2 存在のお召し

94 新しい契約の仲保者

aparke 2025. 5. 24. 06:18

20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。

20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」

32:31 そこでモ-セは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。

32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

18:15 あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。

18:16 これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を二度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。

18:17 それで主は私に言われた。「彼らの言ったことはもっともだ。

18:18 わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。

マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。

マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。

ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

ヨハネ1:21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」

使徒3:22 モ-セはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。

使徒3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』

2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

ガラ3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。

ガラ3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無效とされたりすることがないということです。

ガラ3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。

ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

ガラ3:20 仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜わる神は唯一者です。

ガラ3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。

ガラ3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ翔めました。それは約束が、イエスキリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。

エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリストイエスです。

1テモ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。

ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

御使い様の御言葉宣言します[1]とラッパの音があります。イスラエルの民はれています。イスラエルの民はモセが一人様の御言葉き、イスラエルの民にその御言葉をえるようにみます。イスラエルの民はモセをしてえられた様の御言葉ると約束します。しかし、様の御言葉えてくれれば、はみことばをえるすでしょう[2]。イスラエルの民は今自分たちの状態知りません。イスラエルの民は今愚かなみをしています。

しかしは、るためにはやはりそうしなければなりません。様の御言葉える預言者すほど状態にあります。この状態から直接みことばくと、はすべて死にます[3]。人るためには、仲保者してみことばをえなければなりません。隣人愛するようになった後にのみ、から直接みことばかなければなりません。

はみことばをえる預言者します。しかし、から直接みことば聞きませんでした即死しません[4]預言者としてます[5]預言者としてお見えになったまで殺します。神様ご自身が供になります。背負います[6]罪の赦しを受けます霊神様お見えになります[7]今戒めをります。消滅されます。メシヤので、被造界統一されます。から直接みことばいても、今人死にません[8]

初めの契約してはめをることができません。してはめをることができません。しい契約してのみめをることができます。によってのみめをることができます。十字架罪の赦しを受けると、聖霊神様を祀ることができます。霊神様えれば、めをることができます[9]

初めの契約すなわち臨時の契約通してめをることができません。しい契約すなわち契約してのみめをることができます。しい契約ぶまで、人間にはなずにることができる時間必要です。めをることができるようになるまで、人間にはなずにることができる時間必要です。

めをらない人間から直接戒めをけると、人間即死します[10]人間仲保者してめをけなければなりません。神様ご自身が人間になり、人間仲保者になります。人間めをめをけなければなりません。霊神様ご自身が人間お見えになってめをとなってくださいます[11]

仲保者親しく供物になります。仲保者自分せ、人間してもらうようにめられます[12]仲保者自分人間い、人間めをえます。仲保者いだで、霊神様お見えになります。聖霊神様を祀り人間戒めを守ります[13]。仲保者して、しい契約結ばれます。仲保者して、人間戒めを守ります。仲保者して、人間残ります。

もちろん、はイスラエルの民がめをらなくてもかしておくことができます。犯罪者から直接戒めをけても犯罪者たちをかしておくことができます。しかし、もしがそうすれば、犯罪者たちは犯罪すればぬという概念ることができなくなるでしょう。

めをから直接戒めをけていても、なないならば、犯罪者めようとしません[14]自分ぬという実に気づいていないにもかかわらず、果たしてきるためにから離れようとしますか。自分ぬというることもできないにもかかわらず、果たして主イエス出ようとしますか。神きがちに成されない場合犯罪者火の池きて、めて結果悟ることになります。犯罪してもななければ、結局誰われないようになるのです。

律法犯罪すればぬというるようにおっしゃったのです[15]律法きるためにイエス出てくるようにくださったのです[16]裁きの恐れを知ってこそ、罪てようとします。自分火の池まれるという知ってこそ、悔めようとします。自分知ってこそ、罪の赦しを受けるためにイエス出てきます。戒めをろうとする時のみ、聖霊神様従します[17]

様の御言葉直接聞くことをれています。預言者様の御言葉えてくれることをめます。仲保者求めます様の御言葉えてくださる預言者ってくださると約束されます。仲保者ってくださると約束されます。そしては、その預言者としてお見えになります神様ご自身が仲保者としてお見えになります

