1コリ4:5 ですから、あなたがたは、主が來られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
黙1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
黙1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
黙20:9 彼らは、地上の広い平地に上って來て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って來て、彼らを焼き尽くした。
黙20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ翔まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
黙20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
黙20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。
† 主イエス様は死とハデスの鍵を持っています。正確に言うと、主イエス様はすべての権威を持っています[1]。主イエス様は被造界を所有されています。ですから、主イエス様は被造界を処分されることができます。主イエス様は死とハデスを所有されています。ですから、主イエス様は死とハデスを処分されることができます。主イエス様のものなので、主イエス様が裁かれます[2]。主イエス様のものなので、主イエス様が救われます[3]。
† 1000年王国の終わりにサタンが解放されます。サタンが民を惑わします。民たちの隠された心が現れます。生き残る民と火の池に投げ込まれる民が区別されます。悪魔のしわざが終わりました[4]。悪魔はもう役に立ちません。したがって、主イエス様は悪魔を火の池に投げ込まれます[5]。
† 大きな白い御座の裁きの時にすべての人々が復活します。義人は命の復活によって甦り、悪人は裁きの復活によって甦ります。殉教証人たちは1000年前に復活変化しました[6]。海が死んだ者たちを出してくれ、死とハデスが死んだ者たちを出してくれます。海はおそらくガラスの海のようです。ガラスの海が義人たちを出してくれるようです。死とハデスは悪人を出してくれるようです。それなら、義人たちの魂がガラスの海で待機する可能性があります。悪人たちの魂が死とハデスで待機する可能性があります。
† 私はガラスの海を大空の上にある水として見ます[7]。私は世界を大空の下にある水として見ます。世界すなわちバビロンの海は[8]1000年前にすでに消えました[9]。バビロンの海は新しい天と新しい地が作られたときにすでに消えました。(海自体がなくなったのではなく、見えなくなっただけだと見る見方もあり得ます。もしそうなら、大きな白い御座の裁きの時の海がガラスの海ではない可能性があります。)第1の復活によって甦った者たちはガラスの浜辺で小羊の歌を歌います[10]。一般聖徒たちの魂は、第2の復活までガラスの海の近くにとどまっているようです。
† 殉教証人たちの魂は[11]、燔祭の祭壇すなわちハデスにとどまって第1の復活によって甦るようです[12]。一般聖徒たちの魂はガラスの海にとどまるようです。悪人たちの魂は死とハデスにとどまるようです。殉教証人たちの魂がハデスにとどまるが[13]、一般聖徒たちの魂が最初からガラスの海にとどまることはできないようです。一般聖徒たちの魂がハデスにとどまってガラスの海に移される可能性があります。
† 大きな白い御座の裁きの時に、海と死とハデスが命の復活に至る者たちと裁きの復活に至る者たちを出してくれます。義人は霊的な体を着て生きて永遠に生きます[14]。悪人たちはおそらく刑罰の体を着て生きて火の池に投げ込まれるでしょう。悪人たちは自分の行ないに従って本に書かれているように裁きを受けます[15]。
† 多くの罪を犯した人々は多くの罰を受けます。少ない罪を犯した者は少ない罰を受けることになります。神様は公義です[16]。おそらくそれぞれが犯した罪の分量だけ燃えていくことになるだろうと推測します[17]。ただ推測にすぎません。罰の差がどのように現れるのかわかりません。サタンとアダムが同じ罰を受けるようには思えません[18]。しかし、犯罪者はすべて火の池に投げ込まれます。
† 第1の復活によって甦った者たちは、大きな白い御座の裁きを経ません。もし裁きを経てもただ通過です[19]。悪人たちは悪を行っただけに罰を受けます。それでは、第2の命の復活によって甦った者たちはどうなるのでしょうか。
† 罪があれば永遠に生きることができません。しかし、罪のない人はいません。したがって、永遠に生きるためには主イエス様の血で罪の赦しを受けなければなりません。主イエス様は十字架で代わりに裁きを受けられました[20]。主イエス様の血で罪の赦しを受けた者には、今は罪がありません。
