創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
ア. 御子は父の御名によってお見えになります
出3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
出3:3 モ-セは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
出3:4 主は彼が横切って見に來るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モ-セ、モ-セ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。
代下2:6 天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。
ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネ5:43 わたしはわたしの父の名によって來ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において來れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
ヨハネ10:25 イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。
ヨハネ14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」
ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
ヨハネ17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
ヨハネ17:12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
1テモ3:16 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
黙14:1 また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。
† 天と天の天は、1番目と2番目と3番目の天を意味するようです[1]。被造界は3つの天で構成されているようです。被造界は時空間の中にのみ存在します。神様は時空間をまるでないように思われます[2]。神様には被造界が小さすぎてまるでないようです[3]。
† それゆえ、神様は被造界に御座を置き[4]、御座に神様の御名を置かれます[5]。神様の御名を通して、被造物は神様をお会いします。神様の御名によって、被造物は神様の命令を受けます[6]。
† エホバの御使いがモーセに現れました[7]。神様はモーセに現れました。被造物は神様を見ることができません。ところがモーセは神様を見ます。モーセはエホバの御使いを見ます。モーセは神様の御名によって送られた御使いを見ます。旧約時代に神様をお会いしたという者たちはみんな御使いを見たのです[8]。
† 神様が御使いとして現れたという見方もあり得ます。神様が幻想として現れたという見方もあり得ます。私は神様が神様の御名によって御使いを送られたと思います。とにかく、御使いは神様になることはできません[9]。
† 消えない火が柴に現れます。神様が柴に現れます。神様は茨とアザミが出てくる地に現れます[10]。神様は肉の欲望が出てくる肉体を被られます[11]。
† 自由意志が完成されなかった被造物は、時間の流れの中でいつかは必ず犯罪します。罪のある被造物が神様をお会いすると死にます[12]。犯罪の可能性がある被造物が神様をお会いすると死にます[13]。自由意志が完成されていない被造物が神様をお会いすると死にます。いつかは必ず犯罪する被造物が神様をお会いすると死にます。いつかは必ず犯罪する御使いや人間が神様をお会いすると死にます。
† 自由意志が完成されても、被造物が神様をお会いすることができるか疑問です。御使いや人間は時間の中にのみ存在します[14]。しかし神様はその時間を存続させていらっしゃる方です[15]。神様はいつもいらっしゃいます[16]。御使いや人間はこれがどういう意味なのかをまったく理解することさえできません[17]。御使いや人間は、神様が許されたただその分だけ神様を知ることができます[18]。御使いなんか人間なんかが神様を実際にお会いすることはできません[19]。ですから、神様ご自身が被造物となられるのです[20]。おそらく御使いたちもこの時初めて神様を実際にお会いしたでしょう。
† 被造界で神様の御名はすなわち神様です。被造界は神様のものです[21]。被造界は神様の御名のものです。神様の御名を持つ者が被造界を所有し、支配し、裁きます。神様の御名を持つ者が御使いたちに命令を出します[22]。
† 被造界に神様の御名を置いた神様が己をむなしうして被造物となられます[23]。神様は被造物として神様の御名を相続されます[24]。神様は被造界に対する所有権を放棄し、被造物としてその所有権を再び得られます。神様は十字架を通してその所有権を再び得られます。
† まだ被造界がメシヤの中で一つになっていません[25]。まだ被造界がキリストの中で統一されていません。まだ被造界がキリストの中で一つに集まっていません。まだ被造界が父と和解されていません。まだ被造物に犯罪の可能性が残っています[26]。まだ被造物の自由意志が完成されていません。
† 十字架の血で被造物たちが一つになります。十字架の血で被造物たちから犯罪の可能性が消滅されます。十字架の血で被造物たちが父と和解されます。十字架の血で創造が完成されます。
† 神様を誤解する被造物は神様を心から愛することはできません。神様を誤解する被造物の自由意志は完成できません。神様を誤解する被造物からは犯罪の可能性が消滅されません。したがって、神様は神様の愛と公義を被造物たちに証明されます。
† 十字架の血を通して、神様の愛と公義が一次的に証明されます[27]。第1の復活を通して戒めの真実さが証明されます[28]。神様が被造物に戒めを守れと命じられる理由は、被造物を殺すためではありません[29]。愛の戒めは、被造物たちがよく守ることができるのです[30]。神様は被造物たちを愛されるので、戒めを守れと命じられるのです[31]。したがって、戒めを守った殉教証人が死に打ち勝つと、戒めの真実さが証明されます[32]。殉教証人たちの復活変化を通して、神様の愛と公義が最終的に証明されます[33]。
† 御子はアダムの罪を着ます[34]。御子はアダムに代わって呪われます[35]。御子は父から断たれます。父が御子を切ってしまいます。被造物は神様の愛を見ます[36]。今、被造物は神様を愛しています[37]。今、被造物は神様の戒めを守ります[38]。今、被造物は犯罪しません[39]。今、被造界の苦しみは終わります。今、安息が成されます。今、被造界で死は消滅されます[40]。キリストの中で被造界は統一されます。キリストの中で被造界は一つに集まります。十字架の血で、被造界は父と和解します。
† これらの推測が間違ったとしても、神様を礼拝することには何の問題もありません。御使いたちが神様を実際に見ていたとしても、神様に服従するには何の問題もありません。重要なのは殉教証人になることです。重要なのは殉教証人が出てくるのを助けることです。
† すべての知識を知る必要はありません[41]。私たちが必ず知っておくべきことを[42]、私たちはすでに知っています[43]。死に至るまで神様と隣人を愛すれば十分なのです。被造物は神様が知らせた分だけ知っているだけです[44]。
† 144000人の額に小羊の御名と父の御名が記しています。旧約時代の時に、「エホバ」という御名は第1位神様を指したり[45]、第2位神様を指したりもしました[46]。御子は父の御名によって来られ[47]、聖霊神様は御子の御名によってお見えになります[48]。御子は父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授けるように命じられます[49]。ところがただ「イエス」という御名によってのみバプテスマを授けます[50]。ですから、新約時代の時に、「イエス」という御名は父を指すこともあり、御子を指すこともあり、聖霊神様を指すこともあるようです。もちろん、私たちは通常御子を指すときに「イエス」という御名を呼びます。
† 父と御子と聖霊神様が同じ方であるという意味ではありません。「御名」を一緒に使うという意味です。父は御子ではありません[51]。御子は聖霊神様ではありません[52]。聖霊神様は父ではありません[53]。
† 神様が実際にどのような方なのかを被造物なんかがあえて知ることはできません[54]。被造物が何を想像しても、神様が許された想像力の範囲内であっぷあっぷすることに過ぎません。被造物は神様が知らせただけにだけ分かります[55]。父は父であり、御子は御子であり、聖霊神様は聖霊神様です。せいぜいしみに過ぎない被造物がこれ以上何を知ることができますか[56]。
