38 アダムたち
Ω アダムたち | |
最初のアダム | 最後のアダム |
男が父母を離れて妻と一体になります。 | 御子は父を離れて花嫁と結婚するためにお見えになりました[1]。 |
女の子孫は蛇の頭を壊します。 | 御子は女の子孫としてお見えになりました。 |
女が禁断の果実を食べます。 | 花嫁は禁断の果実を食べて死んでいました。 |
アダムは女に向かった愛に打ち勝つことができませんでした。 | 御子は禁断の果実の惑わしに勝ちました[2]。 |
女のためにアダムも食べて死にます。 アダムは自分の罪を女のせいにしました。 |
御子は花嫁の罪を代わりに背負って捨てられて死にます。 |
アダムを深く眠らせます。 | 御子は十字架で霊[3]と魂[4]をお渡しになりました。 |
アダムのあばら骨で女を作ります。 | 御子の血で教会を立てます[5]。 |
御子によって教会花嫁が禁断の果実の惑わしに打ち勝ちます。 | |
エデンから追い出されます。 | エデンに戻ります。 |
助け手(妻、花嫁、女、教会)のために、最初のアダムと最後のアダムが死にます。 | |
最初のアダムが自分の助け手を死ぬまで愛していたように、最後のアダムも自分の助け手を死ぬまで愛しています[6]。 | |
最初のアダムは自分の罪で死に、最後のアダムは花嫁の罪で死にます。 | |
最初のアダムの助け手は敵を滅ぼすのを助けることに失敗しました。しかし、最後のアダムの助け手は戒めの真実さを証明する証人になります。最後のアダムの花嫁は敵を裁く花婿の道を予備します[7]。 |
1
神様はアダムに禁断の果実を食べないように命じられます。そしてその後すぐにアダムのために助け手を造られます[8]。禁断の果実の惑わしに打ち勝つためにはひとりでいるのが良くなかったからです。神様はアダムが禁断の果実の惑わしに打ち勝つことができるように、アダムのために助け手を造られます。神様はアダムがエデンの園を守ることができるように、アダムのために助け手を造られます[9]。アダムと助け手は一緒に力を合わせてエデンの園を守らなければなりません。アダムと助け手は一緒に力を合わせてサタンの攻撃を防ぎなければなりません。
神様はアダムのために助け手候補を造られます。神様は助け手候補をアダムに連れて来られます[10]。しかし、獣と鳥の間でアダムは自分の助け手を見つけることができませんでした。獣と鳥の間で、アダムは一緒にエデンを守る者を見つけることができませんでした。
神様はアダムを深く眠らせます。神様はアダムを殺します。神様はアダムの脇腹からあばら骨を引き出されます。神様はそのあばら骨で女を造られます。神様はそのあばら骨で神様の形を造られます[11]。神様は彼女をアダムに連れて来られます。アダムは彼女をとても喜びます。アダムは彼女を助け手として迎えます。アダムは彼女に「女」という名を与えます[12]。
アダムは女を助け手として選んではいけませんでした。アダムは神様を助け手として選ばなければなりませんでした。そうすれば、アダムは禁断の果実を食べなかったでしょう。
しかし、これは不完全な考えです。もちろん、アダムが神様を助け手として選択したならば、アダムは禁断の果実の惑わしに勝ったでしょう。アダムは犯罪しなかったでしょう。しかし、被造物の自由意志は十字架を通してのみ完成されます[13]。被造物の自由意志は神様の愛を通してのみ完成されます。十字架を通してのみ被造物に残っている犯罪の可能性が消滅されます。
2
アダムが禁断の果実の惑わしに勝ったとしても、アダムの自由意志は完成されません。アダムが犯罪していなくても、アダムからは犯罪の可能性が消滅されません。十字架の愛を知らないアダムは依然として危険な状態にあります。アダムが再び禁断の果実の前に立つようになれば、その時も犯罪しないという保証はありません。
もちろんアダムが禁断の果実の惑わしに勝ったならば、アダムの道は容易になったでしょう。ヘレルの惑わしに勝った御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます[14]。アダムが禁断の果実の惑わしに勝ったならば、アダムの自由意志も苦しみなく完成されたでしょう。禁断の果実の惑わしに勝てなかったアダムの自由意志は、苦しんで完成されます。御使いたちの自由意志は十字架と第1の復活を確認するだけでも完成されます[15]。しかし、アダムは肉体の苦しみを経なければなりません[16]。
十字架を通して創造が完成されます。禁断の果実を食べたアダムの罪悪によって被造界に十字架が立てられます。アダムが禁断の果実の惑わしに打ち勝つと、今のような過程で創造が進行しません。今のような創造の過程の中では、アダムが禁断の果実の惑わしに打ち勝つと被造界に十字架が立てられることはできません。もしアダムが禁断の果実の惑わしに勝ったならば、創造の過程は変わったでしょう。
御使いたちはヘレルの惑わしに打ち勝ちました。しかし、御使いたちにも依然として犯罪の可能性が残っています[17]。御使いたちの自由意志も依然として不完全です[18]。そのままにしておけば御使いたちもいつかは必ず犯罪します。しかし、御使いたちが犯罪する前に、神様は御使いたちの自由意志を完成されます[19]。神様は十字架を通して御使いたちの自由意志を完成されます[20]。
アダムが禁断の果実の惑わしに勝っても、アダムには依然として犯罪の可能性が残っています。アダムの自由意志はまだ不完全です。しかし、アダムが禁断の果実の惑わしに打ち勝つと、アダムの自由意志は苦しみなく完成されます。ただし、アダムが禁断の果実の惑わしに勝てば、被造界に十字架が立てられません。
御使いと人間の自由意志は十字架を通して完成されます[21]。被造界に十字架が立てられることができなければ、神様は他の方法で被造物の自由意志を完成されることをあらかじめ定められたでしょう[22]。アダムが禁断の果実の惑わしに勝ったのなら、創造の過程は変わったでしょう[23]。
しかし、神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることで創世前に事前にあらかじめ定められました[24]。ですから、アダムが禁断の果実の惑わしに勝ったとしたら、神様は禁断の果実を食べる被造物を最初のアダムの席に配置されたでしょう。そして創造の過程は今のように進められたでしょう[25]。
被造物の自由意志は神様の愛を通して完成されます[26]。今のような構造の被造界では、神様の愛は十字架を通して証明されています[27]。もし神様が十字架を通しての方法ではなく、他の方法で創造を完成されようとしたならば、神様は今とは異なる過程で創造を完成されることに創世前に先にあらかじめ定められたのでしょう。
