94 新しい契約の仲保者
出20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。
出20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」
出32:31 そこでモ-セは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
出32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
申18:15 あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
申18:16 これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を二度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。
申18:17 それで主は私に言われた。「彼らの言ったことはもっともだ。
申18:18 わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。
マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
ヨハネ1:21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」
使徒3:22 モ-セはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
使徒3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
ガラ3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
ガラ3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無效とされたりすることがないということです。
ガラ3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。
ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
ガラ3:20 仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜わる神は唯一者です。
ガラ3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
ガラ3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ翔めました。それは約束が、イエス․キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト․イエスです。
1テモ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。
ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。
† 御使いが山の上に神様の御言葉を宣言します[1]。山に雷と電とラッパの音があります。イスラエルの民は恐れています。イスラエルの民はモーセが一人で神様の御言葉を聞き、イスラエルの民にその御言葉を伝えるように頼みます。イスラエルの民はモーセを通して伝えられた神様の御言葉を守ると約束します。しかし、人々が神様の御言葉を人々に伝えてくれれば、人々はみことばを伝える人を殺すでしょう[2]。イスラエルの民は今自分たちの状態を知りません。イスラエルの民は今愚かな頼みをしています。
† しかし実は、人々が生き残るためにはやはりそうしなければなりません。人々は神様の御言葉を伝える預言者を殺すほど悪い状態にあります。この状態の人々が神様から直接みことばを聞くと、人々はすべて死にます[3]。人々が生き残るためには、人々は仲保者を通してみことばを伝えなければなりません。人々が神様と隣人を愛するようになった後にのみ、人々は神様から直接みことばを聞かなければなりません。
† 人々はみことばを伝える預言者を殺します。しかし、人々は神様から直接みことばを聞きませんでした。人々は即死しません[4]。神様は預言者として来ます[5]。人々は預言者としてお見えになった神様まで殺します。神様ご自身が供え物になります。神様は人々の罪を背負います[6]。人々は罪の赦しを受けます。人々に聖霊神様がお見えになります[7]。人々は今戒めを守ります。罪は消滅されます。メシヤの中で、被造界は統一されます。神様から直接みことばを聞いても、今人々は死にません[8]。
† 初めの契約を通しては戒めを守ることができません。獣の血を通しては戒めを守ることができません。新しい契約を通してのみ戒めを守ることができます。神様の血によってのみ戒めを守ることができます。十字架の血で罪の赦しを受けると、聖霊神様を祀ることができます。聖霊神様を迎えれば、戒めを守ることができます[9]。
† 初めの契約すなわち臨時の契約を通しては戒めを守ることができません。新しい契約すなわち真の契約を通してのみ戒めを守ることができます。新しい契約を結ぶまで、人間には死なずに生き残ることができる時間が必要です。戒めを守ることができるようになるまで、人間には死なずに生き残ることができる時間が必要です。
† 戒めを守らない人間が神様から直接戒めを受けると、人間は即死します[10]。人間は仲保者を通して戒めを受けなければなりません。神様ご自身が人間になり、神様と人間の間の仲保者になります。人間は戒めを守る力と共に戒めを受けなければなりません。聖霊神様ご自身が人間にお見えになって戒めを守る力となってくださいます[11]。
† 仲保者は親しく供え物になります。仲保者は自分の血を神様に見せ、神様に人間の罪を赦してもらうように求められます[12]。仲保者は自分の血を人間に覆い、人間に戒めを伝えます。仲保者が注いだ血の中で、聖霊神様がお見えになります。聖霊神様を祀り、人間は戒めを守ります[13]。仲保者の血を通して、新しい契約が結ばれます。仲保者の血を通して、人間は戒めを守ります。仲保者の血を通して、人間は生き残ります。
† もちろん、神様はイスラエルの民が戒めを守らなくても人々を生かしておくことができます。神様は犯罪者が神様から直接戒めを受けても犯罪者たちを生かしておくことができます。しかし、もし神様がそうすれば、犯罪者たちは犯罪すれば死ぬという概念を悟ることができなくなるでしょう。
† 戒めを破る者が神様から直接戒めを受けていても、誰も死なないならば、犯罪者は誰も悔い改めようとしません[14]。自分が死ぬという事実に気づいていないにもかかわらず、果たして生きるために罪から離れようとしますか。自分が死ぬという事実を悟ることもできないにもかかわらず、果たして主イエス様に出ようとしますか。神様の前で裁きが直ちに成されない場合、犯罪者は火の池に燃え尽きて、初めて罪の結果を悟ることになります。犯罪しても誰も死ななければ、結局誰も救われないようになるのです。
† 律法は犯罪すれば死ぬという事実を悟るようにおっしゃったのです[15]。律法は生きるために主イエス様に出てくるようにくださったのです[16]。裁きの恐れを知ってこそ、罪を捨てようとします。自分が火の池に投げ込まれるという事実を知ってこそ、悔い改めようとします。自分の罪を知ってこそ、罪の赦しを受けるために主イエス様に出てきます。戒めを守ろうとする時のみ、聖霊神様に服従します[17]。
† 人々は神様の御言葉を直接聞くことを恐れています。人々は預言者が神様の御言葉を伝えてくれることを求めます。人々が仲保者を求めます。神様が神様の御言葉を伝えてくださる預言者を送ってくださると約束されます。神様が仲保者を送ってくださると約束されます。そして神様は、その預言者としてお見えになります。神様ご自身が仲保者としてお見えになります。
† 人々は何も知らず、仲保者を求めました。人々はモーセが仲保者になることができると考えました。しかし、被造物は神様と被造物の間で仲保者になることはできません[18]。被造物は犯罪の可能性を抱いています。そのまま置けば、被造物はいつかは必ず犯罪します。御使いでも人間でも、被造物が神様の前に近づくと、被造物はただ死ぬだけです[19]。神様と被造物の間の仲保者になることができる方は、ただ被造物となられた神様だけです。
† 神様は人間になり、神様と人間の間の仲保者になります。しかし、御子は神様と人間を和解させてくれる仲保者であるだけでなく、神様と御使いを和解させてくれる仲保者でもあります。御使いにも依然として犯罪の可能性が残っています。そのままにすれば、御使いもいつかは必ず犯罪します。御子は犯罪の可能性があるすべての被造物から犯罪の可能性を消滅させます[20]。御子は自由意志のあるすべての被造物から犯罪の可能性を消滅させます[21]。
† 御子は人間を創造されただけでなく、御使いも創造されました。御子は人間に自由意志をくださっただけでなく、御使いにも自由意志をくださいました。御子は人間の自由意志を完成されるだけでなく、御使いたちの自由意志も完成されます[22]。御子は人間が神様に行くことを可能にするだけでなく、御使いたちが神様に行くことを可能にします[23]。御子はアダムとしてお見えになっただけでなく、復活されて御使いのようになられることもありました[24]。
† もちろん、御子は御使いと契約を結ばれませんでした。御使いはすでにヘレルの惑わしに打ち勝ちました。御使いは犯罪しませんでした。御使いには犯罪の可能性だけが残っているだけです。しかし、人間から犯罪の可能性を消滅させる過程で、御使いからも犯罪の可能性が消滅されます。人間を神様につなげる過程で、御使いも神様につながります。人間を贖う過程で御使いの自由意志も完成されます[25]。