らず、仲保者求めましたはモセが仲保者になることができるとえました。しかし、被造物被造物仲保者になることはできません[18]被造物犯罪可能性いています。そのままけば、被造物はいつかは犯罪します御使いでも人間でも、被造物に近づくと、被造物はただぬだけです[19]被造物仲保者になることができるは、ただ被造物となられた神様だけです。

人間になり、人間仲保者になります。しかし、御子人間和解させてくれる仲保者であるだけでなく、御使い和解させてくれる仲保者でもあります。御使いにも依然として犯罪可能性っています。そのままにすれば、御使いもいつかは犯罪します。御子犯罪可能性があるすべての被造物から犯罪可能性消滅させます[20]御子自由意志のあるすべての被造物から犯罪可能性消滅させます[21]

御子人間創造されただけでなく、御使い創造されました。御子人間自由意志をくださっただけでなく、御使いにも自由意志をくださいました。御子人間自由意志完成されるだけでなく、御使いたちの自由意志完成されます[22]御子人間行くことを可能にするだけでなく、御使いたちが行くことを可能にします[23]御子はアダムとしてお見えになっただけでなく、復活され御使いのようになられることもありました[24]

もちろん、御子御使い契約結ばれませんでした。御使いはすでにヘレルの惑わしに打ち勝ちました。御使い犯罪しませんでした。御使いには犯罪可能性だけがっているだけです。しかし、人間から犯罪可能性消滅させる過程で、御使いからも犯罪可能性消滅されます人間につなげる過程で、御使いにつながります。人間贖う過程御使い自由意志完成されます[25]

それゆえれば、御子御使い仲保者でもあります。御子人間仲保者であるだけでなく、御使い仲保者でもあります。仲保方法だけがうだけです。御使いなどがあえて御子さず直接行くことはできません[26]御使い存続させていらっしゃる方御子です[27]御使いでも人間でもどんな被造物でも、御子にのみ存在します御子御使い人間むすべての被造物存続させています[28]御子許諾なしにきていられる御使いはありません[29]

にモセのような預言者ってくださると約束されます。そしては、そのモセのような預言者としてお見えになります約束どおり、して様の御言葉きます。約束どおり、様の御言葉いてもぬことはありません。しかし、今神から直接戒めを受けています[30]めをくださるは、様ご自身です。

神様ご自身がおっしゃっても人間様の御言葉えても、人間様の御言葉聞きますから直接聞いたみことばをってもに、人間えたみことばをっても死にます。イスラエルの民は御使いえた様の御言葉いてもれていました[31]被造物となられた神様は、親しく戒めを宣言されています。立法者である審判者しくめを宣言されています[32]御使いでも人間でも、様の御言葉逆らって生ることができるはいません[33]御使いしてくださっためをっても死にました[34]神様ご自身がくださっためをれば、さらににます[35]

戒めを神から直接受けるか、仲保者通して間接的けるかにかかわらず、めを破ると死にます。しかも人間自分めをることができません。ですから、仲保者通して戒めをけても、人間死にます。神から直接戒めをけなくても、人間死にます。戒めをることができず、どうせぬだろうとすれば、仲保者つのでしょうか。仲保者通して戒めを受けても、とにかくぬだろうとすれば、仲保者つのでしょうか。

から直接戒めをけると、人間即死します。しかし、仲保者してめをけると、人間即死しません。即死しなければ、めるがあります[36]めを受けからぬまで、まだ時間があります。そのめれば、人間ることができます。仲保者通して戒めを受ければ、めるができます。仲保者通して戒めを受ければ、ができます。

から直接戒めをけると、人間恐怖圧倒されます。恐怖圧倒されると、人間することはできません[37]さなければ、人間戒めを守ることができません[38]恐怖しては、被造物戒めを守ることができません。恐怖のために戒めを守被造物は、恐怖えれば戒めを守りません[39]

恐怖しては犯罪可能性消滅されません恐怖して自由意志完成されませんだけで戒めを守ることができる構造で、被造界存続させています[40]。したがって、人間から直接戒めを受けると、人間戒めを守ることができません。戒めを守らないと、人間びます。人間から直接戒めを受けると、人間びます。

裁きにするれがなければ、てようとしません。審判れなければめません。しかし審判れるだけではすることができません。さなければ戒めを守ろうとしません。めは、するのでるのです。さないは、戒めを守ろうともしません[41]

