マタイ25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って來るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
マタイ25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
マタイ25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
マタイ25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
マタイ25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
マタイ25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
マタイ25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
マタイ25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
マタイ25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
マタイ25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
マタイ25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
マタイ25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
マタイ25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス․キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
† 第2位神様は第1位神様と同等の全能者です。被造界は第1位神様のものでもあるが、第2位神様のものでもあります。第2位神様が己をむなしうして被造物となられました[1]。今、被造界は父のものです。御子は被造界を相続されます[2]。今、被造界は御子のものです。被造物となられた神様が、親しく被造界を支配されます[3]。神様が被造物となられて、親しく被造界で罪を消滅させられます[4]。
† 第2位神様が被造物となられ、被造界で罪を消滅させるように創世前に[5]先にあらかじめ定められました[6]。第2位神様が被造物となって[7]創造を完成されることに先に決められた後[8]、神様が創造を始められました[9]。しかし、第2位神様は時間の中でのみ被造物です[10]。時間も被造物に過ぎません[11]。第2位神様は時間の中だけで第1位神様より小さいです[12]。神様は時間や空間をまるでないように思われます[13]。
† 地は呪われました。アダムの土肉は呪われました。アダムの土肉は死の体となりました[14]。死の体では肉の欲望が出てきます。肉の欲望により、アダムは犯罪しないことが非常に大変になりました[15]。しかし、死の体を着ても戒めを守る者たちがいます[16]。死の体を着ても死に至るまで神様と隣人を愛する者たちがいます[17]。死の体から離れたら、彼らはさらに神様と隣人を愛するでしょう。霊的な体を着ているなら、彼らは決して犯罪しません[18]。ですから、御子は彼らを生かしておきます[19]。
† 神様が被造物となられました。今、被造物は神様を見ます。しかし、神様を見ても神様に服従しない被造物があります[20]。御子が戒めを守れと命じられても、彼らは聞きません[21]。彼らは絶えず隣人を踏みにじます[22]。御子が彼らを生かし続けるなら、彼らは隣人を踏みにじり続けるでしょう。彼らは隣人が泣いているのか絶望するのか気にしません。彼らは自分たちの幸せだけを追求します[23]。
† 御子は愛です。したがって、御子は犯罪者に悔い改めるのに十分な機会を与えてくださいます[24]。御子は愛です。したがって、御子は犯罪者を火の池で燃やして殺します。御子は犯罪者たちに踏みつけられ、血を注ぐ被造物の泣き声を聞きます[25]。御子は被造物の苦しみを終わらせます[26]。
† 御子の審判は、被造物などがあえて滅視できるほど軽くありません[27]。生きて罪の代価を払えなかったなら、死んでも払わなければなりません[28]。被造物を存続させていらっしゃる御子が生きていらっしゃる限り[29]、被造物は決して審判を避けることはできません。隣人を踏んだ行ないに対して犯罪者たちが火の池の前で後悔するかもしれません[30]。しかし、遅すぎました。
† 御子が裁きの基準です[31]。御子に服従する被造物は生き残ります。御子を逆らう被造物は火の池に投げ込まれます。御子が裁かれます[32]。御子が義人と悪人を分けます[33]。御子が犯罪者を火の池に投げます[34]。御子を敬うアダムは御子の国を相続します[35]。御子を敬うことがアダムが国を相続できる条件です[36]。
† 義人が国を相続する理由は、彼が御子を敬うからです。しかし、義人は苦痛の中にいる隣人の世話をしてくれただけです。しかし、御子は彼らが隣人に与えた愛を彼らが御子に捧げた愛として受け取ります。
† それでは、すべての人がすべて御子の兄弟ですか。そうではありません。サタンは御子の兄弟ではありません[37]。サタンに同調し、隣人を踏みにじる者たちも御子の兄弟ではありません[38]。その中にはパウロのように悔い改める者がいるかもしれません[39]。私たちも以前はサタンのしもべでしたが、悔い改めました[40]。しかし、引き続き隣人を踏みにじる者は御子の兄弟ではありません[41]。
† 御子の兄弟は御子に服従する者です。御子の兄弟は、御子がすることを手伝ってくれる人です[42]。彼らは御子の働きを助けるので、彼らはサタンに襲われます[43]。ですから彼らは空腹で、渇いて、旅人になり、裸で、獄に閉じ込められます[44]。すべての人々に親切を施さなければならないが[45]、御子の働きを手伝ってくれる兄弟にはさらに親切を施さなければなりません[46]。
† ヤギは自分たちが御子を敬いしてきたと考えています。パリサイ人は自分たちが義人だと[47]勘違いしていました[48]。これらも自分たちが義人だと勘違いしています。しかし、御子が見て、彼らは罪人です。彼らの罪は御子の世話をしていない罪です。
† これらの多くは、たぶん預言もし、悪霊も追い出し、病気も直し、能力も行ったかもしれません[49]。これらのうちの何人かは自分の体を焼かれるために渡してくれたかもしれません。しかし、彼らが御子のために犠牲になっていない限り、彼らの犠牲は無意味です[50]。御子は彼らの犠牲を喜ばれません。それなら、彼らの犠牲は誰のためですか。
† 愛はただ神様にのみ[51]属しているのです[52]。偶像礼拝者たちも愛を掲げて隣人を助けます。しかし、彼らは御子の支配を拒否します。彼らは御子にふさわしい礼拝を捧げません。彼らは御子を主人として認めません。彼らは神様を愛していません[53]。彼らは愛の戒めを認めません[54]。彼らが隣人を助ける理由は自分たちのためだけです。
† 御子のみが罪を消滅させることができます。御子だけが被造界の苦しみを終わらせることができます。偶像礼拝者たちは、どのように痛みを終わらせることができるのか分かりません。御子を愛していない人たちは、どのように痛みを終わらせることができるのかわかりません。御子を愛していない人たちは隣人も愛することはできません[55]。
† 愛はただ神様からだけ来るのです[56]。被造物が隣人を愛するには、まず神様から愛を受けなければなりません。神様の愛を知らなければ、愛が何であるかを知ることさえありません。したがって、偶像礼拝者たちの善行も真実な愛であることはできません。偶像礼拝者たちの善行は被造界の苦しみを終わらせることができません。彼らの善行は、被造物を神様につなげることはできません[57]。
† 被造物は御子を通してのみ[58]命を得ることができます[59]。御子はすなわち被造物の真の命であります。御子に導かない助けは本当の助けではありません。助けが誰かを御子から遠ざけるようにするならば、その助けはむしろ彼を殺す行ないになるでしょう。隣人を助けることは重要ではありません。隣人を御子に導くことが重要なのです。御子に導かない助けには限界があります。
† 被造物は御子を通してのみ命を得ることができます。偶像礼拝者が隣人を助けても、彼らの助けは隣人を御子に導きません。偶像礼拝者たちの助けによってはサタンの圧制を終わらせることができません。サタンが生きている限り、被造物は常に苦しむでしょう。サタンの圧制を終わらせるための助けが本当の助けです[60]。被造界に罪が存在する限り、被造物は常に苦しみます。罪を消滅させるための助けが本当の助けです。
† 御子はサタンの圧制を終わらせるために戦っています。御子が罪を消滅させられるために戦っていらっしゃいます。御子を助けることが本当の善行であります。御子を助ける兄弟たちを助けることは本当の善行です。御子の兄弟たちを助けたことを、御子は御子を助けたものとして受け取ります[61]。
† 律法学者とパリサイ人は、はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一をささげました[62]。教会の中のヤギもやはり一生懸命奉仕することができます。ヤギたちも預言し、悪霊を追い出し、病者たちを直して能力を行うことができます。しかし、彼らが御子の思い通りに忠実でない限り、彼らの忠誠は意味がありません。彼らの忠誠は違法に過ぎません[63]。
ヤギたちは、もし何を犠牲にしたかもしれません[64]。しかしそれは御子のためではありませんでした[65]。御子に服従しない者たちの犠牲は悪行に過ぎません[66]。御子の思い通りに行なわない忠誠は悪行に過ぎません[67]。御子の思い通りに行なわない善行は悪行に過ぎません[68]。キリスト教のためにいくら多くのことをしても、御子がそのことを喜ばないならば、そのようなことに何の意味がありますか[69]?邪悪な人も自分の利益のために忠実です[70]。御子の思い通りに忠誠を尽くす時だけ、忠誠が意味があるのです。