† それゆえ広く見れば、御子は神様と御使いの間の仲保者でもあります。御子は神様と人間の間の仲保者であるだけでなく、神様と御使いの間の仲保者でもあります。仲保の方法だけが違うだけです。御使いなどがあえて御子を通さず神様に直接行くことはできません[26]。御使いを存続させていらっしゃる方が御子です[27]。御使いでも人間でもどんな被造物でも、御子の中にのみ存在します。御子は御使いと人間を含むすべての被造物を存続させています[28]。御子の許諾なしに生きていられる御使いはありません[29]。
† 神様が人々にモーセのような預言者を送ってくださると約束されます。そして神様は、そのモーセのような預言者としてお見えになります。約束どおり、人々は人を通して神様の御言葉を聞きます。約束どおり、人々は神様の御言葉を聞いても死ぬことはありません。しかし、人々は今神様から直接戒めを受けています[30]。今、人々に戒めをくださる方は、神様ご自身です。
† 神様ご自身がおっしゃっても、人間が神様の御言葉を伝えても、人間は神様の御言葉を聞きます。神様から直接聞いたみことばを破っても死に、人間が伝えたみことばを破っても死にます。イスラエルの民は御使いが伝えた神様の御言葉を聞いても恐れていました[31]。今、被造物となられた神様は、親しく戒めを宣言されています。今は立法者である審判者が親しく戒めを宣言されています[32]。御使いでも人間でも、神様の御言葉を逆らって生き残ることができる奴はいません[33]。御使いを通してくださった戒めを破っても死にました[34]。神様ご自身がくださった戒めを破れば、さらに死にます[35]。
† 戒めを神様から直接受けるか、仲保者を通して間接的に受けるかにかかわらず、戒めを破ると死にます。しかも人間は自分の力で戒めを守ることができません。ですから、仲保者を通して戒めを受けても、人間は死にます。神様から直接戒めを受けなくても、人間は死にます。戒めを守ることができず、どうせ死ぬだろうとすれば、仲保者が何の役に立つのでしょうか。仲保者を通して戒めを受けても、とにかく死ぬだろうとすれば、仲保者が何の役に立つのでしょうか。
† 神様から直接戒めを受けると、人間は即死します。しかし、仲保者を通して戒めを受けると、人間は即死しません。即死しなければ、悔い改める機会があります[36]。戒めを受けた後から死ぬまで、まだ時間があります。その間に悔い改めれば、人間は生き残ることができます。仲保者を通して戒めを受ければ、悔い改める機会ができます。仲保者を通して戒めを受ければ、生き残る機会ができます。
† 神様から直接戒めを受けると、人間は恐怖に圧倒されます。恐怖に圧倒されると、人間は神様を愛することはできません[37]。神様を愛さなければ、人間は戒めを守ることができません[38]。恐怖を通しては、被造物が戒めを守ることができません。恐怖のために戒めを守る被造物は、恐怖が消えれば戒めを守りません[39]。
† 恐怖を通しては犯罪の可能性が消滅されません。恐怖を通して自由意志が完成されません。神様は愛だけで戒めを守ることができる構造で、被造界を存続させています[40]。したがって、人間が神様から直接戒めを受けると、人間は戒めを守ることができません。戒めを守らないと、人間は滅びます。人間が神様から直接戒めを受けると、人間は滅びます。
† 裁きに対する恐れがなければ、罪を捨てようとしません。審判を恐れなければ悔い改めません。しかし審判を恐れるだけでは神様を愛することができません。神様を愛さなければ戒めを守ろうとしません。神様の戒めは、神様を愛するので守るのです。神様を愛さない者は、神様の戒めを守ろうともしません[41]。
† 神様を恐れなくても人間は死にます[42]。神様を愛さなくても人間は死にます。神様を恐れながら同時に神様を愛する時だけ、人間は神様の戒めを守ります[43]。神様を恐れながら同時に神様を愛する時だけ、人間は生き残ることができます。ですから、神様が仲保者としてお見えになります。
† 御使いを見るからといって神様を知ることになるわけではありません。神様を見る時のみ神様を知ることになります。神様を知る時のみ神様を愛するようになります。神様を愛する時のみ戒めを守ることになります。今のような構造の被造界では、分からない存在を愛することができません。ですから、神様ご自身が仲保者としてお見えになります。
† 犯罪の可能性がある御使いは仲保者になることはできません。御使いにはそれほどの義も愛もありません。まだ犯罪していないが、すぐに犯罪する者は仲保者になることはできません。御使いが十字架にかかっても神様の愛は証明されるわけではありません。神様がご自分を捨てられる時のみ、神様の愛が証明されます。御使いが神様の御名を相続することはできません[44]。神様の御名は被造界で神様に代わります[45]。神様の御名を相続するには、神様でなければならず、被造物でなければなりません[46]。
† 御子に沿って人間も十字架を背負います[47]。しかし、人間の十字架と御子の十字架は同じではありません[48]。人間は御子の血を通して義人として死にます[49]。御子は父に捨てられ、罪人のように死にました[50]。御子の十字架は、神様のみが背負うことができるのです[51]。
† 神様が人間になります。人間は神様を見ます。神様を見るが、同じ人間です。神様を見るが、怖くありません。人間になった神様が戒めをくださいます。戒めを受けるが、怖くありません。人間になった神様に人間が触れます。確かに人間ですが、神様です。きっと神様ですが、人間です[52]。
† 人間になった神様が人間の罪を代わりに背負います。人間になった神様は人間に代わって神様に捨てられます[53]。神様の愛を人間が見ます。神様の愛を人間が聞きます[54]。神様の愛に人間が触れます[55]。今、人間は神様を愛しています。人間としてお見えになった神様を通して、人間は今神様を愛しています。仲保者を通して、人間は今戒めを守ります。
† 神様はモーセを通してイスラエルの民と契約を結ばれました。モーセは神様とイスラエルの民の間の仲保者でした。イスラエルの民は獣の血で神様と契約を結びました[56]。獣の血で結んだ契約は壊れます。神様ご自身が被造物となられ、聖徒たちと契約を結ばれます。神様ご自身が被造物となられて、神様と被造物たちの間の仲保者になります。聖徒たちは神様の血で神様と契約を結びます[57]。神様の血で結んだ契約は壊れません。
† 神様が御使いを通して石の板を切って造り[58]、戒めを書きます[59]。イスラエルの民の罪を見て、モーセがその石の板を壊します[60]。仲保者なしで伝えられた戒めは壊れます。その後、モーセはイスラエルの民のために仲保します[61]。モーセが切り取った石の板に、神様は再び戒めを書きます[62]。その石の板は壊れずに至聖所に入ります。仲保者を通して伝えられた戒めは壊れません。
† 最初の石の板に書かれた戒めと後の石の板に書かれた戒めは同じです。最初の石の板が壊れた理由は戒めに問題があるからではありません。最初の石の板が壊れた理由は、人々の心に問題があったからです。後の石の板が壊れていない理由は、後で書かれた戒めがより完全なためではありません。戒めはもともと常に完全です[63]。後の石の板が壊れていない理由は、人々の心が変わったからです。仲保者を通して、戒めを守らない心が戒めを守る心に変化したのです。
† モーセの仲保は十字架の贖いを象徴します。仲保者が十字架から注いだ血で、人々の心が変わります[64]。聖霊神様を通して、人々の心が変わります。戒めを守らない心が、戒めを守る心に変わります。獣の血で書かれた戒めは消されるが、神様の血で書かれた戒めは消されません。獣の血で結ばれた契約は壊れるが、神様の血で結ばれた契約は壊れません。獣の血は人々の心を変えることはできませんが、神様の血は人々の心を変えます[65]。仲保者を通して、人々の心は変わります。
† 壊れた石の板の代わりにモーセが直接石の板を切って造ります。この石の板は①人間としてお見えになったみことばを象徴したり[66]、②仲保者の血で覆われた聖徒の心を象徴したりします[67]。
† ①人が切り造った石の板に戒めが書かれています。人の肉体に戒めが書かれています。人の肉体に戒めが入れられます。戒めは肉体を着て、戒めが何であるかを被造物たちに見せます[68]。被造物は肉体を被った戒めを見ます。被造物は戒めが何であるかを悟ります。今、被造物は戒めに従います[69]。
† ②聖徒の心に仲保者の血が覆われます。仲保者の血で聖徒は罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた聖徒の肉体に聖霊神様がお見えになります。聖徒は今、神様の愛を悟ります[70]。聖徒は今、神様を愛します。聖徒は今、戒めを守ります。獣の血で結ばれた契約は石の板に書かれています。石の板に書かれた戒めは守られることができません。仲保者の血で結ばれた契約は心に書かれています。心に書かれた戒めは守られます。
† 神様と隣人を愛するのが戒めであります。モーセを通して、人々は神様と契約を結びます。獣の血で人々は神様と契約を結びます。人々は戒めを守ると神様と約束します[71]。しかし、人々は神様と隣人を愛することはできません。行ないで殺人しないことはできます。しかし、心でまで殺人しないことはできません。行ないで姦淫しないことはできます。しかし、心でまで姦淫しないことはできません。敵を殺さないことはできます。しかし、敵を愛することはできません。
