2 存在のお召し

21 完成できない自由意志

aparke 2025. 5. 23. 10:29

1

 (時間の中だけに存在する被造物の考えと考えます。)神様は創世前にすでにヘレルが堕落することをご存じでいらっしゃいました[1]。神様は創世前にすでにアダムが堕落することをご存じでいらっしゃいました[2]。神様はヘレルとアダムの堕落を通して、被造界に十字架を立てることをあらかじめ定められました[3]。その後、神様は被造界を創造されました[4]

 神様は被造物を火の池に燃やすために創造されませんでした[5]。神様は被造物に耐えることができる誘惑だけを許されます[6]。犯罪するかどうかは被造物自らが選ぶのです[7]。十字架の愛を見ても、サタンはその愛を受け入れません[8]。もしヘレルが堕落しなかったならば、神様は堕落する他の被造物をヘレルの席に置かれたでしょう。もし誰も堕落しなかったならば、神様は別の過程で創造を完成されることをあらかじめ定められたでしょう。

 神様は被造物に自由意志をくださいました。神様はすべての被造物のすべての選択を創世の前から常にご存じでいらっしゃいます[9]。神様は犯罪する被造物を創世前からすでにご存じでいらっしゃいます[10]。それでも、神様は犯罪する被造物を創造されます[11]。神様は犯罪しない被造物だけを創造されません[12]

 神様は創造を完成されるために、犯罪することを選ぶ被造物の犯罪を使用されます[13]。神様は神様の愛と公義を明らかにするために犯罪者の犯罪を使用されます。被造物は隣人を踏みにじる犯罪者を通して戒めの大切さを確認します。被造物は犯罪者を贖う十字架を通して神様の公義を確認します。罪を贖うための対価は神様自身です。被造物は犯罪者を火の池に燃やす裁きを通して神様の愛を確認します。神様は踏みつけられた被造物を守るために踏みつけた被造物を火の池に燃やされます。神様の愛と公義を悟った被造物たちは罪を捨てます。創造は完成されます。

 神様は、それぞれの義人と悪人をどの時代、どの地域に配置するかを創世前にすでにあらかじめ定められました[14]。神様が被造物を犯罪にさせるのではありません。神様が火の池に燃やすために被造物を創造するのではありません。彼が犯罪することを既にご存じでいらっしゃるが、それにもかかわらず彼を創造されるのです。神様は、被造物に神様ご自身がくださった自由意志を侵害されません。

 神様がイスカリオテ·ユダを犯罪にさせるのではありません。ユダ自身が犯罪することを選ぶのです。神様がユダの選択を使用されるのです[15]。もしユダが犯罪しなかったならば、神様は犯罪する他の被造物をイスカリオテ·ユダの席に置かれたでしょう[16]。もし誰も犯罪しないだろうとしたら、神様は預言自体を異なっておっしゃったでしょう[17]

 主イエス様は十字架を背負っています[18]。しかし、主イエス様を十字架につけた者たちは罪を犯したのです[19]。主イエス様は犯罪者の犯罪を使って十字架につけられました[20]。しかし、主イエス様を十字架につけた者たちは、自分でそのような選択をしたのです[21]。十字架を通して主イエス様の御心が成就されます[22]。しかし、主イエス様は犯罪者を無理強いに犯罪するようにされませんでした[23]

 主イエスイエス意志げるために被造物使用するのです。被造物イエス御心げるのではありません[24]イエス犯罪者犯罪使っても、その犯罪当化されることはできません。犯罪がなければならないが、犯罪するその被造物にます[25]。もし犯罪しないであろうならば、イエス方法あらかじめ定められたでしょう。

 

2

被造物の自由意志は十字架を通してのみ完成されます[26]。自由意志が完成されていない被造物をそのままにしておけば、時間の延長の中でいつかは必ず犯罪します。まだ犯罪していなくても状況になれば、必ず犯罪する被造物はまだ完成されたわけではありません。したがって、神様は被造物が犯罪する前に被造物の自由意志を完成されます[27]

神様が被造物に求められる服従の限界は命を捨てることです[28]。命を捨てるほどだけ愛すれば、神様は彼が確かに戒めを守ったと認めてくださいます[29]。そして彼を再び復活させてくださいます[30]

 神様がご覧になるのは、彼が神様に服従するのかどうかであります。被造物が死んで生きるもの自体は、神様には何の意味もないのです。死んだら、神様が再び生かされれば良いのです。被造物の存在自体を存続させていらっしゃる方が神様です[31]。被造物を置いた時空間自体をいつでも無数に呼び出し、いつでも一気に消滅させてしまうことができる方が神様です[32]