3
もちろん、被造物は禁断の果実を食べてはいけません。しかしそれよりさらに、被造物は禁断の果実を食べない者にならなければなりません。今は禁断の果実を食べていなくても、次に禁断の果実を食べる者なら、彼はどうせ死にます。今だけでなく、今後も永遠に禁断の果実を食べない者になると、彼は永遠に生きることができます。十字架を通して被造物は永遠に禁断の果実を食べない者に仕上がります[28]。
神様は十字架を通して創造を完成されています。禁断の果実を食べたアダムの罪悪によって、神様は被造界に十字架を立てられます。もしアダムが禁断の果実の惑わしに勝ったのなら、神様は今とは違う過程で創造を完成されることで創世前に先にあらかじめ定められたのでしょう。あるいは、禁断の果実を食べる他の被造物を最初のアダムの席に配置されたでしょう[29]。
最初のアダムの代わりに、最後のアダムが父に捨てられます。最初のアダムの罪を最後のアダムが代わりに背負われます。最初のアダムが受けなければならない罪の呪いを最後のアダムが代わりに受けてくださいます[30]。最初のアダムが禁断の果実を食べたからです。最初のアダムの罪によって被造界に十字架が立てられます。アダムが禁断の果実の惑わしに勝ったならば、被造界に十字架が立てられなかったでしょう。
アダムが禁断の果実を食べることが正しいという意味ではありません。神様が禁断の果実と十字架という過程を通して創造を完成されることをあらかじめ定められたのです。事前にあらかじめ定められているように、神様はそのような選択をする被造物をそれぞれの場所に配置されます。そして神様があらかじめ定められた過程で創造が進められます[31]。
最初のアダムが禁断の果実を食べます。最後のアダムは十字架を背負います。被造物が神様の愛と公義を悟ります。被造物から神様への疑いが消滅されます。被造物は神様を心から愛するようになります。被造物は今犯罪しません[32]。
被造界の時間の中ではアダムの堕落と十字架の贖いそして教会の勝利と創造の完成が次々と進行されます。しかし、神様は時間を造って時間を存続させていらっしゃる方です[33]。神様は、過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所に同時にいらっしゃって、過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所を同時に存続させています[34]。神様は創造を始められる前にいらっしゃって同時に、創造を完成された後にいらっしゃいます[35]。未来も神様から来るのです[36]。未来も[37]神様の中にすでに[38]あるのです[39]。
4
女のためアダムは死んでエデンから追い出されます。女のためにアダムが台無しにされたようです。しかし、最初のアダムは最後のアダムのひな形です[40]。花嫁によって最初のアダムが死んだかのように、花嫁のために最後のアダムも死にます。最初のアダムは自分の罪を花嫁のせいにしたが、最後のアダムは花嫁の罪を代わりに背負います。最後のアダムは最初のアダムの罪を代わりに背負います。
最初のアダムは最後のアダムの花嫁です。花婿の働きを台無しにした花嫁は今、花婿を助け、花婿の働きを完成します[41]。花嫁は今、花婿の本当の助け手になります。最後のアダムは神様です。最初のアダムは今、神様の本当の助け手になります。最初のアダムは今、神様を助け、神様の働きを完成します[42]。
アダムの罪はすべての被造物の罪を表しています。自由意志は犯罪の可能性であります。自由意志をいただいたすべての被造物は犯罪の可能性を抱いています。犯罪の可能性が0%にならない限り、自由意志をいただいたすべての被造物はいつかは必ず犯罪します。御使いたちの自由意志も完成されませんでした。御使いたちにはまだ神様に対する疑いが残っています[43]。御使いもいつかは必ず犯罪します。御使いもいつかはアダムのように犯罪します。
御使いが堕落することが不可能であれば、サタン噓群れも堕落しなかったでしょう。神様はアダムを通して御使いたちに神様の愛と公義を証明されます。神様はアダムの第1の復活を通して御使いたちに残っている神様に対する疑いを消滅させます[44]。神様は十字架を通して御使いたちから犯罪の可能性を消滅させられます。堕落していない御使いたちにもまだ犯罪の可能性が残っているのです。
5
自由意志が完成されていない被造物は、いつかは必ず犯罪します。それでは、神様が被造物に、被造物が守れない戒めを守れと命じられるのでしょうか。戒めは被造物が守れないのだというサタンの主張が合うのでしょうか。決してできません[45]。被造物が犯罪する前に、神様は被造物の自由意志を完成されます[46]。被造物の自由意志が完成される前にも[47]、神様は被造物に被造物が耐えられる誘惑だけを許されます[48]。
御使いたちの自由意志もまだ完成されていません。しかし、御使いたちはすでにヘレルの惑わしに打ち勝ちました。神様が耐えられる誘惑だけを許されるからです。御使いたちはヘレルの惑わしに打ち勝ちました。したがって、御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。アダムはヘレルの惑わしに勝てませんでした。したがって、アダムの自由意志は苦しみを通過した後に完成されます[49]。
十字架を通して、御使いと人間の自由意志が完成されます。しかし、被造界に十字架が立てられる前でも、御使いと人間は戒めを守ることができます。神様が耐えられる誘惑だけを許されるからです。神様が恵みを与えてくださるからです。
戒めは恵みで守るのです。被造界に十字架が立てられる前でも、神様は被造物たちに恵みを与えてくださいます。神様の恵みによって、被造物は戒めを守ることができます[50]。しかし、被造界に十字架が立てられる前には、人間は心でまで戒めを守ることができません[51]。ですから、神様は律法の真の意味を強調しません[52]。神様が与えてくださった恵みの分量によって、神様が求められる服従の分量も変わります[53]。
十字架と第1の復活を通して、被造物たちから犯罪の可能性が消滅されます。被造物から犯罪の可能性が消滅されれば、被造物は再び犯罪しません[54]。被造物が再び犯罪しなくなると、創造が完成されます[55]。
6
神様は被造物に自由意志をくださいました。したがって、被造物は犯罪する可能性があります[56]。被造物は神様の恵みを拒むことができます[57]。被造物は神様に逆らうことができます。被造物は罪の快楽を選ぶことができます[58]。被造物は神様に逆らうことができます。被造物は隣人を踏むことができます。被造物は戒めを破ることができます[59]。