† 戒めを守る真似は出すことができるが、実際に戒めを守ることはできません[72]。罪を悟るが、罪を壊してしまう力はありません。人々は絶望します。人々はこの絶望から自分を救ってくれるメシヤを待ちます。人々は自分の罪から自分を救ってくれるメシヤを待ちます[73]。
† 神様と隣人を愛するのが戒めであります。メシヤを通して人々は神様と契約を結びます。メシヤの血で人々は神様と契約を結びます。人々は戒めを守ると神様と約束します。メシヤの血で人々は罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた人々の肉体の中に聖霊神様がお見えになります。聖霊神様は人々の心に戒めを書きます[74]。
† 今、人々は心でまで隣人を愛しています。隣人を愛するために今、人々は殺人することはできません。隣人を愛するために今、人々は姦淫することはできません。隣人を愛するために今、人々は盗むことはできません。今、人々は敵にも愛しています。敵も愛するために、人々はもはや殺人しないように努力する必要はありません[75]。キリストの律法を守るために、人々はもはや律法を守る必要はありません[76]。
† 今、人々は律法を守ります。しかし、人々が努力して守るものではありません[77]。今、律法が完全になりました。しかし、律法はそのままであります。変わったのは人々です。心でまで律法を守ることができなかった人々が今、心でまで律法を守ります[78]。
† 初めの契約を通して、人々は罪を悟るだけでした。しかし、新しい契約を通して人々は罪に打ち勝ちます。新しい契約を通して聖霊神様がお見えになったからです。聖霊神様を通して肉の欲望に勝てるようになったからです[79]。罪に打ち勝つことができる力と共に結ばれる契約、これが新しい契約です。仲保者の血を通して聖霊神様を祀る契約、これが新しい契約であります[80]。
† 初めの契約を通しては心でまで戒めを守ることができませんでした。獣の血を通しては心でまで戒めを守ることができませんでした。初めの契約は私が死んでいるという事実を悟らせるだけでした。初めの契約は私が死の法に閉じ込められたという事実を悟らせるだけでした。初めの契約は私を死から救ってくださるメシヤを待たせるだけでした。
† メシヤの血で新しい契約が結ばれます。罪の赦しを受けた私たちの肉体の中に聖霊神様がお見えになります。聖霊神様を通して今、私たちは罪に打ち勝つことができます[81]。新しい契約を通して今、私たちは死の法から抜け出すことができます。メシヤの血を通して今、私たちは心でまで戒めを守ることができます。私に死を宣告した戒めが[82]、今は私に命を宣告し始めます[83]。私に火の池を判決した戒めが、今は私に永遠の命を判決し始めます。
† 戒めを破ると火の池に投げ込まれます。戒めを守れば永遠に生きます。戒めを破る者にとって、戒めは裁きの根拠となります。したがって、戒めを破る者にとって、戒めは死の法であります[84]。戒めを破る者にとって、戒めは善悪果であります。戒めを守る者にとって、戒めは永遠の命の根拠となります。ですから、戒めを守る者にとって、戒めは命の法です[85]。戒めを守る者にとって、戒めは命の木の果実であります。戒めが変わったわけではありません。私が変わったのです。
† メシヤはアブラハムの子孫としてお見えになると約束されました。メシヤがお見えになったときにメシヤを知ることができるように、神様が律法を与えられました[86]。律法はメシヤの影です[87]。メシヤは人間として来ます。人間だから特別なことはありません。罪がないだけです。アダムとしての権威を失ってしまわなかっただけです[88]。モーセやエリヤも奇跡を行いました[89]。律法がなければ[90]、メシヤを知る方法がありません[91]。
† 律法を通して罪を悟ります[92]。罪を悟った者は、罪の赦しを受けるために供え物をささげます。しかし、獣の供え物はメシヤの影だけです。獣の血では罪を取り除くことができません。メシヤの血でだけ罪を取り除くことができます。獣で祭る者はメシヤを待ちます[93]。メシヤがお見えになれば罪を取り除いてくださいます。将来お見えになるメシヤを待って、彼は供え物を差し上げます。将来お見えになるメシヤを信じる信仰によって[94]、彼は律法を守ります[95]。
† 神様が御使いを送られました。御使いが山で律法を宣言しました。モーセは人々に律法を伝えました。モーセが仲保者でした。将来お見えになるメシヤを待って人々は律法を守りました[96]。将来お見えになるメシヤを信じる信仰によって、人々は罪の赦しを受けました[97]。律法を守ることによって、人々は彼らの信仰を証明しました[98]。しかし、人々はまだ心でまで律法を守ることはできませんでした[99]。聖霊神様がお見えになる前だったからです[100]。獣の血は予表にすぎません。初めの契約は臨時契約に過ぎません。
† 神様ご自身が被造物となられます。神様は山で律法を宣言されます。神様ご自身は人々に律法を伝えます。被造物となられた神様が仲保者です。すでにお見えになったメシヤを眺め、人々は律法を守ります[101]。すでにお見えになったメシヤを信じる信仰によって、人々は罪の赦しを受けます[102]。律法を守ることによって、人々は彼らの信仰を証明します。今、人々は心でまで律法を守ることができます。聖霊神様がお見えになったからです。神様ご自身が血を注ぎました。新しい契約すなわち真の契約が結ばれました。
† 神様がメシヤを送ってくださると約束されました[103]。430年後,モーセという仲保者を通して律法を与えられました。律法は仲保者を通して与えられました。しかし、メシヤの約束は、仲保者を通さずに直接おっしゃいました[104]。律法はメシヤの影です。律法の生贄、祭り、預言はすべてメシヤを指しています[105]。メシヤの約束を信じる者は律法を守るでしょう。メシヤの約束を信じない者は律法を守らないでしょう。メシヤを信じる者は律法を守るでしょう。メシヤを信じない者は律法を守らないでしょう。
† 初めの契約は御使いを通してくださいました。新しい契約は神様ご自身がくださいます。初めの契約は約束なしで与えられました。新しい契約はあらかじめ約束されました[106]。初めの契約の仲保者はモーセでした。新しい契約の仲保者は神様です[107]。初めの契約はなくなる契約でした[108]。初めの契約は一時契約でした。初めの契約は新しい契約を結ぶための契約でした。新しい契約はなくならない契約であります。新しい契約は永遠の真の契約です。新しい契約を通して、被造物の自由意志が完成されます。
† モーセは心でまでは守ることができない法を伝えてくれる仲保者でした[109]。モーセは、真の仲保者であるメシヤの予表だっただけです。神様がメシヤを約束されてから430年後にモーセが出てきました。モーセは約束なしに出てきた仲保者でした。メシヤは約束どおりに来た仲保者です。メシヤは心でまで守ることができる法を宣言します。メシヤは法を守る力を与えて法を宣言します。メシヤの血を通して聖霊神様がお見えになります。
† 法は変わりません。しかし、獣の血で契約を結んだ仲保者を通しては法を守ることができませんでした。法は変わりません。そして、自分の血で契約を結ぶ仲保者を通して法を守ることができます。法は変わりません。しかし、心でまで法を守れない者に、その法は火の池を宣告します。法は変わりません。そして、心でまで法を守ることができる者に、その法は永遠の命を宣告します。聖霊神様を通して、死の法が命の法となります[110]。しかし、法は変わりませんでした。
† 神様がメシヤを送ってくださると約束されました[111]。約束は神様の決定です。被造物はあえて神様の決定に関与できません[112]。神様の決定は取り消すことはできません。神様の約束は取り消すことはできません[113]。430年後、神様は仲保者を通して律法を与えられました。律法はメシヤを予表する影であります[114]。メシヤの約束を信じる者たちは律法を守りました。メシヤの約束を信じる者たちは、律法を通してメシヤを知ることができます。メシヤを知るならメシヤを受け入れるでしょう。
† 神様の約束には仲保者がいません。神様の決定には仲保者がいません。しかし律法には仲保者がいます。そして、その仲保者は、真の仲保者が来れば消えます。真の仲保者を送ってくださるという約束がなされれば、臨時仲保者は消えます。真の契約を結ぶという約束がなされれば、臨時契約は消えます。約束がなされると、律法は消えます。しかし、約束は消えません。真の律法すなわちキリストの律法は消えません[115]。
† 神様がアダムをサタンから救ってくださることを約束されました[116]。神様がアダムを罪から救ってくださることを約束されました[117]。神様ご自身が被造物となられることを約束されました[118]。神様がメシヤを送ってくださると約束されました[119]。被造物はあえて神様の約束にいかなる影響も及ぼすことができません。被造物などがあえてメシヤがお見えになる道を防ぐことができません。しかし、被造物はメシヤを拒むことができます。被造物は律法を拒むことができます。
† 律法はメシヤを表します。将来お見えになるメシヤを信じる者は律法を守るでしょう。将来お見えになるメシヤを信じない者は律法を守らないでしょう。将来お見えになるメシヤを信じる者は生き残ります。律法を守る者は生き残ります。将来お見えになるメシヤを信じない者は死にます。律法を守らない者は死にます。
† 律法自体は生命ではありません。しかし、律法は命に私たちを導きます[120]。メシヤは命です[121]。律法は私たちをメシヤに導きます。神様が一方的にくださった約束が命です。神様が一方的に約束されたメシヤが命です。律法は私たちをメシヤの約束に導きます。メシヤを通して私たちは命を得ます[122]。
