62 主イエス様は真理です
詩2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
マタイ16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて來たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて來なさい。
マタイ16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネ1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネ1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネ1:17 というのは、律法はモ-セによって与えられ、恵みとまことはイエス․キリストによって実現したからである。
ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネ5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が來ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
ヨハネ5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
ヨハネ8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
ヨハネ8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
ヨハネ8:47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。
ヨハネ17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス․キリストとを知ることです。
ヨハネ17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
ヨハネ18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に來たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
† 被造界は主イエス様のために存在します。主イエス様は被造界を存続させます[1]。主イエス様に服従する被造物だけ生き残ります。主イエス様を逆らう被造物が生き残れる方法はありません。主イエス様の愛と裁きを信じる者だけ主イエス様に服従します。主イエス様を信じない者は主イエス様に従いません。ですから、主イエス様を信じる者だけが救われます。主イエス様を本当に信じるかどうかは、彼が主イエス様に従順であるかどうかで証明されます[2]。
† 被造物に自由意志をくださった方が神様です。神様は被造物にくださった自由意志を強制されません[3]。被造物は自分の力で神様に服従することはできません[4]。神様は、被造物が神様に服従できるように、被造物に恵みを与えます[5]。恵みを受け入れる被造物は神様に服従します。恵みを拒む被造物は神様に服従することはできません[6]。被造物が神様に服従させることは神様の恵みです[7]。しかし、被造物は神様の恵みを拒むことができます[8]。
† 神様は戒めの真実さを証明するためにアダムを創造されました[9]。アダムが存在する目的は、戒めの真実さを証明するためです[10]。アダムが存在する目的は、お金をたくさん稼ぐためではありません[11]。アダムが存在する目的は結婚することではありません[12]。アダムが存在する目的は健康に長く生きるためではありません[13]。アダムが存在する目的は、子供たちを優秀に育てるためではありません[14]。
† アダムはサタン噓群れを征服し治めなければなりません[15]。アダムは獣を征服し治めなければなりません[16]。アダムは神様の形になることも、獣の形になることもできます[17]。アダムが神様に服従するならば、アダムは神様の形になります[18]。アダムが神様に逆らうならば[19]、アダムは獣の形になります[20]。神様の形が生育し繁栄しなければなりません。獣の形が生育し、繁栄することは何の意味もありません[21]。
† 被造物が犯罪すれば、神様はその被造物をその被造物が犯した罪と共に燃やされます[22]。神様の公義に応じて、被造物は自分が犯した罪と同じくらい燃えます[23]。ピラトがサタンと同じ罰を受けるようには思えません[24]。神様の公義に応じて、各被造物はそれぞれが犯した罪ほど燃えます。
† 犯罪者が罪の対価を全部払うとしても、彼が永遠に生きることはできません。サタンが罪の対価を全部払うとしても、サタンが永遠に生きることはできません。サタンは最後まで悔い改めませんでした。十字架の愛でさえもサタンを悔い改めさせることはできませんでした[25]。状況があれば、サタンは依然として犯罪します。機会があれば、サタンはまだ神様を殺そうとします。
† サタンは自分の意志を完全に確定しました。神様がサタンの意志を変えるためにこれ以上行わなければならないことはありません。サタンは悔い改め、神様を愛する者ではありません。サタンは罪の対価を払っても悔い改めません。神様が再び力のない被造物としてお見えになるならば、サタンは再び神様を殺します。力があれば、サタンは永遠に隣人を踏みにじます。
† 神様は神様の被造物にいつまで裁きを警告しなければなりませんか。公義の神様は、犯罪者が犯した罪ほど犯罪者を火の池に燃やされます。神様は罪の対価を全部払った犯罪者をおそらく非存在に返されます[26]。神様が呼ばれれば非存在は存在になり、神様が返せば存在は非存在になります。神様は存在の神様であるだけでなく、非存在の神様でもあります。
† 神様は十字架で神様の愛と公義を証明されます。十字架を通してアダムが新しく生まれます[27]。十字架を通してアダムが死に打ち勝ちます[28]。十字架を通してアダムは戒めの真実さを証明します[29]。十字架を通して御使いたちの自由意志が完成されます[30]。十字架を通して御使いとアダムから犯罪の可能性が消滅されます。十字架を通して御使いとアダムが神様の形になります[31]。十字架を通して創造が完成されます[32]。
† 十字架の愛を受け入れる被造物だけ生き残ります。永遠に生きる被造物と火の池に投げ込まれる被造物が、十字架を通して割れます。十字架の愛を受け入れる被造物は神様を愛します。十字架の愛を拒む被造物は神様に逆らいます。十字架は神様が被造界に示される最も強力な光です。十字架の光より強力な光はありません[33]。十字架の愛であっても被造物の意志を神様に向けさせることができなければ、被造物の意志を神様に向けることができる他の方法はありません。
† サタンは、被造物も神様になることができると嘘をついています。サタンは、被造物が神様を逆らっても死ぬことはないと嘘をついています[34]。しかし、神様以外に他の神はいません[35]。神様のみが被造物を存続させます[36]。被造物が神様を逆らっても生き残ることができる方法はまったくありません。
† 神様ご自身が被造物となられました。神様が力のない被造物となられました。さて、被造物の心が現れます[37]。神様を愛する被造物は、被造物となられた神様に服従します[38]。神様に逆らう被造物は、被造物となられた神様を殺します[39]。愛に従う被造物は主イエス様に沿って十字架を背負います[40]。力に従う被造物は主イエス様を十字架で殺します[41]。神様が被造物となられると、被造物の実体が現れます[42]。真理が被造物となられると、被造物の実体が明らかになります[43]。
神様は御使いを通してモーセに律法を与えられました[44]。人々は心でまで律法を守ることができませんでした[45]。したがって、石の板に書かれた律法は人々に裁きを宣告する法でした[46]。さて、神様ご自身は私たちに律法を与えてくださいます[47]。今、人々は心でまで律法を守ることができます[48]。今、律法は聖霊神様を通して人々の心に書かれています[49]。ですから、律法は[50]人々に永遠の命を宣言します[51]。十字架を通して、死の法が命の法に変わりました[52]。いいえ、法律は変わりませんでした[53]。人々の心が変わったのです[54]。被造物となられた真理が、人々の心を変えたのです[55]。
[1] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[2] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
[3] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[4] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[5] 創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
[6] ロマ8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
ロマ8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
[7] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
[8] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[9] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[10] マタイ10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
[11] マタイ6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイ6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
[12] マタイ24:38 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
マタイ24:39 そして、洪水が來てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が來るのも、そのとおりです。
[13] 詩73:2 しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。