† 罪の赦しを受けた後ももちろん罪を犯します。しかし、彼が主イエス様の中にいるならば、彼の間違いは罪と認められません[21]。神様と隣人を愛しようとする意志があるなら、罪に固執しません。罪に固執しなければ、行ないでまで犯罪しません[22]。もし犯罪しても、悔い改めます[23]。彼らは火の池に投げ込まれる悪をしません[24]。これらは背教しません。霊的な体を着たら、彼らは再び犯罪しません。したがって、彼らは命の復活によって甦ります。
† 命の復活によって甦った者たちも裁きを経るという見方があり得ます[25]。火の池に投げ込まれないが[26]、裁きを経るだろうという見方です[27]。これについてはわかりません。義人たちも裁きを経ても、神様は公義であります。その裁きを見つめる被造物は神様の裁きを納得するでしょう。
† 実があれば永遠に生きます。実がなければ火の池に投げ込まれます。信仰は実によって証明されます[28]。信仰は行ないを通して証明されます[29]。主イエス様を信じる者は[30]、主イエス様に服従します[31]。主イエス様が犯罪者を火の池に燃やされるという事実を知っても主イエス様に服従しなければ、主イエス様を信じないのです。主イエス様を信じるなら、正しい行ないをするでしょう[32]。口でのみ主イエス様を信じると主張し[33]、行ないでは主イエス様に服従しなければ[34]、主イエス様を信じないのです[35]。主イエス様を信じない者は火の池に投げ込まれます[36]。
† 命の書に名が書かれていない人は誰でも火の池に投げ込まれます。しかし、行ないに沿って書物に書かれたとおり裁きを受ける者がただ悪人だけという記録はありません。したがって、義人が火の池に投げ込まれることはありませんが、裁きを経るという見方があり得ます。もし義人が裁きを経るなら、この裁きは報いを受ける裁きではないでしょう。報いの期間はすでに終わったからです。1000年王国はすでに終わったからです。
† もし義人が懲らしめを受けるなら、火の池の罰ではないでしょう。義人たちの名は命の書に書かれているからです[37]。火の池に投げ込まれないが、懲らしめを受けるという見方があり得ます。義人が懲らしめを受けるかどうかはわかりません。しかし主イエス様のために生きない聖徒が多いです。これらがすべて火の池に投げ込まれるとは思えません。したがって、私はこの見方を完全に否定することはできません。
† 海が死んだ者たちを出してくれ、死とハデスも死んだ者たちを出してくれます。各人が自分の行ない通りに裁きを受けます。海から出た者たちと死とハデスから出た者たちがすべて裁きを受けるようです。死とハデスから出た者たちだけが裁きを受けるのではないかもしれないという意味です。もし海から出た者たちが命の復活によって甦った義人たちなら、義人たちも裁きを経る可能性があります[38]。もちろん、義人たちは火の池に投げ込まれません。義人が懲らしめを受けると見ている見方があり得ます。
† 殉教証人たちの魂は一緒に待機します。一般聖徒たちの魂も一緒に待機するのでしょうか?悪人たちの魂も一緒に待機していますか?大きな白い御座の裁きの前に既に義人と悪人が区別されるでしょうか?それぞれの人の命が断たれると、すでに義人と悪人が区別されていますか?各人の一生が公開される前に、すでに義人と悪人が区別されていますか?大きな白い御座の裁きは、ただ彼がなぜ義人に分けられたのかを確認する時間に過ぎないのでしょうか。
† 命の書に名が書かれた者たちは、命の復活によって甦ります[39]。戒めを守れば死に打ち勝ちます[40]。したがって、命の復活によって甦る理由は、命の書に名が書かれたためではないかもしれません。だが命の復活によって甦った者は、命の書に名が書かれているでしょう。命の復活によって甦る者の名が命の書になければならないわけではありません。ただし、彼が戒めを守る者であるため、命の書に彼の名が書かれたのです[41]。彼の名が命の書に書かれているので彼が戒めを守るものではありません[42]。
† 各被造物の行ないはすでに主の書物にすべて書かれています[43]。彼の魂が肉体を離れるとき、彼の最後がすでに決まっている可能性があります[44]。そうすれば、命の復活によって甦る者たちと裁きの復活によって甦る者たちが区分されて待機する可能性があります[45]。もちろん他の見方があり得ます[46]。それぞれの魂が移動せずにその場で眠ると見る見方もあり得ます。
† 義人たちの魂がどこで眠っていても[47]、彼らも霊的な体を着て復活することになります。殉教証人たちは霊的な体を着て[48]御使いのようになりました[49]。御使いたちと御使いのようになった殉教証人たちと御使いのようになった義人たちが永遠に生きるようになります。義人たちも霊的な体を着て御使いのようになります。
† 火の池に投げ込まれる悪人たちが霊的な体を着て復活するのでしょうか?火の池に燃やされるのに御使いのようになる必要があるのでしょうか?サタン噓群れは御使いたちです。サタン噓群れも火の池に投げ込まれます。しかし、火の池に燃やされるために、神様は悪人を御使いのようにするようになりますか[50]?罪に打ち勝つことができませんでしたが、霊的な体で復活することができますか?