 神様は神様に服従しない被造物を火の池に燃やされます。義なる被造物でも不義な被造物でも、被造物は死んでも死んだものではありません[33]。被造物が死んだ後、神様は各被造物の選択に従って各被造物を処分されます。大きな白い御座の裁きの時に、神様は各被造物の選択に従って各被造物を処分されます[34]。被造物が生き残るか、実際に死ぬかは[35]、被造物が死んだ後になって初めて決定されます。

 十字架を通して被造物が死に至るまで神様と隣人を愛するようになります[36]。十字架を通して、被造物が神様が定められた限界ほど愛するようになります[37]。十字架を通して、被造物の自由意志が神様が定められた限界ほど純潔になります[38]

 神様は耐えられる誘惑だけを許されます。神様はそれぞれの被造物が惑わしに打ち勝つことができるようにすべての状況を調整してくださいます。神様はそれぞれの被造物が惑わしに打ち勝つことができるように恵みを与えてくださいます[39]。したがって、被造物が勝つことを望むならば、被造物は必ず惑わしに打ち勝つことができます。被造界に十字架が立てられる前であっても、被造物は必ず惑わしに打ち勝つことができます。

 しかし、被造物は神様の恵みを拒むことができます[40]。神様の恵みを拒むなら、被造物は惑わしに勝てません[41]。十字架の愛を知っていても、被造物は神様の恵みを拒むことができます[42]。罪の赦しを受けても、被造物は神様の恵みを拒むことができます[43]。被造界に十字架が立てられる前に犯罪したのか、それとも後に犯罪したのかが重要なものではありません。神様の恵みを拒んだのか、拒絶しなかったのかが重要なのです[44]

十字架が立てられる前に神様の恵みを拒んだサタン噓群れは、十字架が立てられた後も神様の恵みを断ります[45]。十字架が立てられた後も神様の恵みを拒むサタン噓群れは、十字架が立てられる前にもすでに神様の恵みを断っています。十字架を通して神様の愛が確実に証明されても、恵みを拒む被造物は恵みを断ります[46]。神様がいくら耐えられる誘惑だけを許しても、恵みを拒む被造物は恵みを断ります[47]。そもそも彼らには神様に服従しようとする意志がないのです。そもそも彼らには欲を捨てようとする意志がないのです[48]

被造物が戒めを守れない理由は、戒めが被造物が守れないものだからではありません[49]。被造物が戒めを守ることができない理由は、戒めが恵みでしか守れないからです[50]。被造物自らの力では戒めを守ることができません[51]。愛の戒めは、神様の恵みを受けなければ守れないのです[52]。被造物自らには愛がありません[53]。愛の戒めは、神様の愛を受けなければ守れないのです[54]

愛がすなわち戒めです[55]。神様は愛です[56]。神様はすなわち戒めです[57]。戒めは、神様の御心をみことばで示したものに過ぎません。戒めは、神様の意志をみことばで示したものに過ぎません。戒めは神様のような心を抱くというみことばです[58]。戒めは神様の意志に挑戦してはならないというみことばです[59]。戒めは隣人を踏んではいけないという言葉です。

神様の御心を受け入れることを選ぶ被造物を通して、神様は神様の御心を示しています[60]。神様の意志を受け入れる被造物を通して、神様はご自分を示しています[61]。神様の恵みを拒まない被造物を通して、神様は神様の形を示しています[62]

被造物自らが生み出した愛が被造物の行ないとして現れるのではありません。被造物が受け入れた神様の愛が被造物の行ないとして現れるのです[63]。被造物が受け入れた神様の恵みが被造物の行ないとして現れるのです[64]。被造物が受け入れた神様が被造物の行ないとして現れるのです[65]。主イエス様は、被造物の肉体に入れられた神様です[66]。被造物の肉体にお見えになった神様が肉体の行ないとして現れます[67]

被造物自体には愛がありません。被造物は自分で神様を愛することはできません[68]。被造物はまず神様の愛を知った後初めて神様を愛することができるようになります[69]。被造物は命を捨てられるほどまで神様の愛を知った後になって初めて神様のために命を捨てられるようになります[70]。被造物は十字架の愛を知った後になって初めて神様のために命を捨てることができるようになります[71]。被造物は十字架の愛を知った後になって初めて神様が定められた基準まで神様を愛することができるようになります[72]

