マタイ27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息(プネウマ霊)を引き取られた。
マタイ27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
ヨハネ8:35 奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。
ヨハネ8:36 ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。
ロマ5:17 もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人人は、ひとりの人イエス․キリストにより、いのちにあって支配するのです。
ロマ5:18 こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
ロマ5:19 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
ロマ5:20 律法がはいって來たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
ロマ5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス․キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
エフェ1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
コロ1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
コロ1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
ヘブ6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
ヘブ6:20 イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
ヘブ9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブ9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
ヘブ9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
ヘブ9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
ヘブ9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、來られたのです。
ヘブ9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
ヘブ9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人人の救いのために來られるのです。
ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
1ヨハ2:12 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。
† 死ぬことを魂を出すと表現します[1]。主イエス様は霊と[2]魂が[3]去られました。ステパノも霊をお受けくださるよう祈ります[4]。十字架で主イエス様の肉体が傷つき、聖所の垂れ幕が裂けられます[5]。十字架で垂れ幕が開き、実際の至聖所への道が開かれます。贖いが実際に成されるのです。
† 至聖所には大祭司だけが入ることができます。大祭司だけが被造界を贖うことができます[6]。大祭司だけが被造界から罪を消滅させることができます[7]。主イエス様はメルキゼデクの位に等しい大祭司です[8]。主イエス様は自分の血で贖いを成された大祭司です[9]。主イエス様は、新しい契約、すなわちさらにすぐれた契約、すなわち永遠の契約の仲介者です[10]。さらにすぐれた契約は、さらにすぐれた大祭司だけが結ぶことができます。永遠の契約は永遠の大祭司だけが結ぶことができます[11]。
† 主イエス様は至聖所の御座に着座されます。主イエス様は聖徒のために弁護されます[12]。主イエス様に沿って聖徒も祭司になります。主イエス様に沿って聖徒も至聖所の御座に進み出ます[13]。聖徒は大祭司のように至聖所に入ります。聖徒は聖霊神様を通して至聖所に入ります[14]。聖徒は至聖所である新しいエルサレム都に入ります[15]。
[見方1] 聖徒は最後のアダムの系列に従う祭司です。
[見方2] 聖徒はメルキゼデクの系列に従う祭司です。
[見方1] メルキゼデクは第2位神様を象徴します[16]。聖徒が神様の系列に従うことはできません。しかし聖徒はメシアの祭司です[17]。最初のアダムは王であり祭司であり預言者でありました。しかし、犯罪によって職分を失ってしまいました。最後のアダムも王であり、祭司であり預言者であります。最後のアダムは犯罪されません。したがって、最後のアダムは職分を失うことはありません。聖霊神様を通して、最初のアダムが最後のアダムから新しく生まれます[18]。最後のアダムから新しく生まれる最初のアダムは、最後のアダムの系列に従う祭司になります。メルキゼデクは第2位神様を象徴します。第2位神様が最後のアダムになりました。最後のアダムはメルキゼデクの系列に従う大祭司です。聖徒は最後のアダムの系列に従う祭司です。最後のアダムから始まる新しい系列ができたのです。
[見方2] 最後のアダムはメルキゼデクの系列に従っています[19]。最後のアダムに沿って私たちも至聖所に入ります[20]。聖霊神様を通して私たちも至聖所に入ります。私たちもメルキゼデクの系列に従う祭司です。
† 主イエス様は実際の至聖所で大祭司として働いています[21]。第7のラッパが鳴ると、定められた数の殉教証人が復活変化します。殉教証人の復活変化によって戒めの真実さが証明されます。第1の復活を通して戒めが遵守可能であるという事実、すなわち戒めの真実さが証明されます[22]。戒めの真実さが証明されると、戒めを守れと命じられる神様への疑いが消滅されます。神様に対する疑いが消滅されると、犯罪の可能性が消滅されます。第1の復活を通して被造物の自由意志が完成されます。第1の復活を通して主イエス様は被造界から罪を消滅させられます[23]。第1の復活を通して主イエス様が被造界を贖われます。
† 神様へのすべての疑いが消滅されている間、燔祭の祭壇ハデスには7つの災害が降り注ぎます。実際の神殿の贖いが成されている間、燔祭の祭壇ハデスには7つの災害が降り注ぎます[24]。神様の愛と公義を悟った被造物は、神様を心置きなく愛します。神様を愛する被造物は再び犯罪しません。十字架から神様の愛と公義が証明されます。十字架の血で被造物が神様と平和になります[25]。
† 主イエス様は実際の至聖所の実際の御座に座っていらっしゃいます。主イエス様の血で聖徒は罪の赦しを受けました。主イエス様の御名によって聖霊神様は聖徒たちの肉体の中にお見えになります[26]。聖徒は今、聖霊神様を通して主イエス様に進み出ます[27]。
† 罪の奴隷は火の池に投げ込まれます[28]。死の下にいる者は被造界に永遠に居ることができません[29]。主イエス様に服従する被造物のみ生き残ります。主イエス様を信じる被造物だけ永遠に生きます。主イエス様が裁きの基準です[30]。主イエス様に服従する被造物だけ生き残ります[31]。主イエス様を通してのみ火の池の刑罰を避けることができます[32]。主イエス様が再びお見えになると、犯罪者はすべて死にます[33]。
† 神様が被造物に自由意志をくださいました。被造物は神様を愛することを選ぶことも、神様を憎むことを選ぶこともできます。被造物は犯罪することを選ぶことも、犯罪しないことを選ぶこともできます[34]。神様は被造物を犯罪するしかない状況に置かれません。神様は被造物を犯罪することが不可能な状況に置かれません。神様が被造物に自由意志をくださったという意味は、神様が被造物を「選択できる状況」に置かれるという意味です。
† 自由意志は犯罪することを選択できる可能性です。犯罪の可能性が1%でも残っていれば、いつかは必ず犯罪します。自由意志が完成されていない被造物はいつかは必ず犯罪します。犯罪すれば、神様の命から断たれます[35]。神様の命なく自ら生きることができる被造物はありません[36]。神様の命から絶えれば存続は不可能です[37]。したがって、自由意志が完成されなかった被造物はいつかは必ず死にます。神様は被造物を死の中に創造されたのです[38]。
† 被造物が犯罪する前に、神様は被造物の自由意志を完成されます。被造物が犯罪する前に、神様は被造物から犯罪の可能性を消滅させられます。被造物が死ぬ前に、神様は被造物を死から抜き出させられます。被造物を死から抜き出される手段がまさに十字架です[39]。
† 御子の十字架を通して、被造物が死から抜け出します。御子の十字架を通して被造物が永遠に生きます[40]。御子はすなわち被造物の命です。神様が被造物となられて、ご自身が直接被造物の自由意志を完成されます。神様が被造物となられたので、被造物が自分たちの命を直接見て聞いて触れます[41]。
† 神様が被造物を創造された理由は、被造物を殺すためではありません[42]。神様が被造物に自由意志をくださったという意味は、神様が被造物の自由意志を完成されることをあらかじめ定められたという意味です[43]。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることをあらかじめ定められ[44]、その後創造を始められました[45]。(逐次的な時間の流れの中にのみ存在する被造物の考えと考えます。)
† 十字架で父は御子を捨て、御子は父から捨てられます。十字架で神様はすべてを捨てられます。十字架は神様の苦しみです[46]。被造物に自由意志をくださるために、神様はことばで表現できない苦しみを代価に払われます[47]。
† 自由意志をいただいた被造物は、自分の力で戒めを守ることができません[48]。被造物は自分の力で神様と隣人を愛することはできません。被造物は自らの力で永遠に生きることはできません[49]。被造物には愛がありません。被造物はまず神様の愛を知った後に初めて神様を愛することができます[50]。被造物はまず神様から愛を受けた後に初めて愛を始めることができます[51]。
† 神様が被造物にくださった自由意志は、自ら愛を始めることができる自由意志ではありません。神様が被造物にくださった自由意志は、自ら戒めを守ることができる自由意志ではありません[52]。神様が被造物にくださった自由意志は、神様の愛を受け入れることができる自由意志であります[53]。神様が被造物にくださった自由意志は、神様の恵みを受け入れることができる自由意志であります[54]。神様の愛を受け入れる被造物は神様を愛します[55]。神様の恵みを受け入れる被造物は神様を愛します[56]。神様の恵みによって、被造物は戒めを守ります[57]。
† 十字架を通して、神様は被造物に神様の愛を証明されます[58]。十字架を通して、被造物が神様の愛を知るようになります[59]。神様の愛を知った被造物は神様を愛するようになります[60]。神様を愛するようになった被造物は、神様の戒めを守ることになります[61]。神様と隣人を愛するようになった被造物は永遠に生きるようになります[62]。十字架を通して被造物が永遠に生きるようになります[63]。