† 主イエス様は魂と体を火の池に燃やされます。魂的な体は火の池に耐えられません。魂的な体は溶鉱炉の溶けた鉄さえ耐えられません。魂的な体を着ては罪の代価を払うことができません。それでは、悪人たちが霊的な体を着ることになるのでしょうか。悪人たちの魂が肉体なしで火の池で苦しむことはできませんか?もしかしたら火の池に溶けない魂的な体があるのでしょうか?わかりません。とにかく、神様は悪人を公正に燃やされます。多くの罪を犯した者はたくさん燃えるでしょう[51]。
† 「悪人たちは復活せず、ハデスと共に丸ごと火の池に投げ込まれるだろう」という見方があり得ます。悪人が裁きの復活によって甦らない場合、被造物は悪人の悪行を確認できない可能性があります。被造物が悪人の悪行を確認できない場合、被造物は裁きを納得できないでしょう。さらに、悪人の魂は体を着て火の池に燃やさなければなりません。私は、悪人がすべて裁きの復活によって甦ると信じています。
† 創世前から、神様は私たちの結局をご存じでいらっしゃいます[52]。私たちが生まれる前から、私たちはすでに主の書物に書かれていました。しかし、命の書から名が消えることがあります[53]。小羊の命の書に世の初めからその名の書きしるされていないというみことばに対して、二つの見方があり得ます[54]。
見方1:命の書に名が書かれても、背教するとその名が消されます。罪の赦しを受けるとき、命の書に名が書かれ、背教するとその名が消されます。
見方2:命の書に名が書かれた者は背教できません。彼が背教した場合、彼の名はもともと命の書に書かれていませんでした。罪の赦しを受けるからといって命の書に名が書かれません。
† ①命の書に書かれた名が背教するときに消されるのか、または②命の書に名が書かれた者だけが背教しないのかどうかにかかわらず、罪の赦しを受けても背教することができます[55]。
† ①書かれたが消されるのか、あるいは②最初から書かれていないかどうかにかかわらず、背教した者の名は命の書にありません[56]。
† ①罪の赦しを受けるとき、命の書に名が書かれるのか、または②すでに命の書に名が書かれた者だけが最後まで罪の赦の中にとどまっているのかどうかにかかわらず、背教した者の名は命の書にありません。
† 命の書にいつ名が書かれても、大きな白い御座の裁きの時に命の書にその名が書かれている者たちだけが生き残ります[57]。しかし、神様は創世前からすでにすべてをご存じでいらっしゃいます[58]。
† 神様は神様を愛しようとする者たちだけが神様を愛するようにされます[59]。神様を愛することは神様の恵みでのみ可能です[60]。しかし、私たちが神様を愛しようとしないならば、神様は無理強いに神様の恵みを私たちに強制されません[61]。私たちは神様が注がれる恵みをむだにすることができます[62]。私たちは神様の恵みを拒むことができます[63]。私たちが神様の恵みを拒むなら、私たちは神様を愛することはできません[64]。
† もちろん、神様は長い間機会を与えられます[65]。神様は取り囲まれるが[66]、強制されません[67]。神様は私たちに恵みを注いでくださいます[68]。しかし、私たちはその恵みを拒むことができます[69]。私たちが神様に逆らうことを望むならば[70]、私たちはいくらでも神様に逆らうことができます[71]。私たちが神様に逆らわないように、神様は私たちに神様のすべてを与えられました[72]。
† 大きな白い御座の裁きを通して被造物たちが神様の裁きを納得します[73]。被造物は、なぜ彼が永遠に生きなければならないのかを確認します。被造物は彼がなぜ火の池に投げ込まれるべきかを確認します。神様への疑いが残っていれば、彼の自由意志は完成されることはできません。神様は被造物がすべてを知るようにされませんでした[74]。それゆえ、被造物は必ず神様の公義を確認する時間を持たなければなりません。その時間がまさに大きな白い御座の裁きです。
† キリストの裁きが大きな白い御座の裁きという見方があり得ます[75]。キリストの裁きと大きな白い御座の裁きが異なるという見方があり得ます。
† 地上に7つの災害を注がれた後、主イエス様が地上にまでお見えになります。再臨される主イエス様の後に天の軍勢が続きます。この天の軍勢が誰なのでしょうかについて、いくつかの見方があり得ます。彼らは麻布を着ています[76]。麻布はリンネルです[77]。麻布は霊的な体である可能性が高いです[78]。したがって、天の軍勢は殉教証人たちを含む軍勢でしょう。御使いたちも麻布を着ています[79]。天の軍勢に御使いたちが含まれている可能性があります。主イエス様は御使いたちと共にお見えになります[80]。
† 第1の復活を通して戒めの真実さが証明されます。第1の復活を通して戒めが裁きの基準として立てられます。その後、初めて裁きが執行されます。戒めが裁きの基準として立てられる前に、戒めを破った行ないを裁くことはできません[81]。もちろん戒めを破るのは罪です[82]。犯罪すれば、人間は今も裁きを受けます[83]。しかし、堕落した御使いたちに対する裁きは、戒めの真実さが証明された後に執行されます。そして戒めの真実さが証明されるまで、人間は火の池に投げ込まれません。
† 肉体を着ている間、罪による呪いに苦しむことができます[84]。肉体を着ている間、堕落した御使いたちに苦しむことができます[85]。しかし、火の池で燃やされることはできません。戒めがまだ裁きの基準として立てられていません。すでに刑罰を受けているわけにはいきません。
† もし大きな白い御座の裁き以前に苦しんでいるなら、その苦しみは罪によって自然に訪れる苦しみかもしれません[86]。被造物は神様に服従するときにのみ安息できるように設計されています。したがって、神様を離れたこと自体が苦しみであります[87]。しかし、そのような苦しみも神様が許された[88]裁きの一部です[89]。したがって、今苦しみを受ければ、大きな白い御座の裁きの時にはそれに対する刑罰が差し引かれる[90]可能性があります[91]。言い換えれば、誰が悪を行なうのにも彼に対する裁きが執行されていなければ、大きな白い御座の裁きの時に彼はより大きな罰を受けることになるという意味です[92]。
死は罪から来る報酬です[93]。ハデスは死の勢力を閉じ込められた場所です。罪がなければ死も必要ありません。死がなければハデスも必要ありません。義なる被造物から犯罪の可能性が消滅されると、死とハデスは必要ありません。したがって、死とハデスは火の池に投げ込まれます。今、被造界で罪に関連したすべてのものは消滅されました。創造は完成されました。
[1] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
[2] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[3] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[4] 箴16:4 主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
[5] ロマ9:22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
[6] 黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。
[7] 黙4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
[8] 黙17:15 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。
エレ51:42 海がバビロンの上にのしかかり、その波のざわめきにそれはおおわれた。
エレ51:12 バビロンの城壁に向かって旗を揚げよ。見張りを強くし、番兵を立てよ。伏兵を備えよ。主ははかりごとを立て、バビロンの住民について語られたことを実行されたからだ。
エレ51:13 大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が來た。
[9] 黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
[10] 黙15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
黙15:3 彼らは、神のしもべモ-セの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
[11] 創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
