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2 存在のお召し

17 3つの自由意志

by aparke 2025. 5. 23.
  3つの自由意志
最後のアダムの自由意志
=常に完全であります。
ヨハネ17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が來ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
 2位神様は過去現在未来のすべての瞬間すべての場所に同時にいらっしゃって[1]、過去現在未来のすべての瞬間すべての場所を同時に存続させています[2]。第2位神様は時間と空間を創造し、存続させています[3]。第2位神様は時空間の中でのみ被造物であります[4]
 時空間は神様の中にのみ存在します[5]。第2位神様は時空間を無数に多く創造することができます[6]。第2位神様は時空間を一気に消滅させてしまうことができます[7]。時空間は第2位神様に水滴一つにも及ばないのです。時空間は第2位神様にまるでないようなものです[8]
 2位神様から離れた考えと言葉と行ないが罪悪です。第2位神様は義と不義の基準であります[9]。第2位神様は善と悪の基準であります[10]。いつもいらっしゃる第2位神様はいつも義であり、いつも善いです[11]。義と善は第2位神様を表現するためにある言葉であります。第2位神様が犯罪されることは不可能です[12]
 2位神様が今のような構造で被造界を創造されました。第2位神様が被造物となられました。今のような構造の被造界で被造物がどのように考え、話し、行動しなければならないのかについて、第2位神様ご自身が模範を見せてくださいます[13]
 2位神様が最後のアダムになりました[14]。第2位神様が呪われた肉体をお召しになりました[15]。したがって、最初のアダムと同じように[16]、最後のアダムの肉体からも肉の欲望が出てきます[17]
 今のような構造の被造界で、呪われた肉体を着れば犯罪しないために祈らなければなりません[18]。今のような構造の被造界で、アダムが呪われた肉体を着ても祈らなければ、アダムは犯罪するしかありません[19]。第2位神様はそのような構造で今の被造界を存続させています。第2位神様は絶えず祈られました。
 今のような構造の被造界で、アダムは聖霊神様を通してのみ肉の欲望に打ち勝つことができます[20]。今のような構造の被造界で、アダムが聖霊神様を祀らなければ、アダムは犯罪するしかありません[21]。第2位神様は聖霊神様を通して生まれ、聖霊神様を通して人生を生きました[22]
 今のような構造の被造界でアダムが罪に打ち勝つためには、アダムは神様の御言葉を知らなければなりません[23]。第2位神様はみことばそのものです[24]。第2位神様はすなわち戒めであります。
 最後のアダムは死の体を着ました[25]。みことばである最後のアダムは聖霊神様を通して罪に勝ちました[26]。最後のアダムは、最初のアダムに罪を勝つための模範を見せてくださいました[27]
 今のような構造の被造界では、被造物一人一人が絶えず選択を求められます[28]。今のような構造の被造界では、犯罪の可能性が1%でもあればいつかは必ず犯罪します。しかもアダムは死の体を着ているので犯罪する可能性が高いです[29]。そのような構造で被造界を存続させていらっしゃる方が第2位神様です[30]。そのような第2位神様は犯罪されますか[31]。そのような最後のアダムは犯罪されますか[32]
 もし第2位神様に犯罪の可能性が1%でもあったら、今のような構造の被造界で第2位神様はいつかは必ず犯罪されるでしょう。犯罪する可能性があるという意味は完全ではないという意味です。犯罪の可能性があるという意味は完全な真ではないという意味です。
 しかし、第2位神様は完全です。第2位神様は完全な真です[33]。今この瞬間にも被造物たちは、第2位神様を通して各自の存在を維持されています[34]。もし第2位神様に犯罪の可能性が1%でもあるなら、被造物が存在することは不可能です。偽りを通して実体が存続することはできません。
 第2位神様は、被造物が戒めを守ることができるとおっしゃいます[35]。第2位神様は、親しく死の体を着せられ、戒めを守る模範を見せられました。死の体を着ていても戒めを守ることができる構造で被造界を存続させていらっしゃる方が第2位神様です[36]
 被造物は無限に義にすることはできません[37]。無限に義のある方は、神様のみです[38]。御使いやアダムの自由意志が完成されるので、彼が無限に義であるという意味ではありません[39]。御使いや人間が無限に大きな試験に合格することはできません。御使いや人間は、神様が許された試験だけを通過すればよいのです[40]
 試験に限界があるという意味です。被造物の義に限界があるという意味です[41]。被造物は無限に愛することができません。無限に愛される方は、神様のみです[42]。被造物は神様が愛するようにしてくださるだけにだけ愛することができます[43]
 被造物は、神様が定められた水準まで、神様と隣人を愛すればよいのです[44]。神様が義であると考えられるなら、それになったのです[45]。神様が被造物に要求される水準まで、被造物が神様に自分の意志を示すならば[46]、残りは神様がしてくださります[47]
 ですから、神様が定められた水準まで神様と隣人を愛すれば、彼の自由意志は完成されます。神様が定められた水準までのみ聖霊神様に服従すれば、彼の自由意志は完成されます[48]。しかし、彼が神様のように義になったという意味では[49]ありません[50]。無限に義な被造物は、ただ最後のアダムだった方ばかりです[51]
