2 存在のお召し

138 魂である人と霊である悪霊

aparke 2025. 5. 25. 00:52
  魂である人霊である悪霊
は「」であり[1]御使いは「」であり[2]悪霊は「汚れた」であります[3]肉体れたになるのではないと、[4]悪霊になることはできません[5]もし肉体れたになるのなら、れたになった火の池投げまれるときには、になっていなければなりません。まれるのはだからです。
肉体[6]けることができます[7]しかし、ぬことを通常離れ去る」と表現します。聖徒自分の霊を受け入れるよう求めるときがあります[8]拒絶者についてはりません。)実体です。火の池やされるのはです。教証人たちもそのが復讐を叫びます。善ったり犯罪することをめるアダムの主体という意味です。魂が体をもって犯罪するため、復活したアダムの犯罪する責任い、火の池まれるのです[9]しかし悪霊です。聖書から肉体れたになってるというみことばつけることができません。

聖徒には固有があります。拒絶者にもがあるかどうかは分かりません。拒絶者拒絶者固有があるが、そのがただんでいるだけなら[10]自由意志がどこにあるのかについての見方かれます。自由意志にあり、決定し、それして責任うと思います。私最終決定下すわけではないと推測します[11]もちろん、決定影響えることはできます[12]

  しかし、もし犯罪するかどうかを最終的決定する主体だけでなく「」なら、だけでなく両方火の池まれることになります。えれば、自由意志が「」にあるならば、まれるでしょう。犯罪することをめるのだからです。

  しかし、聖書拒絶者[13]教者[14]火の池まれるという直接的つけられません[15]もし拒絶者の「」が犯罪することを決定するものであっても、その肉体れた分離されて悪霊として活動しそうではありません。ただし悪霊にもがあると見方があり得ます。悪霊ではなく「」であれば、これについても見方があり得ます。

自由意志すなわち最終決定にあるならば、犯罪したものなので、贖わなければなりません。最終決定にあるならば、犯罪したものなので、贖わなければならないでしょう。最終決定が「」にあるなら、犯罪したものなので、贖わなければならないでしょう。
  血で魂のためにいます[16]にあるからです[17]叫びます[18]。魂あるからです[19]主イエスにはのあるアダムになりました[20]血で贖われるためです[21]こうしてみると、最終決定すなわち自由意志にあるようです。
  しかし霊である御使い自由意志っています[22]アダムの自由意志が「」にあるという見方もあります[23]最終決定にあり、にはだけでなくもある」という見方があり得ます[24]主イエス霊神様することもあります[25]とにかく、最終決定自由意志主体火の池まれることになります。聖書には「」と書かれています[26]
義人でも悪人でも、肉体れた[27]裁きを待つと信じます[28]。眠れたので裁きを受けるためにめて復活するという意味です。眠れなかったら復活もないでしょう。しかし、きの復活らかにあることをると、悪人肉体れたりにつくとじています。ただ、肉体れたるのが[29]たちがるのとは異なるかもしれないと思います[30]
⑥しかもアダムの肉体れたうことができれば、その悪行裁きに含まれることになります。そうすれば初期られためが不可能状態悪行だけをうことになるでしょう。それなら人類歴史するだけに刑罰さもくなるだけでしょう。たしてそのようなことを正しい神さなければならない理由があるでしょうか。
戒めの真実する証明[31]ことば表現すれば、「肉の欲望出てくる[32]われた肉体ても[33]隣人することができるか[34]」であります。われた肉体ていない状態で、そのうことにしたりなうことにしたりしても、その決定戒めの真実証明できないという意味です。
  がアダムを創造された目的つは、戒めの真実さ、すなわちめの遵守可能であることを証明することです[35]ところが肉体を着てもいない魂たして歩き回らなければならない理由があるでしょうか。聖書には汚れたるというみことばはあっても[36]肉体れたるというみことばはありません。
  がなければ活動できないとじています[37]アダムのして善行悪行うと私は信じています[38]魂が体をもって行った行ないづいて、裁きを受けると信じています[39]したがって、肉体れたれたすなわち悪霊になるという主張には同意しません。


[1] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

[2] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。

[3] マタイ12:43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。

[4] 使徒5:5 アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた(エクプシコ)。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。

[5] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

[6] ロマ8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

[7] マルコ5:8 それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。

[8] 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

[9] 20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

[10] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

[11] 1ペト2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

[12] レビ26:15 また、わたしのおきてを拒み、あなたがた自身(ネペシ魂)がわたしの定めを忌みきらって、わたしの命令をすべて行なわず、わたしの契約を破るなら、

  14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心(ルアー霊)を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って來た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。

[13] 41:7 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。

 創41:8 朝になって、パロは心(ルアー霊)が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。

  ダニ2:1 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心(ルアー霊)が騒ぎ、眠れなかった。

 ダニ2:2 そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが來て王の前に立つと、

 ダニ2:3 王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心(ルアー霊)は騒いでいる。」

[14] 1コリ5:3 私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。

 1コリ5:4 あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、

 1コリ5:5 このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。

[15] コヘ3:19 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息(ルアー霊)を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。

 コヘ3:20 みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。

 コヘ3:21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。

[16] レビ17:14 すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血が、そのいのち(ネペシ魂)そのものである。それゆえ、わたしはイスラエル人に言っている。『あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られなければならない。』

[17] レビ17:11 なぜなら、肉のいのち(ネペシ魂)は血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのち(ネペシ魂)を祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのち(ネペシ魂)として贖いをするのは血である。

[18] 4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。

[19] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

[20] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

[21] ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。

[22] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。

[23] 35:33 あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。[血を流させるサタン噓群れは霊です。]

[24] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。[御使いは霊です。]

[25] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。

 ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

  ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

  ヘブ8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

[26] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

[27] 1テサ4:14 私たちはイエスが死んで复活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人人をイエスといっしょに連れて來られるはずです。

[28] ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

[29] ルカ16:24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

 ルカ16:25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

[30] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

[31] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

 1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[32] ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[33] 3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

 創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。

[34] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[35] ヨブ2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」

 ヨブ2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。

 ヨブ2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」

[36] ルカ11:24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て來た自分の家に帰ろう。』と言います。

[37] 6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[38] ロマ2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。

 ロマ2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と轝れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

 ロマ2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

 ロマ2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者()の上に下り、

[39] 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。