† 自由意志をいただいた被造物は自ら善悪を判断することができません[64]。善と悪の基準は神様です[65]。神様が善とおっしゃるのが善です。神様が悪とおっしゃるのが悪です[66]。神様を愛するのが善であり、神様を憎むのが悪であります[67]。隣人を愛するのが善であり、隣人を踏みにじるのが悪であります[68]。神様は戒めを通して被造物に善悪を知らせられます[69]。
† 禁断の果実を食べてはいけないという戒めを通して、アダムは自分の心に隠された悪を発見します[70]。アダムは神様の戒めに反する自分の悪を発見します。アダムは神様よりもエバを愛していました[71]。アダムは戒めを破るほどまでエバを愛していました。禁断の果実がなければ、アダムは自分の心に隠された悪を悟ることができなかったでしょう。戒めがなければ、アダムは自分が死んだ者であるという事実を悟らなかったでしょう[72]。禁断の果実を通してアダムは自分に命の木の果実が必要だという事実を悟るようになります[73]。戒めを通してアダムは生きるためにメシヤに進み出るようになります。
† 最初のアダムはエバを捨てないために神様を捨てます。最後のアダムは神様を捨てないようにご自分を捨てられます[74]。私たちは最初のアダムから生まれ、禁断の果実を食べてきました[75]。最後のアダムが流された血で、私たちは神様の愛を知りました。私たちは最後のアダムの中で新しく生まれ[76]、命の木の果実を食べます[77]。私たちは最後のアダムに沿って十字架を負います[78]。私たちは最後のアダムに従って神様と隣人を愛しています[79]。
† 創造は被造物が神様に似ていく過程です。創造は被造物が神様の形に仕上がる過程です[80]。創造は被造物から犯罪の可能性が消滅される過程であります。創造は、被造物の自由意志が完成される過程であります。
† 被造物にくださった自由意志を完成されるために、神様は十字架を背負わなければなりません[81]。被造物が神様を愛するようにするためには、神様は被造物に神様の血を注ぎこまなければなりません。被造物が犯罪を放棄するようにするために、神様は神様の涙を被造物に注ぎこまなければなりません。十字架が私たちにとっては恵みですが、神様にとっては神様のすべてを切り取る苦しみです。私たちに自由意志をくださるために、神様はすべてを捨てられます。
† 獣の血で聖所と燔祭の祭壇で罪を洗い流します。主イエス様の血で実際の神殿とハデスで罪を洗い流します。聖所は実際の神殿を象徴し、燔祭の祭壇はハデスを象徴します[82]。主イエス様の血が罪を洗い流す理由は、主イエス様の血に神様の愛と公義が込められているからです[83]。聖所と燔祭の祭壇に振りかける獣の血は、被造物の心に振りかける主イエス様の血を象徴します[84]。主イエス様の血は、被造物の自由意志を完成するために振りかけられるのです。自由意志がなければ罪もありません。罪がなければ血も必要ありません。血は被造物の心を洗うために振りかけられるのです[85]。
† 大祭司が1年に1度、至聖所に入って血を振りかけます。主イエス様は1回十字架を背負われます。十字架の血で被造物の自由意志が完成されます。十字架の血で被造界から罪が消滅されます。十字架の血で創造が完成されます。歴史的に、被造界の贖いは第1の復活の時に成されます。歴史的に、被造物の自由意志は第1の復活の時に完成されます。しかし個人的には、聖霊神様の中で復活が今でも成し遂げられることができます[86]。罪に対して死んだ者の自由意志は[87]、多くの精練を経なければならないが[88]、たぶん今も完成されることができると思います[89]。しかし、私たちは彼が裏切るイスカリオテ‐ユダのか[90]、それとも回心するパウロなのかをわかりません。彼の実で推測するだけです[91]。
† 最初のアダムは犯罪しました。土地は呪われました。土地では茨とアザミが出てきて、肉体では肉の欲望が出てきます[92]。土肉は土に戻ります[93]。土地は罪の影響力の下に置かれました。犯罪しなくても肉体では肉の欲望が出てきます。犯罪しなくても土肉は土に戻ります。主イエス様の肉体でも肉の欲望が出てきたはずです[94]。主イエス様の土肉も土に戻っていました[95]。人は罪人として生まれません。人は肉の欲望を着て生まれます。主イエス様は罪人として生まれませんでした。しかしマリアから肉の欲望を受け継がれました。
† 罪から來る報酬は死です。肉の欲望は罪ではありません。肉の欲望があると犯罪したわけではありません。しかし、肉の欲望があれば犯罪することは非常に難しくなります[96]。犯罪すれば死にます。犯罪すれば、神様から切れます[97]。しかし犯罪しなくても土肉は土に戻ります。土肉が土に戻る死は眠りです[98]。神様から切れても生きて息づくことができます[99]。しかし彼はすでに死んでいます[100]。土肉が土に戻っても神様の中にいることができます[101]。したがって、彼はまだ生きています。主イエス様は肉の欲望をお召しになっても罪を完全に打ち勝たれました。
† アダムは犯罪して死にました。いいえ、アダムは死んだので犯罪しました。アダムは神様よりもエバを愛する時からすでに死んだ者でした[102]。アダムは偶像を礼拝する者でした。アダムの貪りが禁断の果実を通して明らかになっただけです[103]。アダムの土肉は土に戻りました。しかしアダムは女の子孫を[104]信じて[105]待ちました[106]。信仰によってアダムは罪の赦しを受けたでしょう。禁断の果実を食べたアダムが悔い改めます[107]。禁断の果実を食べる前には死んだアダムが、禁断の果実を食べてむしろ生き返ることになったのです[108]。
† メシヤを信じる信仰で罪の赦しを受けます。将来お見えになるメシヤを信じて罪の赦しを受けます[109]。お見えになったメシヤを信じて罪の赦しを受けます[110]。将来お見えになるメシヤを信じる信仰でいけにえをささげます[111]。お見えになったメシヤを信じる信仰で礼拝をささげます[112]。将来お見えになるメシヤを信じる信仰で契約を結びます[113]。お見えになったメシヤを信じる信仰で新しい契約を結びます[114]。将来お見えになるメシヤを信じる信仰で戒めを守ります[115]。お見えになったメシヤを信じる信仰でメシヤの戒めを守ります[116]。
† 信仰は戒めを守る人生として現れます。十の戒めを受ける前には良心の法を[117]守ったでしょう[118]。もちろん律法は心でまで守らなければならないのです[119]。律法を守ろうとする時、私たちは守る真似しか出せない私たちの実状を発見します[120]。どれだけ多くの真理の光を受けたかによって、神様が求められる基準も異なるでしょう[121]。
† 戒めがなければ罪もありません。しかし被造界に戒めがなかった時はありません[122]。戒めがなければ被造界もありません。神様は被造物が互いに踏みにじる被造界を創造されませんでした[123]。アダムがいなかった時も戒めはありました。神様がサタン噓群れをハデスに閉じ込められた理由も、彼らが戒めを破ったからであります[124]。戒めを知らないと隣人を踏みにじる行ないが罪ではないわけではありません[125]。戒めを知って戒めを破るか戒めを知らず戒めを破るかどうかにかかわらず、戒めを破ると死にます[126]。もちろん戒めを知って戒めを破れば、より重い刑罰を受けることになります。
† エノクとノアとアブラハムも戒めを守りました[127]。律法がなくても聖徒たちは神様とともに歩みました。しかし、聖徒たちも土の呪いを避けられませんでした。聖徒たちの土肉は土に戻りました。十字架の血で私たちは生かされました[128]。しかし、私たちの土肉は土に戻ります。罪がなくても、土肉は土に戻ります。主イエス様の土肉も土に戻っていました。土肉の死は父から捨てられる死とは違うものであります[129]。第1の復活の時に、死は征服されます[130]。命の復活の時に、土肉の呪いは終わります。
† 呪われた肉体では肉の欲望が出てきます。したがって、アダムは心でまで戒めを守ることができません。戒めを守ることができないので、アダムは死にます。聖霊神様が神様の愛を心に注いでくださいます[131]。肉の欲望を選ぶしかなかったアダムが、もう神様の愛を選べるようになりました。アダムが神様の愛を選ぶと、アダムは肉の欲望に打ち勝ちます[132]。アダムが聖霊神様に服従すると、アダムは肉の欲望に打ち勝ちます[133]。
† 地は呪われました。私たちは呪われた肉体を着ています。主イエス様も呪われた肉体をお召しになりました。もし主イエス様が呪われた肉体を着ていなかったならば、主イエス様は私たちの模範になってくださることができなかったでしょう。私たちは肉の欲望と厳しく戦っています。もし主イエス様が肉の欲望なしに神様と隣人を愛されていたならば、私たちは主イエス様に従うことができなかったでしょう。
† アダムが呪われたのではなく、地が呪われたのです[134]。魂が呪われたのではなく、肉体が呪われたのです。魂に自由意志があります[135]。自由意志が呪われたのではなく、肉体が呪われたのです。
† 地が呪われたという意味は、最初のアダムが地に対する代理管理権を失ってしまったという意味です。アダムは罪の奴隷になりました。サタンはアダムより強いです[136]。今サタンが地を支配します[137]。今地を滅ぼす者が地を支配します[138]。今、戒めは地を支配しません[139]。今愛は地を支配しません[140]。今地では弱肉強食の圧制が始まります。今安息は壊れました。
† サタンは土を食べます[141]。土の肉体では肉の欲望が出てきます[142]。強い獣は弱い獣の土肉を食べます[143]。アダムが支配した時は、強い獣が弱い獣を食べることができなかったでしょう[144]。アダムはそれを許さなかったでしょう。アダムに任せられたものです。アダムが守らなければならなかったものです[145]。しかしアダムは動物たちを罪に売ってしまいました。今、動物はサタンの支配に服従します。今、動物は弱肉強食の支配に服従します。土で作られたすべてのものがうめき産みの苦しみをしています[146]。
† しかし最後のアダムが勝ちました。最後のアダムの中から新しく生まれた最初のアダムも勝ちます[147]。神様の子どもたちは現れます[148]。定められた数の殉教証人たちは死に打ち勝ちます[149]。戒めの真実さは証明されます[150]。戒めを破るサタン噓群れに対する裁きは執行されます[151]。被造物は滅びの束縛から解放されます。新しい天と新しい地では、動物は弱い動物の肉を食べることはありません[152]。1000年王国では、動物の肉体は土に戻らないでしょう。
† 最初のアダムの犯罪で地は呪われました。地では茨とアザミが出てきます。肉体では肉の欲望が出てきます。肉は土に戻ります。地では弱肉強食の支配が始まります。最後のアダムがサタンに打ち勝たれました。地の呪いは終わります。地ではもはや茨とアザミが出てきません。肉体では肉の欲望が出てきません。肉は土に戻りません。地で弱肉強食の支配が終わります。
† 復活を通して肉体は呪いから抜け出します。アダムは霊的な体を着て御使いのようになります[153]。裁きを通して、地は呪いから抜け出します。主イエス様はサタン噓群れを裁かれ、新しい天と新しい地を作られます[154]。しかし、制限的に、聖霊神様を通して今呪いから解放されることができます。聖霊神様を通して肉の欲望に打ち勝ちます[155]。聖霊神様を通して今罪に打ち勝ちます[156]。聖霊神様を通してサタン噓群れを追い出します[157]。聖霊神様を通して今安息が成し遂げられます[158]。
† 最初のアダムは罪の奴隷となりました。最初のアダムは体の権利証書を罪に売ってしまいました。最初のアダムは地に対する代理管理権を失いました。最初のアダムは土地の権利証書を罪に売ってしまいました。
† 最後のアダムが最初のアダムの権利証書を取り戻してくださいます。最後のアダムは7つの封印を解かれます[159]。最後のアダムが最初のアダムの体の権利証書を開けられます。最後のアダムが最初のアダムの土地の権利証書を開けられます[160]。最後のアダムが7つの封印を解かれると、7つのラッパが鳴ります。
