マルコ14:33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。
マルコ14:34 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
ルカ1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
ルカ1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
ルカ1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
ヨハネ12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
ヘブ2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
† 第2位神様が被造物となられました。第2位神様が最後のアダムになりました。第2位神様が呪われた肉体をお召しになりました。第2位神様が死の体をお召しになりました。第2位神様が被造物たちに戒めを守る模範を見せてくださいます。第2位神様が行うように行うだけで、被造物は戒めを守ることができます。
† 神様は人間になりました。主イエス様は人間であり、人間と同じ肉体をお召しになりました。主イエス様は人間であり、人間が感じる惑わしを人間と同じように感じました。主イエス様はマリヤから肉の欲望をそのまま受け継がれました[1]。そして罪に打ち勝ちました。
† 肉の欲望は罪ではありません。犯罪の誘惑が罪ではありません。聖徒は主イエス様の血で罪の赦しを受け、罪に打ち勝ちます。聖徒の多くの罪は主イエス様の血で覆われています[2]。しかし、主イエス様は考えでも罪を犯してはいけません。主イエス様が一度でも罪を犯されれば、被造界は滅びます。主イエス様が一度でも罪を犯されれば、被造界で戒めは廃止されます。主イエス様が一度でも罪を犯されれば、サタンが被造界を掌握します。
† しかし、主イエス様は時間の中でのみ被造物です。第2位神様は時空間を創造して存続させる方です[3]。主イエス様に犯罪の可能性だけあっても創造はそもそも始まることさえありません。
† 主イエス様は常にいつも永遠に犯罪されていない方です。主イエス様が死の体を着たので、主イエス様が犯罪しないようにするためには、主イエス様は絶えず父に行かなければなりません。死の体を着ても、絶えず神様に行けば、アダムは罪に打ち勝つことができます。第2位神様がそのような構造で時空間を存続させていらっしゃるのであります。戒めは被造物がしっかり守ることができるのです。神様は被造物に耐えることができる誘惑だけを許されます[4]。
† 私たちは死の体を着ています。主イエス様も死の体を着ました[5]。主イエス様は私たちに戒めを守る模範を示しています。死の体を着ても、主イエス様は神様と隣人を愛しています。そのような主イエス様は私たちに戒めを守れと命じます。私たちは喜んでその命令に服従することができます。死の体を着ていない人が私たちに戒めを守れと命じるならば、私たちはその命令を喜ばせることができません。戒めを守らない人が私たちに戒めを守れと命じるならば、私たちはその命令を喜ばせることはできません。
† 神様は戒めを守らない被造物を火の池に燃やされます。神様が戒めを守らなければ、被造物は神様の戒めを喜ばせることができません。神様が戒めを守らなければ、被造物は神様を愛することはできません。被造物が神様を愛していなければ、被造物の自由意志は完成されません。
† 神様は被造物に自由意志をくださいました。神様は愛だけで自由意志が完成される仕組みで被造界を存続させています[6]。今のような構造の被造界では、神様を愛する時だけ自由意志が完成されます。今のような構造の被造界では、神様の愛を悟った後にのみ神様を愛することができます[7]。もし神様が戒めを守らなければ、被造物は神様の愛を悟ることができません。被造物は戒めを守らない神様を愛することができません。
† 主イエス様は細い血管が裂けるほど苦しまれました[8]。主イエス様は私たちと同じ状態にいらっしゃいました。ただし、主イエス様はみことばであり[9]、聖霊神様は主イエス様に充満していらっしゃいました。私たちもみことばを受け、聖霊神様が私たちに充満していらっしゃるとき、私たちも罪に打ち勝つことができます[10]。
† 主イエス様が苦しんだ理由は肉体の死のためではありませんでした。御子は父が苦しんでいたので苦しんでいました。御子を捨てる父の苦しみを、御子は苦しんでいました。愛する父から切れる苦しみを、御子は苦しんでいました。
† 主イエス様は人間でした。ですから、主イエス様は祈られました。もし主イエス様が祈らなかったならば、主イエス様は惑わしに勝てなかったでしょう。祈らなければ、惑わしに勝てない構造で被造界を存続させていらっしゃる方が主イエス様です。主イエス様はみことばです。したがって、主イエス様が祈らない状況が発生することは不可能です。被造界はみことばで存続しています。
† 主イエス様はみことばです。主イエス様が十字架の杯を避けることが起こることは不可能です。しかし主イエス様は人間です。主イエス様が苦しめられる様子を、被造物も容易に見ることができます。
† 御子を捨てる父の苦しみを眺めるのは、御子が人間でなくても辛いことです[11]。父に捨てられるのは、御子が人間でなくても辛いことです。しかし、御子は人間になりました。神様が被造物として苦しめられると、被造物が神様の苦しみを見ます。神様が被造物となられて泣くと、被造物が神様の苦しみを理解します[12]。
† 主イエス様は十字架を背負うためにお見えになりました[13]。主イエス様は十字架を背負った後の結果を見ていました[14]。十字架を通してすべての被造物が神様の愛を知るようになります。十字架を通してすべての被造物が神様を愛するようになります[15]。十字架を通してすべての被造物の自由意志が完成されます。十字架を通して被造界で罪が消滅されます[16]。
† 最初のアダムは花嫁を愛することで花嫁が与える禁断の果実を受けて食べました[17]。最初のアダムは自分の罪で死にました。最後のアダムは花嫁を愛することによって禁断の果実を拒絶されます。最後のアダムは花嫁の罪で死にます[18]。最初のアダムは花嫁に自分の罪の責任を転嫁しました。最後のアダムは花嫁に自分の血を注がれます。
† 御子はすなわち戒めです。戒めが肉体を着ると、戒めが肉体として現れます。神様が人間になるので、神様の考えとみことばと行ないが肉体として現れます[19]。神様が人間になるので、被造物が神様の考えとみことばと行ないを目で見ます。戒めが人間になるので、被造物が戒めを目で見ます。
† 神様は人間を通してサタン噓群れを裁かれるように定められます[20]。それゆえ、神様は人間としてお見えになります。神様が人間になられるので、人間が神様の兄弟になります[21]。神様が長子になるので、人間が神様の弟になります[22]。長兄は十字架を背負うので、弟たちも十字架を背負います[23]。長兄がサタンに打ち勝つので、弟たちもサタンに打ち勝ちます。長兄が復活するので、弟たちも復活します[24]。命が被造物となられるので、被造物が命を食べて命を得ます[25]。
† みことばである主イエス様は[26]聖霊神様を通して罪に勝ちました[27]。主イエス様の血で罪の赦しを受けた者に、聖霊神様がお見えになります[28]。みことばを受けて聖霊神様を持っているなら[29]、アダムも罪に打ち勝つことができます[30]。みことばと聖霊神様を通して最後のアダムから新しく生まれれば[31]、最初のアダムも罪に打ち勝つことができます。
† しかし、すべての人間が主イエス様に服従するわけではありません。サタンに従う人間がいます。すべての人間が最後まで主イエス様に服従するわけではありません。途中で主イエス様を裏切る人間がいます。主イエス様を裏切って再びサタンに従う人間がいます[32]。
† 主イエス様の血で罪の赦しを受けます。主イエス様の血で新しい契約が結ばれます。途中で主イエス様を裏切る者たちには、主イエス様の血はもはや有効ではありません。途中で主イエス様を裏切る者たちの罪の赦しは取り消されます。途中で主イエス様を裏切る者たちは新しい契約を破りました。新しい契約自体は永遠です。しかし、新しい契約を破った者は、新しい契約から抜け出した[33]。教会は永遠です。しかし、堕落した者は教会の中にいても、もはや教会の部分ではありません[34]。彼らは大きな白い御座の裁きを通過できません。彼らは救いに至ることはできません[35]。これらはまだサタンのしもべです[36]。彼らはサタンと共に火の池に投げ込まれます[37]。
† 主イエス様の血で罪の赦しを受けます。罪の赦しを受けた者たちが最後まで信仰を守れば、大きな白い御座の裁きの時に救いが確定されます。彼の信仰が真実か偽であったのかが、大きな白い御座の裁きの時に証明されるのです。真の信仰は聖霊神様の実を結びます。聖霊神様の実を結ばない信仰は偽りの信仰です[38]。彼は口でのみ主イエス様を信じると告白し、実際には主イエス様を信じていなかったので、彼は火の池に投げ込まれます。
