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2 存在のお召し

150 死とハデスを火の池に燃やされます

by aparke 2025. 5. 25.

1コリ4:5 ですから、あなたがたは、主が來られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。

6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

20:9 彼らは、地上の広い平地に上って來て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って來て、彼らを焼き尽くした。

20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ翔まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。

主イエスとハデスのっています。正確うと、主イエスはすべての権威っています[1]主イエス被造界所有されています。ですから、主イエス被造界処分されることができます。主イエスとハデスを所有されています。ですから、主イエスとハデスを処分されることができます。主イエスのものなので、主イエスかれます[2]主イエスのものなので、主イエスわれます[3]

1000年王わりにサタンが解放されます。サタンがわします。たちのされた現れます。生まれる区別されます。悪魔のしわざが終わりました[4]悪魔はもう役に立ちません。したがって、主イエス悪魔火の池に投げまれます[5]

大きな白い御座の裁きにすべての復活します。義人復活によって甦り、悪人きの復活によって甦ります。殉教証人たちは1000年前復活変化しました[6]んだたちをしてくれ、とハデスがんだたちをしてくれます。はおそらくガラスののようです。ガラスの義人たちをしてくれるようです。とハデスは悪人してくれるようです。それなら、義人たちのがガラスの待機する可能性があります。悪人たちのとハデスで待機する可能性があります。

はガラスの大空上にある水として見ます[7]。私世界大空下にある水として見ます。世界すなわちバビロンの[8]1000年前にすでにえました[9]。バビロンの新しい天と新しい地られたときにすでにえました。(海自体がなくなったのではなく、えなくなっただけだと見方もあります。もしそうなら、大きな白い御座の裁きがガラスのではない可能性があります。)1の復活によって甦った者たちはガラスの小羊歌います[10]。一般聖徒たちのは、2の復活までガラスのくにとどまっているようです。

教証人たちの[11]燔祭の祭壇すなわちハデスにとどまって1の復活によって甦るようです[12]一般聖徒たちのはガラスのにとどまるようです。悪人たちのとハデスにとどまるようです。教証人たちのがハデスにとどまるが[13]一般聖徒たちの最初からガラスのにとどまることはできないようです。一般聖徒たちのがハデスにとどまってガラスのされる可能性があります。

大きな白い御座の裁きに、とハデスが復活たちと裁きの復活たちをしてくれます。義人霊的きて永遠生きます[14]悪人たちはおそらく刑罰きて火の池まれるでしょう。人たち自分行ないってかれているようにきを受けます[15]

くのしたくの受けます。少ないしたないけることになります。公義です[16]。おそらくそれぞれがした分量だけえていくことになるだろうと推測します[17]。ただ推測にすぎません。がどのようにれるのかわかりません。サタンとアダムがけるようにはえません[18]。しかし、犯罪者はすべてまれます。

1の復活によって甦った者たちは、大きな白い御座の裁き経ません。もし裁きを経てもただ通過です[19]悪人たちはっただけに受けます。それでは、2復活によって甦った者たちはどうなるのでしょうか。

があれば永遠きることができません。しかし、のないはいません。したがって、永遠きるためには主イエス罪の赦しを受けなければなりません。主イエス十字架わりにきをけられました[20]主イエス罪の赦しを受けた者には、がありません。

罪の赦しを受けた後ももちろん犯します。しかし、主イエスにいるならば、間違いはめられません[21]隣人しようとする意志があるなら、固執しません。固執しなければ、行ないでまで犯罪しません[22]。もし犯罪しても、悔い改めます[23]。彼らは火の池投げまれをしません[24]。これらはません。霊的な体たら、らは犯罪しません。したがって、らは命の復活によって甦ります。

命の復活によって甦った者たちも裁きをるという見方があり得ます[25]まれないが[26]裁きを経るだろうという見方です[27]。これについてはわかりません。義人たちもきをても、公義であります。そのきをつめる被造物きを納得するでしょう。

があれば永遠生きます。がなければ火の池投げまれます。信仰によって証明されます[28]信仰行ないして証明されます[29]主イエスじる[30]主イエスします[31]。主イエス犯罪者火の池やされるというっても主イエスしなければ、主イエスじないのです。主イエスじるなら、しい行ないをするでしょう[32]でのみ主イエスじると主張[33]行ないでは主イエスしなければ[34]主イエスじないのです[35]主イエスじない火の池まれます[36]