詩73:3 それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。
詩73:4 彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。
詩73:5 人人が苦勞するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。
[14] 詩17:14 主よ。人人から、あなたの御手で。相続分がこの世のいのちであるこの世の人人から。彼らの腹は、あなたの宝で満たされ、彼らは、子どもらに満ち足り、その豊かさを、その幼子らに残します。
[15] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[16] 黙13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って來た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。
[17] 詩49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。
[18] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[19] ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、
ロマ1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
ロマ1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。
[20] 1ペト4:2 こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。
1ペト4:3 あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。
[21] 2ペト2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
2ペト2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
2ペト2:22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起こったことは、そのとおりである。
[22] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―
[23] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[24] ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者(サタン)に、もっと大きい罪があるのです。」
[25] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
[26] 詩37:20 しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。
詩49:14 彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。
詩49:15 しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ
[27] 1ペト1:18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1ペト1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
[28] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[29] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[30] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[31] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[32] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[33] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。
ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
[34] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
[35] イザ45:21 告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。
[36] 使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
[37] ルカ2:34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
ルカ2:35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」
[38] ルカ7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって來たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、淚でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
ルカ7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって來たときから足に口づけしてやめませんでした。
ルカ7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
[39] ヨハネ19:14 その日は過越の備え日で、時は六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」
ヨハネ19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
[40] マタイ16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて來たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて來なさい。
マタイ16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
[41] マルコ15:9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。
マルコ15:10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
マルコ15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
[42] ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
ヨハネ8:45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
ヨハネ8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
ヨハネ8:47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
[43] ヨハネ10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
ヨハネ10:33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
[44] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
[45] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
[46] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[47] ヘブ1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[48] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[49] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
エレ31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ。―
エレ31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[50] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
[51] ロマ6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
ロマ6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
ロマ6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
[52] ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
ロマ7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
ロマ7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
[53] 2ヨハ1:5 婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。
[54] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[55] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。