マタイ12:3 しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
マタイ12:4 神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。
マタイ12:5 また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。
マタイ12:6 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。
マタイ12:7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。
マタイ12:8 人の子は安息日の主です。」
マルコ2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
マルコ2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
マルコ2:28 人の子は安息日にも主です。」
† 安息日はサタンを裁く日です。正確に言えば、サタンを裁いた後の日々です。サタンを裁くと安息が成されます。主イエス様はサタンを裁かれます。主イエス様がサタンを裁くと安息が成されます。主イエス様がサタンを裁くと、被造物の苦しみが終わります[1]。
† 主イエス様は第6日、6番目の1000年が終わる直前にサタンを裁かれます[2]。サタンを裁き、主イエス様は第7日、7番目の1000年、すなわち1000年王国を成し遂げられます[3]。この1000年王国を記念するのが、ヨベルの年、安息の年、安息日であります。この1000年王国が必ず成し遂げられることを認めるという表現で第7日を守るのです[4]。サタンが必ず裁きを受けることを認めるという表現で第7日を守るのです[5]。
† 庭で獣を殺して火に燃やします[6]。ハデスでサタンを殺して火に燃やします。獣を殺して火に燃やすとは、サタンを殺して火に燃やすことを意味します。ですから、神殿の中で働くのは安息を成すことです。祭司たちは安息日にも神殿で働いています[7]。安息日は何もしない日ではありません。安息日はサタンの滅びを宣言するために働く日です。安息日はサタンを滅ぼすために働く日です[8]。
† 安息日にサタンの滅亡を宣言しなければならないので、安息日に私の仕事をしないのです[9]。安息日にサタンを滅ぼすために働かなければならないので、安息日に神様の働きをするのです。すべての日にサタンを滅ぼすために働くならば、すべての日が安息日になります。すべての日に神様の働きをすれば、すべての日が安息日になります。
† 主イエス様が行かれる所ごとに安息が宣言されます[10]。主イエス様が行かれる所ごとにサタンの勢力が粉砕されます[11]。主イエス様がいらっしゃるところごとに安息が成されます[12]。主イエス様はすなわち安息です。主イエス様はすなわち安息日であり、ヨベルの年であり、神殿であり、天国です。
† 神殿の中ではいつも獣が死にます。神殿の中ではいつもサタンが死にます。神殿の中ではいつも安息が成されます。神殿の中はいつも安息日です。外では安息日でなくても神殿の中は安息日です。神殿が安息日を超えています。したがって、神殿は安息日よりも大きいです。
† 実際の御座が聖なる理由は、神様がそこに神様の御名を置かれたからです[13]。贖罪所が聖なる理由は、神様がそこに神様の御名を置かれたからです。神様が聖なるので、神様がいらっしゃる所が聖なるようになるのです。御座が聖なるものではなく、神様が聖なるのです。
† 御座に御名を置かれた神様ご自身が被造物となられました[14]。被造物は今、神様の御名ではなく、神様を見ます[15]。今、実際の神殿や模型の神殿は何の意味もありません。神殿などを神様と比較することはできません。神様がいらっしゃるのはまさに神殿です。今、主イエス様がいらっしゃるところがすなわち神殿です。ですから、主イエス様は神殿よりも大きいです。
主イエス様(神様) > 神殿 > 安息日
† 地は呪われ、茨とアザミが出てきます。土肉体は呪われ、肉の欲望が出てきます。主イエス様は土肉体の中にいらっしゃる[16]神様です[17]。主イエス様の土肉体がすなわち御座であり、至聖所であり、神殿です[18]。聖霊神様は聖徒の土肉体の中に住んでいます。したがって、聖徒の土肉体も神殿になります[19]。
† 地は呪われました。土肉体は死の体となりました。第7日には地の呪いが終わります[20]。主イエス様の御名によって聖霊神様がお見えになります[21]。聖霊神様がアダムの肉体にお見えになると、アダムは聖霊神様を通して肉の欲望を勝つことができます[22]。聖霊神様を祀った肉体は、聖霊神様を通して呪いに抵抗することができます[23]。
† 聖霊神様がお見えになると、第7日のような状態が制限的に成し遂げられるのです。聖霊神様がお見えになると、第7日が成されるのです。主イエス様の御名によって、安息日が常に成されるのです。ですから、聖霊神様がお見えになると、すべての日が安息日になります[24]。聖霊神様がお見えになると、すべての日にサタンの滅びを宣言します。聖霊神様がお見えになると、すべての日にサタンを滅ぼすために働きます[25]。
† しかし、すべての日を休む日と考える者は、一日も聖に守らないのです。聖霊神様に毎日屈服する者だけに、すべての日が安息日です。聖霊神様に毎日屈服しないなら、一日でも聖に守らなければなりません。一日でも聖霊神様に屈服しなければなりません。一日でもサタンの滅亡を宣言しなければなりません。一日でもサタンを滅ぼすために働かなければなりません。
† 神殿の庭で獣を殺して火に燃やします。燔祭の祭壇でサタンを殺して火に燃やします。主イエス様は第7日が始まる直前にサタンを底知れぬ所に閉じ込め、第7日が終わった後にサタンを火の池に燃やされます[26]。主イエス様は安息日が始まる直前にサタンを底知れぬ所に閉じ込め、安息日の終わりにサタンを火の池に燃やされます。その後は永遠の安息が始まります。安息日は休む日ではなく、サタンを裁く日です。安息日は休む日ではなく、安息を成す日です。
† 建物神殿の中で働くことさえ、安息日を破るのではありませんでした。まして、神様の中で働くことです[27]!サタンの滅亡を宣言するために働くのは、むしろ安息を成すことです。サタンを滅ぼすために安息日に働くのは、むしろ安息日を守ることです。安息日に病気を直すことは、むしろ安息日を守ることです。安息日に病気を直すのはむしろ律法を守ることです[28]。
† 被造物が安息できなければ、神様もやはり安息されません。被造物が苦しみの中にあれば、神様もやはり苦しみの中にいらっしゃいます。被造物の安息のために、神様が安息日にも働かれます[29]。被造界に第7日が成り立つまで、神様は休まれません[30]。1000年王国が成就するまで、神様は休まれません[31]。
† 主イエス様が来てサタンを裁き、安息を成します。主イエス様は第7日に安息を成します。主イエス様はすなわち被造界の安息です[32]。主イエス様はすなわち安息の主です[33]。主イエス様の中でのみ安息が成されます[34]。主イエス様の御名によってお見えになった聖霊神様を通して、安息は今も部分的に成されます[35]。7番目の1000年が始まるとき、安息は完全に成されます[36]。
† 神様は神様の形になりました[37]。主イエス様に似ており、アダムも神様の形になります[38]。主イエス様が戒めを守ったように、アダムも戒めを守ります[39]。主イエス様が死に至るまで神様と隣人を愛したように、アダムも死に至るまで神様と隣人を愛します[40]。死に至るまで戒めを守る人々を殉教証人、すなわち長子、すなわち初穂と呼びます。
† アダムは聖霊神様を祀って初穂になります。聖霊神様は先の雨と後の雨としてお見えになります[41]。聖霊神様がお見えになり、五旬節が始まりました。五旬節が終わる直前、假庵の祭りが始まる直前、聖霊神様は後の雨としてまでお見えになります。先の雨としてお見えになる聖霊神様と共に、アダムは御霊の初穂をいただいている聖徒になります[42]。御霊の初穂をいただいた聖徒たちの中に、後の雨としてまでお見えになる聖霊神様を祀る人々がいます。彼らは人間の中から贖われた初穂になります[43]。御霊の初穂をいただいた聖徒たちは今も出ています。人間初穂は2024年現在、私が見る時はまだ出ていません。
† 神様は初穂、すなわち殉教証人の数を定められました[44]。殉教証人たちは戒めをしっかり守った者たちです[45]。殉教証人の定められた数が満ちると、戒めの真実さが証明されます。戒めの真実さが証明されると、戒めは裁きの基準として立てられます[46]。戒めが裁きの基準として立てられると、戒めに基づいて裁きが執行されます。裁きが執行されると、サタン噓群れは底知れぬ所に閉じ込められます。サタン噓群れが底知れぬ所に閉じ込められると、安息日、第7日、7番目の1000年、すなわち1000年王国が成されます[47]。
† 聖所すなわち神殿は被造界を象徴します。聖所と至聖所は御使いの天、まさに実際の神殿を象徴します[48]。庭の青銅の海は[49]ガラスの海を象徴します[50]。庭の燔祭の祭壇はハデスを象徴します[51]。サタン噓群れは燔祭の祭壇に閉じ込められています[52]。燔祭の祭壇で獣を殺します[53]。燔祭の祭壇でサタンを殺します。戒めの真実さが証明されると、神様はサタンを火の池に燃やされます。燔祭の祭壇に火をつけるのです[54]。私たちも燔祭の祭壇から捨てられなければなりませんでしたが,主イエス様は私たちの代わりに捨てられました[55]。したがって、私たちは燃やされません。
† 燔祭の祭壇で罪を燃やします。燔祭の祭壇は第1の死を象徴したり、第2の死を象徴したりします。第1の死は捨てられることであり[56]、神様から絶たれるのです[57]。第2の死は火の池です[58]。神様から絶えた者は結局火の池に投げ込まれます。第1の死の中にとどまっている者は、最終的に第2の死に遭うことになります。主イエス様は私たちに代わって第1の死に遭いました。それゆえ、私たちは第1の死から逃れました。したがって、私たちは第2の死を受けません。
