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2 存在のお召し

92 父は被造物が御子を敬うかどうかを見られます

by aparke 2025. 5. 24.

2:12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ヨハネ3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

ヨハネ3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に來ているのに、人人は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。

ヨハネ3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに來ない。

ヨハネ3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに來る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。

ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

1ヨハ5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエスキリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

のような構造被造界では、被造物は自分自身の力で神様を愛することができません[1]被造物はまずった後になって初めてすることができます[2]十字架して被造物たちに公義証明することをあらかじめ定められ[3]創造められました[4]十字架して、被造物するようになります[5]十字架して被造界消滅されます。十字架して創造完成されます[6]

十字架背負うために、第2位神被造物となられます。被造物になれば、被造物れます。するたちは、被造物となられて愛しますさないたちは、被造物となられるので殺します[7]被造物となられた神様お見えになってさないたちをすべて殺されます[8]

第2位神被造物となられていなかったならば、被造物ることができなかったでしょう。被造物様を見ることができなかったならば、被造物ることができなかったでしょう[9]被造物らなかったならば、被造物することができなかったでしょう。のような構造被造界では、らないすることは不可能であります。のような構造被造界では、被造物となられていなければ、被造物自由意志完成されることができません。

被造物となられます。被造物となられると、被造物たちが見ます被造物となられると、被造物たちがきます。被造物となられると、被造物たちれます[10]がいつ[11]、いつしむかを[12]被造物たちが見ます[13]むのかを[14]被造物たちが聞きます十字架につけられた[15]被造物れます[16]被造物っています。被造物しています。

被造物となられ被造物になります。被造物となられた神様被造界支配されます[17]被造物支配見ます[18]被造物めの支配じます。めにめられたを、被造物たちが理解します[19]めの重要性被造物理解します[20]被造物めをります。

被造物となられました。のような構造被造界では、被造物たちにこれよりもすことができる方法はありません。のような構造被造界では、被造物となられた神様るよりも、被造物をよりることができる方法はありません。

被造物となられた神様おっしゃいま[21]真理宣言します[22]真理する最後のアダムの御言葉をきます[23]真理さないたちは、最後のアダムの御言葉を聞きません[24]。神のない被造物になれば[25]各被造物実体らかになります[26]のない預言者たちをられると[27]各被造物実体れます[28]

直接見たにも悔めない被造物があります[29]たにもかかわらず、らう被造物があります[30]それだけでなく被造物もあります[31]らがめないようにするのではありません[32]らがそうすることをんだのです[33]らがみをんだのです[34]らがそうすることで、それぞれの自由意志確定したのです[35]

被造物を火やして殺そうと、神様が被造物を創造されたのではありません[36]。しかし、隣人みにじる被造物自由意志無理強いにげられません[37]。火の池に投げ込まれるか投げ込まれないのかは、被造物それぞれが選ぶことです[38]。恵みを拒むかどうかは被造物一人一人が選ぶことです[39]。恵みを断らないと悔い改めます[40]。恵みを拒むと悔い改めません[41]

みだけでめることができます[42]神様は悔い改めに導かれます[43]。神めを望む被造物にのみ[44]めの恵みを与えられます[45]。被造物が悔い改めようとしても、神様が彼に恵みを与えないと、その被造物は悔い改められません。めを拒む被造物を[46]無理強いにめさせられません[47]。そしては、めたいかどうかをらかにわします[48]

過去現在未[49]すべての瞬間、すべての場所同時にいらっしゃいます[50]はすべてをご存じでいらっしゃいます[51]犯罪する被造物をその状況かれます[52]犯罪する被造物使って十字架につけられます[53]。もしその被造物犯罪しないであろうならば[54]犯罪する被造物使用されたでしょう[55]。しかし、がどんなをするかを創世前からすでにご存じでいらっしゃいます[56]

被造物めることができるように、数多くのみをえてくださいます[57]みをけると、被造物めます[58]。しかし、みが永遠えられるわけではありません[59]最後まで恵みを拒めばめることができません。最後までめることを拒んだ場合めることはできません[60]様がみをえないので、めることができません[61]にもはやみをえない理由は、みを最後まで拒んだからであります[62]被造物くださった自由意志侵害されません。

するは、被造物となられても、まだ愛します真実するは、被造物となられた神様愛しますしないは、被造物になれば、さらにしません。しないは、被造物となられた神様しません。被造物となられた神様しない被造物はすべてまれます。被造物となられた神様する被造物のみ永遠きます。

自由意志完成され被造物だけを生かしておかれます[63]御子する被造物自由意志だけが完成されます被造物御子十字架してのみ御子することができます[64]十字架して[65]被造物してっていた疑いがすべて消滅されます[66]被造物自由意志御子十字架してのみ完成されます[67]被造物御子してのみることができます[68]は「イエス」以外永遠につながる通路かれませんでした[69]。ただ「イエス」を通してのみ、被造物永遠につながることができます[70]