 

3

十字架を通して神様の愛が現れたとしても、すべての被造物がみな神様を愛するようになるわけではありません。神様が被造物のために命を捨てられたとしても、すべての被造物がすべて神様のために命を捨てることになるわけではありません[73]。神様が恵みを与えられても、すべての被造物がみな戒めを守るようになるわけではありません[74]

神様を愛することを選ぶ自由意志だけが、神様を愛するようになります。神様を選ぶために欲を捨てる自由意志だけが、神様を愛するようになります[75]。自分が神様を愛したいだけに、被造物は神様を愛することができます[76]。神様のために命まで捨てようとする被造物だけが、神様のために命を捨てることができます[77]。神様の恵みを受け入れようとするだけに、被造物は神様の恵みを受けることができます。神様がどんなに多くの恵みを与えても、被造物が拒めば、被造物は神様の恵みを抱くことができません。神様は、被造物に神様ご自身がくださった自由意志を侵害されません。

より多くの恵みを受け入れる被造物は、より多くの恵みを抱きます。より多くの恵みを抱く被造物は、より多くの実を結びます[78]。しかし、その被造物は自らの力で実を結んだものではありません[79]。神様が彼に恵みを与えてくれなかったならば、彼は果実を結ぶことができなかったでしょう[80]。神様が彼に少ない恵みだけを与えてくださったなら、彼は少ない実しか結ばれなかったでしょう[81]。したがって、いくら多くの実を結んでも、被造物は自慢できません[82]。もともと神様が恵みを与えてくださらなかったなら、被造物は生きていることさえありません[83]

神様がヘレルに使命を任せようと、ヘレルを隣人の御使いたちより美しく賢く創造されました[84]。ヘレルが美しく知恵だった理由は、ヘレル自身が美しく知恵だったからではありませんでした。神様がヘレルを召される前に、ヘレルはただ非存在だっただけです[85]。神様がヘレルを美しく賢く作られたので、ヘレルが美しく知恵だったのです[86]。神様がヘレルに恵みを与えてくださったので、ヘレルが美しく知恵だったのです[87]

しかし、ヘレルは神様が与えてくださった恵みを自分から出たと勘違いしました。ヘレルは自分の知恵が自分から出たと勘違いしました[88]。ヘレルは自分が実際に賢い存在であったため、自分が賢いと勘違いしました[89]。ヘレルは自分が御座に上がる資格のある存在であると勘違いしました[90]。しかしヘレルも隣人の御使いたちと同様に、もともとはただ非存在だっただけです[91]

ヘレルは自分にあるのが神様の恵みに過ぎないという事実を覚えていませんでした[92]。ヘレルは神様が与えてくださった恵みを使って隣人の上に自分を高めようとしました[93]。ヘレルは神様の恵みを使って自分の欲を満たそうとしました。そうヘレルはサタンになりました。

もし神様が与えてくださった恵みを自分の義とみなす被造物があれば[94]、彼は高慢なのです。神様が結ばせてくださった実を自分の功労とみなす被造物があれば、彼は高慢なのです。多くの実を結んだ自分を、少ない実を結んだ隣人よりも良いと思う被造物があれば[95]、彼は高慢なのです。もし彼が神様の恵みを使って隣人の上に自分を高めようとすれば[96]、そのやはり神様に対抗するサタンになるでしょう[97]

神様は被造物に自由意志をくださいました。被造物は犯罪する可能性があります。神様は被造界に十字架を立てられました。犯罪する可能性のある被造物に神様の血が覆われました[98]。今、被造物は犯罪することはできません[99]。今、被造物は神様と血で結ばれました[100]。神様が被造物に自由意志をくださらなかったならば、被造物は神様と愛で結ぶことができなかったでしょう[101]

神様は被造物に自由意志をくださいました。選択すべき状況がなければ自由意志をいただいたものではありません。したがって、被造物は選ばなければなりません。神様と隣人を愛することを選ぶ被造物は生き残ります。神様の恵みを拒まないことを選ぶ被造物は生き残ります。十字架の愛を受け入れることに選ぶ被造物は生き残ります。

しかし、隣人を踏みにじるように選んだ被造物は火の池に投げ込まれます。神様の恵みを拒むことを選ぶ被造物は火の池に投げ込まれます。自分の欲を満たすために十字架の血を踏みにじる被造物は火の池に投げ込まれます。十字架の愛は、その愛を受け入れることに選ぶ被造物の自由意志のみを完成します。サタンは十字架の愛を受け入れようとしません。サタンはむしろ神様を十字架につけます[102]