† 体の権利証書が完全に開かれると、アダムは罪から完全に解放されます。アダムは霊的な体を着て御使いのようになります。土地の権利証書が完全に開かれれば、アダムは地に対する代理管理権を取り戻します。アダムは王である祭司として、新しい天と新しい地を支配します。
† 最初のアダムが罪に売った権利証書はただ開けません。最後のアダムは十字架で最初のアダムのために値を支払われました[161]。最後のアダムがサタンに勝たれ、アダムの支配権を守られました。最後のアダムは最初のアダムのための[162]買い戻す者です[163]。
† エレミヤがすぐに滅びるイスラエルの地を買います。エレミヤがいとこのために地を買い戻します[164]。最後のアダムが最初のアダムが罪に売った土地を買い戻されます。最後のアダムが最初のアダムのために地を買い戻されます。エレミヤが土地を買い、購入証書を土の器の中に入れて保存します[165]。最後のアダムが最初のアダムの土地を買われ、購入証書の封印を解かれます。最後のアダムが封印を解けば、地は再び最初のアダムが支配することになります。
† イスラエルはバビロンによって滅亡されました。エレミヤが買った土地は意味がなくなりました。しかし、バビロンは滅びます。バビロンが滅びると、エレミヤの土地は再び回復されます。最後のアダムが7つの封印を解かれると、大きな都バビロンは滅びます。大きな都バビロンが滅びると、新しい天と新しい地が成り立ちます。最初のアダムは、新しい天と新しい地を再び支配します。
† 主イエス様が7つの封印を解かなければ、主イエス様は最初のアダムに任せられた土地を支配できませんか。そうではありません。主イエス様は被造界全体を相続された相続主です[166]。被造界全体が主イエス様のものです。御使いの天と宇宙全体が主イエス様のものです[167]。言い換えれば、主イエス様はすでに地を所有されています[168]。
† したがって、主イエス様はいつでも地を支配されることができます[169]。主イエス様はいつでも犯罪者を殺してしまうことができます[170]。主イエス様はいつでも犯罪者を底知れぬ所に閉じ込められることができます[171]。犯罪者が消えたら、新しい天と新しい地が始まります。しかし、主イエス様が直ちにそうすれば、主イエス様は最初のアダムも殺さなければなりません。最初のアダムも犯罪者だからです[172]。ですから、主イエス様は裁きを始める前に、まず最初のアダムに罪を克服させま[173]。
† 主イエス様が権利証書の7つの封印を解かれる過程は、主イエス様が地の呪いを終わらせる過程です[174]。主イエス様がアダムの肉体を完全にされ、アダムが失った土地を取り戻してくださる過程です。言い換えれば、主イエス様はアダムの資格で7つの封印を解かれるのです[175]。アダムが失った権利を、アダムの近親者が取り戻してくれるのです。最初のアダムが失った権利を、最後のアダムが取り戻してくださるのです。
† もし主イエス様がアダムとしてではなく、被造界の相続主として7つの封印を解かれるなら、最初のアダムは代理管理権を取り戻すことができないでしょう。被造界を所有されている所有主が自分の権利を主張されるが、あえて被造物などが所有主の支配に割り込むことができるでしょうか。しかし、主イエス様は最初のアダムを贖われた最後のアダムとして、7つの封印を解かれます。主イエス様は花嫁を贖われた小羊として7つの封印を解かれます。アダムが失った土地を取り戻すことができる方は、ただアダムの近親者だけです[176]。
† 何よりも、主イエス様が7つの封印を解かれる過程で殉教証人の数がすべて満ちるようになります[177]。殉教証人の定められた数がすべて満ちると、第1の復活が起こります。第1の復活が起こると、戒めの真実さが証明されます[178]。戒めの真実さが証明されると、戒めを守れと命じられる神様の愛と公義に対する疑いが消滅されます[179]。神様への疑いが消滅されると、被造物たちは心置きなく神様を愛するようになります[180]。神様を愛する被造物は犯罪しません。誰も犯罪しないと、被造界で罪が消滅されます。被造界で罪が消滅されると、被造界での苦しみは永遠に終わります[181]。
† 小羊が第7の封印を解かれると、大贖罪のための香がささげられ始めます[182]。第7のラッパが鳴ると、第1の復活が起こります。第7のラッパが鳴ると、戒めの真実さが証明されます。第7のラッパが鳴ると、被造物から犯罪の可能性が消滅されます。第7のラッパが鳴ると、至聖所が開かれます。大贖罪が始まるのです。大贖罪を通して、被造界から罪が消滅されます。
† 主イエス様はアダムとして十字架で勝たれます。主イエス様はアダムとして7つの封印を解かれます。主イエス様はアダムの中に定められた数の殉教証人を出現させます。主イエス様はアダムを通して戒めの真実さを証明されます。主イエス様はアダムを通して創造を完成されます。
† 小羊が第7の封印を解かれると、7つのラッパが鳴ります。第7のラッパが鳴ると、第1の復活が起こります。第1の復活を通して、殉教証人たちが霊的な体を着ます。第1の復活を通して、大贖罪がなされます。大贖罪が成され、犯罪者に対する裁きが執行されます。大贖罪を通して、被造界で罪が消滅されます。大贖罪を通して、地の呪いが終わります。呪いのない体を着たアダムが、呪いのない土地を支配します。小羊が7つの封印を解かれると、地の呪いが終わります。
† 最初のアダムが依然として罪の奴隷であれば、最後のアダムが最初のアダムが失った土地を取り戻されても、役に立たないでしょう。アダムが依然として罪の奴隷であれば、アダムは依然として土地を支配することができません。失った土地を取り戻すことも重要だが、取り戻した土地を再び失わないことも重要であります。もしアダムに犯罪の可能性が残っているなら、アダムは土地を再び失うでしょう。
† 最後のアダムは、最初のアダムに罪に勝つ模範を示されます[183]。みことばは聖霊神様を通して罪に打ち勝ちます。最後のアダムは最初のアダムを贖われます。最初のアダムは罪の赦しを受けます。聖霊神様が最初のアダムにお見えになります。みことばと[184]聖霊神様を通して[185]、最初のアダムは最後のアダムの中で新しく生まれます。最初のアダムは最後のアダムのように罪に打ち勝ちます。最初のアダムは土地を再び支配できる者に仕上がります。
殉教証人[186]=養子[187]=アブラハムの子孫[188]=長子=初穂[189]=花嫁[190]
† 最後のアダムが最初のアダムが失った土地を取り戻してくださいます。以前の天と以前の地は、新しい天と新しい地で清潔になります[191]。地の呪いは終わります。最後のアダムが最初のアダムを罪から解放させてくださいます。魂的な体は霊的な体に復活変化します。肉体の呪いは終わります。最初のアダムは再び土地を支配します[192]。
† 神様はアダムを通して御使いを裁かれます[193]。神様は土を通して御使いを裁かれます。神様は虫を通して御使いを裁かれます。エデンの園ではアダムがサタンに敗れたようでした。しかし、結果を見るとアダムが勝ちました[194]。神様ご自身がアダムになってアダムに模範を示されます[195]。最後のアダムの模範に沿って最初のアダムがサタンに打ち勝ちます。
† 最後のアダムは最初のアダムが罪に打ち勝つようにされます。最後のアダムは花嫁に罪を克服させられます。花嫁が罪に勝ち、花嫁が地を取り戻しました。したがって、花嫁は土地を再び支配します[196]。アダムが罪に勝ち、アダムが地を取り戻しました。したがって、アダムは土地を再び支配します。最後のアダムは花嫁を通して罪を消滅させられます[197]。最後のアダムは教会を通してサタンを裁かれます。最後のアダムは花嫁と一緒に新しい天と新しい地を治められます[198]。
† 呪われた肉体は死の体です[199]。呪われた肉体では肉の欲望が出てきます。肉の欲望が出てくると、心でまで律法を守ることは不可能です[200]。殺人しないことはできます[201]。しかし敵を愛することはできません[202]。
† 主イエス様の血で罪の赦しを受けます。呪われた肉体に聖霊神様がお見えになります[203]。聖霊神様が命の法になってくださいます[204]。聖霊神様を通して、心でまで律法を守ることができます[205]。聖霊神様を通して、敵まで愛することができます[206]。
† 復活された最後のアダムは7つの封印を解かれます。最後のアダムは十字架で最初のアダムのために値を支払われました。最後のアダムが最初のアダムが受けた呪いを終わらせます。最後のアダムが最初のアダムに霊的な体を着せられます。最後のアダムが最初のアダムに新しい天と新しい地を任せられます。最後のアダムが最初のアダムを解放され、最初のアダムの土地を取り戻して最初のアダムに再び任せられます。
† 最後のアダムがまたお見えになります。最後のアダムは正当な所有権を主張されます[207]。最後のアダムの中で新しく生まれた最初のアダムは死に打ち勝ちます[208]。新しく生まれたアダムは戒めの真実さを証明します[209]。新しく生まれたアダムは最後のアダムの道を用意します[210]。今、最後のアダムが犯罪者を殺されても、最初のアダムは生き残ります。今、最後のアダムが犯罪者を殺されても、御使いたちは神様を誤解しません[211]。戒めは被造物がしっかり守ることができるのです[212]。最後のアダムが戒めを破った犯罪者を裁かれます[213]。新しく生まれたアダムすなわち花嫁に[214]、最後のアダムが新しい地を任せられます[215]。
† 血肉の体は神様の国を相続することはできません[216]。肉体だけ土ではなく血も土です。血に魂があります[217]。魂も土かもしれません[218]。魂には遺伝情報が含まれている可能性があります。(他の見方があり得ます。とにかく、魂は[219]呪われていません[220]。魂は十分に戒めを守ることができます[221]。義の魂は神様の国を相続することができます。魂のままであるのか、霊に変化したのかについては、他の見方があり得ます。とにかく魂的な体を着た魂が復活変化すれば霊的な体を着て御使いのようになります[222]。御使いは霊です。御使いの自由意志は霊にあります[223]。)土の肉体は魂的な体です[224]。魂的な体から肉の欲望が出てきます。魂的な体は死の体です[225]。
† アダムは魂です。アダムの自由意志は魂にあります。魂は選ばなければなりません。魂は霊に従うことを選ぶことができます。魂は肉に従うことを選ぶことができます[226]。魂が肉に従うと[227]、魂は肉の欲望に従って生きることになります[228]。魂が霊に従うと[229]、魂は神様の御心に従って生きることになります[230]。魂がみことばに従うと[231]、魂は神様の御心に従って生きることになります[232]。
魂は血にあります[233]。魂が叫びます[234]。血が叫びます[235]。魂が神様の国を相続するには[236]、霊を通して新しく生まれなければなりません[237]。魂が神様の国を相続するには、霊的な体に盛られなければなりません。(魂が霊的な体に込められた後も、依然として「魂」のままであるかどうかは分かりません。)魂が霊を通して新しく生まれ[238]霊的な体を着れば[239]、神様の国すなわち新しい天と新しい地を相続することができます[240]。
[1] 使徒5:5 アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた(エクプシコ)。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
[2] ヨハネ19:30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息(霊)を引き取られた。