御使いたちの自由意志
=1の復活時に完成されます。
1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
 主イエス・キリストの現われのとき聖徒たちにもたらされる恵みは復活です。御使いたちはすでに試験に一度勝ちました[52]。したがって、御使いたちの自由意志は試練をずに完成されます。御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。したがって、御使いたちは1000年王国を譲りとして相続することはできません[53]
 十字架を通して神様の愛と公義が一次的に証明されました[54]。しかし、まだ御使いたちには戒めに対する疑いが残っています[55]。神様は戒めを破る被造物を火の池に燃やされます[56]。戒めが守れない基準であれば、神様の愛は偽りでしょう。したがって、御使いたちの自由意志が完成されるには、戒めの真実さが証明されなければなりません。
 戒めを破った罪を死が握ります[57]。戒めを破れば死に打ち勝つことはできません。しかし戒めを守れば死に打ち勝ちます[58]。死に打ち勝つと復活変化します。復活を通して、戒めが守ることができる基準であるという事実が証明されます。復活を通して、戒めの真実さが証明されます。特に殉教証人たちの第1の復活を通して、戒めの真実さが確実に証明されます[59]。殉教証人たちは死に至るまで神様と隣人を愛しました[60]。殉教証人たちは死に至るまで戒めを守りました[61]
 神様は殉教証人の数を定められました[62]。殉教証人の定められた数がすべて満ちると、第1の復活が起こります。第1の復活を通して、戒めの真実さが確実に証明されます。第1の復活を通して、御使いたちの自由意志が完成されます[63]。御使いたちの自由意志が完成されると、主イエス様が御使いの天を贖われます[64]。御使いたちから犯罪の可能性が消滅されると、主イエス様が実際の神殿を贖われます[65]
最初のアダムの自由意志
=公式には、命の復活によって生き返った時に完成されます。非公式には試験に合格するときに完成されると考えます。神様がアダムに定められた試験には限界があるからです[66]。もし彼が限界を超えて勝利したならば[67]、彼の自由意志はすでに完成されたでしょう[68]。死んでいなくても火の燃える爐の試験に合格した場合、彼の自由意志はすでに完成されているでしょう[69]
ヤコ1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
ヤコ1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
ヤコ1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
ヤコ1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
1ペト1:7 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエスキリストの現われのときに称賛と光栄と栄轝に至るものであることがわかります。
 欲がなければ犯罪しません[70]。試練を通して欲がなくなります[71]。試練を通して犯罪しないようになります。試練は欲をなくすためのものです[72]。神様は許されませんが、私が望むのが欲です[73]
 欲がなくなれば試験に合格することができます。欲がなくなれば戒めを守るために命を捨てることができます[74]。欲がなくなれば死に至るまで神様と隣人を愛することができます[75]。ですから、命を捨てられるほど欲がなくなるとき、アダムの自由意志は完成されます[76]
 命を捨てることが無限の義という意味ではありません。命程度だけ捨てても神様がアダムを上手だったと褒めてくださるという意味です[77]。命を捨てなくても最後まで信仰を守れば命の復活によって生き返ります[78]。一生を神様に服従すると、命の復活によって生き返ります。しかし、命を捨てれば、1000年の間、王である祭司として支配することができます[79]
 アダムの肉体は呪われました。アダムの肉体では肉の欲望が出てきます。アダムの肉体は死の体となりました[80]。死の体に、聖霊神様がお見えになります[81]。もしアダムが死の体を着ても命を捨てるまで神様と隣人を愛することができれば、彼の自由意志は完成されたでしょう。彼はもはや火の池に投げ込まれるような犯罪を犯すことはできないでしょう[82]。死の体を着ていても、彼は堕落することはできないでしょう[83]。彼は死に至るまで聖霊神様に服従します[84]。彼は神様が定められた限界を超えて勝利しました。
 もし彼が肉の欲望のない肉体まで着るならば、彼が犯罪することは不可能になります。彼が霊的な体を着るなら、彼は永遠に犯罪しません。永遠に犯罪しないので、彼は永遠に生きます。アダムは復活して霊的な体を着ます[85]。アダムは復活して御使いのようになります[86]。御使いたちと御使いのようになった人々は永遠に生きます。
 しかし、皆が命を捨てるまで神様と隣人を愛するわけではありません。皆が殉教証人になるわけではありません。皆が死に至るまで聖霊神様に服従するわけではありません。それでも、彼らが神様に服従して信仰から離れないならば、大きな白い御座の裁きの時にこれらも命の復活によって生き返るでしょう。彼らの自由意志はおそらく霊的な体を着るときに完成されるでしょう。
