138 魂である人と霊である悪霊
Ω 魂である人と霊である悪霊 |
①人は「魂」であり[1]、御使いは「霊」であり[2]、悪霊は「汚れた霊」であります[3]。魂が肉体を離れた後に霊になるのではないと、人が[4]悪霊になることはできません[5]。もし魂が肉体を離れた後に霊になるのなら、汚れた霊になった人が火の池に投げ込まれるときには、再び魂になっていなければなりません。火に投げ込まれるのは魂と体だからです。 ②人の肉体に霊を[6]受けることができます[7]。しかし、人が死ぬことを通常「魂が離れ去る」と表現します。(聖徒は自分の霊を受け入れるよう求めるときがあります[8]。拒絶者については知りません。)人の実体は魂です。火の池に燃やされるのは魂と体です。殉教証人たちもその魂が復讐を叫びます。善を行ったり犯罪することを決めるアダムの主体が魂という意味です。魂が体をもって犯罪するため、復活したアダムの魂が犯罪に対する責任を負い、火の池に投げ込まれるのです[9]。しかし悪霊は霊です。私は聖書から肉体を離れた魂が霊になって歩き回るというみことばを見つけることができません。 ③聖徒には固有の霊があります。拒絶者にも霊があるかどうかは分かりません。拒絶者に拒絶者固有の霊があるが、その霊がただ死んでいるだけなら[10]、自由意志がどこにあるのかについての見方が分かれます。私は自由意志が魂にあり、魂が決定し、魂がそれに対して責任を負うと思います。私は霊が最終決定を下すわけではないと推測します[11]。もちろん、霊が魂の決定に影響を与えることはできます[12]。しかし、もし犯罪するかどうかを最終的に決定する主体が魂だけでなく「魂と霊」なら、魂だけでなく魂と霊の両方が火の池に投げ込まれることになります。言い換えれば、自由意志が「魂と霊」にあるならば、魂と霊が体と共に火の池に投げ込まれるでしょう。魂と霊が共に犯罪することを決めるのだからです。しかし、聖書に拒絶者[13]や背教者の[14]霊が火の池に投げ込まれるという直接的な節を私は見つけられません[15]。もし拒絶者や背教者の「霊と魂」が犯罪することを決定するものであっても、その霊が肉体を離れた後に魂と分離されて悪霊として活動しそうではありません。ただし悪霊にも魂があると見る見方があり得ます。悪霊が霊ではなく「霊と魂」であれば、これについても様々な見方があり得ます。④自由意志すなわち最終決定権が魂にあるならば、魂が犯罪したものなので、魂を贖わなければなりません。最終決定権が霊にあるならば、霊が犯罪したものなので、霊を贖わなければならないでしょう。最終決定権が「霊と魂」にあるなら、霊と魂が犯罪したものなので、霊と魂を贖わなければならないでしょう。血で魂のために贖います[16]。魂が血にあるからです[17]。血が叫びます[18]。魂が血にあるからです[19]。主イエス様には血のあるアダムになりました[20]。血で贖われるためです[21]。こうしてみると、最終決定権すなわち自由意志が魂にあるようです。 しかし霊である御使いも自由意志を持っています[22]。アダムの自由意志が「霊と魂」にあるという見方もあり得ます[23]。「最終決定権が霊と魂にあり、血には魂だけでなく霊もある」という見方があり得ます[24]。主イエス様の血は聖霊神様を象徴することもあります[25]。とにかく、最終決定権を持つ自由意志の主体が火の池に投げ込まれることになります。聖書には「魂と体」と書かれています[26]。 ⑤私は義人でも悪人でも、魂が肉体を離れた後は眠り[27]、裁きを待つと信じます[28]。眠れたので裁きを受けるために目覚めて復活するという意味です。眠れなかったら復活もないでしょう。しかし、裁きの復活が明らかにあることを見ると、悪人の魂も肉体を離れた後は眠りにつくと信じています。ただ、肉体を離れた魂が眠るのが[29]、私たちが眠るのとは異なるかもしれないと思います[30]。 ⑥しかもアダムの魂が肉体を離れた後も悪を行うことができれば、その悪行も裁きに含まれることになります。そうすれば初期に作られた人の魂は悔い改めが不可能な状態で悪行だけを行うことになるでしょう。それなら人類歴史が持続するだけに刑罰の重さも重くなるだけでしょう。果たしてそのようなことを正しい神様が許さなければならない理由があるでしょうか。 ⑦戒めの真実さに対する証明を[31]別のことばで表現すれば、「肉の欲望が出てくる[32]呪われた肉体を着ても[33]神様と隣人を愛することができるか[34]」であります。呪われた肉体を着ていない状態で、その魂が善を行うことにしたり悪を行なうことにしたりしても、その決定が戒めの真実さを証明できないという意味です。 神様がアダムを創造された目的の一つは、戒めの真実さ、すなわち戒めの遵守が可能であることを証明することです[35]。ところが肉体を着てもいない魂が果たして歩き回らなければならない理由があるでしょうか。聖書には汚れた霊が歩き回るというみことばはあっても[36]、肉体を離れた魂が歩き回るというみことばはありません。 私は体がなければ魂が活動できないと信じています[37]。アダムの魂は体を通して善行や悪行を行うと私は信じています[38]。魂が体をもって行った行ないに基づいて、魂と体が裁きを受けると私は信じています[39]。したがって、私は人の魂が肉体を離れた後に汚れた霊すなわち悪霊になるという主張には同意しません。 |
[1] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
[2] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[3] マタイ12:43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
[4] 使徒5:5 アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた(エクプシコ)。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
[5] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
[6] ロマ8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
[7] マルコ5:8 それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。
[8] 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
[9] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[10] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
[11] 1ペト2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
[12] レビ26:15 また、わたしのおきてを拒み、あなたがた自身(ネペシ魂)がわたしの定めを忌みきらって、わたしの命令をすべて行なわず、わたしの契約を破るなら、
民14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心(ルアー霊)を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って來た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。
[13] 創41:7 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。
創41:8 朝になって、パロは心(ルアー霊)が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。
ダニ2:1 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心(ルアー霊)が騒ぎ、眠れなかった。
ダニ2:2 そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが來て王の前に立つと、
ダニ2:3 王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心(ルアー霊)は騒いでいる。」
[14] 1コリ5:3 私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。
1コリ5:4 あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、
1コリ5:5 このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。
[15] コヘ3:19 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息(ルアー霊)を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
コヘ3:20 みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
コヘ3:21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
[16] レビ17:14 すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血が、そのいのち(ネペシ魂)そのものである。それゆえ、わたしはイスラエル人に言っている。『あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られなければならない。』
[17] レビ17:11 なぜなら、肉のいのち(ネペシ魂)は血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのち(ネペシ魂)を祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのち(ネペシ魂)として贖いをするのは血である。
[18] 創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
[19] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
[20] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
[21] ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
[22] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[23] 民35:33 あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。[血を流させるサタン噓群れは霊です。]
[24] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。[御使いは霊です。]
[25] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。
ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
ヘブ8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[26] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
[27] 1テサ4:14 私たちはイエスが死んで复活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人人をイエスといっしょに連れて來られるはずです。
[28] ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
[29] ルカ16:24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
ルカ16:25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
[30] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
[31] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[32] ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[33] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[34] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[35] ヨブ2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」
ヨブ2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
ヨブ2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」
[36] ルカ11:24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て來た自分の家に帰ろう。』と言います。
[37] 黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[38] ロマ2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
ロマ2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と轝れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
ロマ2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
ロマ2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者(魂)の上に下り、
[39] 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。