† 律法は私たちをメシヤに導きます。メシヤを通して私たちは戒めを守ります。律法を守って私たちが命を得ることはできません[123]。律法は私たち自身の力で守ることができるものではありません。守る真似ややっと出せるだけです[124]。しかし、メシヤを通して私たちは聖霊神様を祀ります。聖霊神様を通して、私たちは律法を守ることができます[125]。
† 御使いを通してモーセに、モーセを通して人々に律法が伝えられました。モーセは獣の血を通して契約を結びました。人々は心でまで律法を守ることができませんでした。律法は人々に火の池を宣告しました。モーセは罪を宣告する法律を伝えた仲保者でした[126]。
† 神様が人々に親しく律法を宣言されます。神様は自分自身の血で親しく契約を結ばれます。今、人々は心でまで律法を守ることができます。今、律法は人々に永遠の命を宣告します。メシヤは命の法律を宣言する仲保者です。
† 律法は罪を明らかにします[127]。罪を悟った者はメシヤに行きます。メジヤに来た者は罪の赦しを受けます[128]。律法を通して永遠の命に達することはできません。しかし、律法を通してメシヤに行きます。メシヤを通して永遠の命を得ます。律法はメシヤの約束のためのものです。430年後に生じた律法は430年前に宣言された「約束」を拒むことができません。
† メシヤを信じる信仰だけで救われます。メシヤを信じる信仰だけで、心でまで律法を守ることができるからです。十字架の血でだけ心でまで律法を守ることができるからです[129]。神様の血を通してのみ悔い改めることができるからです[130]。被造物自らの力では心でまで律法を守ることができません。メシヤを通してだけ心でまで律法を守ることができます[131]。被造物自らの力では肉の欲望に勝てません。聖霊神様に服従するときにのみ、肉の欲望に打ち勝つことができます[132]。
† メシヤを信じると主張しても聖霊神様に服従しなければ、彼は本当にメシヤを信じるのではありません。彼はメシヤを信じていないので、彼は火の池に投げられます。もし彼が本当にメシヤを信じたならば、彼は聖霊神様に服従したでしょう[133]。彼が聖霊神様に服従したならば、彼は心でまで律法を守ることができたでしょう。言い換えれば、彼はキリストの律法を守ることができたでしょう[134]。しかし、彼はキリストの律法を守りません[135]。彼は本当にキリストを信じていません。彼は口でのみキリストを信じると主張します[136]。したがって、彼は火の池に投げられます[137]。
† 彼が本当に信じているか信じていないかは、彼の行ないであることが証明されています[138]。彼が本当にメシヤを信じるならば、彼は神様と隣人を愛するでしょう。彼が本当に聖霊神様に服従するならば、彼は敵を愛するでしょう。彼が隣人を愛していないならば、彼は実際にはメシヤを信じていません[139]。メシヤは隣人を踏みにじる被造物を火の池に燃やすために来ます[140]。メシヤを本当に信じるなら、隣人を踏みにじることは不可能です。メシヤが犯罪者を火の池に燃やすためにお見えになるという事実を知っても犯罪するならば[141]、彼は実際にはメシヤを信じないのです[142]。
† 律法を通して罪が明らかになります。罪を悟った者は悔い改めます。悔い改める者に、仲保者の血が覆われます。仲保者の血で罪の赦しを受けた者に聖霊神様がお見えになります[143]。聖霊神様に服従する者は肉の欲望に打ち勝つことができます[144]。聖霊神様に服従する者は心でまで律法を守ることができます。聖霊神様に服従する者は罪に打ち勝つことができます。聖霊神様に服従する者は死に打ち勝つことができます。
† エデンの園への道をケルビムと炎の剣が塞いでいます。至聖所への道を垂れ幕が塞いでいます。ケルビムと炎の剣を超えて命の木があります。贖罪所御座を超えて戒めがあります。至聖所に入るには、ケルビムと炎の剣を通過する必要があります。命の木に到達するには、御座を通過しなければなりません。命の木に達すると、命の木の果実を食べることができます。命の木の果実は戒めです。
† 神様の御座はケルビムが支えています[145]。御座に着座された神様が被造界を支配されます[146]。神様は愛の戒めで被造界を支配されます[147]。神様は戒めを守る被造物だけを残し、残りはすべて火の池に焼かれます[148]。被造物が生き残るためには戒めを守らなければなりません。したがって、戒めは命です[149]。
† ケルビムと炎の剣を通過すると命の木に到達します。贖罪所御座を通過すると戒めに達します。戒めがすなわち命の木です。戒めの実が命の木の果実であります。聖霊神様を通して戒めを守る者は、命の木の果実を食べ、聖霊神様の実を結びます[150]。主イエス様の肉を食べ、主イエス様の血を飲む者は命を得、聖霊神様の実を結びます[151]。主イエスはすなわち命の木です[152]。主イエス様の御言葉がすなわち命の木の果実です[153]。
† ケルビムと炎の剣を通過するには、罪に打ち勝つ必要があります[154]。犯罪できない人になってこそ、ケルビムと炎の剣を通過できます[155]。律法を通して罪を悟り、メシヤに向かって来ます。メシヤを通して罪の赦しを受け、聖霊神様を祀ります。聖霊神様を祀って罪に打ち勝ちます。罪に打ち勝つ者だけがケルビムと炎の剣を通過し、命の木に達します[156]。聖霊神様を通して肉の欲望に打ち勝つ者だけが命の木に到達します[157]。聖霊神様に服従する者だけが命の木の果実を食べます[158]。
† 被造物は自分の力で神様を愛することができません。被造物は自分の力で戒めを守ることができません。被造物は自らの力で永遠に生きることはできません。被造物は神様の愛を知る時にのみ神様を愛することができます[159]。被造物は神様を愛する時のみ戒めを守ることができます。神様は十字架で神様の愛を示されました[160]。被造物が神様の愛を見ました。今、被造物は神様を愛しています[161]。今、被造物は戒めを守ります[162]。
† 神様ご自身が被造物となって戒めを守る模範を見せてくださいます。戒めを守る方が戒めを守れと命じられます[163]。神様をお会いできなかった被造物が神様をお会いします[164]。神様を分からなかった被造物が神様を知るようになります[165]。今、被造物は神様の愛を知っています。今、被造物は神様を恐れません。今、被造物は神様を愛しています。今、被造物は神様の戒めを守ります。
ヨハネ8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて來て、真中に置いてから、
ヨハネ8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
ヨハネ8:5 モ-セは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
ヨハネ8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
ヨハネ8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
ヨハネ8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
ヨハネ8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
ヨハネ8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
ヨハネ8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕
民5:17 祭司はきよい水を土の器に取り、幕屋の床にあるちりを取ってその水に入れる。
民5:22 またこののろいをもたらす水があなたのからだにはいって腹をふくれさせ、ももをやせ衰えさせるように。』その女は、『ア-メン、ア-メン。』と言う。
民5:23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦い水の中に洗い落とす。
民5:24 こののろいをもたらす苦い水をその女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中にはいって苦くなるであろう。
民5:28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。
† 姦淫な女性が仲保者に出てきます。仲保者は地面に書かれます。御使いが石の板に戒めを書きました[166]。今は神様ご自身が地球という石の板に戒めを書かれます[167]。御使いが切り造った石の板は壊れました。獣の血で結んだ初めの契約は壊れました。女性と女性を捕まえてきた愚か者全部が契約を破った者たちです。皆が契約を破ったので皆が死ななければなりません。この時、仲保者が地面に書いたみことばは、山上の垂訓の教えから類推してみることができます[168]。仲保者は律法の真の意味を明らかにしてくださったのです。
† 仲保者はあなた方全員が犯罪したと言ってくださいます。仲保者はあなた方全員が死んだと言ってくださいます。初めの契約を守って生きている人はいません。すべて死んでいます。石の板に書かれた初めの戒めは死を宣告します[169]。
† 仲保者が再び地面に書かれます。モーセが切り造った石の板に御使いが再び戒めを書きました。今、神様は神様自身の血で私たちの心の板に戒めを書かれます[170]。モーセが切り造った石の板は壊れませんでした。神様の血で結ばれた新しい契約は壊れません[171]。聖霊神様を通して新しい契約は守られます[172]。十字架の贖いが[173]、同じ戒めを死の戒めから命の戒めに変えるのです[174]。