† (第1の死を肉体の死としてのみ見て、第2の死を神様から絶たれると見る見方もあり得ます。火の池に投げ込まれながら神様から完全に切れると見る見方です。主イエス様が私たちに代わって第2の死を受けてくださったと見ている見方です。)
見方1: 第1の死=絶たれる+土の死 / 第2の死=火の池
見方2: 第1の死=土の死 / 第2の死=絶たれる+火の池
† 律法の安息は生命を生かすことであります。命を生かすために安息日があるのです。命を生かすために律法があるのです[59]。祭司以外には食べられないように決められたパンでも[60]、命を生かすためなら分けてあげることができるのです。
† 憐れみを成し遂げるために生贄があるのです[61]。憐れみを成し遂げるために律法があるのです。生贄より憐れみが優先なのです[62]。生贄は罪を取り除き、悪魔の仕業を打ち壊すためです[63]。悪魔の仕業を打ち壊さない生贄はもはや生贄ではありません[64]。憐れみのない生贄はもはや生贄ではありません[65]。憐れみのない律法はもはや律法ではありません[66]。公平とあわれみと忠実が欠けている律法はもはや律法ではありません[67]。
従順の表現で生贄があるのです[68]。従順のない生贄はもはや生贄ではありません[69]。アヒメレクは憐れみを成し遂げるために死んでいく人にパンを与えました。アヒメレクがダビデを死に捨てたならば、それがむしろ生贄を汚すことになったでしょう。カインは生贄はささげたが憐れみは成し遂げませんでした[70]。カインの生贄はもはや生贄ではありませんでした[71]。安息を成すために生贄があるのです。神様と隣人を愛するために律法があるのです。
[1] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
ロマ8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
ロマ8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
ロマ8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
[2] 創1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
[3] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[4] 出20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
[5] 申5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。
[6] 黙19:20 すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ翔まれた。
[7] 民28:9 安息日には、一歳の傷のない雄の子羊二頭と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それにつく注ぎのささげ物とする。
民28:10 これは、常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えられる、安息日ごとの全焼のいけにえである。
[8] ルカ13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。
ルカ13:16 この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」
[9] イザ58:13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
[10] ルカ7:20 ふたりはみもとに來て言った。「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか。』とヨハネが申しております。」
ルカ7:21 ちょうどそのころ、イエスは、多くの人人を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。
ルカ7:22 そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。
[11] イザ61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
イザ61:2 主の恵みの年と、われわれの神の复讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
[12] マタイ15:30 すると、大ぜいの人の群れが、足なえ、不具者、盲人、おしの人、そのほかたくさんの人をみもとに連れて來た。そして、彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをおいやしになった。
マタイ15:31 それで、群衆は、おしがものを言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て、驚いた。そして、彼らはイスラエルの神をあがめた。
[13] 代下7:15 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
代下7:16 今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。
[14] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[15] ヨハネ14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」
ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
[16] 出3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
出3:3 モ-セは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
[17] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[18] ヨハネ2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
[19] 1コリ3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
1コリ3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
[20] イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。
[21] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[22] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[23] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
[24] ロマ14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
ロマ14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
[25] マルコ16:17 信じる人人には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
マルコ16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
[26] 黙20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ翔まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
[27] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
2コリ3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
[28] ルカ10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
ルカ10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
[29] ヨハネ5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
[30] イザ62:1 シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
[31] エレ23:20 主の怒りは、御心の思うところを行なって、成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを明らかに悟ろう。
[32] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[33] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
[34] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。
