神様は被造界に愛の戒めを立てます。神様を逆らって隣人を踏みにじる被造物は死ななければなりません。隣人を踏みにじる被造物を生かしておくと、踏みつけられる被造物が苦しみます。戒めを破る被造物は必ず死ななければなりません。最初のアダムは戒めを破りました。したがって、最初のアダムは死ぬべきです。最初のアダムは必ず火の池に投げ込まれなければなりません。
神様は被造界に「代わりに死ぬ」という概念を立てられます。被造界の安息を守るためには、犯罪する者を殺さなければなりません。被造界の苦しみを終わらせるためには、犯罪するまさにその人を殺さなければなりません[1]。他人を代わりに殺してみたら被造界の苦しみは終わりません。生き残った犯罪者は、引き続き隣人を踏みにじるでしょう。犯罪する者を生かすために他の人を代わりに犠牲にしてはなりません。犯罪する者が生き残るならば、犯罪する者は引き続き隣人を踏みにじるでしょう。したがって、「代わりに死ぬ」の真の意味は、「悔い改める者のために代わりに死ぬ」であります。
アダムが死ななければならない理由は戒めを破ったからです。罪は戒めを破るのです[2]。アダムを贖うためには、戒めを破った罪に対する対価を払わなければなりません[3]。戒め値を払わなければ、戒めを破った罪からアダムを買い戻すことができません。戒めの値を払うためには、戒めと同等かそれ以上の価値を持つ存在を犠牲にしなければなりません。
戒めの値を払うために1人の御使いを犠牲にするならば、戒めの価値は1人の御使いほどになるでしょう。戒めを破った罪の値を犬の一匹にした場合、戒めの価値は犬の一匹ほどになるでしょう。神様は戒めを破った罪に対する値を定められます。神様が定められた戒めの値は、神様自身です。
神様は被造界が存在する理由です[4]。神様は被造界を無限に多く創造することができます[5]。神様は被造界よりも無限に大切です。そのような神様は神様自身を戒めの値で払いました。戒めを破った罪に対する値は今、神様と同じです。被造物は無限を超越される神様を理解できません[6]。したがって、被造物が理解できる範囲内で、戒めを破った罪の値は今、被造界全体です[7]。
神様は、被造界全体を消滅させなければならないとしても、犯罪者を生かしておくことはしません。神様は、被造界全体を消滅させなければならないとしても、被造界に犯罪を許されません。神様が自らを戒めの値で支払われたという意味は、むしろ被造界を消滅させなければならないとしても、戒めのない被造界を容認されないことを意味します。
戒めを破る奴は必ず死にます[8]。すべての被造物がすべて戒めを破るならば、すべての被造物は一人も抜けずに必ず死にます[9]。神様は、むしろすべての被造物をすべて殺さなければならないとしても、隣人を踏みにじる罪が被造界に残ることを許されません[10]。戒めがなければ、被造界もありません。愛の戒めは、被造界を存続させる原因であります[11]。神様の御言葉は、被造界を保つ原因であります[12]。
神様は被造界に、「悔い改める者のために代わりに死ぬ」という概念を立てられます。そして神様が悔い改める者のために代わりに死にます[13]。しかし、神様が代わりに死んでも、被造物がいったいそれがどういう意味なのかを理解できません[14]。多くの人が十字架に処刑されています。そのうちの一人の死が果たして私と何の関係がありますか?被造物は一体メシヤの十字の木が何を意味するのかを理解できません。
ですから、神様は被造界に「生贄」という概念を立てられます[15]。「生贄」を通して被造物は「代わりに死ぬ」という概念を理解します。「生贄」を通して被造物は「贖い」の概念を理解します[16]。私の罪の代価を、他の人が代わりに払うこともできるのです[17]。戒めを破った私の代わりに、他の人が死んでくれることが可能です[18]。私の代わりに他の人が死んでくれるなら、神様が私を義とみなさってくださることも可能です[19]。私の代わりに他の人が戒めの値を支払ってくれれば、神様が私を義とみなさってくださることも可能です[20]。
A. 主イエス様は燔祭です
レビ1:8 祭司であるアロンの子らは、その切り分けた部分と、頭と、脂肪とを祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい。
レビ1:9 内臓と足は、その人が水で洗わなければならない。祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
エフェ5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
† 主イエス様は燔祭でささげられました。
B. 主イエス様は罪祭です
レビ4:3 もし油そそがれた祭司が、罪を犯して、民に罪過をもたらすなら、その人は、自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。
レビ4:4 その雄牛を会見の天幕の入口の所、主の前に連れて來て、その雄牛の頭の上に手を置き、主の前にその雄牛をほふりなさい。
レビ4:5 油そそがれた祭司はその雄牛の血を取り、それを会見の天幕に持ってはいりなさい。
レビ4:6 その祭司は指を血の中に浸し、主の前、すなわち聖所の垂れ幕の前に、その血を七たび振りかけなさい。
レビ4:7 祭司はその血を、会見の天幕の中にある主の前のかおりの高い香の祭壇の角に塗りなさい。その雄牛の血を全部、会見の天幕の入口にある全焼のいけにえの祭壇の土台に注がなければならない。
レビ4:8 その罪のためのいけにえの雄牛の脂肪全部を、それから取り除かなければならない。すなわち、内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
レビ4:9 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とを取り除かなければならない。
レビ4:10 これは和解のいけにえの牛から取り除く場合と同様である。祭司はそれらを全焼のいけにえの祭壇の上で焼いて煙にしなさい。
レビ4:11 ただし、その雄牛の皮と、その肉の全部、さらにその頭と足、それにその内臓と汚物、
