Ω ヘレルは堕落するしかなかったか |
見方1:十分に堕落しないことができた |
創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。 創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」 創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。 † アビメレクに犯罪する意志はありませんでした。それゆえ、神様はアビメレクが犯罪するのを防ぎます。神様の恵みでアビメレクは犯罪しません。したがって、アビメレクは火の池に投げ込まれません。神様の恵みでアビメレクは火の池に投げ込まれません。 † もしアビメレクが犯罪しようとしたなら、神様はアビメレクを妨げられなかったでしょう。神様がアビメレクを妨げられなかったならば、アビメレクは犯罪したでしょう。神様がアビメレクに恵みを与えなかったならば、アビメレクは犯罪したでしょう。アビメレクが犯罪した場合、神様はアビメレクを火の池に燃やしたでしょう。 † アビメレクが犯罪しないように努力しても、彼が犯罪しないことは不可能です。アビメレクは自分の力で神様に服従することはできません。アビメレクがいくら犯罪しようとしないとしても、神様がアビメレクに恵みを与えないなら、アビメレクは犯罪するしかありません。 † しかし、アビメレクには犯罪しようとする意志はありませんでした。したがって、神様はアビメレクに恵みを与えます。神様の恵みでアビメレクは犯罪しません。もしアビメレクが犯罪しようとしたならば、神様は彼に恵みを与えなかったでしょう。もし神様がアビメレクに恵みを与えなかったならば、アビメレクは犯罪したでしょう。 被造物は神様の恵みで犯罪しません。被造物自らの力では戒めを守ることができません[1]。しかし、神様が施される恵みを拒まなければ、被造物は必ず戒めを守ることができます[2]。ヘレルが神様が与えた恵みを受け入れたなら、ヘレルは犯罪しなかったでしょう[3]。ヘレルが犯罪しなかったならば、神様はヘレルの自由意志も完成されてくださったでしょう。 神様は十字架を通して被造物に神様の愛を示しています[4]。十字架の愛を見て、被造物は神様を愛するようになります[5]。神様を愛するようになった被造物は隣人を愛します[6]。隣人を愛する被造物は隣人を傷つけることはできません[7]。今のような構造の被造界では、被造物の自由意志は十字架の愛によって完成されます[8]。今のような構造の被造界では、十字架の愛を悟り、被造物が犯罪への意志を捨てます[9]。 ヘレルが堕落しなかったならば、神様は被造物の自由意志を完成されるために十字架以外の方法を創世前にあらかじめ定められたでしょう[10]。あるいは、堕落しないヘレルの代わりに堕落する他の被造物をヘレルの席に創造されたのでしょう。誰も堕落しなかったならば、神様は神様のみがご存じでいらっしゃる方法で被造物から犯罪の可能性を消滅させたでしょう。しかし、神様がご覧になったとき、ヘレルは堕落するでしょう[11]。ですから、神様はヘレルの堕落を通して被造界に十字架を立てるように定められました[12]。 十字架の愛によって、被造物が戒めを守ることができるようになります[13]。ところが御使いたちは御子が十字架を背負う前に堕落しました。堕落した御使いたちは戒めを守れない状態にあったのでしょうか。彼らは御子が十字架を背負う前に堕落したので無罪なのでしょうか。無罪ではありません。神様は彼らが堕落しないように彼らにも恵みを与えてくださったでしょう[14]。彼らは神様の恵みを拒んだので堕落したのです。 十字架の愛を知る前には、神様がもともと意図されているように隣人を愛することはできません[15]。ですから、神様はイスラエルの民と初めの契約、すなわち一時的な契約を結んだとき[16]、表に現れる行ないだけをおっしゃいました。獣の血では心を変えることはできません[17]。御使いを通して伝えられた律法では心を変えることはできません[18]。 神様ご自身が来られ、十字架を背負います[19]。神様ご自身が来て、神様自身の血で新しい契約、すなわち本当の契約を結びます[20]。動物の生贄ではなく、本物の生贄をささげます[21]。贖いの写しではなく、本当の贖いを成し遂げます[22]。本当の贖いが成し遂げられるので、聖霊神様がお見えになります[23]。十字架を通して神様の愛が完全に現れます[24]。ですから、今、神様がもともと意図されているように隣人を愛することができるようになりました[25]。ですから、神様は山の上に上り[26]、律法の本来の御心を教えてくださいます[27]。 戒めは変わりません[28]。しかし、それぞれが受けた[29]光によって[30]、神様が求められる程度は異なります[31]。たくさん受けた被造物には、神様が多くの実を求められます[32]。御子が十字架を背負う前に神様が私たちに求める基準と[33]、御子が十字架を背負った後に神様が私たちに求める基準が異なります[34]。以前は律法の行ないだけを強調していましたが、今は心の意図まで強調されています[35]。今は心でまで律法を守れる力が与えられたからです[36]。今は聖霊神様がお見えになるからです[37]。 御子が十字架を背負う前であっても、イスラエルの残りの者たちは律法を守りました[38]。御子が十字架を背負った後でさえ、多くの人々が隣人を踏みにじります[39]。十字架の愛が明らかに現れなかった時でも、恵みを拒まなければ戒めを守ることができます。十字架の愛が明らかに現れても、恵みを拒むと戒めを守ることができません。 十字架の愛が明らかに現れなかった時でしたが、イスラエルの残りの者たちは律法を守りました[40]。イスラエルの残りの者たちが堕落していなかったように、ヘレルも堕落しないことが可能でした。ミカエルやガブリエルが堕落していないかのように、ヘレルも堕落しないことが可能でした。ヘレルが堕落しなかったならば、十字架の愛を通してヘレルの自由意志も完成されたでしょう。ミカエルは神様の恵みを拒絶しませんでした。しかし、ヘレルは神様の恵みを断りました。 もし神様がヘレルに、ヘレルが守れない命令を下されたので、ヘレルが堕落したのなら、神様はヘレルを裁かれてはならないのです。もしヘレルが堕落するしかない状況にあったので、ヘレルが堕落したのなら、神様はヘレルを審判してはならないのです。しかし、神様はヘレルをハデスに閉じ込め、ヘレルは裁きを待っています[41]。 神様はヘレルにも自由意志をくださいました。神様がヘレルを犯罪するしかない状況に置かれた場合、それは神様がヘレルに自由意志をくださったのではありません。神様がヘレルを犯罪不可能な状況に置いた場合、それは神様がヘレルに自由意志をくださったのではありません。選択が不可能な状況に置くことは自由意志をくださったものではありません。神様はヘレルが選択できる状況に置かれました。そしてヘレルは犯罪することを選びました[42]。 神様は被造物に恵みを与えられ、被造物が戒めを守らせられるのです。しかし、神様は被造物の自由意志を侵害されません[43]。被造物はいくらでも神様の恵みを拒むことができます[44]。神様は、恵みを拒む者たちを無理強いに神様に服従させることはありません[45]。もし神様が恵みを拒む者を強制され、無理強いに神様に従順にされるなら、それは神様が彼に自由意志をくださったのではありません。神様が恵みを拒む者を強制して彼を無理やり天国に入れると、火の池に投げ込まれた被造物は抗議するでしょう[46]。 十字架を通して神様の愛が証明されました。それでも依然として犯罪する者たちがいます。御子に逆らう者たちはむしろ御子を十字架につけて殺します[47]。神様がくださる恵みを拒む者は、神様に服従することはできません。恵みを拒む者たちは隣人を踏みにじるしかありません[48]。 被造物が戒めを守ろうと努力しても戒めを守ることができるわけではありません[49]。被造物自らの自由意志で戒めを守れるわけではありません[50]。被造物が戒めを守るためには、神様の恵みを拒絶してはいけません[51]。戒めは恵みで守るのです[52]。恵みが彼を戒めを守らせるのです[53]。自由意志はその恵みを拒むかどうかを選択できるだけです[54]。 したがって、戒めを守っても被造物は自慢できません[55]。被造物自らの力で戒めを守ったのではないからです[56]。神様が彼に恵みを与えてくださらなかったならば、彼は犯罪するしかなかったでしょう[57]。神様が彼に恵みを与えてくださらなかったなら[58]、そのやはり他の犯罪者たちと同様に火の池に投げ込まれなければならなかったでしょう[59]。彼は神様の恵みを拒絶しなかっただけです[60]。 神様には耐えられる誘惑だけを被造物に許されます[61]。したがって、状況で犯罪を正当化することはできません。状況によって被造物が犯罪しなければならないなら、それは神様が被造物に自由意志をくださったのではありません。犯罪しやすい状況は、ほとんど犯罪者が選んだものです[62]。恵みを拒むかどうかは、被造物自らが決めます[63]。被造物の運命は、被造物自らが決定します[64]。被造物は自分の意志で自分の運命を決めます[65]。したがって、火の池の前で、被造物は言い訳できません[66]。 もし神様がヘレルに恵みを与えられなかったので、ヘレルが犯罪したのなら、ヘレルに対する裁きは不当です。もし神様の戒めがヘレルが守ることができないので、ヘレルが犯罪したものなら、ヘレルに対する裁きは不当です。しかし、神様は被造物が耐えうる誘惑だけを被造物に許されます[67]。そして愛の戒めは、神様が施される恵みを被造物が拒まなければ、被造物がしっかり守ることができるのであります[68]。ヘレルに対する裁きは正当であります[69]。 |