† 仲保者が罪を明らかにします。みんなが罪人です[175]。みんなが死ぬべきです[176]。しかし、赦しを求める者は女性しかいません。したがって、女性だけが赦されます。初めの契約を通して罪を悟った者が仲保者に出てきます。仲保者に向かって来た者は、仲保者の血で罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた者の肉体の中に聖霊神様がお見えになります。罪の赦しを受けた者の心の板に戒めが書かれています。今、彼は戒めを守ります。今、戒めは彼に命を宣告します。今、戒めは彼に命の法です。
† 書き物に書いた呪いは戒めを象徴します[177]。戒めは戒めを守る者には命となり、戒めを破る者には呪いとなります。女性が姦淫したかどうかを判別するときに使う方法だが、事実、すべての人はすべて姦淫した女性です[178]。姦淫した女性を捕まえて石で打たなければならないのかと狂った音を罵った律法学者奴らとパリサイ人奴らもやはり姦淫した女性たちです。
戒めは仲保者を象徴します。祭司も仲保者を象徴します。土器に入った水も仲保者を象徴します[179]。仲保者は肉体を着たみことばです[180]。そして土は死を象徴します[181]。仲保者に服従する者の名は命の書に記されます。仲保者に逆らう者は土に記されます。したがって、女性が呪いの水を飲むことは、戒めを破った者が呪いを飲むことを象徴します。そして、その呪いを仲保者が代わりに飲んでくださいました[182]。
[1] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
[2] マタイ23:29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
マタイ23:30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
マタイ23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
マタイ23:32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
[3] イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
[4] ルカ20:9 また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
ルカ20:10 そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
ルカ20:11 そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。
ルカ20:12 彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。
ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
[5] ルカ24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。
[6] イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
[7] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[8] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
[9] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[10] 出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
[11] ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
[12] ヘブ9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
[13] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
[14] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。
[15] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[16] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
[17] ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
[18] 1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト․イエスです。
[19] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。
[20] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[21] エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[22] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[23] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[24] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[25] 黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
[26] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。
ヨハネ14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」
ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
[27] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[28] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[29] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
[30] 出20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
出20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。
出20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」
マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。
マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
[31] ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
[32] ヤコ4:12 律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。
[33] ルカ10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」
[34] ヘブ2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
ヘブ2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
[35] ヘブ1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[36] エレ44:4 それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行なわないように、と言ったのに、
エレ44:5 彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神神に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。
[37] マルコ12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
マルコ12:30 心を所くし、思いを所くし、知性を所くし、力を所くして、あなたの神である主を愛せよ。』
[38] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[39] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[40] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[41] ロマ8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
ロマ8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
[42] ルカ12:4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
