代下2:5 私が建てる宮は壮大な宮です。私たちの神は、すべての神神にまさって偉大な神だからです。
代下2:6 天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。
代下6:18 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」
使徒17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
† 神様は時間と空間を創造されました。時間と空間は神様に一滴の水滴にも及ばない。時間と空間は、神様には埃の粒子にも及ばない。時空間は神様にまるで存在しないのと同じです。神様は時間と空間の中に御使いの天を創造されました。御使いや人間には御使いの天や宇宙が大きいです。しかし、神様には御使いの天や宇宙がまるで存在しないのと同じです。
ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
† 今あるものや後にくるものは時間です。高さや深さは空間です。時間や空間は被造物です。今あるものや後にくるものは被造物です。高さや深さは被造物です。過去現在未来はすべて神様の中にあります。未来も神様から来るのです。神様の外に未来が存在するわけではありません。神様の外はありません[1]。神様がすべてです[2]。神様は存在の神様でもありますが[3]、非存在の神様でもあります[4]。
† 神様は、被造物が過去現在未来に同時に存在できない構造で時空間を維持させています[5]。神様は、被造物が複数の場所に同時に存在できない構造で時空間を維持させています。被造物は時空間内にのみ存在します[6]。死や命は被造物です[7]。御使いや人間は被造物です。時間や空間は被造物です。
† もちろん、被造物は自分が作られる前の時間には存在できません。いつもいらっしゃる方はただ神様だけです[8]。被造物は、神様が召される前には存在しないのです。しかし、神様がそうすることを望んでいるならば、神様は被造物が制限的に時間や空間を超越することを可能にすることができます。しかし、神様はそうしません。
† 被造物はすべてを知ることができませ。すべてを知るためには、過去現在未来のすべての瞬間、すべての場所に同時に存在しなければなりません[9]。すべてが分からないという意味は、時間の中にのみ存在するという意味です。すべてが分からない場合は、学ぶ必要があります。時間の流れの中で、被造物は学びます。
† 被造物は全能ではありません。全能でなければ、できることとできないことが区別されます。できないのは、ただできないことだけです。できないことについては、するかどうかの選択が不可能です。選択できない場合、自由意志は意味がありません。自由意志は全能者だけが持つことができるのです[10]。しかし、神様は被造物に自由意志をくださいます。神様には全能なので、被造物に自由意志をくださることができます[11]。
† 被造物に自由意志があることが可能な理由は、神様が被造物それぞれのすべての状況を完全に統制されるからです[12]。神様が選べる環境を造ってくださるので、被造物が選ぶことが可能なのです[13]。神様が選べる環境を造ってくださるので、被造物に自由意志があることが可能です[14]。
† 時空間内にのみ存在する被造物たちに、神様は自由意志をくださいます。被造物が善や悪を選ぶことができるように、神様があらゆる状況と環境を統制してあられます。犯罪することが不可能な状況でもなく、犯罪するしかない状況でもありません。
† 神様が被造物に自由意志をくださるので、被造物は選択できます。自由意志を持つ被造物は何の理由もなく選択しません。自由意志を持つ被造物は、なぜそのような選択をしなければならないのかをまず納得してからだけそのような選択をします[15]。ですから、神様は被造物がなぜそのような選択をしなければならないのかを被造物に納得させられます[16]。時間の流れの中で、被造物が学ぶことです[17]。
† 神様の御心を知っても、すべての被造物が神様に服従するわけではありません[18]。神様の御心を知っても、すべての被造物が神様と隣人を愛するわけではありません[19]。神様は、被造物たちにあらかじめ[20]宣言[21]された時に[22]、隣人を踏みにじる犯罪者たちを火の池に焼かれます[23]。しかし、彼らには悔い改める機会があります[24]。これらが時間の流れの中にあるからです。
コロ1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方(プロトトコス長子)です。
コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
出36:8 仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな、幕屋を十枚の幕で造った。撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でケルビムを織り出した。
イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
イザ14:15 しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
ヘブ8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ-セが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
† 主イエス様を通して、主イエス様は主イエス様のために被造界を造られました[25]。御使いの天は聖所です。御使いの天でも特に御座がある天は至聖所です[26]。ハデス(シェオル)は燔祭の祭壇です。燔祭の祭壇と聖所の間には洗盤があります。ガラスの海は洗盤です。
† 燔祭の祭壇は罪の下にあるものを燃やす場所です。燃える燔祭の祭壇は火の池を象徴します。洗盤は罪を洗う場所です。燔祭の祭壇と洗盤から罪と分離されてこそ、聖所に入ることができます。主イエス様の血とことばによって罪と分離されてこそ、聖所に入ることができます。罪から分離されなければ、ハデスを脱出してガラスの海を通過することができます。
† 御使いの天全体が聖所ではないという見方もあり得ます。御使いの天の一部だけが聖所という見方もあり得ます。とにかく、御使いの天は堕落していない御使いの領域です。ハデスは堕落した御使いと人間の領域です。罪のある被造物はガラスの海を通過できません。神様は犯罪の御使いたちを暗闇[27]すなわちハデスに閉じ込めました[28]。サタン噓群れは御使いの天に入ることはできません[29]。ハデスはガラスの海の下で、穴です[30]。
† 幕屋は御使いの天の模型です。幕屋はケルビムが刺繍された幕で覆われています。御使いの天には多くのケルビムがあります。至聖所の垂れ幕にもケルビムが刺繍されています[31]。契約の箱の上にも契約の箱を覆うケルビムがあります[32]。契約の箱は神様の御座を象徴します。
† 御使いの天の至聖所に神様が御座を置かれました[33]。御座に神様が神様の御名を置かれました。御座は神様の星の上にあります。御座は北の果てにある会合の山にあります。御座は雲のいただきの上にあります。雲は神様が栄光の中で[34]お見えになる場所です[35]。御座は雲に置かれています[36]。
黙4:5 御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
黙4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
† 洗盤の上に聖所があります。ガラスの海の上に実際の神殿があります。聖所に7つの金の燭台があります。実際の神殿に7つのともしびがあります。至聖所に契約の箱とケルビムがあります[37]。実際の神殿には実際の御座と御座をめぐるケルビムがいます。
† 至聖所は垂れ幕で遮られています。実際の神殿に垂れ幕があると、聖所の垂れ幕が雲のいただきを象徴する可能性があります。垂れ幕にケルビムが刺繡されているので[38]、聖所の垂れ幕がケルビムを象徴することもできます。たぶん御座をめぐる4つの生き物たち、すなわち4つのケルビムが垂れ幕の役割をするのかもしれません。御座を囲む4つの生き物をケルビムではなくセラピムとして見る見方もあり得ます[39]。
† 幕屋を覆う幕全体にケルビムが刺繡されています[40]。御使いの天全体にケルビムがいるという意味です。4つの生き物に加えて、ケルビムがいるという意味です[41]。御座はケルビムが支えていて飛び回ります[42]。御座は移動できます[43]。
1コリ10:1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
1コリ10:2 そしてみな、雲と海とで、モ-セにつくバプテスマを受け、
コロ2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
コロ2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