選択できなければ、自由意志をいただいたわけではありません。神様が被造物を犯罪することが不可能な状態でのみ存続させるならば、それは神様が被造物に自由意志をくださったのではありません。神様が被造物を犯罪することが不可能な状況にのみ置かれているなら、それは神様が被造物に自由意志をくださったのではありません。
神様が被造物に自由意志をくださったので、神様はヘレルの惑わしを許されます。神様が被造物に自由意志をくださったので、神様がエデンの園に禁断の果実を置かれます。神様が被造物に自由意志をくださったので、神様は裁きを後まで延期されます[60]。神様が裁かれる前に、被造物は悔い改めることができます[61]。悔い改めれば、生き残ります[62]。
神様は人間が罪の快楽を選ぶのを防ぎません。したがって、人間は罪の快楽を選ぶことができます。罪の快楽を選ぶには、神様の恵みを拒まなければなりません。神様の恵みを拒むほど、ますます犯罪するようになります。神様の恵みを受け入れるほど、ますます神様を愛するようになっていきます。犯罪するほど犯罪しやすくなります。神様を愛するほど犯罪するのが難しくなります。繰り返される選択によって、被造物は自分の自由意志を確定します[63]。
選択に期限があります。被造物の選択が終わると、神様の裁きが始まります。被造物が自分の自由意志を確定すると、神様の裁きが始まります[64]。神様の恵みを拒む者は、再び神様の恵みを受けることができません[65]。神様の恵みを受け入れる者は、再び神様に逆らうことはできません。神様の恵みを受け入れる者は再び死ぬことはできません。
神様は自分の自由意志を確定した被造物の決定を無理強いに変えられません[66]。神様は、神様ご自身が被造物にくださった自由意志を侵害されません。もし神様が犯罪者の意志を無理強いに変えられて火の池の刑罰を避けるようにされたなら、サタンは抗議するでしょう。サタンは自分も火の池の刑罰を避けるように頼むでしょう。
神様は隣人を踏みにじるように選ぶ被造物を火の池に燃やされます。それにもかかわらず、神様が被造物に自由意志をくださらなかったなら、神様は愛ではないでしょう。被造物が隣人を踏みにじることを自分で選んだものでなければ、神様が彼が隣人を踏みにじるように強制されたのです。神様が彼が隣人を踏みにじるように強制されたので、彼が隣人を踏んだのなら、彼には責任はありません。神様が彼が犯罪するようにされたので、彼が火の池に投げ込まれたなら、神様は愛ではありません。
したがって、神様が被造物に自由意志をくださらなかったならば、神様は誰も裁かれたり救われたりしません。しかし、神様は被造物に自由意志をくださいました。被造物は神様の恵みを受け入れるのか、神様の恵みを拒むのかを選ばなければなりません[67]。被造物は隣人を愛するか、隣人を踏みにじるかを選ばなければなりません。神様の恵みを受け入れる者は神様に服従するでしょう。神様の恵みを拒む者は神様に逆らうでしょう。被造物は神様の恵みだけで神様に服従することができます。しかし、被造物は神様の恵みを拒むことができます[68]。
7
最初のアダムは最後のアダムのひな形です。最初のアダムは禁断の果実を食べて死んだ花嫁を捨てません。最初のアダムは花嫁を愛するので、花嫁が与える禁断の果実を受けて食べます。最初のアダムは花嫁と一緒に死ぬことを選びます。最後のアダムも禁断の果実を食べて死んだ花嫁を捨てません。最後のアダムは花嫁を愛するので、花嫁の罪を代わりに背負います。最後のアダムは花嫁のために死ぬことを選ばれます。最後のアダムは花嫁の代わりに父から捨てられます。
禁断の果実を食べることは罪です。正確に言うと、罪を抱く者が禁断の果実を食べます。禁断の果実を食べる彼の行ないを通して、神様を逆らう彼の心が現れるのです。自由意志が完成していない被造物は、いつかは必ず禁断の果実を食べます。犯罪の可能性が1%でも残っていれば、いつかは必ず禁断の果実を食べます。
神様は十字架を通して神様の愛と公義を証明されます。神様は第1の復活を通して戒めの真実さを最終的に証明されます。十字架と第1の復活を通して、被造物は神様の愛と公義を確認します。被造物はもはや神様の愛と公義に対する疑いを持ちません。被造物は今、神様を心から愛しています[69]。被造物は今、戒めを守ります。被造物は今、犯罪しません。被造物は今、死にません。被造物は今、永遠に生きます。
十字架を見ても神様の愛を拒む被造物があります。神様の愛を受けることを拒むと、神様を愛することはできません。神様を愛さなければ戒めを守ることができません[70]。神様の恵みを拒めば戒めを守ることができません。彼らは隣人を踏みにじます。
もし神様が彼らを生かしておくとしたら、彼らは生きている間は隣人を踏みにじることを止めないでしょう[71]。したがって、神様は踏みつけられる被造物を守るために踏みにじる被造物を火の池に投げます。神様は十字架の愛を拒む被造物を火の池に投げます。十字架を通して、永遠に生きる被造物と火の池に投げ込まれる被造物が分かれます。御子に服従する被造物は永遠に生きます。御子を逆らう被造物は火の池に投げ込まれます[72]。
8
今のような構造の被造界では、被造物の自由意志は愛を通して完成されます。言い換えれば、十字架を通して完成されます。今のような構造の被造界で神様が十字架を通さずに被造物の自由意志を完成されるには、神様は創造の過程自体を変えなければなりません。十字架がなければ、被造物から犯罪の可能性が消滅されません。十字架がなければ、被造物はいつかは必ず犯罪します。
もちろん、被造物が犯罪する前に、神様は被造物の自由意志を完成されます。神様は期限を定められました。神様は第7日、すなわち7番目の1000年を約束されました。神様は第1の復活を約束されました[73]。神様は大贖罪の日を約束されました[74]。神様は70週を約束されました[75]。神様は仮庵の祭りを約束されました[76]。被造物は神様の約束を眺めながら堕落することなく待つことができます[77]。神様の約束がなされなければ、すべての被造物はすべて堕落するでしょう。しかし、そうなることは構造的に不可能であります。神様は過去現在未来に同時にいらっしゃいます。
神様は耐えられる誘惑だけを許されます。被造界に十字架が立てられるまで、被造物は堕落しないことが可能です。心でまで愛することはできないかもしれません。しかし、殺さないことは可能です。十字架を通して、私たちは心でまで隣人を愛するようになります[78]。