私はこの見方を支持します。 |
見方2:必ず堕落するしかなかった。 |
被造物自体は戒めを守る力がないので、ヘレルの堕落はあらかじめ定められたものでした。 |
私はこの見方を支持しません。 質問 それでは、神様はヘレルに守ることができない法を守るように命じられたのでしょうか。 |
[1] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
[2] テト3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快樂の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
テト3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
テト3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
[3] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
[4] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[5] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[6] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[7] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[8] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[9] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[10] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
Rev.13:8 And all that dwell upon the earth shall worship him, whose names are not written in the book of life of the Lamb slain from the foundation of the world.[KJV]
[11] ヨハネ6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」
ヨハネ6:71 イエスはイスカリオテ․シモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二弟子のひとりであったが、イエスを売ろうとしていた。
[12] ヨハネ13:18 わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。』と書いてあることは成就するのです。
[13] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラ2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
[14] サム下18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
[15] ガラ3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
ガラ3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ翔めました。それは約束が、イエス․キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
[16] 出24:6 モ-セはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
出24:7 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
出24:8 そこで、モ-セはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
[17] ヘブ10:3 ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。
ヘブ10:4 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。
[18] 使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
[19] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[20] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[21] ヘブ9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として來られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
ヘブ9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
[22] マルコ15:37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。
マルコ15:38 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
[23] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[24] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[25] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[26] マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。
マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
[27] 出19:18 シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて來られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。
出19:19 角笛の音が、いよいよ高くなった。モ-セは語り、神は声を出して、彼に答えられた。
出19:20 主がシナイ山の頂に降りて來られ、主がモ-セを山の頂に呼び寄せられたので、モ-セは登って行った。
出19:21 主はモ-セに仰せられた。「下って行って、民を戒めよ。主を見ようと、彼らが押し破って來て、多くの者が滅びるといけない。
[28] ヨハネ10:35 もし、神のことばを受けた人人を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、
[29] 1コリ9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。
[30] エレ20:7 主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。
[31] マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