† 「イエス」という御名には、被造界に対する所有権と支配権と審判権があります[57]。「イエス」という御名は被造界を支配する最高支配権者の御名です。第2位神様が己をむなしうして被造物となられます。被造物として御子は「イエス」という御名を相続されます。もともとは父の御名でしたが、今は御子の御名になったのです。被造界は今、御子のものです。したがって、父と聖霊神様が「イエス」という御名を一緒に使用しないという見方があり得ます。
† 「イエス」という御名を相続された後、父と御子は「イエス」の御名によって聖霊神様を送られます[58]。聖霊神様は「イエス」の御名によってお見えになります。しかし、依然として被造界の最高支配権者は御子であります。ですから、聖霊神様が御子から「イエス」という御名を相続されたという意味ではありません。さらに、聖霊神様は己を無にしなかったので、被造界を相続しません。第1位神様は、被造物となられた第2位神様に被造界を相続してくださいました[59]。おそらく、第3位神様は第1位神様の御心に同意されたでしょう。ですから、聖霊神様が「イエス」の御名によってお見えになったとしても、「イエス」という御名は依然として御子の御名です。被造界は依然として御子のものであります。したがって、父と聖霊神様が「イエス」という御名を一緒に使用しないという見方があり得ます。
† ただ聖霊神様が「イエス」の御名によってお見えになったので[60]、聖霊神様を祀った聖徒には「イエス」の御名があります[61]。「イエス」という御名が聖霊神様の御名ではないかもしれません。しかし、聖霊神様を祀った聖徒には「イエス」の御名があります。聖霊神様を祀った聖徒には御子の御名があります[62]。聖霊神様が「イエス」の御名によってお見えになったからです[63]。御子が聖霊神様を通して聖徒と共にいらっしゃるのです[64]。聖徒に「イエス」の御名があるので[65]、聖徒に「イエス」の権威が現れます[66]。聖霊神様を通して聖徒から「イエス」の権威が現れます[67]。
† 144000人の額に小羊の御名と父の御名が書かれています。小羊の御名は「イエス」です。「イエス」という御名はもともと父の御名でした。したがって、144000人の額に書かれた御名が「イエス」である可能性があります。
† ①「イエス」という一御名だけが書かれただろうという見方があり得ます。②「エホバ」と「イエス」という二つの御名が書かれただろうという見方があり得ます。③「(父の御名)」と「イエス」という二つの御名が書かれただろうという見方があり得ます。私は①「イエス」という一御名だけ書かれていると思います。
御子はすべての名にまさる名を相続され、御座に着座されます。御子が父の御名によってお見えになったという意味を、御子が父の権威としてお見えになったと見る見方があり得ます。父の御名を実際の呼称で見ない見方です。父の御名を「イエス」と見ない見方です。それなら、すべての名にまさる名がもともと「イエス」ではなかった可能性があります。「イエス」という御名を持った御子が御座に座っているので、「イエス」がすべての名にまさる名になった可能性があります。しかし、私はすべての名にまさる名が元々「イエス」だったと見ています[68]。
[1] 2コリ12:2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に―肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。―第三の天にまで引き上げられました。
[2] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
[3] ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
[4] イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
[5] エズ6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」
[6] 詩103:20 主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。
詩103:21 主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
[7] 使徒7:30 四十年たったとき、御使いが、モ-セに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。
使徒7:31 その光景を見たモ-セは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
[8] 士13:21 ...主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。...そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。
士13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」
[9] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[10] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[11] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[12] 出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
[13] 創32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。
[14] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[15] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[16] 黙4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に來られる方。」
黙4:9 また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
[17] ヨブ11:7 あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。
ヨブ11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。
[18] マタイ11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
マタイ11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
[19] ヨハネ6:46 だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
[20] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[21] 詩50:9 わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。
詩50:10 森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。
詩50:11 わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。
詩50:12 わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。
[22] フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
フィリ2:11 すべての口が、「イエス․キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
[23] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
[24] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[25] 1コリ4:9 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。
[26] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。
ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。
[27] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[28] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[29] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[30] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[31] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[32] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[33] コロ1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。