アダムは禁断の果実の惑わしに打ち勝つことができました。アダムは禁断の果実を拒むことができました。アダムは他の方法で花嫁を愛することができました。アダムは花嫁のために仲保することができました。アダムがヘレルの惑わしに勝ったならば、アダムの自由意志は苦しみなく完成されることができたでしょう。ヘレルの惑わしに勝った御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。
アダムがエデンの園にいた理由は、園を守るためでした[79]。アダムがエデンの園にいた理由は、禁断の果実の惑わしに打ち勝つためでした。アダムが造られた理由は禁断の果実を拒むためでした。神様は私たちが守ることができない法を私たちに守れと強制されません[80]。もちろんアダム自らの力でサタンの惑わしに打ち勝つことはできなかったでしょう[81]。しかし、アダムは神様に逃げることができました[82]。
十字架を通して神様の愛が現れます。十字架を通して、被造物が神様の愛を知るようになります。神様の愛を知るようになった被造物は神様を愛するようになります。神様を愛するようになった被造物は犯罪しません[83]。神様を愛するようになった被造物の自由意志は完成されます[84]。十字架を通して被造物の自由意志が完成されます[85]。しかし、被造物は十字架の愛を拒むことを選ぶことができます。十字架の愛を拒むことを選ぶ被造物の自由意志は完成されません。
御子を通して神様の恵みが伝えられます[86]。言い換えれば、十字架を通して神様の恵みが伝えられます[87]。十字架の愛を拒むことは、神様の恵みを拒むことです。神様の恵みを拒めば神様を愛することができません[88]。神様の恵みを拒めば神様に服従することはできません[89]。被造物は神様の恵みだけで神様を愛することができます。被造物は神様の恵みだけで神様に服従することができます[90]。しかし、被造物はその恵みを拒むことができます[91]。
神様は恵みを拒む者に無限に恵みを与えません。彼が恵みを拒んだとしても、神様は彼に恵みを与えられます。しかし、彼が絶えず恵みを拒むと、神様は彼にもはや恵みを与えられません[92]。もし神様が恵みを拒む者を強制され、無理強いに神様を愛するように作られたなら、それは神様が彼の自由意志を侵害することになるでしょう。被造物は神様の恵みを拒むことができます。
9
神様は被造物に自由意志をくださいました。自由意志は犯罪の可能性であります。犯罪の可能性が1%でも残っている限り、被造物は時間の延長の中でいつかは必ず犯罪します。さらに、犯罪の可能性はそれほど低くありません。神様が被造物を犯罪することが不可能な状況にのみ置かれるならば、それは被造物に自由意志をくださったものではありません。
したがって、神様が被造物から犯罪の可能性を消滅させないならば、神様はすべての被造物をすべて火の池に投げなければなりません。しかし、神様が被造物を創造された目的は、被造物を火の池に燃やして殺すためではありません[93]。
もし神様が被造物を火の池に燃やして殺すために被造物を創造されたなら、神様は愛ではないでしょう。しかし、神様は愛です[94]。被造物が火の池に投げ込まれる理由は[95]、被造物各自が神様の恵みを拒むからです[96]。被造物を永遠に生きるようにするために、神様は創世前にまず十字架をあらかじめ定められました[97]。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることをまずあらかじめ定められ、その後被造物を創造されました[98]。
神様が被造物を永遠に生きるようにすることをまずあらかじめ定められ、その後、被造物を創造されました。したがって、神様は被造物を捨てることができません。被造物が永遠に生きなければ、神様の予定が間違ったことになります。しかし、そのようなことが発生するのは原則として不可能です。神様は過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所に同時にいらっしゃいます。
神様があらかじめご存じでいらっしゃる被造物は永遠に生きます[99]。彼らは神様があらかじめご存じでいらっしゃるように、神様の恵みを受け入れます。彼らは神様があらかじめご存じでいらっしゃるように、十字架の愛を受け入れます。彼らが神様の恵みを受け入れることを神様があらかじめご存じでいらっしゃったので[100]、神様はこれらを永遠に生きるようにすることを事前にあらかじめ定められました[101]。神様があらかじめご存じでいらっしゃるように[102]、彼らは神様の恵みを拒絶しません。神様があらかじめご存じでいらっしゃるように[103]、彼らは十字架の愛を拒絶しません。神様があらかじめ定められているように、彼らは永遠に生きます。
10
アダムは女を助け手として選びました[104]。しかし、アダムは神様を助け手として選ばなければなりませんでした。女は助け主ではありません。御子が助け主であり[105]、聖霊神様が助け主であります[106]。神様はアダムが女を助け手として選び、堕落することをあらかじめご存じでいらっしゃいました。神様はアダムの堕落を通して被造界に十字架を立てることをあらかじめ定められました。
花嫁は禁断の果実を食べて死にました。花婿は花嫁の罪を代わりに背負って父に捨てられました[107]。今、花嫁は花婿の愛を知りました。花婿の愛を知る花嫁はもう再び禁断の果実を食べません。
最初のアダムはもう神様を助け手として迎えます。花嫁は今、花婿を助け手として迎えます。教会は今、主イエス様を助け手として迎えます。主イエス様の御名によって聖霊神様がお見えになります[108]。教会はもう1番目の助け主である主イエス様と2番目の助け主である聖霊神様を助け手として迎えます[109]。
最初のアダムは不完全な花嫁でした。最初のアダムは罪を抱いた花嫁でした。今、最初のアダムは最後のアダムから新しく生まれます。今、花嫁は花婿から新しく生まれます[110]。今、教会は主イエス様から新しく生まれます[111]。今、最初のアダムは真の花嫁になります。今、最初のアダムは最後のアダムの本当の助け手になります。今、最初のアダムは神様の真の助け手になります。
最初のアダムの花嫁は最初のアダムを死ぬようにしました。最初のアダムの花嫁は、最初のアダムが罪の奴隷になるようにしました[112]。
最初のアダムの花嫁は、最初のアダムが支配権を失うようにしました。最後のアダムは禁断の果実を食べる花嫁を禁断の果実を食べない花嫁として完成されます。最後のアダムの花嫁は殉教証人となり、戒めの真実さを証明します。最後のアダムの花嫁は、最後のアダムが被造界で罪と死を消滅させることを助けます[113]。