[3] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのち(魂)を死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[4] 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
[5] ルカ23:45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。
[6] レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
[7] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[8] ヘブ7:20 また、そのためには、 はっきりと誓いがなされています。
ヘブ7:21 ―彼らのばあいは、誓いなしに祭司となるのですが、主のばあいには、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」―
ヘブ7:22 そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。
[9] ヘブ9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
[10] ヘブ8:6 しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
ヘブ8:7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。
ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
[11] ヘブ7:22 そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。
ヘブ7:23 また、彼らのばあいは、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
ヘブ7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
ヘブ7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人人を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
[12] 1ヨハ2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(パラクレートス助け主)があります。それは、義なるイエス․キリストです。
[13] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ヘブ4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
[14] ルカ17:20 さて、神の国はいつ來るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして來るものではありません。
ルカ17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
[15] 黙21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
黙21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
黙21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。
[16] ヘブ7:3 父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。
[17] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[18] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[19] ヘブ7:14 私たちの主が、ユダ族から出られたことは明らかですが、モ-セは、この部族については、祭司に関することを何も述べていません。
ヘブ7:15 もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。
ヘブ7:16 その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
ヘブ7:17 この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
[20] ヘブ6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
ヘブ6:20 イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
[21] ロマ8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト․イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
[22] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[23] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
黙11:17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[24] レビ16:16 彼はイスラエル人の汚れと、そのそむき、すなわちそのすべての罪のために、聖所の贖いをする。彼らの汚れの中に彼らとともにある会見の天幕にも、このようにしなければならない。
レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
黙15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
[25] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[26] ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
[27] ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネ14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネ14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って來るのです。
ヨハネ14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
ヨハネ14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
[28] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[29] ヘブ3:4 家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。
[30] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
[31] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[32] 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
[33] ヘブ12:14 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。
[34] エゼ18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
エゼ18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。
[35] エフェ4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
[36] 使徒17:27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
[37] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[38] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[39] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[40] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
[41] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[42] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
[43] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[44] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1ペト1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
[45] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[46] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
[47] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[48] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
[49] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[50] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[51] ガラ3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
ガラ3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ翔めました。それは約束が、イエス․キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
[52] ロマ6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
ロマ6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
[53] ルカ15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
ルカ15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
ルカ15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
[54] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[55] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラ2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
