2 存在のお召し

142 新しいエルサレム都が降りてきます

aparke 2025. 5. 25. 00:55

21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って來るのを見た。

21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

21:9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが來た。彼は私に話して、こう言った。「ここに來なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」

21:10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って來るのを見せた。

21:11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。

21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。

21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

22:4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。

22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

新しい天と新しい地1000年王としてます。新しい天と新しい地報い世界であります。報い期間わると、新しい天と新しい地えます。大きな白い御座の裁きには新しい天と新しい地がありません[1]御使いたちと御使いのようになった義人たちは永遠きます。おそらく御使いの天んでいるようです。わかりません。

新しい天と新しい地にはがありません。このはガラスのではないといます[2]。この世界だといます[3]新しい天と新しい地には淫婦世界はありません。新しい天と新しい地えてもはあります。このはガラスのであるといます。大きな白い御座の裁き死者してくれます[4]大きな白い御座の裁きもハデスも死者してくれます。ガラスの義人してくれるようです。とハデスは悪人してくれるようです。義人復活によって甦り、悪人きの復活によって甦ります。

新しい天と新しい地では、以前の天と以前の地えません。以前燃えてえたという意味かもしれません[5]。あるいは、新しい地以前えないという意味かもしれません。以前燃えているという見方もあります[6]

 

新しいエルサレム都[7]=花嫁=証人たち=王である祭司[8]

 

新しいエルサレム都花嫁です。花嫁教証人たちです。新しいエルサレム都にはおそらく教証人たちだけがることができるようです[9]霊的な体だけがることができる場所であることができます[10]教証人たちは主イエス御名によって[11]印を押された[12]たちです[13]結婚します。子孫産みますはおそらく魂的な体ていたでしょう。はおそらく新しいエルサレム都ることができないでしょう。サタンがこの使って民惑わす可能性があります[14]

新しい天と新しい地にはサタンがいません。サタンがないから惑わしがありません。惑わしがないのでがありません[15]がないので、いと苦しみがありません[16]。ただし1000年後にはこるでしょう。それでも御使いたちと教証人たち自由意志はすでに完成されています。

新しいエルサレム都命の木があります。主イエス被造物です[17]主イエスはすなわちです[18]長子して、被造物たち長子になります[19]の形して[20]被造物の形になります[21]になられて[22]被造物にされます[23]命の木になられて[24]被造物命の木としてられます[25]主イエスたちに、主イエスの知識の木です[26]福音拒むたちに[27]聖徒たちはの知識の木です[28]

御座すなわち主イエス御座新しいエルサレム都にあります[29]主イエス新しいエルサレム都1000年王支配されます。王である祭司たちも主イエス命令け、新しいエルサレム都1000年王支配します。少なくとも1000年間新しいエルサレム都被造界首都になります[30]



[1] 20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

[2] 15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。

[3] 17:1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが來て、私に話して、こう言った。「ここに來なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。

[4] 20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

[5] 2ペト3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

 2ペト3:13 しかし、わたしたちは、神の約束にしたがって、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

[6] 19:20 すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ翔まれた。

[7] ヘブ11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

[8] 20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

[9] 21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。

[10] 22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。

  19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」

  1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[11] マタイ28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

[12] エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人人の額にしるしをつけよ。」

[13] 2コリ1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

[14] 20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。

 黙20:9 彼らは、地上の広い平地に上って來て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って來て、彼らを焼き尽くした。

[15] イザ65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。

 イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。

[16] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―

[17] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[18] ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。

[19] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

[20] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

[21] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

[22] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[23] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

 1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

 1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

  2ペト1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。

  ガラ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

 ガラ5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

[24] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

[25] 2コリ2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

 2コリ2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。

  マルコ16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

 マルコ16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

 マルコ16:17 信じる人人には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

 マルコ16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

[26] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

[27] マタイ10:12 その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

 マタイ10:13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に來るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って來ます。

 マタイ10:14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

 マタイ10:15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

[28] ヨハネ15:20 しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人人がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

[29] 3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

  22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

[30] ヘブ2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。