Ω 被造物自らの力で愛の戒めを守ることができるか | |
見方1:守ることができる。 | 見方2:守れない。 |
神は、被造物が守ることができない戒めを守れと命じられません。 質問 戒めを守れば永遠に生きます。それでは、被造物は自分で永遠に生きることができますか? |
被造物は神様の恵みだけで戒めを守ることができます。神様は戒めを守ろうとする者に戒めを守ることができる恵みを与えられます[1]。しかし、被造物はこの恵みを拒むことができます[2]。恵みを拒む被造物は戒めを守ることができません。 戒めは被造物自らの力では守れないのです[3]。戒めを守る被造物は永遠に生きます。神様は、被造物が神様と隣人を愛するなら、永遠に生きる仕組みで被造界を存続させています[4]。被造物が自分の力で神様と隣人を愛することができれば、被造物は自分の力で永遠に生きることができるでしょう[5]。 被造物はまず神様の愛を知らなければ初めて神様と隣人を愛することができます[6]。神様はそのような構造で被造界を存続させています。神様が被造物が神様の愛を知らずに神様と隣人を愛することができるように創造されたならば、被造物は神様の愛を知らずに神様と隣人を愛することができるでしょう。神様が神様の愛を知らなくても戒めを守れるように、被造物を創造されたという意味は、神様が被造物を神様なしで永遠に生きることができるように創造されたという意味です。 今のような構造の被造界では、神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されています。今のような構造の被造界では、十字架がなければ被造物に自由意志を付与することはできません。もし神様が被造物が神様なしで自ら愛を始めることができるように創造しようとされたなら、神様は今とは異なる創造の過程をあらかじめ定められたのでしょう。 神様が被造物が自分で永遠に生きることができるように被造物を創造しようとしたならば、神様はそうしたことでしょう。神様が被造物が神様なしで隣人を愛することができるように被造物を創造しようとされたなら、神様はそのようにされたでしょう。しかし、神様は十字架を通してのみ被造物が神様の中にとどまることができる仕組みで、今の被造界を存続させています[7]。 今のような構造の被造界では、被造物はまず神様の愛を知った後にのみ初めて神様が望む程度まで隣人を愛することができます[8]。今のような構造の被造界では、被造物はまず神様の愛を知った後にのみ初めて神様が望む程度まで戒めを守ることができます[9]。 今のような構造の被造界では、被造物はまず神様の恵みを受けた後にのみ初めて永遠の命に至ることができます[10]。今のような構造の被造界では、神様は被造物を永遠の命に導くために十字架を背負います[11]。今のような構造の被造界では、神様は被造物を永遠の命に至らせるために親しく被造物となられます[12]。 |
私はこの見方を支持します。 |
[1] 創20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
創20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
創20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
[2] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
[3] ロマ11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
[4] マタイ19:16 すると、ひとりの人がイエスのもとに來て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
マタイ19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
マタイ19:18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
マタイ19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
[5] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
[6] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[7] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[8] 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[9] ヨハネ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネ15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
[10] ガラ3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
ガラ3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ翔めました。それは約束が、イエス․キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
[11] コロ1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[12] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
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