レビ4:12 その雄牛の全部を、宿営の外のきよい所、すなわち灰捨て場に運び出し、たきぎの火で焼くこと。これは灰捨て場で焼かなければならない。
ヘブ13:11 動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。
ヘブ13:12 ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
† 一般的に、支配者や平民がささげる罪祭の血は、祭壇の角に塗り、祭壇の下に注ぎます。しかし、祭司やイスラエルの会衆のための罪祭の血は、祭壇の下に注ぐ前に、まず垂れ幕の前に7回振りかけます。また年に一度、大贖罪の日にささげられる罪祭の血は至聖所にまで入ります。
† 罪祭の時には手を置きます[21]。レビ16章の大贖罪の日の罪祭の時には、手を置く場面が抜けていますが、おそらく手を置いたと推測されます。しかしユダヤ伝承によると、大贖罪の日にエホバにささげるヤギには手を置かなかったそうです。とにかく、アザゼルヤギには確かに手を置きます。
† エホバに捧げられるヤギは主イエスを象徴します。アザゼルヤギはサタンを象徴します。主イエス様は私たちを贖ってくださいました[22]。主イエス様は私たちが受けなければならない呪いを代わりに受けました[23]。エホバにささげられるヤギの血は至聖所にまで入ります。主イエス様の血は至聖所にまで入ります[24]。十字架を通して至聖所が開かれました[25]。さて、聖霊神様は聖徒たちの肉体にお見えになります[26]。ただし、公式的な贖罪は、被造物の自由意志が完成される第7のラッパの時に始まります[27]。
† 罪の元凶はサタンであります[28]。罪に対する最終的な責任はサタンに返されます[29]。聖徒たちを誘惑させて犯罪させた責任はサタンに返されます。アザゼルヤギがイスラエルの民に蒔いた神様への疑いは、手を置くことによってアザゼルヤギに戻されます。サタンが聖徒たちに蒔いた神様への疑いは、手を置くことによってサタンに戻されます。
† 神様への疑いは犯罪の可能性になります。十字架と復活変化を通して、聖徒たちは神様の愛と公義を完全に悟っています。聖徒たちは今、サタンが聖徒たちに蒔いた神様への疑いをサタンに戻します。聖徒たちは今、神様を完全に信頼しています。聖徒たちはもう二度と犯罪しません。
C. 主イエス様は愆祭です
イザ53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
† 主イエス様は愆祭にささげられました。
D. 主イエス様は酬恩祭です
ロマ3:25 神は、キリスト․イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて來た罪を神の忍耐をもって見のがして來られたからです。
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
コロ1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
コロ1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。
1ヨハ2:2 この方こそ、私たちの罪のための、―私たちの罪だけでなく全世界のための、―なだめの供え物なのです。
1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
E. 主イエス様は素祭です
レビ2:11 あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
レビ2:12 それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。
レビ2:13 あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。
レビ2:14 もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。
レビ2:15 あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。
レビ2:16 祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。
ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
主イエス様にはパン種がありません[30]。塩は変わらない契約を象徴します[31]。主イエス様は平和です[32]。主イエスは世界の塩です[33]。塩は和解する言葉です[34]。主イエス様は初穂です[35]。
[1] レビ18:27 ―あなたがたより先にいたこの地の人人は、これらすべての忌みきらうべきことを行なったので、その地は汚れた。―
レビ18:28 あなたがたがこの地を汚すことによって、この地が、あなたがたより先にいた国民を吐き出したように、あなたがたを吐き出すことのないためである。
[2] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
[3] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[4] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[5] 黙1:8 神である主、常にいまし、昔いまし、後に來られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
[6] 詩145:3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。
[7] マタイ5:17 わたしが來たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために來たのです。
マタイ5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