コロ2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
† ハデスからガラスの海を通ってこそ、実際の神殿に入ることができます。罪があれば、ガラスの海を通過できません。ガラスの海、すなわち洗盤はバプテスマです[44]。紅海はガラスの海を象徴します。
† 過越の祭りは燔祭の祭壇の十字架を象徴します。過越の祭りを通してファラオから脱出したイスラエルの民が紅海を渡ります。十字架を通してサタンから脱出した神様の民がガラスの海を渡ります。主イエス様の血で罪を許された人が水を通過します。主イエス様の血で罪を許された人が聖霊神様のバプテスマを通過します。
† ファラオの民であったイスラエルの民は紅海を渡り、神様の民として生まれ変わります。サタンの民だった私たちは、聖霊神様のバプテスマを通して神様の民として生まれ変わります。バプテスマは肉のからだを脱ぎ捨てることです。バプテスマは罪に対して死ぬことです[45]。罪に勝った者だけが死に打ち勝ちます[46]。死に勝った者だけが復活変化します[47]。復活変化した人々だけがガラスの海を通過します。
出15:1 そこで、モ-セとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。
黙15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
黙15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
黙15:3 彼らは、神のしもべモ-セの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
† モーセの歌はすなわち小羊の歌です。イスラエルの民がモーセを通してファラオから脱出し、紅海を渡ります。神様の民が小羊を通してサタンから脱出し、ガラスの海を渡ります。
† 復活変化した殉教証人たちはガラスの海を通って天に上がり[48]、地には7つの災害が降り注ぎます。地に7つの災害が降り注ぐので、ガラスの海の中には火が混ざっています。証人たちは死に至るまで神様と隣人を愛していました[49]。証人たちは戒めを守りました。戒めを守ったので、証人たちは復活変化しました[50]。証人の復活変化によって、戒めが真実であることが証明されました。戒めは被造物たちがよく守ることができるものなので、戒めを破って隣人を踏みにじる行ないは犯罪です[51]。戒めは正当な裁きの基準として立てられました[52]。今、戒めを破った犯罪者に対する裁きが始まります[53]。
† 7つの災害でハデスは荒廃されます。7つの災害後、主イエス様は地にまでお見えになります。以前の天と以前の地は火に燃えます[54]。主イエス様はサタン噓群れを底知れぬ所に閉じ込め、新しい天と新しい地を始められます。私は新しい天と新しい地を1000年王国として見ます。1000年後、主イエス様は大きな白い御座の裁きを行います。大きな白い御座の裁きの時に、死とハデスは火の池に投げ込まれます[55]。
† 新しい天と新しい地=パラダイス=エデン=1000年王国
† 1000年王国の終わりにサタンが底知れぬ所から解放され、火の池に投げ込まれます[56]。ところが、火の池にすでに獣と偽の預言者が燃えています[57]。獣と偽預言者は1000年前に火の池に投げ込まれました。1000年王国が始まる前でも、すでに火の池があります。
† 新しい天と新しい地が始まる前に海がなくなります[58]。1000年王国が始まる前に海がなくなります。しかし、1000年王国が終わっても海はあります[59]。1000年前の海と1000年後の海が同じ海ではないという意味です。私は1000年前の海を大空の下にある水で見て、1000年後の海を大空の上にあると見ます。私は1000年前の海を、底知れぬ所[60]や世[61]のようにハデスに関連する領域として見ています[62]。私は1000年後の海をガラスの海と見ます。
創1:1 初めに、神が天と地を創造した。
創1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
創1:6 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。
創1:7 こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。
創1:8 神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日。
† 神様はサタン噓群れをハデスに閉じ込めました。ですからハデスは混沌と空虚です。神様の霊が水の表面に通っているので、サタン噓群れは水から抜け出すことができません。
† ハデスの水の中に、神様が大空を成されます。大空のため、水は上下に分かれます。私は大空の上の水をガラスの海と見ます。私は大空[63]と大空の下の水を世として見ます。サタンは大空[64]と大空の下の水で[65]活動しています。サタン噓群れは大空の上の水を通過できません。
創1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
ヨハネ1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に來ようとしていた。
ヨハネ1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
黙21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
黙21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
† 暗闇のハデスに神様が光を創造されます。光は主イエス様の象徴です。被造界の真の光は主イエス様です。主イエス様はすなわち門です[66]。主イエス様はすなわち道です[67]。主イエス様を通してのみハデスを離れて天に入ることができます。主イエス様はすなわち天です[68]。主イエス様はすなわち神殿です[69]。主イエス様はすなわち命です[70]。神様の命は主イエス様を通してのみ被造物に伝えられます[71]。被造物は主イエス様[72]にのみ[73]存在します[74]。主イエス様に服従しない被造物は、最終的に火の池に投げ込まれます。最後には主イエス様に服従する被造物だけが残ります[75]。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:14 それから、死とハデス(=シェオル)とは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
† 死とハデスはガラスの海の下にあります。死の下にある被造物は大きな白い御座の裁きの時に火の池に投げ込まれます。ハデスを脱出しない被造物は、大きな白い御座の裁きの時に火の池に投げ込まれます。罪に固執する被造物は、死が火の池に投げ込まれると、一緒に火の池に投げ込まれます。罪を捨てる被造物は、死が火の池に投げ込まれるとき、火の池に投げ込まれません。
† 神様は被造物に自由意志をくださいました。自由意志は犯罪の可能性です。犯罪の可能性が1%でも残っていれば、その自由意志はいつかは必ず犯罪します。神様は、被造物を死の中に創造されたのです[76]。そして神様はその被造物が死ぬ前に[77]、その被造物の自由意志を完成されます。その手段は十字架です[78]。
† 死は暗闇です[79]。神様は暗闇の中に閉じ込められた被造物に光を照らします。この光はすなわち戒めです[80]。つまり、愛です[81]。愛を通して、被造物は死に打ち勝ちます[82]。愛を通して、被造物は生命につながります[83]。私たちがこの命を見ると、すなわち主イエス様です[84]。神様ご自身が被造物となられて[85]、死の下にある被造物を命に引き上げます[86]。
† 十字架の愛を通して、被造物は罪を捨てることを選びます。罪を捨てることを選んだ被造物の自由意志は完成されます。自由意志が完成された被造物は再び堕落しません。死は罪の代価です[87]。誰も犯罪しなければ、死も必要ありません。ハデスは犯罪者を閉じ込める場所です。誰も犯罪しなければ、ハデスも必要ありません。死とハデスが不要になると、火の池に投げ込まれます。罪に関連するすべてがなくなったら、創造は完成されます。
ヨブ12:10 すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。
ヨブ34:14 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、
ヨブ34:15 すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。
ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
使徒17:25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス․キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