 もしかすると彼らが信仰を守る人生を生きる途中、彼らの自由意志が完成されたのかもしれません。しかし、彼らが殉教したわけではないので、他の人がそれを知ることはできません。被造物は他の被造物の心を見ることができません[87]
 アダムは魂的な肉体を着ています。アダムは、銀河はどころか地球さえ逃げることができません。アダムの肉体は呪われました。アダムの肉体は壊れる直前です。アダムの肉体は土です。アダムの肉体は静かに置いても、とにかく土に戻ります[88]。アダムの肉体の命はいずれ終わります[89]
 アダムの肉体は簡単に燃え、簡単に引き裂かれ、簡単に粉砕されます。アダムはとても簡単に死んでしまいます。土肉体の命を捨てることはとても簡単な基準です[90]。せいぜい数時間だけ耐えれば、肉体を殺す痛みは終わります[91]。主イエス様は肉体の命が絶たれることによって苦悩されたのではなく[92]、父から絶えられることによって苦悩されたのです[93]
 主イエス様の隣にも二人の犯罪者が十字架につけられました。十字架につけられて死んだ人はたくさんいます。聖徒たちも多く殉教しました。しかし、聖徒は神様から切り離されません[94]。命が絶たれるのと神様から切れるのは違うのです。犯罪者は、火の池に燃えながら、自分が神様から切り離されたという事実を悟るでしょう。犯罪者は火の池に燃えながら罪の重さを感じるでしょう。本当に痛みを伴うのは、神様から絶たれることです。
 聖霊神様が臨めば罪を勝ちます[95]。しかし、聖霊神様に逆らうことができます[96]。ですから、先の雨としてお見えになった聖霊神様を祀るからといって自由意志が完成されるわけではありません[97]。五旬節が終わる直前、144000人の殉教証人たちに[98]聖霊神様が後の雨としてまで臨られます[99]。これらは堕落しないでしょう。聖霊神様が彼らに後の雨としてお見えになる理由の一つが、彼らの自由意志がすでに完成されているからかもしれません。
 殉教証人の数は決まっています[100]3番目の初穂の数は144000人で決まっています[101]。神様があらかじめ宣言されたみことばが間違っていると[102]、御使いたちに神様に対する疑いが生じることがあります。神様があらかじめ宣言された数が間違っている場合[103]、被造物の自由意志は完成されません。
 「大体144000人」とおっしゃるには、殉教証人の数はその意味があまりにも重要です。被造界全体の運命が殉教証人の数にかかっています。神様が3番目の初穂の数を「大体144000人」とおっしゃったのなら、その曖昧さの結果がとても途方もないです。神様がこれを知らないはずはありません。
 人は未来を予想するが、神様はその未来にすでにいらっしゃいます[104]。神様は144000を最後の1週の時に置かれることで創世前にすでに決められました[105]。聖霊神様は正確に144000人だけに後の雨としてお見えになるでしょう。もちろん、先の雨として臨んだ聖霊神様を祀った聖徒たちはたくさんいます[106]
 3番目の初穂の数は144000人で決まっています。これらの中で一人だけ堕落しても数が間違っています。これらの中で一人だけ堕落しても御使いたちに神様に対する疑いが生じることがあります。これらの中で一人だけ堕落しても被造界全体が滅亡します。これらは誰も堕落しません。もしそうなら、彼らの自由意志はすでに完成されているでしょう[107]。聖霊神様が彼らに後の雨としてお見えになる理由の一つが、彼らの自由意志がすでに完成されているからであります。
 主イエス様がアダムであったとき、主イエス様が一度でも犯罪されたならば、被造界全体は滅亡したでしょう。今は144000人のうち1人だけが堕落しても被造界全体が滅亡します。もちろん、主イエス様が聖さなければならない水準と、人が聖さなければならない水準は、天と地ほど違いがあります。
 いくらでも条件がとても途方もないです。144000にはあまりにも多くの責任が課せられています。これはサタンにとってあまりにも有利な条件です。サタンが144000人の殉教証人のうちの1人だけを堕落させることができるならば、被造界全体をサタンが掌握することもできます。
 あまりにも至大な条件なので、144000という数が実際の人数を意味するものではないという見方もあり得ます。また、「144000人の自由意志が完成されたため、聖霊神様が彼らに後の雨としてお見えになるのだ」という見方に反対する見方もあり得ます。
 144000が活動する時は[108]サタンが地上に投げ落とされ、海と地から獣を起こす頃です[109]。サタンは自分の敗北を直感しています[110]。サタンは裁きを避けるためにあらゆる手段を講じます。しかも被造界まで掌握できるなら、サタンはまさに暴れ回ります。144000人のうち1人だけを堕落させればよいのです。神様はサタンにあまりにも有利な条件を与えられました。しかし、サタンは一人も堕落させることはできません。
 神様は被造物の自由意志に干渉しません[111]。被造物の自由意志が完成されるには、被造物自体が選ばなければなりません[112]。被造物自らが神様の恵みを拒まないことを選ばなければなりません[113]。被造物自らが聖霊神様に服従することを選ばなければなりません[114]。もし彼が神様の恵みを拒まなければ[115]、神様の恵みが彼に罪を勝つようにします[116]。もし彼が聖霊神様に服従するならば、聖霊神様は彼に罪を勝つようにします[117]
 先の雨としてお見えになった聖霊神様に徹底的に服従する144000人の殉教証人たちに[118]、聖霊神様が後の雨としてまでお見えになります[119]。自由意志が完成された144000人の殉教証人たちに[120]、聖霊神様が後の雨としてまでお見えになります[121]