ヘレルは恵みを拒むことを選ぶ被造物でした。神様がヘレルを別の時代に置かれたとしても、まだヘレルは犯罪したでしょう。環境によってヘレルの選択は変わらなかったでしょう。永遠に生きる被造物が環境の変化のため火の池に投げ込まれる被造物に変わりません。火の池に投げ込まれる被造物が環境の変化のために永遠に生きる被造物に変わりません。

神様ご自身は誘惑の強弱を調節されます。神様ご自身が耐えられる誘惑だけを許されます。神様は、すべての時代のすべての被造物を、主管されるのです[103]。神様はそれぞれの被造物に公正な環境を造られます[104]。さばきの座の前で、被造物は自分の環境を責められません[105]。さばきの座の前で、被造物は自分が住んでいた時代を言い訳できません[106]。神様の裁きは公平です[107]

神様がヘレルを人間として生まれるようになったとしても、ヘレルはイスカリオテ·ユダになることができるかもしれませんが、パウロにはなりません。6000年前に火の池に投げ込まれる被造物は、6000年後に生まれても火の池に投げ込まれる被造物であります。6000年前に永生する被造物は6000年後に生まれても永生する被造物であります。神様はすでにすべての人間のすべての選択を本に記録されました[108]



[1] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」

[2] 王下8:10 エリシャは彼に言った。「行って、『あなたは必ず直る。』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」

 王下8:11 神の人は、彼が恥じるほど、じっと彼を見つめ、そして泣き出したので、

 王下8:12 ハザエルは尋ねた。「あなたさまは、なぜ泣くのですか。」エリシャは答えた。「私は、あなたがイスラエルの人人に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八裂にし、妊婦たちを切り裂くだろう。」

 王下8:13 ハザエルは言った。「しもべは犬にすぎないのに、どうして、そんなだいそれたことができましょう。」しかし、エリシャは言った。「主は私に、あなたがアラムの王になると、示されたのだ。」

[3] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

 エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

[4] 1コリ2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

 1コリ2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

[5] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

[6] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

[7] エゼ33:11 彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。―神である主の御告げ。―わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』

[8] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

[9] 王上13:2 すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」

[10] イザ44:27 淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川川をからす。』と言う。

 イザ44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」

[11] ロマ9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。

 ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。

[12] ロマ9:19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」

 ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

 ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。

[13] 16:4 主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。

[14] ダニ12:1 その時、あなたの国の人人を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以來、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が來る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

[15] ヨハネ13:18 わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。』と書いてあることは成就するのです。

[16] ヨハネ12:6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人人のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

[17] ヨハネ6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」―イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである。―

[18] ヨハネ12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

[19] マタイ18:7 つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。

[20] ヨハネ10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。

 ヨハネ10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父ら受けたのです。」

[21] マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

 マタイ23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。

[22] イザ53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

 イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

[23] 20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。

 創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」

 創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

[24] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

 エフェ3:11 私たちの主キリストイエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

[25] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

 ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」

[26] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[27] 2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。

 創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。

[28] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

 ヨハネ15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。

[29] 12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

[30] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[31] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[32] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[33] ヨハネ5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て來る時が來ます。

 ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

[34] ヨブ34:10 だから、あなたがた分別のある人人よ。私に聞け。神が悪を行なうなど、全能者が不正をするなど、絶対にそういうことはない。

 ヨブ34:11 神は、人の行ないをその身に報い、人に、それぞれ自分の道を見つけるようにされる。

 ヨブ34:12 神は決して悪を行なわない。全能者は公義を曲げない。

[35] 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

[36] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

[37] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

[38] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。

 ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

[39] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

 2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

[40] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

 ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

 ガラ3:4 あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。

[41] 1テモ1:19 ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。

[42] ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

 ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

[43] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

 ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

[44] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

[45] ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

[46] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

[47] 2テサ2:9 不法の人の到來は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

 2テサ2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

 2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

 2テサ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

[48] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

 ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

[49] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

[50] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

[51] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[52] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

[53] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

 ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

[54] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

[55] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[56] 1ヨハ4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

[57] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[58] 1コリ2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

[59] ロマ11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。

 ロマ11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

[60] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

[61] ヨハネ14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

[62] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

[63] 1コリ4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリストイエスにあって、あなたがたを生んだのです。

[64] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

[65] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

 ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

 ヨハネ3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから來てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

