115 創造の完成、十字架
神様は愛で互いを包み込む被造界をあらかじめ定められて創造を始められました[1]。神様が被造物に自由意志をくださることをあらかじめ定められました。神様が被造物に自由意志をくださなければ、被造物は神様に完全に服従するでしょう。被造物が神様に服従するしかないと、被造物は神様を愛することができないでしょう。被造物が選択できない場合、被造物は神様を愛することができないでしょう。
そうすれば、神様が被造物に自由意志をくださるならば、被造物が神様を愛するようになるのでしょうか。そうではありません[2]。自由意志があるからといって、被造物が神様を愛することにはなりません。自由意志は犯罪する可能性です[3]。この可能性が0%にならない限り、いつかは必ず犯罪します。自由意志をいただいたという意味は、犯罪することが可能な状態になったという意味です。そのままにすれば、時間の流れの中でいつかは必ず犯罪します。そのままにすれば、時間の流れの中でいつかは必ず死にます。
神様は時間を超越されます。現在にいらっしゃる神様は未来にもいらっしゃいます。いつかは必ず死ぬ被造物は神様がご覧になる時、すでに死んだのです[4]。したがって神様は、その被造物が犯罪する前に、その被造物から犯罪の可能性を消滅させられます。
惑わしがなければ、自由意志もありません。選択できないなら、自由意志もありません。犯罪することが不可能であれば、自由意志もありません。犯罪することも、犯罪しないこともある場合にのみ、自由意志があるのです。選べる時だけ、自由意志があるのです。
神様は耐えられる試みだけを許されます[5]。しかし、被造物が常に試みに打ち勝つわけではありません。今は勝っても後で負けるかもしれません。今は生き残ったとしても、後で死ぬかもしれません。犯罪の可能性が0%にならない限り、いつかは必ず死にます。犯罪の可能性が0%にならない限り、その被造物はまだ完成されていないのです[6]。その被造物が死ぬ前に、神様はその被造物から犯罪の可能性を消滅させられます[7]。
創造はまだ進行中です。被造物の不安定な状態は過程に過ぎません[8]。神様はまず被造物に自由意志をくださり、次にその自由意志を完成されます[9]。時間も被造物に過ぎません。神様はその被造物が完成される前にいらっしゃって、同時にその被造物が完成された後にいらっしゃいます。神様がご覧になるとき、完成されるべき被造物はすでに完成されています[10]。
神様は被造物に自由意志を付与される前に、被造物の自由意志を完成されることにまずあらかじめ定められました。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることをまずあらかじめ定められました[11]。その後、神様は被造物に自由意志をくださいました。
自由意志のある被造物は無条件に愛しません。自由意志のある被造物は愛しなければならない理由を知ってこそ愛します。被造物には愛がありません。被造物はまず神様を愛することができません[12]。被造物は必ず神様の愛をまず知った後、初めて神様を愛します[13]。被造物は必ず神様の愛をまず知った後、初めて隣人を愛します。
ですから、神様は被造物に先に神様の愛を示されています[14]。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることをまず定められ、それから創造を始められました[15]。十字架の愛の前で、被造物は2つのタイプに分けられています[16]。十字架の愛を受け入れる被造物は神様を愛するようになります[17]。十字架の愛を拒む被造物は[18]依然として神様に反対しています[19]。いただいた自由意志が固まるのです[20]。
神様の愛を受け入れる被造物はますます神様を愛するようになります。神様が施される恵みを受け入れる被造物はますます神様を愛するようになります[21]。結局、神様を逆らうことは不可能になります。神様がアダムに求められる愛の限界は肉体の死です[22]。アダムは命を捨てる程度まで神様を愛すれば十分です[23]。神様を愛する被造物は神様に服従します。彼は隣人を踏みつけません[24]。したがって、彼は火の池に[25]投げ込まれません[26]。
愛していれば害を及ぼすことはできません[27]。両親を愛するなら[28]、両親を殺すことはできません[29]。両親を殺す能力がないからではありません[30]。両親を愛するので殺すことができないのです。両親を愛しているので、彼はむしろ自分が死ぬつもりです[31]。彼は永遠に両親を殺すことはできません。両親に対して、彼の自由意志が完成されたのです。
愛するなら犯罪できません。神様と隣人を愛する被造物だけが残ると、罪は消滅されます。罪が消滅されると、創造が完成されます[32]。愛が被造物を完成するのです[33]。神様は十字架を通して被造物に神様の愛を示されています。神様の愛を知った被造物は神様を愛します。神様を愛する被造物は犯罪しません。自由意志が完成されたのです。十字架を通して、被造物の自由意志が完成されます。
[1] 詩33:5 主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。
[2] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―
[3] 創2:16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
創2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
[4] 1テモ5:6 自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。
[5] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[6] 創4:6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[7] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[8] ルカ22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
ルカ22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカ22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
ルカ22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
[9] テト2:14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
[10] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
ロマ8:30 神はあらかじめ定めた人人をさらに召し、召した人人をさらに義と認め、義と認めた人人にはさらに栄光をお与えになりました。
[11] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[12] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[13] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
[14] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[15] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[16] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[17] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ロマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬嶺な者のために死んでくださいました。
[18] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[19] ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[20] 黙22:11 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」
[21] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[22] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネ15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
[23] ヘブ11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
[24] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
[25] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[26] エゼ18:26 正しい人が自分の正しい行ないから遠ざかり、不正をし、そのために死ぬなら、彼は自分の行なった不正によって死ぬ。
エゼ18:27 しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行なうなら、彼は自分のいのちを生かす。
[27] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[28] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[29] ヘブ12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
[30] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
[31] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[32] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[33] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。