[1] イザ41:4 だれが、これを成し遂げたのか。初めから代代の人人に呼びかけた者ではないか。わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。

[2] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

  コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[3] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、

  ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリストイエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

[4] ヘブ1:10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

  ヘブ1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。

  ヘブ1:12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」

  102:25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

  102:26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。

  102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。

[5] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

[6] イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。

[7] イザ29:7 アリエルに戦いをいどむすべての民の群れ、これを攻めて、これを取り囲み、これをしいたげる者たちはみな、夢のようになり、夜の幻のようになる。

  イザ29:8 飢えた者が、夢の中で食べ、目がさめると、その腹はからであるように、渇いている者が、夢の中で飲み、目がさめると、なんとも疲れて、のどが干からびているように、シオンの山に戦いをいどむすべての民の群れも、そのようになる。

[8] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。

  イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

  イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

[9] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

  ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[10] ネヘ1:9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて來る。』と。

[11] 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」

[12] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。

  イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。

  イザ44:8 恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。

[13] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

  1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

  1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

[14] 1コリ15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者(プシケ魂)となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊(プネウマ霊)となりました。

[15] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

  ヘブ5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

[16] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

  ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。

  ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。

  ヘブ2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

[17] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

[18] マタイ26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

[19] 1ペト4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

[20] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

  ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

  ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[21] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

  ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[22] ヨハネ3:34 神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。

[23] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

[24] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

  1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[25] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

  ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

  ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[26] ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

[27] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

  ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

  ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

[28] ヨシュ24:15 もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神神でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神神でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」

[29] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

  ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、

  ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

[30] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[31] ヨハネ8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

[32] ヨハネ8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。

  ヨハネ8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

[33] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエスキリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

[34] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

  ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[35] ルカ18:25 金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

  ルカ18:26 これを聞いた人人が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」

  ルカ18:27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

[36] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

[37] ヨブ14:4 だれが、きよい物を汚れた物から出せましょう。だれひとり、できません。

  ヨブ14:5 もし、彼の日數が限られ、その月の數もあなたが決めておられ、越えることのできない限界を、あなたが定めておられるなら、

  ヨブ14:6 彼から目をそらして、かまわないでください。そうすれば、彼は日雇人のように自分の日を樂しむでしょう。

[38] ヨブ37:23 私たちが見つけることのできない全能者は、力とさばきにすぐれた方。義に富み、苦しめることをしない。

[39] ヨブ4:17 人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前にきよくありえようか。

  ヨブ4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、その御使いたちにさえ誤りを認められる。

  ヨブ4:19 まして、ちりの中に土台を据える泥の家に住む者はなおさらのことである。彼らはしみのようにたやすく押しつぶされ、

[40] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

[41] ヨブ15:14 人がどうして、きよくありえようか。女から生まれた者が、どうして、正しくありえようか。

  ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。

  ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。

[42] 1ヨハ4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

  1ヨハ4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

[43] ロマ11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

  ロマ11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り所くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

