Ω ヘレルが犯罪しなかったとしても、第2位神様は被造物となられたのでしょうか |
1 神様は御使いと人間に自由意志をくださいました。今のような構造の被造界では、自由意志は愛を通してのみ完成されます[1]。自由意志が完成されていないので犯罪します。ヘレルが犯罪する前でも、ヘレルは犯罪の可能性を抱いていました[2]。アダムが犯罪する前にも、アダムは犯罪の可能性を抱いていました[3]。犯罪する前でも、ヘレルとアダムの自由意志は不完全でした。 まだ犯罪していなくても、御使いと人間はいつかは犯罪する被造物です[4]。ですから、神様は御使いと人間が犯罪する前に、彼らの自由意志を完成されます[5]。神様は第7日を期限に定め[6]、第7日になる前に被造物の疑いを消滅させます[7]。神様は十字架を通して神様の愛を示しています。十字架の愛で御使いと人間の自由意志は完成されます[8]。神様はヘレルとアダムの堕落を使って、被造界に十字架を立てます[9]。 神様はヘレルとアダムが犯罪した後、アダムとしてお見えになります。神様はヘレルとアダムが犯罪した後、被造界に十字架を立てます。神様は十字架を通して被造界で罪を消滅させます[10]。それでは、ヘレルが犯罪しなかったとしても、神様は被造物となられたのでしょうか。 今のような構造の被造界では、神様はヘレルとアダムの犯罪によって十字架を立てられます。神様は、被造物に、被造物が十分に耐えられる誘惑だけを許されます[11]。したがって、ヘレルは罪に抵抗することができました。もしヘレルが犯罪しなかったならば[12]、神様は十字架以外の他の方法を創世前に先にあらかじめ定められ、創造を始められたでしょう[13]。 自由意志がある被造物は理由なく愛しません。ですから、神様は被造物たちに神様を愛すべき理由を教えてくださいます。神様は十字架を通して神様の愛を示しています[14]。自由意志のある被造物は愛を受ければ愛します[15]。十字架の愛を受けた被造物は神様と隣人を愛します[16]。 自由意志のある被造物は理由なく戒めを守りません。ですから、神様ご自身が被造物となられ、被造物たちに戒めを守る模範を見せられます[17]。被造物は戒めを守れと命じられる方が戒めを守る方であることを確認します[18]。被造物は戒めが被造物が十分に守ることができる基準であることを確認します[19]。被造物は、戒めが守られていないときに何が起こるのかを確認します[20]。 今のような構造の被造界では、神様は十字架を通して被造物にこれらの点を証明されます。自由意志のある被造物は、十字架を通して神様の愛と公義を悟ります。もしヘレルが犯罪しなかったならば、十字架は立てられなかったでしょう。もしそうなら、神様は十字架以外の他の方法でこれらの点を被造物に証明することで創世前にまずあらかじめ定められたでしょう。あるいは堕落しないヘレルの代わりに[21]、堕落する他の被造物をヘレルの席に置いたはずです[22]。 2 神様は被造物に自由意志をくださいました。神様は被造物を愛の法律で支配されます[23]。このような構造の被造界では、法を守る者だけ法を守ると命じます。このような構造の被造界では、法を守る者だけ法を守らない者を裁くことができます[24]。法律を守らない者が法律を守るよう命じるならば、自由意志を持つ被造物は彼の言葉に従わないでしょう。それにもかかわらず、法を守らない者が法を守らない者を裁くならば、それは力の支配であり、愛の支配ではありません[25]。自由意志を持つ被造物を愛の法律で支配するためには、法を守るよう命じる者は、必ず法を守る者でなければなりません。 自由意志を持つ被造物はそれぞれ異なる欲求を持っています。それぞれ異なる目的を持っているので、衝突することができます。自由意志が愛の法と一緒に与えられなければ、被造物は互いに死んで死ぬでしょう。ですから、神様には愛の法を守れと命じられます。愛の法を守りながら自分の欲求を成し遂げなければならないため、被造物に「隣人を傷つけてはいけない」という目的が追加されます[26]。 もし神様がそれぞれの被造物すべてがすべての欲求をいっぱいに満たせるように被造界を創造されたなら[27]、被造物間の衝突はなかったでしょう。もし神様が被造物に欲求自体を与えられなかったなら、被造物間の衝突はなかったでしょう。しかし、神様は、満たされることのない欲求を持つ被造物たちを集め[28]、互いに愛し合うように命じます[29]。神様には、被造物が互いに衝突するしかない状況の中に被造物を置き、被造物に愛するかどうかを選択させてくださいます[30]。被造物に自由意志を発揮できる状況を造成してくださるのです[31]。 衝突すれば、誰かは譲歩しなければなりません。譲るのは大変です。愛の法を守るためには、犠牲にしなければなりません[32]。隣人を愛するためには、犠牲にしなければなりません。法を守るためには、小さな苦痛に耐えなければなりません[33]。大きな幸せのために必ず耐えなければならない苦痛です[34]。しかし明らかに苦痛でもあります。したがって、自由意志を持つ被造物は、被造物が守ることができない法を受け入れることができません[35]。自由意志を持つ被造物は、苦痛に耐えなければならない理由を知らなければなりません。自由意志を持つ被造物は、隣人のために自分の欲を譲らなければならない理由を知らなければなりません。 神様ご自身が被造物となられます。神様ご自身が法を守る模範を見せられます。被造物は神様が法を守られる方であるという事実を知るようになります[36]。被造物は神様が守るよう命じられる方法に喜んで服従します。神様が被造物となられて法を守られます。被造物たちは愛の法が、被造物が十分に守ることができる基準であるという事実を知るようになります[37]。被造物は喜んで愛の法を守ります[38]。 神様は裁きを最後の日に延期します[39]。したがって、サタンは自分の欲を満たすために隣人を踏みにじって狂って飛びます。被造物は愛の法律が守られないときに何が起こるのかを見ます。被造物は愛の法を守るために小さな苦痛に耐えなければならない理由を知るようになります。被造物は喜んで隣人のために譲歩します。被造物は隣人を傷つけないように最善を尽くします。 神様は十字架を通して被造物にこれらの点を悟らせます。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されます。神様はヘレルとアダムが犯罪した後でさえ、被造物にこれらの点を悟らせます。神様はヘレルとアダムの犯罪によって被造界に十字架を立てられます。したがって、神様は犯罪することを決心する被造物をヘレルの席に置きます[40]。神様は堕落することを選ぶ被造物をアダムの席に置きます。 神様が十字架以外の方法を使用しようとした場合、神様はヘレルとアダムをその場に置かなかったでしょう。神様が十字架を通して被造物の自由意志を完成されることに決められたので、神様がヘレルとアダムをその場に置かれたのです[41]。私たちの被造物は時間の中にのみ存在します[42]。神様はすべての瞬間に常に同時にいらっしゃいます[43]。時間も被造物に過ぎません[44]。神様が何をどのように決定するのかを被造物なんて知ることはできません[45]。神様が私たちに十字架を見せなかったならば、私たちは十字架を見ることができなかったでしょう[46]。 3 被造物から犯罪の可能性が消滅されると、被造物は永遠に生きます[47]。神様が被造物を永遠に生かされるために、被造物に神様の愛を示します。神様が被造物に神様の愛を示すために、十字架を立てます。 十字架を通して、被造物は神様の愛を見ます。十字架を通して、被造物は神様の裁きを見ます。十字架を通して、被造物は戒めを守る神様を見ます。十字架を通して、被造物は罪の邪悪さを見ます。被造物は戒めが崩れた時の苦しみを見ます。被造物は、神様がなぜ愛の戒めを守れと命じられるのかを悟ります。 今のような構造の被造界では、堕落しなければヘレルはアダムを誘惑しません。今のような構造の被造界では、誘惑されなければアダムは犯罪しません。今のような構造の被造界では、アダムが犯罪しなければアダムを贖うことができません。今のような構造の被造界では、アダムが贖われない限り、神様の愛は証明されません。今のような構造の被造界では、ヘレルが堕落しなければ十字架が立てられません。