「最初のアダムが最初から神様を助け手として選んだら良かったことを」という残念があります。しかし、最初のアダムは女を経ずに最初から神様を助け手として迎えることはできなかったでしょう。律法を通して罪を悟るまで[114]、主イエス様に行きません[115]。禁断の果実を通して自分の実体を悟るまでは、命の木に行きません。自分が死んでいるという事実を悟るまでは、神様に行きません[116]。
アダムは神様よりもエバを愛していました。禁断の果実を食べる前からアダムはすでに死んだ者でした[117]。広い意味で見ると、自由意志が完成されていないすべての被造物はすべて死んだ者たちです。まだ死んでいないが、すぐに必ず死ぬ者たちは、すべて死んだ者たちです。まだ犯罪していないが、すぐに必ず犯罪する者たちは、すべて死んだ者たちです。したがって、神様が被造物に自由意志をくださったという意味は、神様が被造物を死の中に創造されたという意味です[118]。自由意志が完成されると、被造物は死から離れます。自由意志が完成されると、被造物は永遠に生きます[119]。
禁断の果実を通して自分の罪が明らかになるまで、アダムは自分が死んでいるという事実に気付かなかったでしょう。自分が死んでいるという事実を悟るまで、アダムは神様を助け手として迎えようとしなかったでしょう。禁断の果実を通してアダムは自分の罪を悟りました[120]。禁断の果実を通して、アダムは自分が死んでいることに気づきました。今、アダムは神様を助け手として迎えます。今、アダムは主イエス様と聖霊神様を助け手として迎えます[121]。
もしアダムが禁断の果実の惑わしに勝ったならば、自由意志が完成されるまでアダムが迎えなければならなかった状況は今のように大変ではなかったでしょう。しかし、神様はアダムが禁断の果実を食べることをすでにご存じでいらっしゃいました。神様はアダムが呪われた肉体を着ることになることをすでにご存じでいらっしゃいました。神様は呪われた肉体を着たアダムを通して戒めの真実さを証明することをあらかじめ定められて創造を始められました[122]。もしアダムが禁断の果実の惑わしに勝ったのなら、神様は今とは違う過程で創造を進められたでしょう。あるいは、禁断の果実の惑わしに勝てない被造物を最初のアダムの席に配置されたでしょう[123]。
[1] 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[2] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[3] ヨハネ19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息(霊)を引き取られた。
[4] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのち(魂)を死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[5] ヨハネ19:34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て來た。
[6] エフェ5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
[7] 雅6:10 「暁の光のように見おろしている、月のように美しい、太陽のように明るい、旗を掲げた軍勢のように恐ろしいもの。それはだれか。」
[8] 創2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
[9] 創2:15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
[10] 創2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
創2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて來られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
[11] 創1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
[12] 創2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて來られた。
創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
[13] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[14] エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[15] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[16] 1ペト4:1 このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。
1ペト4:2 こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。
[17] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。
[18] ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。
ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、
[19] 黙16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
黙16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
黙16:7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
[20] レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
[21] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[22] エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[23] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
[24] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