[35] マタイ12:28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに來ているのです。
[36] 1ヨハ3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
[37] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[38] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[39] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[40] 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[41] ホセ6:3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに來、後の雨のように、地を潤される。」
[42] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[43] 黙14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
黙14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。
[44] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[45] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
[46] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
黙11:17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[47] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[48] 出26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
出26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。
[49] 王上7:23 それから、鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、その高さは五キュビト。その周囲は測りなわで巻いて三十キュビトであった。
[50] 黙15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
[51] 創1:1 初めに、神が天と地を創造した。
創1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
[52] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
ユダ1:6 また、主は、自分の領域(アルケ始め)を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
[53] ルカ15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って來て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
ルカ15:23 そして肥えた子牛を引いて來てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
ルカ15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
[54] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[55] エフェ5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
[56] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
[57] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[58] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[59] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
[60] レビ24:8 彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。これはイスラエル人からのものであって永遠の契約である。
レビ24:9 これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、主への火によるささげ物のうちから、彼の受け取る永遠の分け前である。」
[61] マタイ22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
マタイ22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
マタイ22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
マタイ22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
[62] ホセ6:6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
[63] 1ヨハ3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
[64] イザ58:3 「なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。」見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの勞働者をみな、圧迫する。
イザ58:4 見よ。あなたがたが断食をするのは、争いとけんかをするためであり、不法にこぶしを打ちつけるためだ。あなたがたは今、断食をしているが、あなたがたの声はいと高き所に届かない。
イザ58:5 わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。
イザ58:6 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
イザ58:7 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人人を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。
[65] 箴21:3 正義と公義を行なうことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。
[66] イザ1:11 「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」と、主は仰せられる。「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。
イザ1:12 あなたがたは、わたしに会いに出て來るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。
イザ1:13 もう、むなしいささげ物を携えて來るな。香の煙―それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日―会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。
イザ1:14 あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。
イザ1:15 あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。
イザ1:16 洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。
イザ1:17 善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」
[67] マタイ23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
[68] ヘブ10:8 すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした。」と言い、
ヘブ10:9 また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために來ました。」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。
ヘブ10:10 このみこころに従って、イエス․キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。
[69] サム上15:22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
[70] 創4:6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[71] 1ヨハ3:12 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。
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