[56] エフェ2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
エフェ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―
[57] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
[58] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[59] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[60] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[61] ロマ6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
ロマ6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
[62] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
[63] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[64] 1コリ10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
1コリ10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
[65] 2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
[66] ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
[67] マタイ22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
マタイ22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
マタイ22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
マタイ22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
[68] エゼ33:24 「人の子よ。イスラエルの地のこの廃墟に住む者たちは、『アブラハムはひとりでこの地を所有していた。私たちは多いのに、この地を所有するように与えられている。』と言っている。
エゼ33:25 それゆえ、彼らに言え。神である主はこう仰せられる。あなたがたは血がついたままで食べ、自分たちの偶像を仰ぎ見、血を流しているのに、この地を所有しようとするのか。
エゼ33:26 あなたがたは自分の剣に拠り頼み、忌みきらうべきことをし、おのおの隣人の妻を汚していながら、この地を所有しようとするのか。
[69] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[70] 創2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて來られた。
創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
[71] ロマ7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
ロマ7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
ロマ7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
ロマ7:17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
[72] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
[73] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
[74] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[75] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
エフェ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
[76] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[77] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[78] ルカ14:26 「わたしのもとに來て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。
ルカ14:27 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしの弟子になることはできません。
[79] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[80] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
[81] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネ15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
[82] ヘブ8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ-セが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
[83] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[84] ヘブ9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人人に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
[85] ヘブ10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
[86] コロ2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
コロ2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
[87] 使徒14:22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
使徒14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。
[88] 2コリ1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
2コリ1:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
2コリ1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将來も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
[89] 2テモ4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
ダニ12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
創22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
[90] 1テモ5:15 というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。
[91] マタイ7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
[92] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[93] 創3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
[94] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[95] ヨハネ8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」
[96] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[97] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[98] ヨハネ11:12 そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
ヨハネ11:13 しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。
[99] ロマ8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
[100] 1テモ5:6 自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。
[101] マタイ22:31 それに、死人の复活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。
マタイ22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
[102] 創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
創2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
創2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
黙3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
黙3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
[103] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
[104] 創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
[105] 創3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
[106] 創3:20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。
創4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。