エフェ1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス․キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
[25] ロマ9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。
ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
[26] ロマ6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
ロマ6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト․イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
[27] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[28] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[29] イザ45:7 わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
[30] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
[31] イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
[32] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[33] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも(時間被造物)、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも(空間被造物)、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[34] 黙22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
[35] ヨハネ8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
[36] ヨハネ13:19 わたしは、そのことが起こる前に、今あなたがたに話しておきます。そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。
[37] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
[38] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[39] イザ41:22 持って來て、後に起ころうとする事を告げよ。先にあった事は何であったのかを告げよ。そうすれば、われわれもそれに心を留め、また後の事どもを知ることができよう。または、來たるべき事をわたしたちに聞かせよ。
イザ41:23 後に起ころうとする事を告げよ。そうすれば、われわれは、あなたがたが神であることを知ろう。良いことでも、悪いことでもしてみよ。そうすれば、われわれは共に見て驚こう。
[40] ロマ5:14 ところが死は、アダムからモ-セまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人人をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
[41] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[42] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[43] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[44] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[45] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[46] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[47] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[48] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[49] 使徒14:22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
[50] 創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
[51] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
[52] マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
[53] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[54] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[55] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[56] エゼ18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
エゼ18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。
[57] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[58] ロマ1:32 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。
[59] 2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2テサ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
[60] ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[61] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。
