121 復活されることで戒めを完全に守られたことが証明されました
ロマ1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの复活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス。キリストです。
[見方1] 復活を通して、主イエス様がひとり子創造主であることが証明されました。
[見方2] 復活を通して、主イエス様が長子被造物であることが証明されました。
[見方1] 神様の御子=ひとり子である神様
罪に打ち勝つと死に打ち勝ちます。死に打ち勝つと復活します。死の体を着ても罪に打ち勝つことができる被造物はありません。死の体を着て復活した場合、彼は被造物ではありません。彼は神様です。したがって、ここで神様の御子は神様を指すみことばです。
[見方2] 神様の御子=被造物の中の長子
罪に打ち勝つと死に打ち勝ちます。死に打ち勝つと復活します。主イエス様は完全にアダムでした。主イエス様は被造物として罪に打ち勝ちました。主イエス様は死の体を着て罪に打ち勝つための模範を示されました。主イエス様が死の体を着ても復活されたかのように、死の体を着た私たちも復活することができます。罪に勝てば、私たちも復活することができます。復活すると、私たちも神様の子どもとして確定されます[1]。主イエス様は被造物として復活されたのです。ですから、ここで神様の御子は被造物の中で長子を指すみことばです。ここで神様の御子は、被造物としての主イエス様を指すみことばです。私はこの見方を支持します。
† 第2位神様は第1位神様と同等の方です[2]。神様は神様の形になられます[3]。神様は栄光の輝きになられます。神様が被造物となられます[4]。神様が被造物となられ、被造界に神様の栄光を照らされます。ひとり子は、被造物となられた神様を指すみことばです。被造物は神様になることはできません。神様の子どもになっても、被造物は神様のひとり子になることはできません。ひとり子がもともとひとり子であるか、被造物となられながらひとり子になったのかについてはさまざまな見方があり得ます。
† ひとり子創造主が長子被造物として、被造物を弟としています。被造物は長子のようになります。被造物は神様の形になります[5]。被造物の自由意志は完成されます。被造界で罪は消滅されます。創造は完成されます[6]。
† 主イエス様はひとり子創造主であり[7]、また長子被造物です[8]。ひとり子創造者は復活を通して神様の子として認められました。長子被造物が復活を通して神様の子として認められました。復活を通して主イエス様がひとり子創造主として証明されたのか、長子被造物として証明されたのかにかかわらず、主イエス様はひとり子創造主であり、同時に長子被造物であります。
† 主イエス様は復活を通して神様の子として認められました。私たちも復活を通して神様の子として認められます[9]。私たちも復活を通して養子と認められます[10]。主イエス様は聖霊神様を通して罪に打ち勝ちました。私たちも聖霊神様を通して罪に打ち勝ちます[11]。主イエス様は聖霊神様を通して復活されました。私たちも聖霊神様を通して復活します[12]。ですから、主イエス様が復活を通して被造物の中の長子として認められたという見方が正しいようです。
† 罪から來る報酬は死です[13]。犯罪すれば死にます。犯罪すれば復活できません。主イエス様はみことばです[14]。主イエス様は聖霊神様によって罪に打ち勝ちました[15]。主イエス様は聖霊神様を通して復活されました。罪に勝たなければ復活できません。したがって、復活の能力はすなわち罪に打ち勝つ能力です。聖霊神様を通してのみ罪に打ち勝つことができます。聖霊神様を通してのみ心でまで戒めを守ることができます。聖霊神様を通してのみ肉の欲望に打ち勝つことができます[16]。ですから、復活の能力はすなわち聖霊神様の能力です。みことばが聖霊神様と共に、罪に打ち勝ちました。みことばを受けた者が聖霊神様を祀ると、罪に打ち勝ちます[17]。
† サタンは、被造物が戒めを守ることは不可能だと主張します。サタンは、被造物が罪に打ち勝つことは不可能だと主張します[18]。サタンは、被造物が神様と隣人を愛することは不可能だと主張します。
† サタンの主張が正しければ、戒めは不合理なのです[19]。サタンの主張が正しければ、神様は嘘つきであります[20]。神様は戒めを被造物が十分に守ることができるとおっしゃるからです[21]。戒め自体が間違っているので戒めを破ることが罪ではないと主張するならば、それは神様を嘘つきにすることです[22]。サタンの主張が正しいなら、神様は殺人者です。神様は隣人を踏みにじる被造物を火の池に燃やして殺されるからです。サタンは神様の御名をみだりに唱えています[23]。サタンの主張が正しい場合、隣人を踏みにじる行ないは罪ではありません。サタンの主張が正しければ、サタンは無罪です。サタンの主張が正しければ、被造物は自ら善悪を決めてもよいのです[24]。
† 罪から來る報酬は死です。神様の公義に従って、犯罪すると死にます。戒めを破ると死にます。戒めを破れば死に勝てません。しかし戒めを守れば死に打ち勝ちます。主イエス様が戒めを守られたという決定的な証拠は復活です[25]。主イエス様が罪に勝ったという決定的な証拠は復活です。
† 主イエス様は死の体を着て戒めをすべて守られました[26]。私たちは主イエス様の血で罪の赦しを受け、戒めを守ります。みことばを受けた私たちに聖霊神様がお見えになると、私たちも戒めを守ることができます。死の体を着たが、私たちも戒めを守ることができます。御使いたちは死の体を着ていませんでした。御使いたちはどのくらい戒めを守りやすいでしょうか!