[32] ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[34] マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
[35] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
1ヨハ3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
[36] ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
[37] ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
[38] ダニ3:16 シャデラク、メシャク、アベデ․ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
ダニ3:17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える爐から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
ダニ3:18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神神に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
[39] 1コリ1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
[40] 創6:8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
創6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
[41] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
[42] エゼ28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
[43] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[44] マタイ13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
[45] ロマ9:15 神はモ-セに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
[46] 創18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
[47] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[48] エフェ4:17 そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
エフェ4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
エフェ4:19 道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。
[49] テト2:11 というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、
テト2:12 私たちに、不敬嶺とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬嶺に生活し、
[50] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[51] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
[52] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[53] ロマ4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
[54] 1コリ15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
[55] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[56] ロマ11:17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリ-ブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリ-ブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
ロマ11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
[57] 2テサ2:9 不法の人の到來は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
2テサ2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
[58] ルカ13:2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
ルカ13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
ルカ13:4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
ルカ13:5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
[59] ガラ6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
[60] 黙2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。
[61] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[62] 詩1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
[63] エゼ18:20 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。
エゼ18:21 しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行なうなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。
[64] ヨシュ24:15 もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神神でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神神でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
[65] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―
[66] ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
[67] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[68] 申30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。
申30:12 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。
申30:13 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。
申30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。
[69] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
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