れなくても人間死にます[42]。神さなくても人間死にます。神れながら同時愛する時だけ人間戒めを守ります[43]。神れながら同時愛する時だけ人間ることができます。ですから、仲保者としてお見えになります

御使いるからといってることになるわけではありません。見る時のみ神ることになります。知る時のみ神するようになります。愛する時のみ戒めをることになります。のような構造被造界では、からない存在することができません。ですから、神様ご自身が仲保者としてお見えになります

犯罪可能性がある御使い仲保者になることはできません。御使いにはそれほどのもありません。まだ犯罪していないが、すぐに犯罪する仲保者になることはできません。御使い十字架にかかっても証明されるわけではありません。ご自分を捨てられる時のみ、神証明されます。御使い御名相続することはできません[44]御名被造界わります[45]御名相続するには、でなければならず、被造物でなければなりません[46]

御子沿って人間十字架を背負います[47]。しかし、人間十字架御子十字架じではありません[48]人間御子して義人として死にます[49]御子てられ、罪人のように死にました[50]御子十字架は、のみが背負うことができるのです[51]

人間になります。人間見まするが、人間でするが、くありません。人間になった戒めをくださいます。戒めを受けるが、くありません。人間になった人間れます。かに人間ですが、です。きっとですが、人間です[52]

人間になった人間わりに背負います人間になった人間わっててられます[53]人間見ます人間聞きます[54]人間れます[55]人間しています。人間としてお見えになったして、人間今神しています。仲保者して、人間今戒めを守ります。

はモセをしてイスラエルの民と契約結ばれました。モセはとイスラエルの民の仲保者でした。イスラエルの民は契約結びました[56]んだ契約れます。神様ご自身が被造物となられ聖徒たちと契約結ばれます。神様ご自身が被造物となられて被造物たちの仲保者になります。聖徒たちは契約びます[57]んだ契約れません。

御使いして石の板切って造り[58]戒めを書きます[59]。イスラエルの民のて、モセがその石の板壊します[60]仲保者なしでえられためはれます。その、モセはイスラエルの民のために仲保します[61]。モセが切り取った石の板に、戒めを書きます[62]その石の板れずに至聖所入ります仲保者通してえられためはれません。

最初石の板書かれた戒めと石の板書かれた戒めはじです。最初の石の板れた理由めに問題があるからではありません。最初の石の板れた理由は、問題があったからです。石の板れていない理由は、書かれた戒めがより完全なためではありません。めはもともと完全です[63]後の石の板れていない理由は、わったからです。仲保者通して戒めを守らない戒めを守変化したのです。

セの仲保十字架いを象徴します仲保者十字架からいだ血でわります[64]霊神様して、わります。戒めを守らないが、戒めを守わります。かれためはされるが、かれためはされません。結ばれた契約れるが、結ばれた契約れません。えることはできませんが、えます[65]仲保者して、わります。

れた石の板わりにモセが直接石の板切って造ります。この石の板は①人間としてお見えになったみことばをしたり[66]、②仲保者われた聖徒したりします[67]

切り造った石の板めが書かれています。人肉体めが書かれています肉体めがれられます。めは肉体て、めがであるかを被造物たちにせます[68]被造物肉体った戒めを見ます被造物めがであるかを悟ります被造物めにいます[69]

聖徒仲保者われます。仲保者血で聖徒罪の赦しを受けます罪の赦しを受けた聖徒肉体霊神様お見えになります。聖徒悟ります[70]聖徒今、神します。聖徒今、戒めを守ります。結ばれた契約石の板書かれています石の板書かれた戒めは守られることができません仲保者結ばれた契約書かれています書かれた戒めはられます。

隣人するのがめであります。モセをして、契約びます。血で人契約結びます戒めを守ると約束します[71]。しかし、隣人することはできません。行ない殺人しないことはできます。しかし、でまで殺人しないことはできません。行ない姦淫しないことはできます。しかし、でまで姦淫しないことはできません。殺さないことはできます。しかし、することはできません。

戒めを守真似すことができるが、実際戒めを守ることはできません[72]るが、してしまうはありません。絶望します。はこの絶望から自分ってくれるメシヤを待ちます自分から自分ってくれるメシヤをちます[73]