[34] 2コリ5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
[35] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
[36] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[37] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
[38] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[39] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
1ヨハ4:20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
1ヨハ4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
[40] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[41] 1コリ13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
[42] 2ペト3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
[43] 1ヨハ2:27 あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、―その教えは真理であって偽りではありません。―また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。
[44] ヨハネ3:27 ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。
[45] 箴30:4 だれが天に上り、また降りて來ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。
[46] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
詩102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
詩102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
詩102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
[47] ヨハネ5:43 わたしはわたしの父の名によって來ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において來れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
[48] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[49] マタイ28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
[50] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[51] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[52] 1ヨハ5:6 このイエス․キリストは、水と血とによって來られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって來られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
1ヨハ5:7 あかしするものが三つあります。
1ヨハ5:8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
1John5:6 This is he that came by water and blood, [even] Jesus Christ; not by water only, but by water and blood. And it is the Spirit that beareth witness, because the Spirit is truth.
1John5:7 For there are three that bear record in heaven, the Father, the Word, and the Holy Ghost: and these three are one.
1John5:8 And there are three that bear witness in earth, the Spirit, and the water, and the blood: and these three agree in one.[KJV]
[53] ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
[54] イザ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。
[55] エフェ3:3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
エフェ3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
エフェ3:5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人人に知らされていませんでした。
[56] ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。
ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、
[57] エフェ1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に來る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
エフェ1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
[58] ヨハネ15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が來るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
[59] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[60] 王上8:29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く。』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
[61] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
[62] ヨハネ14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
[63] ヨハネ14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに來る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
[64] ヨハネ14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに來て、その人とともに住みます。
[65] ヨハネ16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
ヨハネ16:27 それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て來た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。
[66] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
[67] マルコ16:17 信じる人人には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
マルコ16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
[68] マタイ1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
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