エフェ4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
ヘブ12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
神様は存在の神様であるだけでなく、非存在の神様でもあります。神様が召されると、非存在は存在になります[88]。神様が返せば、存在は非存在となります。神様がいつでも無数に呼び出せる時空間は、それ自体では[89]神様にあまり意味がないのです[90]。時空間は神様によって、無きもののように思われます[91]。
[1] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[2] エフェ4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
[3] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
[4] イザ40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。
イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。
[5] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[6] コヘ1:11 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人人には記憶されないであろう。
[7] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
[8] ヘブ13:8 イエス․キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
[9] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。
イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。
[10] ダニ4:35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。
[11] イザ43:13 これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう。」
[12] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[13] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[14] 申30:19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
[15] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[16] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[17] エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[18] イザ14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国国を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
[19] ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[20] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
黙21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
[21] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[22] 2ペト3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
[23] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[24] ヨハネ12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために來たのではなく、世を救うために來たからです。
ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[25] ヘブ3:3 家よりも、家を建てる者が大きな栄轝を持つのと同様に、イエスはモ-セよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。
[26] 代下2:6 天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。
[27] マタイ4:16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人人に、光が上った。」
[28] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
[29] ユダ1:6 また、主は、自分の領域(アルケ始め)を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
[30] ヨブ26:6 よみも神の前では裸であり、滅びの淵もおおわれない。
[31] 出36:35 ついで、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、垂れ幕を作った。これに巧みな細工でケルビムを織り出した。
[32] 出37:8 一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。
出37:9 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
[33] エズ6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」
[34] 申31:15 主は天幕で雲の柱のうちに現われた。雲の柱は天幕の入口にとどまった。
[35] レビ16:2 主はモ-セに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。
[36] ヨブ26:9 神は御座の面をおおい、その上に雲を広げ、
詩97:2 雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。
[37] 出25:20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。
[38] 出26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。
出26:32 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鈎が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。
出26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。
[39] イザ6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
イザ6:2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
[40] 出26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
出26:2 幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とする。
出26:3 その五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせなければならない。
[41] エゼ10:20 彼らは、かつて私がケバル川のほとりで、イスラエルの神の下に見た生きものであった。私は彼らがケルビムであることを知った。
[42] サム下22:11 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼の上に現われた。
[43] エゼ1:25 彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。
エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。
[44] 1ペト3:21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス․キリストの复活によるものです。
[45] 1ヨハ3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
