84 主イエス様は真の光です
創1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
詩36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
イザ49:6 主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」
イザ60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が來て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
イザ60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
イザ60:3 国国はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
イザ60:19 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。
イザ60:20 あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
ヨハネ1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネ1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネ1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に來ようとしていた。
ヨハネ1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
ヨハネ3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に來ているのに、人人は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
ヨハネ3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに來ない。
ヨハネ3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに來る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
ヨハネ5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。
ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネ9:5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
ヨハネ12:35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
ヨハネ12:36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
ヨハネ12:46 わたしは光として世に來ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
2コリ4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
1ヨハ2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
1ヨハ2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。
黙21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
黙21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
黙21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。
黙21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
黙22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
† 神様はハデスにサタン噓群れを閉じ込めます。罪のため、ハデスは暗いです[1]。暗闇の中で、光がご自分を表されます[2]。光が当たるから、実体が明らかになります。愛の戒めが当たるから、罪悪が現れます[3]。神様と隣人を愛する人たちは光に行きます。神様に逆らって隣人を踏みにじる者たちは光を殺します[4]。
† 神様の愛は、光と戒めと命によって被造物に伝えられます[7]。みことばの光が当たるから、罪悪が現れます。神様に服従する者は罪を捨てるでしょう。罪を捨てる者は命を得ます。神様に逆らう者は罪に固執するでしょう。罪に固執する者は火の池に投げ込まれます。みことばの光が当たるから、生き残る被造物と火の池に投げ込まれる被造物が分かれます。主イエス様に服従する者にとって、光は命です[8]。主イエス様を逆らう者にとって、光は死です[9]。
† 太陽は光の象徴です。エデンの園は光の象徴です。至聖所は光の象徴です。御座は光の象徴です。主イエス様は本当の光です[10]。主イエス様は神殿です。主イエス様が御座に着座された神様です。主イエス様が照らす光を受け[11]、被造物も神様の形になります[12]。主イエス様の光を反射し[13]、被造物も小さな光となります[14]。
† 神様をお会いすると死にます[15]。神様の御名によって御使いがアダムに会います[16]。アダムは神様をお会いします。しかし、アダムが見た神様は御使いです[17]。したがって、アダムは死にません[18]。神様の御名によって御使いがモーセに会います[19]。モーセは神様をお会いします[20]。しかし、モーセが見た神様は御使いです[21]。ですからモーセは死にません[22]。神様の御名によって御使いがマノアに会います[23]。マノアは神様をお会いします。しかし、マノアが見た神様は御使いです[24]。ですからマノアは死にません[25]。神様の御名によって御使いがイザヤと[26]エゼキエルと[27]ダニエルに[28]会います。預言者たちは神様をお会いします[29]。しかし、預言者たちが見た神様は御使いです[30]。したがって、預言者は死にません[31]。
† 神様は己をむなしうして[32]、親しく被造物となられます[33]。今、被造物たちが神様を直接お会いします[34]。神様に直接会っても被造物が死にません[35]。人になった神様がみことばを渡されます[36]。被造物は神様の声を聞きます[37]。神様の声を聞いても被造物が死にません[38]。被造物が神様に触れます[39]。神様に触れても被造物が死にません[40]。
† 神様は過去現在未来のすべての瞬間すべての場所に同時にいらっしゃって[41]、過去現在未来のすべての瞬間すべての場所を同時に存続させています[42]。神様が御使いを創造される前に、御使いはいないのです[43]。神様がアダムを創造される前に、アダムはないのです[44]。神様が時間を創造される前に、時間はないのです[45]。被造物は時間と空間の中にのみ存在します[46]。時間と空間は神様の中にのみ存在します[47]。時間や空間も被造物に過ぎません[48]。神様は時間と空間をまるでないように思われます[49]。
† 時間の中だけに存在する被造物が[50]、時間を存続させていらっしゃる神様をお会いすることはできません[51]。なかったことが、いつもいらっしゃる神様をお会いすることはできません[52]。被造物は時間から逃れることさえできません[53]。被造物が無限の終わりを想像しても、被造物は永遠に無限の終わりに到達できません[54]。しかし、神様は無限を常に存続させています[55]。無限を考える能力も神様がくださったのです[56]。神様は、被造物の考えなどで想像できる方ではありません[57]。被造物が神様をお会いすることはできません[58]。ですから、神様ご自身が被造物となられるのです[59]。
最後のアダムとしてお見えになった神様が[60]復活して御使いのようになります[61]。ヨハネは御使いのようになった神様をお会いします[62]。したがって、ヨハネは死にません[63]。すべての敵を滅ぼした後[64]、主イエス様は再び第2位神様として戻られます[65]。それが実際にどんな意味なのかは、被造物などがあえて分からないのです[66]。被造物は時間内にのみ存在します[67]。神様はすべての瞬間に同時にいらっしゃいます。被造物は神様が知らせてくださるだけに[68]だけ[69]分かります[70]。
[1] 詩107:10 やみと死の陰に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、
詩107:11 彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったのである。
[2] マタイ4:13 そしてナザレを去って、カペナウムに來て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
マタイ4:14 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
マタイ4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
マタイ4:16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人人に、光が上った。」
[3] ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[4] ヨハネ15:22 もしわたしが來て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。
ヨハネ15:23 わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。
ヨハネ15:24 もしわたしが、ほかのだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行なわなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。
[5] 詩119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
[6] 箴6:23 命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。
[7] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[8] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[9] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―
[10] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[11] 1テサ5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
[12] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[13] マタイ5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
マタイ5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人人全部を照らします。
マタイ5:16 このように、あなたがたの光を人人の前で輝かせ、人人があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
[14] フィリ2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
[15] 出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
[16] 創3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
[17] 創22:11 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム。」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
[18] 創32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。
[19] 出3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
出3:3 モ-セは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
出3:4 主は彼が横切って見に來るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モ-セ、モ-セ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。
[20] ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
[21] 使徒7:30 四十年たったとき、御使いが、モ-セに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。
使徒7:31 その光景を見たモ-セは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