命の書かれていないでも火の池投げまれます。しかし、行ない沿って書物に書かれたとおり裁きを受けるがただ悪人だけというはありません。したがって、義人火の池まれることはありませんが、裁きを経るという見方があり得ます。もし義人裁きを経るなら、この裁きは報いける裁きではないでしょう。報い期間はすでにわったからです。1000年王はすでにわったからです。

もし義人懲らしめけるなら、火の池ではないでしょう。義人たちの命の書書かれているからです[37]まれないが、懲らしめけるという見方があり得ます。義人懲らしめけるかどうかはわかりません。しかし主イエスのためにきない聖徒多いです。これらがすべて投げまれるとはえません。したがって、はこの見方完全否定することはできません。

んだたちをしてくれ、とハデスもんだたちをしてくれます。各人自分行ないりに裁きを受けます。海からたちととハデスからたちがすべて裁きを受けるようです。とハデスからたちだけが裁きを受けるのではないかもしれないという意味です。もしからたちが復活によって甦った義人たちなら、義人たちも裁きを可能性があります[38]。もちろん、義人たちは火の池まれません。義人懲らしめけるとている見方があり得ます。

教証人たちの待機します。一般聖徒たちの待機するのでしょうか?人たち待機していますか?大きな白い御座の裁き義人悪人区別されるでしょうか?それぞれのたれると、すでに義人悪人区別されていますか?各人一生公開されるに、すでに義人悪人区別されていますか?大きな白い御座の裁きは、ただがなぜ義人けられたのかを確認する時間ぎないのでしょうか。

命の書書かれた者たちは、復活によって甦ります[39]。戒めをればちます[40]。したがって、復活によって甦る理由は、命の書書かれたためではないかもしれません。だが復活によって甦った者は、命の書書かれているでしょう。復活によって甦る者命の書になければならないわけではありません。ただし、めをであるため、命の書書かれたのです[41]命の書かれているので彼が戒めをるものではありません[42]

各被造物行ないはすでに書物にすべて書かれています[43]肉体れるとき、最後がすでにまっている可能性があります[44]。そうすれば、復活によって甦る者たちと裁きの復活によって甦る者たちが区分されて待機する可能性があります[45]。もちろん見方があり得ます[46]。それぞれの移動せずにそのると見方もあります。

義人たちのがどこでっていても[47]らも霊的な体復活することになります。教証人たちは霊的な体[48]御使いのようになりました[49]御使いたちと御使いのようになった教証人たちと御使いのようになった義人たちが永遠きるようになります。義人たちも霊的な体御使いのようになります。

火の池まれる悪人たちが霊的復活するのでしょうか?火の池やされるのに御使いのようになる必要があるのでしょうか?サタン噓群れは御使いたちです。サタン噓群れもまれます。しかし、火の池やされるために、悪人御使いのようにするようになりますか[50]つことができませんでしたが、霊的復活することができますか?

主イエス火の池に燃やされます。魂的な体火の池えられません。魂的な体溶鉱炉溶けたさええられません。魂的な体ては罪の代価うことができません。それでは、人たち霊的な体ることになるのでしょうか。人たち肉体なしで火の池しむことはできませんか?もしかしたら火の池けない魂的な体があるのでしょうか?わかりません。とにかく、悪人公正燃やされます。多くの罪を犯した者はたくさん燃えるでしょう[51]

悪人たちは復活せず、ハデスとごとまれるだろう」という見方があり得ます。悪人裁きの復活によって甦らない場合被造物悪人悪行確認できない可能性があります。被造物悪人悪行確認できない場合被造物裁きを納得できないでしょう。さらに、悪人火の池やさなければなりません。は、悪人がすべて裁きの復活によって甦るじています。

創世前から、たちの結局ご存じでいらっしゃいます[52]たちがまれるから、たちはすでに主の書物かれていました。しかし、命の書から名が消えることがあります[53]小羊命の書世の初めからその名の書きしるされていないというみことばして、つの見方があり得ます[54]

 

見方1:命の書に名が書かれても、背するとその名が消されます。罪の赦しを受けるとき、命の書に名が書かれ、背するとその名が消されます。

見方2:命の書に名が書かれた者は背できません。彼が背した場合、彼の名はもともと命の書に書かれていませんでした。罪の赦しを受けるからといって命の書に名が書かれません。

 

命の書書かれた名するときに消されるのか、または②命の書書かれた者だけがしないのかどうかにかかわらず、罪の赦しを受けても背することができます[55]

書かれた消されるのか、あるいは②最初から書かれていないかどうかにかかわらず、した者命の書にありません[56]