  ロマ11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

  ロマ11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

  ロマ11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。ア-メン。

[44] 2コリ8:12 もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。

[45] ロマ4:5 何の働きもない者が、不敬嶺な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

  ロマ4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。

  ロマ4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。

  ロマ4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」

[46] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

  ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」

  ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

[47] 20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。

  20:5 彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」

  20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

[48] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

  ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

[49] ガラ2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリストイエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリストイエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

[50] ガラ3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリストイエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

[51] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

  1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[52] 12:3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。

  12:4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。

[53] ヘブ2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。

[54] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[55] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

  ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

  ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

  ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

[56] マルコ9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

[57] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリストイエスにある永遠のいのちです。

[58] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

  1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

  1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[59] 10:5 それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、

  10:6 永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。

  10:7 第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」

[60] 12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

  12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

[61] ヨハネ15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

  ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

  ヨハネ15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。

[62] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

  6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

  6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[63] 11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

  11:16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、

  11:17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。

  11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が來ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」

[64] 15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。

  レビ16:17 彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て來るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。

[65] ヘブ8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ-セが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」

[66] ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

[67] ダニ6:10 ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。―彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。―彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。

  ダニ12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

[68] 22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

[69] ダニ3:26 それから、ネブカデネザルは火の燃える爐の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て來なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデネゴは火の中から出て來た。

  ダニ3:27 太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。

[70] 119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

[71] ヨブ23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て來る。

[72] ヘブ12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

  ヘブ12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

[73] 20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

[74] 使徒20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

  使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

[75] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

  1ヨハ3:17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

[76] マタイ5:38 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

  マタイ5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

  マタイ5:40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。

  マタイ5:41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。

  マタイ5:42 求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。

  マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

  マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

[77] マタイ25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

[78] イザ57:1 義人が滅びても心に留める者はなく、誠実な人が取り去られても、心を向ける者もいない。まことに、義人はわざわいから取り去られて、

  イザ57:2 平安にはいり、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。

[79] 20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

[80] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

  ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

  ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[81] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

  ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[82] 1ヨハ5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。

  1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

[83] 2テモ4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

  2テモ4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

[84] フィリ2:30 なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。

[85] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[86] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

  ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。

[87] 王上8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。

[88] ヨハネ8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」

[89] ヘブ9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

[90] ヨブ25:5 ああ、神の目には月さえも輝きがなく、星もきよくない。

  ヨブ25:6 ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである。

[91] ルカ12:4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。

  ルカ12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

[92] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

  ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

  ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

[93] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

[94] ロマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

  ロマ8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

  ロマ8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

[95] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

  ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

  ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[96] 1テサ5:19 御霊を消してはなりません。

[97] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

  ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

[98] 7:3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」

  7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。

[99] エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人人の額にしるしをつけよ。」

  エゼ9:5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。

  エゼ9:6 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。

[100] 6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[101] 14:3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。

  14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。

  14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。

[102] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。

  イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

[103] ダニ9:24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。

[104] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。

  イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。

[105] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」

[106] 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

[107] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

 マタイ5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

[108] 11:2 聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。

 黙11:3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」

 黙11:4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリ-ブの木、また二つの燭台である。

 黙11:5 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。

 黙11:6 この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。

 黙11:7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って來る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。

[109] 13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

[110] 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、

 黙12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

 黙12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

 黙12:12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが來る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

[111] エゼ18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。

 エゼ18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。

[112] 30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。

 申30:12 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。

 申30:13 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。

 申30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。

[113] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

 2コリ6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

[114] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

 ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[115] ガラ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

 ガラ2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」

[116] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

[117] ロマ6:14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

 ロマ6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

[118] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[119] エゼ3:1 その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」

 エゼ3:2 そこで、私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、

 エゼ3:3 そして仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。

 エゼ3:4 その方はまた、私に仰せられた。「人の子よ。さあ、イスラエルの家に行き、わたしのことばのとおりに彼らに語れ。

[120] ロマ14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。

 ロマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

[121] 10:8 それから、前に私が天から聞いた声が、また私に話しかけて言った。「さあ行って、海と地との上に立っている御使いの手にある、開かれた巻き物を受け取りなさい。」

 黙10:9 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい。」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」

 黙10:10 そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。

 黙10:11 そのとき、彼らは私に言った。「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」