レビ17:11 なぜなら、肉のいのち(ネペシ魂)は血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのち(ネペシ魂)を祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのち(ネペシ魂)として贖いをするのは血である。
[12] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
[13] 使徒2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
[14] マタイ22:29 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。
マタイ22:30 复活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
マタイ22:31 それに、死人の复活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。
マタイ22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
[15] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[16] ルカ12:46 しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って來ます。そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに合わせるに違いありません。
ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[17] 詩37:20 しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。
[18] ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
[19] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[20] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
2コリ5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
[21] ロマ4:5 何の働きもない者が、不敬嶺な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
ロマ4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
ロマ4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
ロマ4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」
[22] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[23] 2コリ7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
2コリ7:11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、辯明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。
[24] 1ヨハ5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人人に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。
1ヨハ5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。
[25] 1コリ4:5 ですから、あなたがたは、主が來られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
[26] 2コリ5:8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
2コリ5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
[27] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ロマ14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
[28] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
[29] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
[30] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[31] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
[32] ヨブ31:1 私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。
ヨブ31:2 神が上から分けてくださる分け前は何か。全能者が高い所から下さる相続財産は何か。
ヨブ31:3 不正をする者にはわざわいが、不法を行なう者には災難が來るのではないか。
ヨブ31:4 神は私の道を見られないのだろうか。私の歩みをことごとく數えられないのだろうか。
ヨブ31:5 もし私がうそとともに歩み、この足が欺きに急いだのなら、
ヨブ31:6 正しいはかりで私を量るがよい。そうすれば神に私の潔白がわかるだろう。
ヨブ31:7 もし、私の歩みが道からそれ、私の心が自分の目に従って歩み、私の手によごれがついていたなら、
ヨブ31:8 私が種を蒔いて他の人が食べるがよい。私の作物は根こぎにされるがよい。
ヨブ31:9 もしも、私の心が女に惑わされ、隣人の門で待ち伏せしたことがあったなら、
ヨブ31:10 私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また、他人が彼女と寝てもよい。
ヨブ31:11 これは恥ずべき行ない、裁判にかけて罰せられる罪だ。
ヨブ31:12 実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こぎにする。
ヨブ31:13 私のしもべや、はしためが、私と争ったとき、もし、私が彼らの言い分をないがしろにしたことがあるなら、
ヨブ31:14 神が立たれるとき、私はどうすればよいか。また、神がお調べになるとき、何と答えたらよいか。
ヨブ31:15 私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。
ヨブ31:16 もし、私が寄るべのない者の望みを退け、やもめの目を衰え果てさせ、
ヨブ31:17 私ひとりだけで食物を食べて、みなしごにそれを食べさせなかったのなら、
ヨブ31:18 ―私の若いときから、彼は私を父のようにして育ち、私は、母の胎にいたときから、彼女を導いた。―
ヨブ31:19 もし、私が、着る物がなくて死にかかっている者や、身をおおう物を持っていない貧しい者を見たとき、
ヨブ31:20 彼の腰が私にあいさつをせず、私の子羊の毛でそれが暖められなかったのなら、
ヨブ31:21 あるいは、私を助ける者が門のところにいるのを見ながら、みなしごに向かって私の手を振り上げたことがあるなら、
ヨブ31:22 私の肩の骨が肩から落ち、私の腕がつけ根から折れてもよい。
ヨブ31:23 神からのわざわいは私をおびえさせ、その威厳のゆえに、私は何もすることができないからだ。
ヨブ31:24 もし、私が金をおのれの頼みとし、黄金に向かって、私の拠り頼むもの、と言ったことがあるなら、
ヨブ31:25 あるいは、私の富が多いので喜び、私の手が多くの物を得たので、喜んだことがあるなら、
ヨブ31:26 あるいは、輝く日の光を見、照りながら動く月を見て、
ヨブ31:27 私の心がひそかに惑わされ、手をもって口づけを投げかけたことがあるなら、
ヨブ31:28 これもまた裁判にかけて罰せられる罪だ。私が上なる神を否んだためだ。
ヨブ31:29 あるいは、私を憎む者の衰えているのを私が見て喜び、彼にわざわいが下ったとき、喜び勇んだことがあろうか。
ヨブ31:30 私は自分の口に罪を犯させなかった。のろって彼のいのちを求めようともしなかった。