1ヨハ3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
[46] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[47] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[48] 1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って來られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
1テサ4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
[49] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[50] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[51] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―
[52] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
黙11:17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[53] 黙16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
黙16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
黙16:7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
[54] 2ペト3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
2ペト3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
2ペト3:13 しかし、わたしたちは、神の約束にしたがって、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
[55] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[56] 黙20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ翔まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
[57] 黙19:20 すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ翔まれた。
[58] 黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
[59] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[60] 黙17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って來ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。
[61] 黙17:15 御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。
[62] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[63] エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[64] エフェ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
[65] イザ27:1 その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。
[66] ヨハネ10:7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
[67] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。
[68] マタイ12:28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに來ているのです。
[69] マタイ12:6 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。
[70] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
[71] 1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
[72] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
[73] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[74] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[75] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[76] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[77] ロマ11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
ロマ11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り所くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
[78] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[79] イザ9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
[80] 1ヨハ2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。
1ヨハ2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
[81] 2ヨハ1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いていたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。
[82] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[83] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
[84] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[85] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[86] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[87] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[88] イザ40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。
イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。
[89] ヨブ35:6 あなたが罪を犯しても、神に対して何ができよう。あなたのそむきの罪が多くても、あなたは神に何をなしえようか。
ヨブ35:7 あなたが正しくても、あなたは神に何を与ええようか。神は、あなたの手から何を受けられるだろうか。
ヨブ35:8 あなたの悪は、ただ、あなたのような人間に、あなたの正しさは、ただ、人の子に、かかわりを持つだけだ。
[90] ヨブ20:5 悪者の喜びは短く、神を敬わない者の樂しみはつかのまだ。
ヨブ20:6 たとい彼の高ぶりが天まで上り、その頭が雲まで及んでも、
ヨブ20:7 彼は自分の糞のようにとこしえに滅びる。彼を見たことのある者たちは言う。彼はどこにいるのかと。
ヨブ20:8 彼は夢のように飛び去り、だれにも彼は見つけられない。彼は夜の幻のように追い払われ、
[91] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
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