[8] 王上2:37 出て、キデロン川を渡ったら、あなたは必ず殺されることを覚悟しておきなさい。あなたの血はあなた自身の頭に帰するのだ。」
[9] 民17:12 しかし、イスラエル人はモ-セに言った。「ああ、私たちは死んでしまう。私たちは滅びる。みな滅びる。
民17:13 主の幕屋にあえて近づく者はだれでも死ななければならないとは。ああ、私たちはみな、死に絶えなければならないのか。」
[10] 創6:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。
[11] ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネ1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
[12] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[13] エフェ5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
[14] 使徒17:23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
[15] 創3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
[16] イザ53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
[17] イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[18] 1コリ5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
[19] ヘブ9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人人に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
[20] 2コリ5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
[21] レビ4:13 また、もしイスラエルの全会衆があやまちを犯した場合、集団はそのことに気づかなくても、主がするなと命じられたことの一つでも行なって、罪に定められる場合には、
レビ4:14 彼らが犯したその罪が明らかになったときに、集団は罪のためのいけにえとして若い雄牛をささげ、会見の天幕の前にそれを連れて來なさい。
レビ4:15 そこで、会衆の長老たちは、主の前でその雄牛の頭の上に手を置き、その雄牛を主の前でほふりなさい。
[22] マタイ20:28 人の子が來たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」。
[23] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
[24] ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
[25] ルカ23:45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。
ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
[26] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
1コリ6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
[27] レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
[28] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
[29] 創3:13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
創3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
[30] マタイ16:12 彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。
[31] 民18:19 イスラエル人が主に供える聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたとあなたの息子たちと、あなたとともにいるあなたの娘たちに与えて、永遠の分け前とする。それは、主の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」
代下13:5 イスラエルの神、主が、イスラエルの王国をとこしえにダビデに与えられたこと、すなわち、塩の契約をもって、彼とその子らとに与えられたことは、あなたがたが知らないはずはあるまい。
[32] マルコ9:50 夷は、ききめのあるものです。しかし、もし夷に夷けがなくなったら、何によって夷けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに夷けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」
[33] マタイ5:13 あなたがたは、地の夷です。もし夷が夷けをなくしたら、何によって夷けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人人に踏みつけられるだけです。
[34] コロ4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。
[35] 1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
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