ルカ12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
[43] 箴1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
[44] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[45] フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
フィリ2:11 すべての口が、「イエス․キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
[46] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
[47] マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
[48] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[49] 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[50] イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[51] フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
[52] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[53] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
[54] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
[55] ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
[56] ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。
ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。
ヘブ9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。
[57] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[58] 出32:15 モ-セは向き直り、二枚のあかしの板を手にして山から降りた。板は両面から書いてあった。すなわち、表と裏に書いてあった。
出32:16 板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた。
[59] 申9:10 その後、主は神の指で書きしるされた石の板二枚を私に授けられた。その上には、あの集まりの日に主が山で火の中から、あなたがたに告げられたことばが、ことごとく、そのまま書かれてあった。
[60] 出32:19 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モ-セの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。
[61] 出32:31 そこでモ-セは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
出32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
出32:33 すると主はモ-セに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。
[62] 出34:1 主はモ-セに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。
[63] 2ヨハ1:5 婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。
[64] エゼ36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
エゼ36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。
[65] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[66] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[67] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
[68] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[69] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[70] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
[71] 出19:8 すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」それでモ-セは民のことばを主に持って帰った。
[72] フィリ3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
[73] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[74] ヘブ10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。
[75] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[76] マタイ5:17 わたしが來たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために來たのです。
[77] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[78] ヘブ10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
[79] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[80] ロマ7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
[81] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[82] ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
[83] ロマ5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス․キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
[84] ゼカ5:3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」
[85] 申4:40 きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。
[86] ヨハネ5:46 もしあなたがたがモ-セを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モ-セが書いたのはわたしのことだからです。
[87] ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
[88] 創2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて來られた。人が、生き物(生き魂)につける名は、みな、それが、その名となった。
[89] 王上17:21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」
王上17:22 主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。
[90] ルカ24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
ルカ24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
ルカ24:27 それから、イエスは、モ-セおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
[91] 使徒3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス․キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
[92] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
[93] ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」
[94] ガラ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