今のような構造の被造界では、ヘレルが堕落しなければ被造物の自由意志が完成されることができません。 もしヘレルが堕落しなかったならば、神様は今のような構造で被造界を創造されなかったでしょう。あるいは、堕落する他の被造物をヘレルの席に置いたでしょう。今のような構造の被造界では、堕落していない被造物が隣人を誘惑しません。今のような構造の被造界では、アダムは誘惑されず犯罪することができません。 今のような構造の被造界では、アダムは自ら犯罪を始めることができません。アダムは自ら犯罪を始めることができるほどの光を受けませんでした。強力な光を拒むには、悔い改めが不可能なほどまで自分の自由意志を発揮しなければなりません。もしアダムが自ら犯罪を始めることができるほどの強力な光を受けたなら、アダムは悔い改めなかったでしょう。光を受けたアダムが決心して堕落した場合、アダムは悔い改めることができません[48]。アダムが自分の自由意志を最大限発揮してわざわざ堕落すると、アダムは今も悔い改められません[49]。 神様は犯罪のアダムを通して戒めの真実さを証明します。犯罪したアダムの肉体では、茨とアザミ、すなわち肉の欲望が上がります[50]。肉の欲望が上がる肉体は死の体です[51]。死の体を着ても、アダムは戒めを守ります。死の体を着ても、アダムは神様と隣人を愛します。死の体を着ても、アダムは戒めを守るために命を捨てます[52]。 戒めの真実さを証明するにあたって、肉の欲望のない肉体は、肉の欲望のある肉体よりもその効果が落ちます。死の体を着ても戒めを守れば、死の体を着ていない被造物はさらに戒めを守ることができます[53]。アダムが戒めを守れば、御使いはさらに戒めを守ることができます。 神様はヘレルとアダムの堕落を使って、被造界に十字架を立てるように定められました。犯罪していないアダムを贖うことはできません。明らかにされていない罪のために贖うことはできません[54]。贖罪しても、被造物はそれがどういう意味なのかを悟ることができません。もしヘレルが堕落しなかったならば、神様は十字架以外の方法で創造を完成されました。 もし神様がそれでも十字架を通して創造を完成しようとされたなら、神様だけがご存じでいらっしゃる多くの変化があったでしょう。罪の実体が明らかになっていない状況のうち、被造物たちから犯罪の可能性を消滅させなければならなかったからです。 しかし、ヘレルは堕落し、アダムを迷い、神様まで[55]殺すでしょう[56]。神様は創世前にすでにヘレルの犯罪をご存じでいらっしゃいました。神様は創世前にまずヘレルの犯罪を使用することに決められた後、初めて創造を始められました。神様は創世前にまず十字架を通して被造物の自由意志を完成されることに決められました[57]。 被造物は時間の流れの中にのみ存在します。神様はすべての瞬間に常に同時にいらっしゃいます[58]。被造物は神様が知らせただけにだけ分かります[59]。「もしヘレルが堕落しなかったなら、神様はどのような方法で創造を完成されたのだろうか?」という質問に対する答えは、被造物などがあえて分からないことです。この質問を理解するには、被造物は当初から時間を超越している必要があります[60]。とにかく被造物は決して創造主になることはできません。被造物が神様だけが知ることができることを過度に推測するのは、体を疲れさせるだけであります。 |
[1] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[2] エゼ28:15 あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
[3] 黙3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
[4] ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。
ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、
[5] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[6] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[7] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[8] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[9] 1コリ2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
1コリ2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
[10] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[11] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[12] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[13] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
エフェ1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス․キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
[14] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[15] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[16] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[17] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[18] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[19] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[20] ホセ4:1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。
ホセ4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
ホセ4:3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。
[21] 王上13:2 すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」
[22] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」
[23] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
[24] 創18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
創18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
[25] コヘ4:1 私は再び、日の下で行なわれるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の淚を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。
コヘ4:2 私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
コヘ4:3 また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかった者だ。
