28 神様はアダムが助け手と共にエデンを守らせられました
創2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
創2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて來られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
創2:20 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
創2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
創2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて來られた。
創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
創2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
エフェ5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
エフェ5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
† アダムは罪からエデンを守らなければなりません。アダムはサタン噓群れの攻撃からエデンを守らなければなりません。神様がアダムを助け、エデンを守るのを助け手を創造されます。
† アダムは獣と鳥に名を付けます。しかし、アダムはその中で自分を助け手を見つけることができません。神様は女を作ります。アダムは女に名を与えます。アダムは自分を助け手を見つけます。女はアダムを助け、エデンを守らなければなりません。
† 神様は獣と鳥をアダムに導きます。獣と鳥の間で、アダムは自分を助け手を見つけることができません。獣と鳥はアダムを助けてエデンを守ることができません。神様はアダムを殺し、女を作ります。女はアダムに自分の命と同じです。女はアダムの助け手になります。
† アダムは愛の戒めでエデンを治めなければなりません。アダムは罪からエデンを守らなければなりません。しかし、獣と鳥はアダムを助けることができません。獣と鳥は神様の形ではありません。アダムだけが神様の形であります。獣と鳥は愛の戒めを守ることができません。獣と鳥は罪を防ぐことができません。アダムがなければ、彼らは互いに踏みにじるでしょう。
† 神様はアダムを殺します。そしてアダムから女を出します。神様は神様の形から神様の形を出します[1]。アダムから花嫁が出てきます。アダムから助け手が出てきます。最後のアダムから教会が出てきます。最後のアダムから助け手が出てきます。
† 最後のアダムは十字架で死にます。最後のアダムが花嫁を贖われます。最後のアダムの血で教会が出てきます[2]。最後のアダムは神様の形です[3]。教会は最後のアダムに似ており、神様の形に仕上がります[4]。
† 最後のアダムは十字架を背負います。教会も十字架を背負います[5]。最後のアダムが戒めを守ります。教会も戒めを守ります。最後のアダムが死に打ち勝ちます[6]。教会も死に打ち勝ちます。最後のアダムは戒めの真実さを証明します。教会も戒めの真実さを証明します[7]。最後のアダムはサタン噓群れを裁かれます。教会は最後のアダムを助け、サタン噓群れを裁かれます[8]。助け手は最後のアダムを助けてサタン噓群れを審判します[9]。
† アダムは神様に服従します。エバはアダムに服従します。最後のアダムは父に服従します[10]。教会は最後のアダムに服従します[11]。最後のアダムは教会の頭です。教会は最後のアダムの体です。最後のアダムは万物の所有者です[12]。教会は最後のアダムの花嫁です。最後のアダムの中で、教会は愛の戒めで万物を支配します[13]。
† 最初のアダムの花嫁であるエバはアダムを破滅に導きました。最後のアダムの花嫁である教会は最後のアダムの意志を成就します。教会は最後のアダムに沿って罪に勝ち、復活変化します。教会は戒めの真実さを証明します。教会は最後のアダムが被造界で罪を消滅させることを助けます。教会は最後のアダムが創造を完了するのを助けます。教会は最後のアダムの本当の助け手になります[14]。
† 第2位神様が第1位神様を離れてアダムになります。最後のアダムは教会を花嫁にします。御子が父を去って花嫁と連合して一体を成されます。最初のアダムは自分の罪で死に、その責任を花嫁に転嫁しました[15]。最後のアダムは花嫁の罪で亡くなられ、花嫁に代わって呪われます[16]。
ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネ15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が來るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
ヨハネ16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに來ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
† アダムは花嫁に名を付けます。最後のアダムは自分の御名を花嫁に置きます。最後のアダムは自分の御名によって教会に聖霊神様を送られます。
† 最初のアダムは自分と水準が似ているエバを助け手に選びました。しかし、最初のダムは神様を助け手として選ばなければなりませんでした。第2位神様は第1助け主として被造界に来られ[17]、第3位神様は第2助け主として被造界にお見えになりました[18]。最初のアダムは神様を助け手で受け入れ、エデンを守らなければなりませんでした。もういよいよ、最初のアダムは最後のアダムを助け手で受け入れ、エデンを守ります。もういよいよ、最初のアダムは聖霊神様を助け手で受け入れ、エデンを守ります[19]。正確に言えば、最初のアダムが最後のアダムの助け手になります。最初のアダムが最後のアダムの花嫁になります。
† 最初のアダムがエバを助け手で選んだのは間違いです。しかし、最初のアダムは最後のアダムの形です[20]。神様の計画が最初のアダムの誤った選択の中に含まれています[21]。神様が最初のアダムに間違った選択をするように導かれたという意味ではありません。最初のアダムが間違った選択をすることをあらかじめご存じでいらっしゃった神様が最初のアダムの選択を善に使用されるという意味です。
† 最初のアダムがエバを選びます。最後のアダムが教会を選ばれます。最初のアダムの死でエバが出ます。最後のアダムの死で教会が出てきます。最後のアダムと教会の結婚を通して、被造界で罪が消滅されます[22]。最後のアダムと教会の結婚を通して被造界に安息が成されます。
神様は御使いではなくアダムになります。神様は御使いではなくアダムを助け手として受け入れられます。神様は御使いではなくアダムと結婚されます。神様はアダムを通して戒めの真実さを証明されます[23]。
[1] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[2] 使徒20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
[3] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[4] 2ペト1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
[5] マタイ16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて來たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて來なさい。
マタイ16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
[6] 1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
1コリ15:21 というのは、死がひとりの人を通して來たように、死者の复活もひとりの人を通して來たからです。
[7] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
黙14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
黙14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。
[8] 1コリ6:3 私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。
[9] 黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
[10] ヨハネ8:28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。
ヨハネ8:29 わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行なうからです。」
[11] エフェ5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
エフェ5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
[12] エフェ1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
エフェ1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に來る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
エフェ1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
エフェ1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
[13] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[14] 黙21:9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが來た。彼は私に話して、こう言った。「ここに來なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
黙21:10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って來るのを見せた。
[15] 創3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
創3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
[16] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
[17] 1ヨハ2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(パラクレートス助け主)があります。それは、義なるイエス․キリストです。
[18] ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主(パラクレートス)をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
[19] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
[20] ロマ5:14 ところが死は、アダムからモ-セまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人人をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
[21] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
ガラ4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
[22] 黙19:7 私たちは喜び樂しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が來て、花嫁はその用意ができたのだから。
黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
[23] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。