[66] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

[67] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

 1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

 1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

[68] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

 エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

[69] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[70] ヘブ11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

 ヘブ11:36 また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

 ヘブ11:37 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

[71] ロマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

 ロマ8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

 ロマ8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

[72] エフェ5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

[73] 2テモ4:14 銅細工人のアレキサンデルが私をひどく苦しめました。そのしわざに応じて主が彼に報いられます。

 2テモ4:15 あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。

[74] エゼ16:17 あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品品を取って、自分のために男の像を造り、それと姦淫を行なった。

 エゼ16:18 あなたはまた、あや織りの着物を取って、それをおおい、わたしの油と、わたしの香とをその前にささげた。

 エゼ16:19 あなたは、わたしが与えたわたしのパンや、あなたに食べさせた上等の小麦粉や、油や、蜜までも、その前にささげてなだめのかおりとした。そうしたのだ。―神である主の御告げ。―

[75] マタイ16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて來たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて來なさい。

 マタイ16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

[76] 8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。

[77] 8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

 雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。

[78] ルカ19:16 さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』

 ルカ19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』

 ルカ19:18 二番目の者が來て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』

[79] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

[80] ロマ11:17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリ-ブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリ-ブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

 ロマ11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

[81] 3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

[82] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

[83] 1テモ1:15 「キリストイエスは、罪人を救うためにこの世に來られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

 1テモ1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエスキリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人人の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

[84] エゼ28:12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。

[85] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。

[86] エゼ16:13 こうして、あなたは金や銀で飾られ、あなたは亜麻布や絹やあや織り物を着て、上等の小麦粉や蜜や油を食べた。こうして、あなたは非常に美しくなり、栄えて、女王の位についた。

 エゼ16:14 その美しさのために、あなたの名は諸国の民の間に広まった。それは、わたしがあなたにまとわせたわたしの飾り物が完全であったからだ。―神である主の御告げ。―

[87] エゼ28:14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。

[88] 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

 創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

[89] エゼ28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。

[90] イザ14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国国を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。

 イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。

 イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』

[91] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。

 イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

 イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

[92] ダニ4:30 王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」

 ダニ4:31 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。

[93] イザ65:4 墓地にすわり、見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、汚れた肉の吸い物を器に入れ、

 イザ65:5 「そこに立っておれ。私に近寄るな。私はあなたより聖なるものになっている。」と言う。「これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。

[94] エゼ33:13 わたしが正しい人に、『あなたは必ず生きる。』と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行ないは何一つ覚えられず、彼は自分の行なった不正によって死ななければならない。

[95] 1コリ4:6 さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って來ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。

 1コリ4:7 いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。

 1コリ4:8 あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。

[96] 16:2 会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モ-セに立ち向かった。

 民16:3 彼らは集まって、モ-セとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」

[97] 16:6 こうしなさい。コラとその仲間のすべてよ。あなたがたは火皿を取り、

 民16:7 あす、主の前でその中に火を入れ、その上に香を盛りなさい。主がお選びになるその人が聖なるものである。レビの子たちよ。あなたがたが分を越えているのだ。」

 民16:8 モ-セはさらにコラに言った。「レビの子たちよ。よく聞きなさい。

 民16:9 イスラエルの神が、あなたがたを、イスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするために、また会衆の前に立って彼らに仕えるために、みもとに近づけてくださったのだ。あなたがたには、これに不足があるのか。

 民16:10 こうしてあなたとあなたの同族であるレビ族全部を、あなたといっしょに近づけてくださったのだ。それなのに、あなたがたは祭司の職まで要求するのか。

 民16:11 それだから、あなたとあなたの仲間のすべては、一つになって主に逆らっているのだ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」

[98] エフェ1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。

[99] ロマ6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

 ロマ6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

 ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリストイエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

[100] ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

 ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

 ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

 ヘブ9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

 ヘブ9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

 ヘブ9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。

[101] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

[102] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』

 ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』

 ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。

[103] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

 エフェ3:11 私たちの主キリストイエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

[104] 1コリ7:20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。

 1コリ7:21 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。

 1コリ7:22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。

[105] ヨブ31:13 私のしもべや、はしためが、私と争ったとき、もし、私が彼らの言い分をないがしろにしたことがあるなら、

 ヨブ31:14 神が立たれるとき、私はどうすればよいか。また、神がお調べになるとき、何と答えたらよいか。

 ヨブ31:15 私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。

[106] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

 ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

 ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

[107] 18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」

[108] 139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。