使徒7:32 『わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』そこで、モ-セは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。
[22] 申5:24 そして言った。「私たちの神、主は、今、ご自身の栄光と偉大さとを私たちに示されました。私たちは火の中から御声を聞きました。きょう、私たちは、神が人に語られても、人が生きることができるのを見ました。
[23] 士13:21 ...主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。...そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。
士13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」
[24] 士2:4 主の使いがこれらのことばをイスラエル人全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。
士2:5 それで、その場所の名をボキムと呼んだ。彼らはその場所で主にいけにえをささげた。
[25] 士6:22 これで、この方が主の使いであったことがわかった。それで、ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は面と向かって主の使いを見てしまいました。」
士6:23 すると、主はギデオンに仰せられた。「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」
[26] イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
[27] エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
エゼ1:27 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。
エゼ1:28 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
[28] ダニ10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
ダニ10:6 そのからだは綠柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。
ダニ10:7 この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人人は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。
ダニ10:8 私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。
ダニ10:9 私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。
[29] 出24:10 そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。
出24:11 神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。
[30] 代上21:15 神はエルサレムに御使いを遣わして、これを滅ぼそうとされた。主は御使いが滅ぼしているのをご覧になって、わざわいを下すことを思い直し、滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人オルナンの打ち場のかたわらに立っていた。
[31] ヘブ2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
ヘブ2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
[32] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
詩102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
詩102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
詩102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
[33] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[34] ヨハネ10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
ヨハネ10:33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
[35] ヨハネ5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
ヨハネ5:18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。
[36] ヨハネ21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン․ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
[37] ヘブ1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[38] マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。
マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
出19:20 主がシナイ山の頂に降りて來られ、主がモ-セを山の頂に呼び寄せられたので、モ-セは登って行った。
[39] ヨハネ20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
ヨハネ20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
[40] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[41] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。
イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。
イザ44:8 恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。
[42] 黙22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[43] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[44] ヨブ34:14 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、
ヨブ34:15 すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。
[45] イザ48:12 わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。
イザ48:13 まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を引き延ばした。わたしがそれらに呼びかけると、それらはこぞって立ち上がる。
[46] イザ55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ。―
イザ55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
[47] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
[48] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[49] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
[50] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」
[51] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
[52] イザ40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。
イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。
[53] 詩139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。
[54] 詩139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
詩139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
詩139:9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
詩139:10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。
[55] 詩145:3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。
[56] 1コリ2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。
[57] ヨブ11:7 あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。
ヨブ11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。
ヨブ11:9 それを計れば、地よりも長く、海よりも広い。
[58] イザ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。
[59] エフェ3:3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
エフェ3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
エフェ3:5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人人に知らされていませんでした。
[60] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[61] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[62] ルカ24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
ルカ24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
ルカ24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
創18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した小牛を持って來て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
創18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。
[63] 黙1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
黙1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
[64] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[65] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
1コリ15:27 「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
[66] ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。
ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、
[67] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[68] ヨハネ3:27 ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。
[69] 出4:11 主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
申29:4 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。
[70] マタイ16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ․シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。