ガラ3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
[95] 創18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
[96] ヤコ2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
ヤコ2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
ヤコ2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
ヤコ2:24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコ2:25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。
ヤコ2:26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
[97] 詩32:1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
詩32:2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。
[98] ヘブ11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
[99] マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
[100] ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
[101] ロマ6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
ロマ6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト․イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
[102] 使徒10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
[103] 創22:16 仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
創22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海邊の砂のように數多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
創22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国国は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
[104] ガラ3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
ガラ3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無效とされたりすることがないということです。
ガラ3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。
[105] コロ2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
コロ2:17 これらは、次に來るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
[106] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
[107] 1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト․イエスです。
[108] ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
[109] 2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
[110] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[111] 創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」
ヨハネ8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」
ヨハネ8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
[112] ヨハネ14:30 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が來るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。
ヨハネ14:31 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。
マタイ26:24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
ルカ22:53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」
ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
[113] ヨハネ10:35 もし、神のことばを受けた人人を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、
[114] ヘブ10:1 律法には、後に來るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて來る人人を、完全にすることができないのです。
[115] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
[116] 創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
[117] ダニ9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
[118] イザ7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
イザ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
ミカ5:2 ベツレヘム․エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
[119] マタイ22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
マタイ22:44 『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。
マタイ22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」
[120] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
ガラ3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
[121] ヨハネ20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
[122] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
[123] ガラ5:3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。
ガラ5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
[124] マタイ23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
[125] ガラ3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト․イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
[126] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
2コリ3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
2コリ3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
[127] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[128] 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
[129] ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
[130] ヘブ9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人人に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