† 被造物となられた主イエス様は、被造物として戒めを守られ、復活されました。被造物が十分に神様と隣人を愛することができるという事実が証明されました。戒めの真実さが一次的に証明されました。定められた数の殉教証人が復活変化すれば[27]、戒めの真実さが最終的に証明されます[28]。戒めの真実さが証明されると、戒めは裁きの基準として立てられます。戒めが裁きの基準として立てられれば、隣人を踏みにじる行ないは罪で確定されます[29]。隣人を踏みにじる行ないが罪であると確定すると、隣人を踏みにじる者に対する裁きが執行されます[30]。
† 罪があれば死に勝てません。死に勝てないと復活できません。人間は呪われた肉体を着ました。呪われた肉体では肉の欲望が出てきます[31]。御使いには肉の欲望がありません。人間が戒めを守るのは、御使いが戒めを守るよりも大変です。人間が戒めを守ることができれば、御使いはさらに戒めを守ることができるでしょう[32]。堕落した御使いたちは呪われた肉体を着ることなく堕落しました。御使いが呪われた肉体を着るなら、御使いも戒めを守るのが難しいでしょう。
† 主イエス様の自由意志は完全です。主イエス様はみことばです[33]。しかし主イエス様は被造物として罪と戦われます。主イエス様は自由意志が完全な被造物として罪と戦われます。主イエス様も呪われた肉体をお召しになりました。自由意志が完全な被造物が呪われた肉体をお召しになりました。(被造物を表現するように表現することを赦してください。主イエス様よ。)主イエスは、呪われた肉体を着た被造物が犯罪しないために行わなければならないすべてをすべて行われました[34]。ですから、主イエス様は犯罪されませんでした[35]。
† そのような構造で時空間を存続させていらっしゃる方が主イエス様です[36]。祈らなければ犯罪するしかない構造で時空間を存続させていらっしゃる方が祈らないという意味は、わざわざ犯罪されるという意味です。主イエス様も罪と厳しく戦わなければなりませんでした[37]。主イエス様も聖霊神様を通して罪に打ち勝ちました[38]。主イエス様はそのような構造で時空間を存続させていらっしゃるからです[39]。主イエス様に従えば、私たちも罪に打ち勝つことができます[40]。主イエス様はそのような構造で時空間を存続させていらっしゃるからです。
† 義の御使いたちはヘレルの惑わしに一度勝ちました。したがって、義の御使いたちは苦しみを通過しません。義の御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。しかし、義の御使いたちの自由意志もまだ完成されていません。義の御使いたちにもまだ犯罪の可能性が残っています。義の御使いたちも呪われた肉体を着るなら、犯罪するでしょう。義の御使いたちも呪われた肉体を着るならば、贖いが必要になるでしょう。しかし、神様はアダムを通して被造界に十字架を立てられます[41]。神様はアダムを別々に創造されて、義の御使いたちの自由意志を完成されます[42]。
† 神様は神様の形になられました[43]。自由意志が完全な方が被造物となられました[44]。被造物となられても、神様の自由意志は依然として完全です。神様は犯罪することはできません。被造物となられた神様は祈るしかありません。被造物となられた神様は、聖霊神様に服従するしかありません[45]。被造物となられた神様は、被造物が戒めを守るためにしなければならないすべてのことを行なうしかありません。自由意志が完全だからです。主イエス様は、被造物が戒めを守るためにしなければならないすべてのことをされました。ですから、主イエス様は犯罪されませんでした。
† もし主イエス様がアダムとして来られなかったなら、主イエス様はアダムに罪に勝つ模範になってくれなかったでしょう。もし主イエス様が聖霊神様によらずに罪に打ち勝つことができる状態で被造界にお見えになったなら、主イエス様はアダムに罪に勝つ模範になってくれなかったでしょう。アダムは呪われた肉体を着ました。アダムの肉体では肉の欲望が出てきます。アダムは聖霊神様によらずに罪に打ち勝つことができません[46]。それでは主イエス様も聖霊神様によらなかったなら犯罪されただろうという意味ですか。
† 主イエス様は、死の体を着たアダムが聖霊神様によってこそ心でまで戒めを守ることができる仕組みで、被造界を存続させています[47]。主イエス様は、聖霊神様によってのみアダムが肉の欲望に打ち勝つことができる仕組みで被造界を存続させています[48]。主イエス様は、神様の愛を悟る時のみ神様を愛することができる被造物として、アダムを存続させています[49]。主イエス様は、真理の御言葉を受け[50]聖霊神様を祀らなければ[51]神様を愛することができない被造物として[52]、アダムを存続させています[53]。
† 神様はこのような構造と状態で被造界とアダムを存続させています[54]。ですから、最後のアダムが聖霊神様によらなかったという意味は、最後のアダムが犯罪されることをわざわざ決められたという意味です。聖霊神様に頼らずに犯罪するしかないように被造界を存続させていながら、聖霊神様に頼らないという意味は、わざと犯罪されるという意味です。そんなことはありえません[55]。もし神様がわざわざ犯罪される方であれば、創造自体が始まることができません。
† アダムの自由意志が完全であるという意味は、アダムが聖霊神様に完全に服従するという意味です。聖霊神様がなくても肉の欲望に打ち勝つことができるという意味ではありません。主イエス様はアダムとしてお見えになりました。主イエス様がアダムである限り、主イエス様も聖霊神様によってのみ戒めを守ることができます。主イエス様がアダムである限り、聖霊神様に頼らなければ主イエス様も犯罪するしかありません。主イエス様がそのような構造で被造界を存続させていらっしゃるからです[56]。
† 自由意志が完全なので、主イエス様は聖霊神様に頼られます。アダムが聖霊神様に頼ることを、誰も邪魔することはできません[57]。主イエス様が被造界のすべてを完全に統制されていらっしゃるからです[58]。
† 御使いたちの自由意志もまだ完成されていません。御使いたちにも犯罪の可能性が残っています。そのまま置けば御使いたちもいつかは必ず犯罪します。したがって、御使いたちが犯罪する前に、主イエス様は御使いたちの自由意志を完成されます。主イエス様はアダムを通して御使いたちの自由意志を完成されます[59]。主イエス様が十字架と第1の復活を通して御使いたちの自由意志を完成されます。十字架を通して被造物たちから犯罪の可能性が消滅されます。十字架を通して被造物に神様の命が伝わります。十字架を通して被造物が永遠に生きるようになります。十字架を通して創造が完成されます[60]。
† しかし、すべての被造物がすべて十字架の愛を受け入れるわけではありません。十字架の愛を拒む被造物があります。神様の愛を拒む被造物があります。彼らは神様と隣人を愛することはできません。彼らは戒めを守ることができません。彼らは火の池に投げ込まれます。
御使いやアダムは自らの力で罪に打ち勝つことはできません。御使いやアダムは神様がくださる恵みでのみ罪に打ち勝ちます[61]。アダムがみことばを捨てると[62]、アダムは土になります。サタンは土を食べます[63]。さらに、アダムは死の体を着ています[64]。アダムにはサタンの惑わしに打ち勝つほどの知恵や能力もありません[65]。アダム自らはさらに罪に打ち勝つことができません。アダムは神様に服従するときにのみ罪に打ち勝つことができます。神様ご自身がアダムになってアダムに神様に服従する模範を見せてくださいます[66]。
[1] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[2] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
[3] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[4] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[5] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[6] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[7] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[8] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[9] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
[10] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[11] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[12] ロマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト․イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
[13] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[14] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[15] ヨハネ1:33 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
ヨハネ1:34 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
ルカ4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
[16] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[17] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
[18] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[19] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[20] ルカ19:20 もうひとりが來て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
ルカ19:21 あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
ルカ19:22 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
[21] 1ヨハ3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
[22] 1ヨハ1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
[23] 申5:11 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
[24] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
[25] 使徒2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
[26] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[27] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[28] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[29] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―
[30] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
黙11:17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[31] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[32] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[33] 2コリ5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
[34] ルカ6:12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
[35] フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
[36] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[37] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
[38] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[39] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[40] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[41] コロ1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。
コロ1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[42] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
[43] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[44] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[45] マタイ1:18 イエス․キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
[46] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[47] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[48] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[49] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[50] エフェ1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
エフェ1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
ヤコ1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
[51] 1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
1コリ2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
[52] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[53] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ロマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬嶺な者のために死んでくださいました。
ロマ5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[54] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
エレ31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ。―
エレ31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[55] 2テモ2:13 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」
[56] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
[57] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[58] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[59] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[60] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[61] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[62] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
[63] 創3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
[64] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[65] マタイ10:16 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
[66] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。