[26] 創42:22 ルベンが彼らに答えて言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのにあなたがたは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けるのだ。」
[27] 申8:2 あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
申8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
[28] ルカ22:24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。
ルカ22:25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人人を支配し、また人人の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
ルカ22:26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
ルカ22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
[29] ヨハネ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
[30] 申8:14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。―主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、
申8:15 燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、
申8:16 あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。―
[31] 創2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
[32] 1コリ13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
1コリ13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
[33] 出16:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
[34] 申11:10 なぜなら、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地は、あなたがたが出て來たエジプトの地のようではないからである。あそこでは、野菜畑のように、自分で種を蒔き、自分の力で水をやらなければならなかった。
申11:11 しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。
申11:12 そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。
[35] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[36] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[37] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[38] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
[39] ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[40] ロマ9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。
ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
[41] ヨハネ9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
ヨハネ9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
[42] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[43] 黙16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
[44] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
[45] 1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
[46] 1コリ1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
1コリ1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1コリ1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
[47] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[48] ヘブ6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
ヘブ6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて來る世の力とを味わったうえで、
ヘブ6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
[49] 2ペト2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
2ペト2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
[50] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[51] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[52] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[53] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
[54] 創2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
黙3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
[55] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[56] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
[57] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[58] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。
イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。
イザ44:8 恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。
[59] マタイ11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
マタイ11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
[60] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
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