[1] ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
[2] 詩2:6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
詩2:7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
詩2:8 わたしに求めよ。わたしは国国をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
詩2:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉粉にする。』」
[3] ルカ24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
ルカ24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
ルカ24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
ルカ24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
[4] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[5] 1ペト1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1ペト1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
[6] 使徒3:20 それは、主の御前から回复の時が來て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
使徒3:21 このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
[7] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
ガラ4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
[8] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
黙21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[9] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[10] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
詩102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
詩102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
詩102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
[11] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[12] ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」
[13] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
[14] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[15] 1コリ9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
1コリ9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
[16] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[17] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
[18] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[19] ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネ5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が來ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
[20] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ルカ4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
[21] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
[22] マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
マタイ23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
[23] ゼカ7:10 やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」
ゼカ7:11 それなのに、彼らはこれを聞こうともせず、肩を怒らし、耳をふさいで聞き入れなかった。」
ゼカ7:12 彼らは心を金剛石のようにして、万軍の主がその御霊により、先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、聞き入れなかった。そこで、万軍の主から大きな怒りが下った。
[24] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
[25] 詩9:12 血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。
[26] 出22:22 すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。
出22:23 もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。
出22:24 わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣をもってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。
[27] 黙6:15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
黙6:16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
黙6:17 御怒りの大いなる日が來たのだ。だれがそれに耐えられよう。」
[28] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[29] 黙22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
[30] イザ47:14 見よ。彼らは刈り株のようになり、火が彼らを焼き尽くす。彼らは自分のいのちを炎の手から救い出すこともできない。これは身を暖める炭火でもなく、その前にすわれる火でもない。
[31] 使徒10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人人に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
使徒10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
[32] ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
[33] 使徒17:31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
[34] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[35] 1コリ6:9 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
1コリ6:10 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
[36] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、
ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
[37] マタイ13:27 それで、その家の主人のしもべたちが來て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
マタイ13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
[38] ヤコ4:4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
[39] コロ1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
コロ1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。
[40] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
エフェ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