創4:25 アダム は, さらに, その 妻を 知った. 彼女は 男の 子を 産み, その 子を セツ と 名づけて 言った. 「カイン が アベル を 殺したので, 彼の 代わりに, 神は 私にもうひとりの 子を 授けられたから. 」
[107] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
ロマ3:21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
ロマ3:22 すなわち、イエス․キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
[108] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
[109] ガラ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
[110] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[111] 創8:20 ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。
[112] ヨハネ4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が來ます。今がその時です。父はこのような人人を礼拝者として求めておられるからです。
ヨハネ4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
[113] 詩50:5 「わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。」
[114] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[115] エレ31:31 見よ。その日が來る。―主の御告げ。―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
エレ31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主の御告げ。―
エレ31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
[116] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
[117] ロマ2:14 瓦瓦律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
ロマ2:15 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。 ―
[118] 創4:6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[119] マタイ5:27 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
[120] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
[121] ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[122] 詩89:14 義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことは、御前に先立ちます。
[123] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[124] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
[125] ロマ7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
ロマ7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが來たときに、罪が生き、私は死にました。
ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
[126] ロマ2:12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。
[127] 創26:5 これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」
創6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
創9:6 人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
[128] エフェ2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
エフェ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―
エフェ2:6 キリスト․イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
エフェ2:7 それは、あとに來る世世において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト․イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
[129] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[130] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
[131] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
[132] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[133] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[134] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
[135] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
[136] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[137] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
[138] 黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[139] ホセ4:1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。
ホセ4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
ホセ4:3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。
[140] エゼ33:24 「人の子よ。イスラエルの地のこの廃墟に住む者たちは、『アブラハムはひとりでこの地を所有していた。私たちは多いのに、この地を所有するように与えられている。』と言っている。
エゼ33:25 それゆえ、彼らに言え。神である主はこう仰せられる。あなたがたは血がついたままで食べ、自分たちの偶像を仰ぎ見、血を流しているのに、この地を所有しようとするのか。
エゼ33:26 あなたがたは自分の剣に拠り頼み、忌みきらうべきことをし、おのおの隣人の妻を汚していながら、この地を所有しようとするのか。
[141] 創3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
[142] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[143] 創2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて來られた。人が、生き物(生き魂)につける名は、みな、それが、その名となった。
[144] イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。
[145] 創2:15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
[146] ロマ8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
[147] 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[148] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
ロマ8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
ロマ8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[149] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[150] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[151] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
[152] イザ11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。
イザ11:7 雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
イザ11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
イザ11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
[153] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。
[154] 黙11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
[155] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[156] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[157] マタイ12:28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに來ているのです。
[158] マタイ12:11 イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。
マタイ12:12 人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」
マタイ12:13 それから、イエスはその人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。
[159] 黙5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
