78 初穂の祭り:主イエス様の復活
レビ23:10 「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたがはいり、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って來る。
レビ23:11 祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を主に向かって揺り動かす。祭司は安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。
1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
1コリ15:21 というのは、死がひとりの人を通して來たように、死者の复活もひとりの人を通して來たからです。
1コリ15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
† 種入れぬパンの祭り期間中の安息日の翌日、大麦の初穂を揺り動かします。この時が初穂の祭りです。第7日翌日、初穂を揺り動かします。第1日に初穂を揺り動かします。日曜日に初穂を揺り動かします。主イエス様の復活を記念するのです。主イエス様は安息日の翌日の夜明けに復活されました。初穂の祭りは主イエス様の復活を象徴します。
† 罪に打ち勝つと死に打ち勝ちます。戒めを守れば死に打ち勝ちます。死に打ち勝つと復活変化します[1]。したがって、復活変化は戒めの真実さを証明します。神様が人間に定められた戒めの限界は命を捨てることです[2]。死に至るまで神様と隣人を愛すれば、本当に戒めをしっかり守ったのです。殉教すれば本当に戒めをしっかり守ったのです。したがって、殉教証人の復活変化は戒めの真実さを確実に証明します[3]。殉教証人は第1の復活に参加します[4]。死に至るまで神様と隣人を愛すれば第1の復活に参加します。第1の復活に参加する殉教証人を初穂、すなわち長子、すなわち子どもと[5]呼びます[6]。
† 神様は初穂を3回収められます[7]。神様は初穂の祭りと五旬節と仮庵の祭りに初穂を収められます[8]。初穂には眠った者の初穗があり[9]、御霊の初穂をいただいている聖徒があり[10]、人々の中から贖われたの初穂があります[11]。初穂の祭りには眠った者の初穂を収めました。五旬節には御霊の初穂をいただいている聖徒たちを収めます。仮庵の祭りの直前には人々の中から贖われたの初穂を収めます。
† 聖徒は主イエス様の血で罪の赦しを受け、戒めを守ります。主イエス様はいつも戒めを守ります。主イエス様は罪の赦しを受けられる必要はありません。聖徒は主イエス様の血で罪の赦しを受けなければ復活できません。聖徒は主イエス様の義を通して復活します。主イエス様は自分の義によって復活されました。主イエス様の復活を通して聖徒が復活します。主イエス様の復活を通して殉教証人が第1の復活に復活します。主イエス様の復活を通して、初穂が初穂の復活に復活します[12]。主イエス様は初穂の中の初穂です。
† 主イエス様は神様です。神様はアダムになりました[13]。神様が呪われた肉体をお召しになりました[14]。神様は死の体をお召しになりました[15]。神様は私たちのようになりました[16]。神様は私たちが感じる罪の惑わしをそのまま感じました[17]。神様が被造物となられて、被造物たちに罪に打ち勝つ模範を見せてくださいます[18]。
† 主イエス様はみことばです[19]。私たちは主イエス様にみことばを受け取ります[20]。主イエス様は聖霊神様を通して罪に勝ちました[21]。主イエス様の御名によって聖霊神様が私たちの肉体の中にお見えになります[22]。みことばである主イエス様は聖霊神様を通して罪に打ち勝ちました。私たちもみことばを受けて聖霊神様を祀ると、罪に打ち勝つことができるようになります[23]。私たちが主イエス様のように罪を勝てば[24]、私たちも主イエス様のように復活します[25]。
† 主イエス様はいつも聖霊神様に満たされました。主イエス様は一度も犯罪されませんでした[26]。私たちはすでに犯罪しています[27]。私たちはまず罪の赦しを受けなければなりません[28]。主イエス様の血で私たちは罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた私たちに、聖霊神様がお見えになります[29]。聖霊神様を通して、私たちも初穂になります[30]。
† 主イエス様は最後のアダムでした。主イエス様はアダムとして死んで、アダムとして復活しました。アダムは魂的な体を着た魂です[31]。御使いは霊です[32]。復活すると霊的な体を着ます[33]。復活すると御使いのようになります[34]。魂的な体を着た魂が復活すれば、霊的な体を着て霊のようになります。今、主イエス様は霊的な体を着て御使いの天の実際の御座に座っていらっしゃいます[35]。
† アダムは魂であり、御使いは霊であります。御使いが霊的な体を着たかどうかは不明です。復活すると霊的な体を着て[36]御使いのようになります[37]。霊的な体を着た主イエス様と[38]御使いが似ています[39]。①アダムが復活して御使いになるという見方があり得ます。御使いが霊的な体を着ているという見方です。アダムが霊になるという見方です。②アダムが復活して御使いのようになるという見方があり得ます。御使いが体を着ていない霊という見方です。アダムが霊のようになるという見方です。とにかく、御使いのようになったアダムと[40]御使いは一緒に永遠に生きます。
† 最初のアダムは犯罪しました。最初のアダムは死にました。最初のアダムはサタンのしもべとなりました。第2位神様が最初のアダムを救われるために[41]最後のアダムになります[42]。最後のアダムが十字架の「死」を通して[43]サタンの頭を踏み砕きます[44]。最後のアダムが最初のアダムの代わりに[45]父から捨てられます[46]。最後のアダムが最初のアダムを贖います[47]。
† 贖いを通して、最初のアダムは最後のアダムから[48]新しく生まれます[49]。今、アダムは戒めの真実さを証明します[50]。今、御使いたちは神様の愛と公義を理解します[51]。これで御使いたちの自由意志が完成されます[52]。十字架の血で、創造が完成されます[53]。
† 第2位神様が御使いとしてお見えになったなら[54]、アダムの仲保者になれなかったでしょう[55]。しかし、第2位神様はアダムとしてお見えになりました[56]。今、アダムとしてお見えになった第2位神様は、第1位神様とアダムの間の仲保者です[57]。
† もちろん、主イエス様は今は御使いのようになりました[58]。①御使いのようになったので、主イエス様が第1位神様と御使いたちの間の仲保者でもあるという見方があり得ます。②主イエス様が御使いのようになったものであり、御使いになったわけではないので、主イエス様が第1位神様と御使いたちの間の仲保者になれないという見方もあり得ます。
† 神様とアダムの間の仲保者となるためには、彼は神様でありアダムでなければなりません。神様と御使いの間の仲保者となるためには、彼は神様であり御使いでなければなりません。とにかく、御使いたちの自由意志もまだ完成されません。御使いたちも[59]主イエス様を通して[60]第1位神様とつながります[61]。
† 主イエス様が御使いとしてお見えになったなら、主イエス様は死の体を着ていなかったでしょう[62]。したがって、主イエス様は私たちが経験する誘惑や[63]苦難を経験しなかったでしょう[64]。それなら、主イエス様は私たちのように厳しく罪と戦う必要はなかったでしょう[65]。それなら、主イエス様は私たちの模範になることができなかったでしょう[66]。
† 主イエス様が御使いとしてお見えになったなら、主イエス様の体から霊と[67]魂が[68]去ることはなかったでしょう。また、主イエス様が霊的な体で復活されることもなかったでしょう[69]。もしそうなら、主イエス様は戒めの真実さを証明することもできなかったでしょう[70]。
主イエス様が御使いとしてお見えになったなら、主イエス様はアダムの近親者になることはできなかったでしょう。それなら、主イエス様はアダムを罪から贖ってくださることもできなかったでしょう[71]。また、主イエス様はアダムが奪われた土地を取り戻してもらえなかったでしょう[72]。アダムが奪われた地に対する代理管理権も[73]取り戻してもらえなかったでしょう[74]。
[1] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[2] ヨハネ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
[3] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[4] ヘブ11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
[5] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
[6] ロマ1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの复活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス。キリストです。
[7] 申16:16 あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
[8] 出23:14 年に三度、わたしのために祭りを行なわなければならない。
出23:15 種を入れないパンの祭りを守らなければならない。わたしが命じたとおり、アビブの月の定められた時に、七日間、種を入れないパンを食べなければならない。それは、その月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、何も持たずにわたしの前に出てはならない。
出23:16 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤勞の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤勞の実を畑から取り入れる収穫祭を行なわなければならない。
[9] 1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
[10] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[11] 黙14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
黙14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。
[12] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[13] 1コリ15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者(プシケ魂)となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊(プネウマ霊)となりました。
[14] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[15] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[16] ロマ7:5 私たちが肉にあったときは、律法による數數の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
[17] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[18] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
[19] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[20] ヨハネ6:50 しかし、これは天から下って來たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
ヨハネ6:51 わたしは、天から下って來た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
[21] ルカ4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。
ルカ4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