ヨブ31:31 いったい、私の天幕の人人で、「だれか、彼の肉に飽き足りなかった者はいないか。」と言わなかったことがあろうか。
ヨブ31:32 異国人は外で夜を過ごさず、私は戸口を通りに向けてあけている。
ヨブ31:33 あるいは、私がアダムのように、自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか。
ヨブ31:34 私が群集の騒ぎにおびえ、一族のさげすみを恐れて黙り、門を出なかったことがあろうか。
ヨブ31:35 だれか私に聞いてくれる者はないものか。見よ。私を確認してくださる方、全能者が私に答えてくださる。私を訴える者が書いた告訴状があれば、
ヨブ31:36 私はそれを肩に負い、冠のように、それをこの身に結びつけ、
ヨブ31:37 私の歩みの數をこの方に告げ、君主のようにして近づきたい。
ヨブ31:38 もし、私の土地が私に向かって叫び、そのうねが共に泣くことがあるなら、
ヨブ31:39 あるいは、私が金を払わないでその産物を食べ、その持ち主のいのちを失わせたことがあるなら、
ヨブ31:40 小麦の代わりにいばらが生え、大麦の代わりに雑草がはびこるように。ヨブのことばは終わった。
[33] テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。
[34] エゼ33:13 わたしが正しい人に、『あなたは必ず生きる。』と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行ないは何一つ覚えられず、彼は自分の行なった不正によって死ななければならない。
[35] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
マタイ25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
マタイ25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
マタイ25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
[36] ヨハネ6:65 そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに來ることはできない。』と言ったのです。」
ヨハネ6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。
ヨハネ6:67 そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」
ヨハネ6:68 すると、シモン․ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。
ヨハネ6:69 私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」
ヨハネ6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」
[37] 黙20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。
[38] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
[39] フィリ4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同勞者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。
[40] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[41] ガラ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
ガラ3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
[42] 創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
[43] 詩139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。
王上13:2 すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」
エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」
[44] ルカ16:22 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
[45] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
[46] イザ26:19 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は使者の霊を生き返らせます。
[47] 1テサ4:13 眠った人人のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人人のように悲しみに沈むことのないためです。
1テサ4:14 私たちはイエスが死んで复活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人人をイエスといっしょに連れて來られるはずです。
[48] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。
[49] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[50] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
[51] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[52] 1ヨハ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
[53] 詩69:28 彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。
黙3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。
[54] 黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
黙17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って來ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。
[55] 1テモ4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
1テモ4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
[56] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
[57] 黙20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。
[58] イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
[59] 箴8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
[60] ロマ11:6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
[61] エレ35:15 わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行ないを改めよ。ほかの神神を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。
[62] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[63] エゼ18:19 あなたがたは、『なぜ、その子は父の咎の罰を負わなくてよいのか。』と言う。その子は、公義と正義とを行ない、わたしのすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる。