[160] エレ32:43 あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人間も家畜もいなくなり、カルデヤ人の手に渡される。』と言っているこの国で、再び畑が買われるようになる。
エレ32:44 ベニヤミンの地でも、エルサレム近郊でも、ユダの町町でも、山地の町町でも、低地の町町でも、ネゲブの町町でも、銀で畑が買われ、証書に署名し、封印し、証人を立てるようになる。それは、わたしが彼らの捕われ人を帰らせるからだ。―主の御告げ。―」
[161] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[162] レビ25:23 地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。
レビ25:24 あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。
レビ25:25 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が來て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。
レビ25:47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
レビ25:48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。
レビ25:49 あるいは、彼のおじとか、おじの息子が買い戻すことができる。あるいは、彼の一族の近親者のひとりが買い戻すことができる。あるいはもし、彼の暮らし向きが良くなれば、自分で自分自身を買い戻すことができる。
[163] ルツ3:9 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」
[164] エレ32:8 すると、主のことばのとおり、おじの子ハナムエルが私のところ、監視の庭に來て、私に言った。『どうか、ベニヤミンの地のアナトテにある私の畑を買ってください。あなたには所有権もあり、買い戻す権利もありますから、あなたが買い取ってください。』私は、それが主のことばであると知った。
エレ32:9 そこで私は、おじの子ハナムエルから、アナトテにある畑を買い取り、彼に銀十七シェケルを払った。
エレ32:10 すなわち、証書に署名し、それに封印し、証人を立て、はかりで銀を量り、
[165] エレ32:14 『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。これらの証書、すなわち封印されたこの購入証書と、封印のない証書を取って、土の器の中に入れ、これを長い間、保存せよ。
エレ32:15 まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。再びこの国で、家や、畑や、ぶどう畑が買われるようになるのだ。』と。」
[166] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
[167] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[168] フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
フィリ2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
フィリ2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
[169] マタイ28:18 イエスは近づいて來て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
[170] 1ペト3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
[171] 黙20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って來るのを見た。
黙20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
黙20:3 底知れぬ所に投げ翔んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
[172] ロマ6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
ロマ6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
ロマ6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
[173] ヨハネ18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
[174] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
創3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
[175] 黙5:1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
黙5:2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
黙5:3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
黙5:4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
黙5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
[176] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
[177] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[178] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[179] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[180] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[181] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[182] 黙8:1 小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
黙8:2 それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。
黙8:3 また、もうひとりの御使いが出て來て、金の香爐を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。
黙8:4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
レビ16:11 アロンは自分の罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふる。
レビ16:12 主の前の祭壇から、火皿いっぱいの炭火と、両手いっぱいの粉にしたかおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持ってはいる。
レビ16:13 その香を主の前の火にくべ、香から出る雲があかしの箱の上の『贖いのふた』をおおうようにする。彼が死ぬことのないためである。
[183] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[184] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
[185] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[186] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[187] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[188] ガラ3:29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
[189] 黙14:3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。
黙14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
[190] 2コリ11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
[191] 黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
黙21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って來るのを見た。
[192] イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
イザ65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも樂しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を樂しみとする。
イザ65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を樂しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
イザ65:20 そこにはもう、數日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
イザ65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
イザ65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
イザ65:23 彼らはむだに勞することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
イザ65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。
[193] 詩8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と复讐する者とをしずめるためでした。
[194] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[195] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
[196] 黙21:9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが來た。彼は私に話して、こう言った。「ここに來なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
黙21:10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って來るのを見せた。