ルカ4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人人に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人人を自由にし、
ルカ4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
ルカ4:20 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
ルカ4:21 イエスは人人にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
[22] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
1コリ6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
[23] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[24] ロマ6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの复活とも同じようになるからです。
ロマ6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
ロマ6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
[25] ロマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト․イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
[26] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[27] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
エフェ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
[28] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[29] ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
[30] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[31] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
[32] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[33] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。
[34] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[35] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[36] ルカ24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
ルカ24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
ルカ24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
ルカ24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
[37] 創18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した小牛を持って來て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
創18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。
[38] ヨハネ20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが來て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
[39] 使徒12:7 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
使徒12:8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について來なさい。」と言った。
使徒12:9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
[40] マタイ22:30 复活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
[41] レビ25:47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
レビ25:48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。
[42] レビ25:24 あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。
レビ25:25 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が來て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。
[43] 1ヨハ3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
[44] ヨハネ12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
ヨハネ12:32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
[45] ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが來られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
[46] イザ53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
[47] イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[48] ガラ3:28 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト。イエスにあって、一つだからです。
ガラ3:29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
[49] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
[50] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[51] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[52] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[53] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[54] 士13:21 ...主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。...そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。
士13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」
[55] 申18:15 あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
申18:16 これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を二度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。
[56] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
[57] 1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト․イエスです。
[58] マタイ22:30 复活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
[59] エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
[60] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[61] エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[62] ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[63] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
ヘブ5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
[64] ロマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ロマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将來私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
[65] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[66] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
[67] ヨハネ19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息(霊)を引き取られた。
[68] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのち(魂)を死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[69] 1コリ15:16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
1コリ15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
1コリ15:18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
1コリ15:19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
[70] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[71] レビ25:47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
レビ25:48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。
[72] レビ25:24 あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。
レビ25:25 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が來て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。
[73] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ルカ4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
[74] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。