2 存在のお召し

87 メシヤ

aparke 2025. 5. 24. 06:13

メシヤ(ヘブル語)=キリスト(ギリシヤ語)=「油そそがれた者」

 

メシヤ=+祭司+預言者

 

 油そそは王[1]、祭司[2]、預言者[3]が受けます。油そそがれたという意味は、王、祭司、預言者としての使命を受けたという意味です。油は聖霊神様を象徴します[4]。(エホバの霊と聖霊神様が同じ方であるという見方があり得ます。エホバの霊がすなわち聖霊神様ではないという見方があり得ます。これについては今は議論しません。)

 主イエスは聖霊神様によってマリヤのお腹にお見えになりました[5]。主イエスは聖霊神様が臨められた後、教えを始められました[6]。主イエスは油そそがれた後、教えを始められました。弟子たちも聖霊神様が臨められた後、主イエス様を証し始めます[7]。弟子たちも油そそがれた後、主イエス様を証し始めます。(風のような聖霊、火のような聖霊と真理の聖霊神様との違いについては、さまざまな見方があり得ます。)

 王と祭司と預言者は被造界で罪を取り除くための職務であります。そうです。メシヤは被造界で罪を取り除くためにお見えになったのです[8]。主イエス様は罪を裁くために被造界にお見えになりました[9]。主イエス様は悔い改める者を救われるためにお見えになりました。主イエス様は、被造物から犯罪の可能性を消滅させ、被造物の自由意志を完成されるためにお見えになりました。主イエス様は被造界で罪を消滅させるために被造界にお見えになりました。

 預言者である主イエス様がみことばを宣言されると、光と闇、義と不義、戒めと違法が明らかになります。大祭司である主イエス様はご自分を供え物として捧げられます[10]。主イエス様の血を通して、悔い改める者たちの罪が赦されます。大祭司として[11]、主イエス様は今、実際の神殿で聖徒のために取り成していてくださいます[12]。王である主イエス様は再び来て[13]、罪に固執するすべての被造物を裁きます[14]

 預言者として、主イエス様は罪が何であるかを被造物に知らせます[15]。大祭司として、主イエス様は主イエス様に服従する人間の罪を赦されています[16]。王として、主イエス様は隣人を踏みにじるのをやめようとしない被造物を裁きます[17]



[1] サム下3:39 この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人人は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」

[2] 40:15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代代にわたる永遠の祭司職のためである。」

  代上29:22 彼らはその日、大いに喜んで、主の前に食べたり飲んだりし、あらためてダビデの子ソロモンを王とし、油をそそいで、主のために、君主とし、ツァドクを祭司とした。

[3] 王上19:16 また、ニムシの子エフ-に油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベルメホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。

[4] サム上16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以來、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。

  イザ61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

  使徒10:38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

[5] マタイ1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

[6] ルカ3:22 聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

[7] 使徒2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

 使徒2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。

 使徒2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

[8] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

 1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[9] 使徒17:31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」

[10] ヘブ9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

[11] ロマ8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリストイエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

[12] 1ヨハ2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(パラクレートス助け主)があります。それは、義なるイエスキリストです。

 1ヨハ2:2 この方こそ、私たちの罪のための、―私たちの罪だけでなく全世界のための、―なだめの供え物なのです。

[13] ヨハネ18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」

 ヨハネ18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に來たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。

[14] イザ24:21 その日、主は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。

 イザ24:22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。

[15] ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 ヨハネ8:13 そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」

 ヨハネ8:14 イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから來たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから來たのか、またどこへ行くのか知りません。

 ヨハネ8:15 あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。

 ヨハネ8:16 しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。

 ヨハネ8:17 あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。

 ヨハネ8:18 わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについてあかしされます。」

[16] ルカ7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって來たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、淚でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。

 ルカ7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって來たときから足に口づけしてやめませんでした。

 ルカ7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。

 ルカ7:47 だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」

 ルカ7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。

 ルカ7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」

[17] 2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。