[131] テト3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
[132] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
[133] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
[134] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
[135] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
[136] テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
[137] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
[138] マタイ7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
マタイ7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
マタイ7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
[139] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
[140] 詩110:5 あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。
詩110:6 主は国国の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。
[141] 2コリ12:21 私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前から罪を犯していて、その行なった汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。
[142] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
[143] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[144] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[145] エゼ1:25 彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。
エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
エゼ1:27 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。
エゼ1:28 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
[146] 詩47:8 神は国国を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。
[147] 詩89:14 義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことは、御前に先立ちます。
[148] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[149] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」
[150] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[151] ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
[152] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
[153] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
[154] ヘブ9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人人の救いのために來られるのです。
[155] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[156] 黙22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
黙22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
[157] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、
ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
[158] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、
ロマ1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
ロマ1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。
[159] 1ヨハ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
[160] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[161] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[162] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
[163] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[164] 1テモ6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。
[165] ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
[166] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
[167] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[168] マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
[169] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[170] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[171] ヘブ10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。
[172] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
[173] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[174] 1ヨハ2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。
[175] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
ロマ3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
ロマ3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
[176] ロマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、瓦瓦それというのも全人類が罪を犯したからです。
[177] 申27:13 また次の者たちはのろいのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。
申27:26 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、ア-メンと言いなさい。
[178] ヤコ4:4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
[179] エフェ5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
[180] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[181] エレ17:13 イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」
創3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
[182] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。