[62] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
[63] 黙22:11 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」
[64] ゼカ1:16 それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。―万軍の主の御告げ。―測りなわはエルサレムの上に張られる。』
[65] イザ22:12 その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ。」と呼びかけられたのに、
イザ22:13 なんと、おまえたちは樂しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。」と言っている。
イザ22:14 そこで万軍の主は、私の耳を開かれた。「この罪は、おまえたちが死ぬまでは決して赦されない。」と、万軍の神、主は仰せられた。
[66] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[67] ヨシュ24:15 もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神神でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神神でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
[68] 黙2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。
[69] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[70] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[71] コヘ5:8 ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。
[72] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[73] 黙10:5 それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、
黙10:6 永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。
黙10:7 第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」
[74] レビ16:21 アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。
レビ16:22 そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。
黙20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って來るのを見た。
黙20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
黙20:3 底知れぬ所に投げ翔んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
[75] ダニ9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
[76] イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
[77] 2ペト3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
2ペト3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
2ペト3:13 しかし、わたしたちは、神の約束にしたがって、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
[78] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[79] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ルカ4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
[80] 1テモ1:9 すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、
1テモ1:10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。
[81] ルカ4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
[82] イザ37:1 ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。
イザ37:2 彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。
イザ37:3 彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。
イザ37:4 おそらく、あなたの神、主は、ラブ․シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」
[83] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[84] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
[85] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[86] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
[87] テト2:14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
[88] ヘブ3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、
ヘブ3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
[89] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[90] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
[91] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
[92] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[93] エレ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将來と希望を与えるためのものだ。
[94] 1ヨハ4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
[95] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
[96] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
1ヨハ3:17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
[97] 1ペト1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1ペト1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
[98] 1コリ2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
1コリ2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
[99] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[100] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」
[101] ロマ9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
ロマ9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
ロマ9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
[102] 詩139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。
[103] 黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
[104] 創2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて來られた。
創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
創2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
[105] 1ヨハ2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(パラクレートス助け主)があります。それは、義なるイエス․キリストです。
[106] ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
[107] エフェ5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
[108] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[109] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
1コリ6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
[110] ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネ3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
[111] エフェ5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
エフェ5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
[112] ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
[113] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[114] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[115] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
[116] 黙3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
[117] 創2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
[118] ホセ13:14 わたしはよみ(シェオル=ハデス)の力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。
[119] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[120] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
[121] エフェ5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
[122] 出23:14 年に三度、わたしのために祭りを行なわなければならない。
[123] ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
ロマ9:19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。