませんでした。したがって、アダムは戒めを守ることができませんでした。アダムの犯罪はあらかじめ定められたものでした。この時は十字架の愛が確証される前でした。したがって、誰がアダムの席にいても、必ず犯罪になります。アダムは決して禁断の果実を拒絶できませんでした。 アダムは裸の状態にありました。裸だという意味は罪の恥を持っているという意味です[35]。罪があらわれなかっただけで、アダムは機会を与えられれば犯罪できる状態でした。アダムが気付かなかっただけで、アダムはすでに犯罪者でした。アダムはすでに神様よりもエバを愛していました。アダムが禁断の果実を食べても食べなくても、アダムはすでに死んだ人でした。もしアダムがその時さばきの座の前にひれ伏すならば、アダムは火の池の裁きを避けられません。 ですから、神様はアダムにサタンの惑わしを許されます。アダムが自分の状態を悟って悔い改めるようにするために、神様はアダムにサタンの惑わしを許されます。アダムがサタンに敗北するしかなかったが、神様はアダムにサタンの惑わしを許されます。すでに死んでいるアダムを生かされるために、神様はアダムにサタンの惑わしを許されます。 アダムは十字架の愛を知りませんでした。十字架の愛を知らなければ、禁断の果実の誘惑だけでなく、すべての惑わしに打ち勝つことができません。しかし十字架の愛を知れば、すべての試みに打ち勝つことができます。神様が耐えられる誘惑だけを許されるという意味は、アダムが禁断の果実の惑わしに打ち勝つことができたという意味ではありません。神様が耐えられる誘惑だけを許されるという意味は、神様を愛すれば耐えられない誘惑がなくなることを意味します。死も勝つのに何に耐えられませんか。十字架の愛によってアダムが耐えられない誘惑がなくなります。しかし、アダムはまだ十字架の愛を知りませんでした。アダムには勝てる誘惑がありませんでした。 アダムは死んでいました。アダムが死んでいるという事実を悟らせるために、神様はアダムに禁断の果実の試みを許されます。十字架の愛を知らないすべての被造物は死んでいます。被造物が死んでいるという事実を悟らせるために、神様は被造物にサタンの惑わしを許されます。自分が死んでいるという事実を悟って神様に戻ってくるために、神様は被造物にサタンの惑わしを許されます。 十字架の愛を知らない被造物は戒めを守ることができません。戒めを守ることができない最初アダムに、神様がサタンの惑わしを許されます。戒めを守ることができないので、最初アダムは敗北します。最初アダムを生かされるために、神様が最後アダムとしてお見えになります。最後アダムは十字架を通して神様の愛を示しています。最初アダムは神様を愛するようになります。最初アダムは戒めを守ることになります。今、最初アダムは再び犯罪しません。今、最初アダムは再び禁断の果実を食べません。 |
私はこの見方を支持しません。 質問 アダムが選ぶことが不可能に神様が妨げられたという意味は、神様がアダムに自由意志をくださらなかったという意味です。十字架の愛を知らない被造物には自由意志がないのでしょうか。アダムが死んでいたのは、アダムの選択ではなく、神様のせいだったのでしょうか。地が呪われたのは、アダムの罪のためではなく、神様の過ちのためだったのでしょうか。 |
[1] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[2] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[3] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[4] コロ1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[5] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[6] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[7] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[8] ロマ7:5 私たちが肉にあったときは、律法による數數の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
[9] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[10] ヘブ8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[11] 創2:15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
[12] イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。
[13] 2ペト2:19 この人人に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、日とは征服者の奴隷となるものである。
[14] ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
[15] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ルカ4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
[16] 創6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
創6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を亂していたからである。
創6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に來ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
[17] 創18:20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
創18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
[18] イザ5:6 わたしは、これを滅びるままにしておく。枝はおろされず、草は刈られず、いばらとおどろが生い茂る。わたしは雲に命じて、この上に雨を降らせない。」
イザ5:7 まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。
[19] 創15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って來る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」
[20] ホセ4:1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。
ホセ4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
[21] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[22] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。
ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。
[23] コロ1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[24] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
[25] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
1ヨハ3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
[26] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[27] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
[28] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[29] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[30] 創3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
[31] エゼ18:25 あなたがたは、『主の態度は公正でない。』と言っている。さあ、聞け。イスラエルの家よ。わたしの態度は公正でないのか。公正でないのはあなたがたの態度ではないのか。
エゼ18:26 正しい人が自分の正しい行ないから遠ざかり、不正をし、そのために死ぬなら、彼は自分の行なった不正によって死ぬ。
エゼ18:27 しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行なうなら、彼は自分のいのちを生かす。
[32] エゼ28:14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。
[33] ユダ1:9 御使いのかしらミカエルは、モ-セのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、「主があなたを戒めてくださるように。」と言いました。
[34] マタイ12:28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに來ているのです。
[35] 黙3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。