御子のために被造界創造されました[71]御子のために被造物存在します[72]御子して被造界創造されました[73]御子して被造物存在します[74]御子被造界創造されました[75]御子被造物させます[76]御子する被造物だけ残ります御子らう被造物池に投まれます。隣人する被造物だけ残ります[77]逆らって隣人みにじる被造物まれます。



[1] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

[2] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

[3] 1コリ2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

 1コリ2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

[4] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

 エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

 エフェ1:11 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。

 エフェ1:12 それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。

[5] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

[6] 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

[7] ヨハネ19:14 その日は過越の備え日で、時は六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」

 ヨハネ19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

[8] ルカ19:27 ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて來て、私の目の前で殺してしまえ。』」

[9] ロマ10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

 ロマ10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人人の足は、なんとりっぱでしょう。」

[10] ヨハネ14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

 ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。

[11] ルカ10:21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

[12] ヨハネ11:35 イエスは淚を流された。

 ヨハネ11:36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」

 ヨハネ11:37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。

 ヨハネ11:38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に來られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。

[13] マタイ26:12 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。

 マタイ26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

[14] マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

 マタイ23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。

[15] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

[16] イザ53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

 イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

[17] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

 1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[18] イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。

 イザ65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも樂しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を樂しみとする。

 イザ65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を樂しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

[19] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[20] ホセ4:1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。

 ホセ4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。

 ホセ4:3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。

[21] ヨハネ14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

[22] マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに來た。

 マタイ5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。

[23] ヨハネ14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに來て、その人とともに住みます。

[24] マタイ26:62 そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」

 マタイ26:63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」

[25] コヘ8:11 悪い行ないに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行なう思いで満ちている。

 コヘ8:12 罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。

[26] ルカ22:52 そして押しかけて來た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって來たのですか。

 ルカ22:53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」

[27] ルカ13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

[28] 王上22:26 すると、イスラエルの王は言った。「ミカヤを連れて行け。町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。

 王上22:27 王が『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰って來るまで、わずかなパンと、わずかな水をあてがっておけ。』と命じたと言え。」

[29] ルカ4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」

[30] マタイ27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。

 マタイ27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが來て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」

[31] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

 ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」

[32] エゼ18:2 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。

 エゼ18:3 わたしは誓って言う。―神である主の御告げ。―あなたがたはこのことわざを、イスラエルで、もう決して用いないようになる。

 エゼ18:4 見よ、すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。

[33] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―

[34] 20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。

 創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」

 創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

[35] エレ44:4 それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行なわないように、と言ったのに、

 エレ44:5 彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神神に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。

[36] エゼ18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。―神である主の御告げ。―彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。

[37] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

[38] 20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

[39] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

 ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

[40] ゼカ12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

[41] 2テモ2:25 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。

[42] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

[43] ロマ2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

[44] マタイ13:10 すると、弟子たちが近寄って來て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」

 マタイ13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。

 マタイ13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

[45] マタイ13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

 マタイ13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。

 マタイ13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

 マタイ13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。

[46] マタイ11:23 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。

 マタイ11:24 しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」

 マタイ11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。

 マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

 マタイ11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。

[47] サム上2:25 人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころであったからである。

[48] 2テサ2:9 不法の人の到來は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

 2テサ2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

 2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

 2テサ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

[49] イザ41:4 だれが、これを成し遂げたのか。初めから代代の人人に呼びかけた者ではないか。わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。

[50] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。

 エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。

[51] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。

 イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

[52] ロマ9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。

 ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。

[53] 使徒2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。

[54] イザ44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」

[55] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」

[56] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

[57] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

[58] ロマ2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

[59] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

 2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

[60] 2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

[61] 4:21 主はモ-セに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行なえ。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

[62] エゼ33:31 彼らは群れをなしてあなたのもとに來、わたしの民はあなたの前にすわり、あなたのことばを聞く。しかし、それを実行しようとはしない。彼らは、口では恋をする者であるが、彼らの心は利得を追っている。

 エゼ33:32 あなたは彼らにとっては、音樂に合わせて美しく歌われる恋の歌のようだ。彼らはあなたのことばを聞くが、それを実行しようとはしない。

 エゼ33:33 しかし、あのことは起こり、もう來ている。彼らは、自分たちの間にひとりの預言者がいたことを知ろう。」

[63] 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

[64] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[65] 使徒20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

  エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

 エフェ3:11 私たちの主キリストイエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

[66] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[67] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

 エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

[68] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。

[69] 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

[70] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

[71] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

[72] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[73] 1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエスキリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。

[74] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

[75] ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

[76] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[77] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。