隣人するのがめであります。メシヤをして契約びます。メシヤの血で人契約びます。戒めを守ると約束します。メシヤの血で罪の赦しを受けます罪の赦しを受けた人肉体霊神様お見えになります。霊神様戒めを書きます[74]

でまで隣人しています。隣人するために今、人殺人することはできません。隣人するために今、人姦淫することはできません。隣人するためにむことはできません。にもしています。するために、はもはや殺人しないように努力する必要はありません[75]。キリストの律法るために、はもはや律法必要はありません[76]

律法ります。しかし、努力してるものではありません[77]今、律法完全になりました。しかし、律法はそのままであります。わったのは々ですでまで律法ることができなかった今、心でまで律法守ります[78]

初めの契約して、るだけでした。しかし、しい契約してに打ち勝ちます。しい契約して霊神様お見えになったからです。霊神様して肉の欲望てるようになったからです[79]に打ち勝つことができる結ばれる契約、これがしい契約です仲保者して聖霊神様を祀る契約、これが新しい契約であります[80]

初めの契約してはでまで戒めを守ることができませんでした。してはでまで戒めを守ることができませんでした。初めの契約んでいるというらせるだけでした。初めの契約められたというらせるだけでした。初めの契約からってくださるメシヤを待たせるだけでした。

メシヤの新しい契約結ばれます罪の赦しを受けた私たちの肉体の中霊神様お見えになります。して今、私たちはに打ち勝つことができます[81]しい契約してたちはからすことができます。メシヤのして今、私たちはでまで戒めを守ることができます。宣告しためが[82]宣告めます[83]火の池判決しためが、永遠判決めます。

戒めを破るとまれます。戒めを守れば永遠に生きます。戒めを破にとって、めは裁きの根となります。したがって、戒めを破にとって、めはであります[84]戒めを破にとって、めはであります。戒めを守にとって、めは永遠となります。ですから、戒めを守にとって、めは命の法です[85]戒めを守にとって、めは命の木の果実であります。めがわったわけではありません。わったのです。

メシヤはアブラハムの子孫としてお見えになる約束されました。メシヤがお見えになったときにメシヤをることができるように、律法えられました[86]律法はメシヤのです[87]。メシヤは人間としてます。人間だから特別なことはありません。がないだけです。アダムとしての権威ってしまわなかっただけです[88]。モセやエリヤも奇跡いました[89]律法がなければ[90]、メシヤを知る方法がありません[91]

律法して悟ります[92]ったは、罪の赦しを受けるためにをささげます。しかし、獣の供え物はメシヤのだけです。血でくことができません。メシヤの血でだけくことができます。はメシヤを待ちます[93]。メシヤがお見えになればいてくださいます。将来お見えになるメシヤをって、げます。将来お見えになるメシヤをじる信仰によって[94]律法ります[95]

御使いられました。御使い律法宣言しました。モセは律法えました。モセが仲保者でした。将来お見えになるメシヤをって律法守りました[96]将来お見えになるメシヤをじる信仰によって、罪の赦しを受けました[97]律法ることによって、らの信仰証明しました[98]。しかし、はまだでまで律法ることはできませんでした[99]お見えになる前だったからです[100]予表にすぎません。初めの契約臨時契約過ぎません。

神様ご自身が被造物となられます。律法宣言されます。神様ご自身は人律法えます。被造物となられた神様仲保者です。すでにお見えになったメシヤをめ、律法守ります[101]すでにお見えになったメシヤをじる信仰によって、罪の赦しを受けます[102]律法ることによって、らの信仰証明します。心でまで律法ることができます。お見えになったからです。神様ご自身が血注ぎましたしい契約すなわち契約結ばれました。

がメシヤをってくださると約束されました[103]430年後,モセという仲保者して律法えられました。律法仲保者してえられました。しかし、メシヤの約束は、仲保者さずに直接おっしゃいました[104]律法はメシヤのです。律法生贄祭り預言はすべてメシヤをしています[105]。メシヤの約束じる律法守るでしょう。メシヤの約束じない律法らないでしょう。メシヤをじる律法るでしょう。メシヤをじない律法らないでしょう。