罪の赦しを受けるとき、命の書書かれるのか、または②すでに命の書書かれた者だけが最後までにとどまっているのかどうかにかかわらず、した命の書にありません。

命の書にいつ書かれても、大きな白い御座の裁き命の書にその書かれているたちだけが残ります[57]しかし、創世前からすでにすべてをご存じでいらっしゃいます[58]

しようとするたちだけがするようにされます[59]することはみでのみ可能です[60]。しかし、たちがしようとしないならば、無理強いに神みをたちに強制されません[61]たちは注がれるみをむだにすることができます[62]たちはみをむことができます[63]たちがみをむなら、たちはすることはできません[64]

もちろん、間機えられます[65]取り囲まれる[66]強制されません[67]たちにみをいでくださいます[68]。しかし、たちはそのみをむことができます[69]たちがらうことをむならば[70]たちはいくらでもらうことができます[71]たちが逆らわないように、たちにのすべてをえられました[72]

大きな白い御座の裁き通して被造物たちがきを納得します[73]。被造物は、なぜ永遠きなければならないのかを確認します。被造物がなぜ火の池投げまれるべきかを確認します。への疑いっていれば、自由意志完成されることはできません。被造物がすべてをるようにされませんでした[74]それゆえ、被造物公義確認する時間たなければなりません。その時間がまさに大きな白い御座の裁きです。

キリストの裁きが大きな白い御座の裁きという見方があり得ます[75]。キリストの裁きと大きな白い御座の裁きなるという見方があり得ます。

地上に7つの災害がれた主イエス地上にまでお見えになります。再臨される主イエス天の軍勢続きます。この天の軍勢なのでしょうかについて、いくつかの見方があり得ます。らは麻布ています[76]麻布リンネルです[77]麻布霊的である可能性いです[78]。したがって、天の軍勢教証人たち軍勢でしょう。御使いたちも麻布ています[79]天の軍勢御使いたちまれている可能性があります。主イエス御使いたちとお見えになります[80]

1の復活通して戒めの真実証明されます。1の復活通して戒めが裁きの基準としててられます。その後、めて裁きが執行されます。めが裁きの基準としててられるに、めをった行ない裁くことはできません[81]。もちろんめをるのはです[82]犯罪すれば、人間裁きを受けます[83]しかし、堕落した御使いたちにするきは、戒めの真実証明された執行されます。そして戒めの真実証明されるまで、人間火の池まれません。

肉体ているによるいにしむことができます[84]肉体ている堕落した御使いたちにしむことができます[85]。しかし、火の池やされることはできません。めがまだ裁きの基準としててられていません。すでに刑罰けているわけにはいきません。

もし大きな白い御座の裁き以前しんでいるなら、その苦しみは罪によって自然れる苦しみかもしれません[86]被造物服従するときにのみ安息できるように設計されています。したがって、れたこと自体苦しみであります[87]。しかし、そのようなしみも許された[88]きの一部です[89]。したがって、今苦しみを受ければ、大きな白い御座の裁きにはそれにする刑罰かれる[90]可能性があります[91]えれば、なうのにもする裁きが執行されていなければ、大きな白い御座の裁きはよりきなけることになるという意味です[92]

罪から来る報酬です[93]。ハデスは勢力められた場所です。がなければ必要ありません。死がなければハデスも必要ありません。義なる被造物から犯罪可能性消滅されるととハデスは必要ありません。したがって、とハデスは火の池まれます。被造界関連したすべてのものは消滅されました。創造完成されました。



[1] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。

[2] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。

 ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

[3] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[4] 16:4 主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。

[5] ロマ9:22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。

[6] 20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。

 黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。

[7] 4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。

[8] 17:15 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。

  エレ51:42 海がバビロンの上にのしかかり、その波のざわめきにそれはおおわれた。

  エレ51:12 バビロンの城壁に向かって旗を揚げよ。見張りを強くし、番兵を立てよ。伏兵を備えよ。主ははかりごとを立て、バビロンの住民について語られたことを実行されたからだ。

 エレ51:13 大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が來た。

[9] 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

[10] 15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。

 黙15:3 彼らは、神のしもべモ-セの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。

[11] 4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。

  レビ17:11 なぜなら、肉のいのち(ネペシ魂)は血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのち(ネペシ魂)を祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのち(ネペシ魂)として贖いをするのは血である。

[12] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

[13] 使徒2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。

[14] マタイ22:29 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。

 マタイ22:30 复活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。

 マタイ22:31 それに、死人の复活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。

 マタイ22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」

[15] 20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

[16] ルカ12:46 しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って來ます。そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに合わせるに違いありません。

 ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。

 ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。

[17] 37:20 しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。

[18] ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

[19] 20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

[20] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

  2コリ5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

[21] ロマ4:5 何の働きもない者が、不敬嶺な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

 ロマ4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。

 ロマ4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。

 ロマ4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」

[22] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

[23] 2コリ7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 2コリ7:11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、辯明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。

[24] 1ヨハ5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人人に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。

 1ヨハ5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。

[25] 1コリ4:5 ですから、あなたがたは、主が來られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

[26] 2コリ5:8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

 2コリ5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

[27] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

 ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

 ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

 ロマ14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。

[28] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

 マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

[29] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

 ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」

 ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

[30] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。

 ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

[31] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

 ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

[32] ヨブ31:1 私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。

 ヨブ31:2 神が上から分けてくださる分け前は何か。全能者が高い所から下さる相続財産は何か。

 ヨブ31:3 不正をする者にはわざわいが、不法を行なう者には災難が來るのではないか。

 ヨブ31:4 神は私の道を見られないのだろうか。私の歩みをことごとく數えられないのだろうか。

 ヨブ31:5 もし私がうそとともに歩み、この足が欺きに急いだのなら、

 ヨブ31:6 正しいはかりで私を量るがよい。そうすれば神に私の潔白がわかるだろう。

 ヨブ31:7 もし、私の歩みが道からそれ、私の心が自分の目に従って歩み、私の手によごれがついていたなら、

 ヨブ31:8 私が種を蒔いて他の人が食べるがよい。私の作物は根こぎにされるがよい。

 ヨブ31:9 もしも、私の心が女に惑わされ、隣人の門で待ち伏せしたことがあったなら、

 ヨブ31:10 私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また、他人が彼女と寝てもよい。

 ヨブ31:11 これは恥ずべき行ない、裁判にかけて罰せられる罪だ。

 ヨブ31:12 実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こぎにする。

 ヨブ31:13 私のしもべや、はしためが、私と争ったとき、もし、私が彼らの言い分をないがしろにしたことがあるなら、

 ヨブ31:14 神が立たれるとき、私はどうすればよいか。また、神がお調べになるとき、何と答えたらよいか。

 ヨブ31:15 私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。

 ヨブ31:16 もし、私が寄るべのない者の望みを退け、やもめの目を衰え果てさせ、

 ヨブ31:17 私ひとりだけで食物を食べて、みなしごにそれを食べさせなかったのなら、

 ヨブ31:18 ―私の若いときから、彼は私を父のようにして育ち、私は、母の胎にいたときから、彼女を導いた。―

 ヨブ31:19 もし、私が、着る物がなくて死にかかっている者や、身をおおう物を持っていない貧しい者を見たとき、

 ヨブ31:20 彼の腰が私にあいさつをせず、私の子羊の毛でそれが暖められなかったのなら、

 ヨブ31:21 あるいは、私を助ける者が門のところにいるのを見ながら、みなしごに向かって私の手を振り上げたことがあるなら、

 ヨブ31:22 私の肩の骨が肩から落ち、私の腕がつけ根から折れてもよい。

 ヨブ31:23 神からのわざわいは私をおびえさせ、その威厳のゆえに、私は何もすることができないからだ。

 ヨブ31:24 もし、私が金をおのれの頼みとし、黄金に向かって、私の拠り頼むもの、と言ったことがあるなら、

 ヨブ31:25 あるいは、私の富が多いので喜び、私の手が多くの物を得たので、喜んだことがあるなら、

 ヨブ31:26 あるいは、輝く日の光を見、照りながら動く月を見て、

 ヨブ31:27 私の心がひそかに惑わされ、手をもって口づけを投げかけたことがあるなら、

 ヨブ31:28 これもまた裁判にかけて罰せられる罪だ。私が上なる神を否んだためだ。

 ヨブ31:29 あるいは、私を憎む者の衰えているのを私が見て喜び、彼にわざわいが下ったとき、喜び勇んだことがあろうか。

 ヨブ31:30 私は自分の口に罪を犯させなかった。のろって彼のいのちを求めようともしなかった。

 ヨブ31:31 いったい、私の天幕の人人で、「だれか、彼の肉に飽き足りなかった者はいないか。」と言わなかったことがあろうか。

 ヨブ31:32 異国人は外で夜を過ごさず、私は戸口を通りに向けてあけている。

 ヨブ31:33 あるいは、私がアダムのように、自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか。

 ヨブ31:34 私が群集の騒ぎにおびえ、一族のさげすみを恐れて黙り、門を出なかったことがあろうか。

 ヨブ31:35 だれか私に聞いてくれる者はないものか。見よ。私を確認してくださる方、全能者が私に答えてくださる。私を訴える者が書いた告訴状があれば、

 ヨブ31:36 私はそれを肩に負い、冠のように、それをこの身に結びつけ、

 ヨブ31:37 私の歩みの數をこの方に告げ、君主のようにして近づきたい。

 ヨブ31:38 もし、私の土地が私に向かって叫び、そのうねが共に泣くことがあるなら、

 ヨブ31:39 あるいは、私が金を払わないでその産物を食べ、その持ち主のいのちを失わせたことがあるなら、

 ヨブ31:40 小麦の代わりにいばらが生え、大麦の代わりに雑草がはびこるように。ヨブのことばは終わった。

[33] テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。

[34] エゼ33:13 わたしが正しい人に、『あなたは必ず生きる。』と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行ないは何一つ覚えられず、彼は自分の行なった不正によって死ななければならない。

[35] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

 マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、

 マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』

 マタイ25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』

 マタイ25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

 マタイ25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

[36] ヨハネ6:65 そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに來ることはできない。』と言ったのです。」

 ヨハネ6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

 ヨハネ6:67 そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」

 ヨハネ6:68 すると、シモンペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。

 ヨハネ6:69 私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」

 ヨハネ6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」

[37] 20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。

[38] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

 ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

 ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

[39] フィリ4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同勞者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。

[40] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

 1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[41] ガラ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。

 ガラ3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

[42] 20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。

 創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」

 創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

[43] 139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。

  王上13:2 すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」

  エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」

[44] ルカ16:22 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

[45] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

