Ω 被造物は神様の恵みだけで愛の戒めを守ることができる |
神様が被造物に恵みを注いでくださいます[1]。神様に服従する被造物はその恵みを拒絶しません。したがって、神様に服従する被造物は神様に恵みを受けます。恵みを受けられなかったら、被造物は隣人を愛することができなかったでしょう。隣人を愛していなかったら、被造物は火の池に投げ込まれたでしょう。しかし、彼が神様の恵みを拒絶しなかったので、彼は隣人を愛することができました[2]。彼が隣人を愛していたので、彼は火の池に投げ込まれません。恵みは、神様が被造物に値なしにくださる贈り物です[3]。しかし、被造物はその恵みを拒むことができます[4]。 恵みを受けたなら生きた被造物が、神様が恵みを施さないで死ぬことは決してあり得ません[5]。神様が被造物に恵みを与えておらず、被造物が死ぬなら、神様は殺人者になるでしょう[6]。子供が乳を食べようとするのに母が乳を与えないならば、母の間違いです。母が乳を与えようとしても子供が乳を食べたくないなら、子供のせいです。神様はいつも恵みを与えてくださるよう願います[7]。 神様がヘレルに恵みを与えてくださらなかったので、ヘレルが堕落したものではありません。ヘレルが神様の恵みを拒んだので、ヘレルが堕落したのです[8]。ヘレルが神様の恵みを拒むので、神様がヘレルを捨てておくのです[9]。神様はヘレルの選択をあらかじめ知り[10]、ヘレルの堕落を使います[11]。御子は無理強いにヘレルが御子を殺すようにするのではありません[12]。御子はヘレルが御子を殺すのを防ぎません。ヘレルが御子を殺そうとする意志に固執するので、御子がヘレルの意志を利用するのです[13]。神様が殺人者であれば、神様は殺人したヘレルを裁くことはできません。しかし神様には公義であります[14]。 神様は、被造物が十分に守ることができる戒めだけを、被造物に守るよう命じられます。したがって、戒めは被造物がしっかり守ることができるのであります[15]。被造物はきわめて隣人を愛することができます。しかし、まだその事実が被造界に完全に確証されていません[16]。まだ戒めの遵守可能性すなわち戒めの真実さが被造界に完全に確証されていません[17]。まだ戒めを守る定められた数の証人たちが復活変化していません[18]。まだ御使いたちには戒めに対する疑いが残っています[19]。まだ御使いたちには戒めをくださった神様に対する疑いが残っています[20]。 神様はアダムを通して戒めの真実さを証明してくださいます。神様はアダムになってアダムに戒めを守る模範を示しています。神様はアダムになって十字架を背負います。神様はアダムになって、被造物が戒めを守らなければならない理由となってくださいます[21]。 戒め自体には問題はありません。しかし戒めを守らなければならない被造物の状態がまだ不完全です。被造物にはまだ神様に対する疑いが残っています。被造物にはまだ犯罪の可能性が残っています。被造物に犯罪の可能性がある理由は、神様が被造物に自由意志をくださったからです。神様は被造物に自由意志をくださり、その自由意志を完成されます[22]。神様がその被造物の自由意志を完成されるまで、その被造物はまだ不完全です。神様はそのような過程で創造を完成されることにまず定められ、その後、被造界を創造されました[23]。神様は十字架を通して創造を完成されることにまず定められ、その後、被造界を創造されました[24]。 神様が当初犯罪することが不可能であるように被造物を創造されたならば、被造物は犯罪できなかったでしょう。神様がそもそもさせればさせるように服従するしかないもので被造物を創造されたなら、被造物は犯罪できなかったでしょう。神様が被造物に自由意志をくださらなかったならば、今のような構造の被造界では、神様と被造物は愛につながることができなかったでしょう。 十字架は神様に痛いのです[25]。十字架は第1位神様と第2位神様に痛いのです[26]。十字架で父は御子を捨てなければならず、御子は父に捨てられなければなりません。それにもかかわらず、神様はわざわざ、十字架を通してのみ被造物の自由意志が完成される仕組みで被造界を創造されます[27]。そして神様ご自身は被造物となられて、被造物たちに自分の血を込められます[28]。 神様はどうして被造物に自由意志をくださるのでしょうか。神様はなぜ、被造物が神様に恵みを受けなければ生きられない構造で被造界を創造されるのでしょうか[29]。神様はなぜ、被造物が十字架の血を飲まなければ生きられない構造で被造界を創造されるのでしょうか[30]。神様はなぜ、被造物のためにすべてを捨てようとしますか。神様はなぜ、痛みを経験しなければならない仕組みで被造界を創造されるのでしょうか。神様はなぜ、被造物が神様の愛を知らない状態で創造されるのでしょうか。神様はどうして、被造物たちが神様の愛を後から悟らせられるのでしょうか。神様はどうしてわざわざ、被造物にご自分の血を入れようとしますか[31]。わかりません。神様がただそうするので、ただ服従するだけです[32]。 |
[1] 使徒17:27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
[2] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
[3] ロマ3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄轝を受けることができず、
ロマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト․イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
[4] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
[5] マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[6] ロマ10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
ロマ10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
[7] エレ35:15 わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行ないを改めよ。ほかの神神を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。
[8] ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
[9] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[10] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[11] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者(サタン)に、もっと大きい罪があるのです。」
[12] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[13] ヨハネ10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
ヨハネ10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父ら受けたのです。」
[14] ロマ3:5 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
ロマ3:6 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。
[15] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[16] 創2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
創2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
[17] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[18] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[19] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[20] エフェ3:8 すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[21] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[22] ルカ15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
ルカ15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
ルカ15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
[23] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
エフェ1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス․キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
エフェ1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
[24] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[25] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
[26] 創22:6 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
創22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」
[27] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[28] ルカ22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
[29] 申8:2 あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
申8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
[30] ヨハネ6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
ヨハネ6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
ヨハネ6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
[31] ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
[32] ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
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