[41] フィリ3:18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って來たし、今も淚をもって言うのですが、多くの人人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
フィリ3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
[42] ヨハネ13:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」
[43] ロマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
ロマ8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
[44] コロ1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。
[45] マタイ5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人人全部を照らします。
マタイ5:16 このように、あなたがたの光を人人の前で輝かせ、人人があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
[46] ガラ6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が來て、刈り取ることになります。
ガラ6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。
[47] ヨハネ8:39 彼らは答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行ないなさい。
ヨハネ8:40 ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
ヨハネ8:41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」
[48] ルカ18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人人のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
ルカ18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
ルカ18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
[49] マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
[50] 1コリ13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
[51] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ロマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬嶺な者のために死んでくださいました。
[52] 1ヨハ4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
1ヨハ4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
[53] ロマ1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
ロマ1:21 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
ロマ1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
ロマ1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
[54] ロマ1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
ロマ1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。ア-メン。
[55] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
1ヨハ3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
[56] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[57] 1ヨハ4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
[58] ヨハネ6:51 わたしは、天から下って來た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
[59] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。
[60] 1ヨハ3:17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
1ヨハ3:18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
[61] マタイ10:14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
マタイ10:15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。
[62] マタイ23:23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
[63] マタイ13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
マタイ13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
マタイ13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
マタイ13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
マタイ13:42 火の燃える爐に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
[64] イザ1:11 「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」と、主は仰せられる。「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。
イザ1:12 あなたがたは、わたしに会いに出て來るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。
イザ1:13 もう、むなしいささげ物を携えて來るな。香の煙―それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日―会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。
イザ1:14 あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。
[65] ゼカ7:5 「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。
ゼカ7:6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。
[66] ロマ16:17 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。
ロマ16:18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。
[67] マラ1:6 「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。―万軍の主は、あなたがたに仰せられる。―わたしの名をさげすむ祭司たち。あなたがたは言う。『どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか。』と。
マラ1:7 あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか。』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい。』とあなたがたは思っている。
マラ1:8 あなたがたは、盲の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないのか。足なえや病気のものをささげるのは、悪いことではないのか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。―万軍の主は仰せられる。―
[68] ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[69] ミカ6:6 私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
ミカ6:7 主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。
ミカ6:8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
[70] ルカ6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。
ルカ6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。
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