初めの契約御使いしてくださいました。しい契約神様ご自身がくださいます。初めの契約約束なしでえられました。しい契約あらかじめ約束されました[106]初めの契約仲保者はモセでした。しい契約仲保者です[107]初めの契約はなくなる契約でした[108]初めの契約一時契約でした。初めの契約しい契約ぶための契約でした。しい契約はなくならない契約であります。しい契約永遠契約です。しい契約通して被造物自由意志完成されます

セはでまでは守ることができない法えてくれる仲保者でした[109]。モセは、仲保者であるメシヤの予表だっただけです。がメシヤを約束されてから430年後にモセがてきました。モセは約束なしにてきた仲保者でした。メシヤは約束どおりに仲保者です。メシヤはでまでることができる宣言します。メシヤはえて宣言します。メシヤのして霊神様お見えになります。

わりません。しかし、契約んだ仲保者通してることができませんでした。わりません。そして、自分契約仲保者通して法ることができます。わりません。しかし、でまでれないに、その火の池宣告しますわりません。そして、でまでることができるに、その永遠宣告します霊神様して、命の法となります[110]。しかし、わりませんでした。

がメシヤをってくださると約束されました[111]約束決定です。被造物はあえて決定関与できません[112]決定すことはできません。約束すことはできません[113]430年後仲保者して律法えられました。律法はメシヤを予表するであります[114]。メシヤの約束じるたちは律法りました。メシヤの約束じるたちは、律法してメシヤをることができます。メシヤを知るならメシヤをれるでしょう。

約束には仲保者がいません。決定には仲保者がいません。しかし律法には仲保者がいます。そして、その仲保者は、真の仲保者ればえます。真の仲保者ってくださるという約束がなされれば、臨時仲保者えます。契約ぶという約束がなされれば、臨時契約えます。約束がなされると、律法えます。しかし、約束えません。真の律法すなわちキリストの律法えません[115]

がアダムをサタンからってくださることを約束されました[116]がアダムをからってくださることを約束されました[117]神様ご自身が被造物となられることを約束されました[118]がメシヤをってくださると約束されました[119]被造物はあえて約束にいかなる影響ぼすことができません。被造物などがあえてメシヤがお見えになるぐことができません。しかし、被造物はメシヤを拒むことができます。被造物律法拒むことができます。

律法はメシヤをします。将来お見えになるメシヤをじる律法るでしょう。将来お見えになるメシヤをじない律法らないでしょう。将来お見えになるメシヤをじるります。律法ります。将来お見えになるメシヤをじない死にます律法らない死にます。

律法自体生命ではありません。しかし、律法たちをきます[120]。メシヤはです[121]律法たちをメシヤにきます。一方的くださった約束です。一方的約束されたメシヤがです。律法たちをメシヤの約束きます。メシヤをしてたちはます[122]

律法たちをメシヤにきます。メシヤをしてたちは戒めを守ります。律法ってたちがることはできません[123]律法たち自身ることができるものではありません。真似ややっとせるだけです[124]。しかし、メシヤをしてたちは聖霊神様を祀りますして、たちは律法ることができます[125]

御使いしてモセに、モセをして律法えられました。モセはして契約結びました心でまで律法ることができませんでした。律法火の池宣告しました。モセは罪を宣告する法律えた仲保者でした[126]

しく律法宣言されます。自分自身しく契約結ばれます。心でまで律法ることができます。今、律法永遠宣告します。メシヤは法律宣言する仲保者です。

律法らかにします[127]ったはメシヤに行きます。メジヤに罪の赦しを受けます[128]律法して永遠することはできません。しかし、律法してメシヤに行きます。メシヤをして永遠得ます律法はメシヤの約束のためのものです。430年後じた律法430年前宣言された「約束」をむことができません。

メシヤをじる信仰だけでわれます。メシヤをじる信仰だけで、でまで律法ることができるからです。十字架血でだけでまで律法ることができるからです[129]してのみめることができるからです[130]被造物自らのではでまで律法ることができません。メシヤをしてだけでまで律法ることができます[131]被造物自らのでは肉の欲望てません。霊神様するときにのみ、肉の欲望に打ち勝つことができます[132]

メシヤをじると主張しても霊神様しなければ、にメシヤをじるのではありません。はメシヤをじていないので、火の池げられます。もしにメシヤをじたならば、霊神様したでしょう[133]したならば、でまで律法ることができたでしょう。えれば、はキリストの律法ることができたでしょう[134]。しかし、はキリストの律法守りません[135]にキリストをじていません。でのみキリストをじると主張します[136]。したがって、げられます[137]