[197] 創2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
創2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて來られた。
創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
創2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
[198] 黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。
黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[199] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[200] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[201] フィリ3:5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
フィリ3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
[202] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
[203] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
[204] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[205] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
[206] 使徒7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
使徒7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
使徒7:57 人人は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
使徒7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
使徒7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
[207] マタイ26:63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
マタイ26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って來るのを、あなたがたは見ることになります。」
[208] コロ2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
コロ2:13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、
コロ2:14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
コロ2:15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
[209] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[210] マラ4:5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が來る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
マラ4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが來て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
マルコ9:13 しかし、あなたがたに告げます。エリヤはもう來たのです。そして人人は、彼について書いてあるとおりに、好き勝手なことを彼にしたのです。」
黙11:3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」
黙11:4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリ-ブの木、また二つの燭台である。
黙11:5 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
黙11:6 この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。
[211] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[212] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[213] 黙20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って來るのを見た。
黙20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
黙20:3 底知れぬ所に投げ翔んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
[214] 創2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
[215] 黙2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
創2:9 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。
黙22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
黙22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
[216] 1コリ15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
[217] レビ17:11 なぜなら、肉のいのち(ネペシ魂)は血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのち(ネペシ魂)を祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのち(ネペシ魂)として贖いをするのは血である。
[218] 出34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
[219] エゼ18:4 見よ、すべてのいのち(ネペシ魂)はわたしのもの。父のいのち(ネペシ魂)も、子のいのち(ネペシ魂)もわたしのもの。罪を犯した者(ネペシ魂)は、その者が死ぬ。
[220] ルカ1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
ルカ1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
詩119:129 あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。
[221] 申30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。
申30:12 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。
申30:13 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。
申30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。
[222] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[223] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[224] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。
[225] ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[226] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
[227] エフェ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
[228] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[229] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
[230] ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
[231] ヨハネ14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
[232] 1テサ5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス․キリストの來臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
[233] レビ17:14 すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血が、そのいのち(ネペシ魂)そのものである。それゆえ、わたしはイスラエル人に言っている。『あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのち(ネペシ魂)は、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られなければならない。』
[234] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
[235] 創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
[236] 1ペト1:8 あなたがたはイエス․キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
1ペト1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
[237] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[238] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
[239] 1コリ15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
[240] 使徒1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
使徒1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
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