エゼ18:20 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。
[64] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[65] エレ15:5 エルサレムよ。いったい、だれがおまえをあわれもう。だれがおまえのために嘆こう。だれが立ち寄って、おまえの安否を尋ねよう。
エレ15:6 おまえがわたしを捨てたのだ、―主の御告げ。―おまえはわたしに背を向けた。わたしはおまえに手を伸ばし、おまえを滅ぼす。わたしはあわれむのに飽いた。
[66] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[67] エゼ18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
エゼ18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。
[68] ロマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
[69] ヘブ6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
ヘブ6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて來る世の力とを味わったうえで、
ヘブ6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
[70] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[71] 申30:15 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。
申30:16 私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その數はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
申30:17 しかし、もし、あなたが心をそむけて、聞き従わず、誘惑されて、ほかの神神を拝み、これに仕えるなら、
[72] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[73] 黙16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
黙16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
黙16:7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
[74] 王上8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。
ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、
[75] 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
[76] 黙19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
[77] ダニ10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
ダニ10:6 そのからだは綠柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。
黙15:6 そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て來た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。
[78] 黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
[79] エゼ9:2 見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって來た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らははいって來て、青銅の祭壇のそばに立った。
エゼ9:3 そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、
エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人人の額にしるしをつけよ。」
[80] 2テサ1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
マタイ13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
マタイ13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
マタイ13:42 火の燃える爐に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
マタイ13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って來られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
[81] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[82] 創15:16 そして、四代目の者たちが、ここに戻って來る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」
[83] 使徒12:21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
使徒12:22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。
使徒12:23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
[84] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
創3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
[85] エフェ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
[86] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―
[87] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、
ロマ1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
ロマ1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。
ロマ1:32 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。
[88] 創18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
[89] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[90] イザ40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その勞苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
[91] マタイ6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
[92] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。
マタイ16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて來ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
[93] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
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