じているかじていないかは、行ないであることが証明されています[138]にメシヤをじるならば、隣人するでしょう。服従するならば、するでしょう。隣人していないならば、実際にはメシヤをじていません[139]。メシヤは隣人みにじる被造物火の池やすためにます[140]。メシヤをじるなら、隣人踏みにじることは不可能です。メシヤが犯罪者火の池やすためにお見えになるというっても犯罪するならば[141]実際にはメシヤをじないのです[142]

律法してらかになります。っためます。めるに、仲保者われます。仲保者罪の赦しを受けた者霊神様お見えになりま[143]霊神様する肉の欲望に打ち勝つことができます[144]霊神様するでまで律法ることができます。霊神様するに打ち勝つことができます。霊神様服従するに打ち勝つことができます。

エデンのへのをケルビムと炎のいでいます。至聖所への垂れ幕いでいます。ケルビムと炎のえてがあります。贖罪所御座を超えて戒めがあります。至聖所るには、ケルビムと炎の通過する必要があります。到達するには、御座通過しなければなりません。すると、命の木の果実べることができます。命の木の果実めです。

御座はケルビムがえています[145]御座着座され被造界支配されます[146]めで被造界支配されます[147]戒めを守被造物だけをし、りはすべてかれます[148]被造物るためには戒めを守らなければなりません。したがって、めはです[149]

ケルビムと炎の通過すると到達します。贖罪所御座通過するとめに達しますめがすなわちです。めの命の木の果実であります。霊神様して戒めを守は、命の木の果実べ、霊神様結びます[150]イエスべ、イエス霊神様結びます[151]イエスはすなわちです[152]イエス様の御言葉がすなわち命の木の果実です[153]

ケルビムと炎の通過するには、罪に打ち勝つ必要があります[154]。犯罪できないになってこそ、ケルビムと炎の通過できます[155]律法してり、メシヤにかって来ます。メシヤをして罪の赦しを受け聖霊神様を祀ります聖霊神様を祀って罪に打ち勝ちます。に打ち勝つだけがケルビムと炎の通過し、達します[156]霊神様して肉の欲望に打ち勝つだけが到達します[157]霊神様するだけが命の木の果実べます[158]

被造物自分することができません。被造物自分戒めを守ることができません。被造物らの永遠に生きることはできません。被造物知る時にのみ神することができます[159]被造物愛する時のみ戒めを守ることができます。十字架神様されました[160]被造物見ました。被造物しています[161]被造物戒めを守ります[162]

神様ご自身が被造物となって戒めを守模範せてくださいます。戒めを守戒めを守れと命じられます[163]。神をおいできなかった被造物をおいします[164]様をからなかった被造物るようになります[165]被造物っています。被造物れません。被造物しています。被造物戒めを守ります。

ヨハネ8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて來て、真中に置いてから、

ヨハネ8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

ヨハネ8:5 モ-セは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

ヨハネ8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

ヨハネ8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

ヨハネ8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

ヨハネ8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

ヨハネ8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

ヨハネ8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕

5:17 祭司はきよい水を土の器に取り、幕屋の床にあるちりを取ってその水に入れる。

5:22 またこののろいをもたらす水があなたのからだにはいって腹をふくれさせ、ももをやせ衰えさせるように。』その女は、『ア-メン、ア-メン。』と言う。

5:23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦い水の中に洗い落とす。

5:24 こののろいをもたらす苦い水をその女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中にはいって苦くなるであろう。

5:28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。

姦淫女性仲保者てきます。仲保者地面かれます。御使い石の板戒めを書きました[166]神様ご自身が地球という石の板戒めを書かれます[167]。御使い切り造った石の板れました。血で結んだ初めの契約れました。女性女性まえてきた者全部契約ったたちです。契約ったのでななければなりません。この仲保者が地面にいたみことばは、山上垂訓えから類推してみることができます[168]仲保者律法真の意味らかにしてくださったのです。

仲保者はあなた方全員犯罪したとってくださいます。仲保者はあなた方全員んだとってくださいます。初めの契約って生きている人はいません。すべてんでいます。石の板書かれた初めの戒めは宣告します[169]