[46] イザ26:19 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は使者の霊を生き返らせます。

[47] 1テサ4:13 眠った人人のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人人のように悲しみに沈むことのないためです。

 1テサ4:14 私たちはイエスが死んで复活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人人をイエスといっしょに連れて來られるはずです。

[48] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[49] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

 ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。

[50] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

[51] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。

 ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。

[52] 1ヨハ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

[53] 69:28 彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。

  3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。

[54] 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

  17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って來ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。

[55] 1テモ4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

 1テモ4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

[56] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

 マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

[57] 20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。

[58] イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

[59] 8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。

[60] ロマ11:6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

[61] エレ35:15 わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行ないを改めよ。ほかの神神を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。

[62] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

 2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

[63] エゼ18:19 あなたがたは、『なぜ、その子は父の咎の罰を負わなくてよいのか。』と言う。その子は、公義と正義とを行ない、わたしのすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる。

 エゼ18:20 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。

[64] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

[65] エレ15:5 エルサレムよ。いったい、だれがおまえをあわれもう。だれがおまえのために嘆こう。だれが立ち寄って、おまえの安否を尋ねよう。

 エレ15:6 おまえがわたしを捨てたのだ、―主の御告げ。―おまえはわたしに背を向けた。わたしはおまえに手を伸ばし、おまえを滅ぼす。わたしはあわれむのに飽いた。

[66] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[67] エゼ18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。

 エゼ18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。

[68] ロマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

[69] ヘブ6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、

 ヘブ6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて來る世の力とを味わったうえで、

 ヘブ6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

[70] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

 ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

[71] 30:15 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。

 申30:16 私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その數はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。

 申30:17 しかし、もし、あなたが心をそむけて、聞き従わず、誘惑されて、ほかの神神を拝み、これに仕えるなら、

[72] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

[73] 16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。

 黙16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」

 黙16:7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」

[74] 王上8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。

  ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。

 ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、

[75] 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

[76] 19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

 黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

[77] ダニ10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。

 ダニ10:6 そのからだは綠柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。

  15:6 そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て來た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。

[78] 19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」

[79] エゼ9:2 見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって來た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らははいって來て、青銅の祭壇のそばに立った。

 エゼ9:3 そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、

 エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人人の額にしるしをつけよ。」

[80] 2テサ1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。

  マタイ13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。

 マタイ13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、

 マタイ13:42 火の燃える爐に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

 マタイ13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

  1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って來られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

[81] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

 ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

 ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

[82] 15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って來る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」

[83] 使徒12:21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

 使徒12:22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。

 使徒12:23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

[84] 3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

 創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。

 創3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

[85] エフェ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

[86] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―

[87] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

 ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

 ロマ1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

 ロマ1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

 ロマ1:32 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。

[88] 18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」

[89] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

[90] イザ40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その勞苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」

[91] マタイ6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

[92] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。

  マタイ16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて來ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。

[93] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリストイエスにある永遠のいのちです。

  1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。