† 罪の赦しを受けた者が救いに至るようになります。罪の赦しは救いの始まりであり、救いの結果ではありません。主イエス様に服従することで、主イエス様と契約を結んだ者は罪の赦しを受けます。主イエス様に服従することに契約を結び、主イエス様に服従しなければ、彼は契約を破ったのです[39]。彼は火の池に投げ込まれます。
† 罪の赦しを受けた者に聖霊神様がお見えになります。聖霊神様は彼に聖霊神様の実を結ぶようにします。しかし、聖霊神様に服従しない人たちがいます。彼らは聖霊神様に悲しみを与えます[40]。これらは聖霊神様を消します[41]。これらは継続して戒めを守りません[42]。彼らはまだサタンに主人として仕えています[43]。したがって、彼らは彼らの主人が火の池に投げ込まれたときに火の池に投げ込まれます[44]。
[1] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
[2] ロマ4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
ロマ4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」
[3] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[4] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[5] ヨハネ8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」
[6] 1ヨハ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[7] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[8] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[9] ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
[10] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[11] 創22:7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
[12] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[13] マタイ26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
マタイ26:54 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
[14] ヘブ12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
[15] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[16] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[17] 創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
創3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
[18] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[19] ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
[20] ヨハネ5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
[21] ヨハネ20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
[22] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[23] マタイ10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
[24] ロマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
[25] ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
ヨハネ6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
ヨハネ6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
[26] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[27] ルカ4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
ルカ4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
[28] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[29] ヤコ1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
[30] ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[31] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[32] 1テモ5:15 というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。
[33] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。
ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
[34] 1コリ5:11 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。
1コリ5:12 外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
1コリ5:13 外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。
[35] 1ペト1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
[36] 2ペト2:19 この人人に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、日とは征服者の奴隷となるものである。
2ペト2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
[37] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
黙20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。
[38] ヘブ6:7 土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。
ヘブ6:8 しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。
ヘブ6:9 だが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。
[39] エレ31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ。―
[40] エフェ4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
[41] 1テサ5:19 御霊を消してはなりません。
[42] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
[43] 1テモ5:12 初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。
テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
[44] 2ペト2:19 この人人に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、日とは征服者の奴隷となるものである。
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