仲保者地面書かれます。モセが切り造った石の板御使い戒めを書きました自身たちの心の板戒めを書かれます[170]。モセが切り造った石の板れませんでした。血で結ばれた新しい契約れません[171]霊神様してしい契約られます[172]十字架いが[173]戒めを死めからめにえるのです[174]

仲保者らかにします。みんなが罪人です[175]。みんながぬべきです[176]。しかし、赦しめる女性しかいません。したがって、女性だけが赦されます初めの契約してった仲保者てきます。仲保者かっては、仲保者罪の赦しを受けます罪の赦しを受けた者肉体霊神様お見えになります。罪の赦しを受けた者心の板めが書かれています。今、彼戒めを守ります。今、戒めは宣告します。今、戒めはです。

書き物いたいは戒めを象徴します[177]めは戒めを守にはとなり、戒めを破にはいとなります。女性姦淫したかどうかを判別するときに使方法だが、、すべてのはすべて姦淫した女性です[178]姦淫した女性まえてたなければならないのかと狂った音を罵った律法学者らとパリサイ人らもやはり姦淫した女性たちです。

めは仲保者します。祭司仲保者徴します土器った仲保者徴します[179]仲保者肉体みことばです[180]。そして徴します[181]仲保者する記されます。仲保者逆らう者記されます。したがって、女性呪いの水むことは、戒めを破ったいをむことを徴します。そして、そのいを仲保者わりにんでくださいました[182]



[1] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

[2] マタイ23:29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、

 マタイ23:30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。

 マタイ23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。

 マタイ23:32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。

 マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

[3] イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」

[4] ルカ20:9 また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。

 ルカ20:10 そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。

 ルカ20:11 そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。

 ルカ20:12 彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。

 ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』

[5] ルカ24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。

[6] イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

[7] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

[8] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

[9] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[10] 33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

[11] ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

[12] ヘブ9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

[13] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

[14] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。

[15] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[16] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

[17] ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[18] 1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリストイエスです。

[19] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。

[20] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[21] エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

[22] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

 1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

[23] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

 エフェ3:11 私たちの主キリストイエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

[24] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

 ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。

[25] 15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。

  レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。

[26] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。

 ヨハネ14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

 ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

 ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。

[27] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[28] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[29] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

[30] 20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

 出20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。

 出20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」

  マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。

 マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。

[31] ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

[32] ヤコ4:12 律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。

[33] ルカ10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」

[34] ヘブ2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、

 ヘブ2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、

[35] ヘブ1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、

 ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

[36] エレ44:4 それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行なわないように、と言ったのに、

 エレ44:5 彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神神に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。

[37] マルコ12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

 マルコ12:30 心を所くし、思いを所くし、知性を所くし、力を所くして、あなたの神である主を愛せよ。』

[38] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

[39] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。

 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

[40] 8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

 雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。

[41] ロマ8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

 ロマ8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

[42] ルカ12:4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。

 ルカ12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

[43] 1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

[44] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

[45] フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

 フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

 フィリ2:11 すべての口が、「イエスキリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

[46] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

 フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

[47] マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

[48] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

 ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

 ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

[49] 12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

[50] イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

 イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

[51] フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

[52] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[53] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

[54] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

[55] ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

[56] ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

 ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

 ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

 ヘブ9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

[57] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

[58] 32:15 モ-セは向き直り、二枚のあかしの板を手にして山から降りた。板は両面から書いてあった。すなわち、表と裏に書いてあった。

 出32:16 板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた。

[59] 9:10 その後、主は神の指で書きしるされた石の板二枚を私に授けられた。その上には、あの集まりの日に主が山で火の中から、あなたがたに告げられたことばが、ことごとく、そのまま書かれてあった。

[60] 32:19 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モ-セの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。

[61] 32:31 そこでモ-セは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。

 出32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

 出32:33 すると主はモ-セに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。

[62] 34:1 主はモ-セに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。

[63] 2ヨハ1:5 婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。

[64] エゼ36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

 エゼ36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。

[65] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

[66] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

[67] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

[68] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

[69] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

 1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

 1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

[70] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

[71] 19:8 すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」それでモ-セは民のことばを主に持って帰った。

[72] フィリ3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。

[73] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

 ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[74] ヘブ10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。

[75] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[76] マタイ5:17 わたしが來たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために來たのです。

[77] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

[78] ヘブ10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

[79] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[80] ロマ7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

[81] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

 ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

[82] ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

[83] ロマ5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエスキリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

[84] ゼカ5:3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」

[85] 4:40 きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。

[86] ヨハネ5:46 もしあなたがたがモ-セを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モ-セが書いたのはわたしのことだからです。

[87] ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

[88] 2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて來られた。人が、生き物(生き魂)につける名は、みな、それが、その名となった。

[89] 王上17:21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」

 王上17:22 主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。

[90] ルカ24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。

 ルカ24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」

 ルカ24:27 それから、イエスは、モ-セおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

[91] 使徒3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエスキリストの名によって、歩きなさい。」と言って、

[92] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

[93] ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」

[94] ガラ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。

 ガラ3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

[95] 18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

[96] ヤコ2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。

 ヤコ2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、

 ヤコ2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

 ヤコ2:24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。

 ヤコ2:25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。

 ヤコ2:26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。

[97] 32:1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。

 詩32:2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。

[98] ヘブ11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

[99] マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。

 マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

[100] ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

[101] ロマ6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

 ロマ6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

 ロマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリストイエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

[102] 使徒10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」

[103] 22:16 仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

 創22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海邊の砂のように數多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

 創22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国国は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

[104] ガラ3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。

 ガラ3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無效とされたりすることがないということです。

 ガラ3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。

[105] コロ2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。

 コロ2:17 これらは、次に來るものの影であって、本体はキリストにあるのです。

[106] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。

[107] 1テモ2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリストイエスです。

[108] ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。

[109] 2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、

[110] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[111] 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

  ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」

 ヨハネ8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」

 ヨハネ8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

[112] ヨハネ14:30 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が來るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。

 ヨハネ14:31 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。

  マタイ26:24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」

  ルカ22:53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」

  ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

 ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。

[113] ヨハネ10:35 もし、神のことばを受けた人人を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、

[114] ヘブ10:1 律法には、後に來るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて來る人人を、完全にすることができないのです。

[115] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

[116] 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

[117] ダニ9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。

[118] イザ7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

  イザ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

  ミカ5:2 ベツレヘムエフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

[119] マタイ22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、

 マタイ22:44 『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。

 マタイ22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」

[120] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 ガラ3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。

[121] ヨハネ20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

[122] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[123] ガラ5:3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。

 ガラ5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

[124] マタイ23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。

[125] ガラ3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリストイエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

[126] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

 2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、

 2コリ3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。

 2コリ3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。

[127] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[128] 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

[129] ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

 ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

[130] ヘブ9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人人に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

 ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

 ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

[131] テト3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

[132] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

 ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[133] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

 ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

[134] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

[135] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。

[136] テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。

[137] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

 マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

[138] マタイ7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

 マタイ7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

 マタイ7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

[139] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

[140] 110:5 あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。

 詩110:6 主は国国の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。

[141] 2コリ12:21 私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか。そして私は、前から罪を犯していて、その行なった汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。

[142] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

 ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」

 ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

[143] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

[144] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[145] エゼ1:25 彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。

 エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。

 エゼ1:27 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。

 エゼ1:28 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

[146] 47:8 神は国国を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。

[147] 89:14 義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことは、御前に先立ちます。

[148] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[149] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

[150] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

[151] ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

[152] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

[153] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

[154] ヘブ9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人人の救いのために來られるのです。

[155] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

 ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。

[156] 22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

 黙22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

[157] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

 ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、

 ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

[158] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

 ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

 ロマ1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

 ロマ1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

[159] 1ヨハ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

[160] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[161] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[162] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

[163] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[164] 1テモ6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

 1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。

[165] ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

[166] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

[167] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

 ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[168] マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。

 マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

[169] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[170] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

[171] ヘブ10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。

[172] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

[173] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

[174] 1ヨハ2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

[175] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

 ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

 ロマ3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

 ロマ3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

[176] ロマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、瓦瓦それというのも全人類が罪を犯したからです。

[177] 27:13 また次の者たちはのろいのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。

  27:26 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、ア-メンと言いなさい。

[178] ヤコ4:4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

[179] エフェ5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、

[180] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

[181] エレ17:13 イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」

  3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。

[182] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。