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2 存在のお召し

37 アダムが命の木の果実を食べないように、神様がアダムをエデンから追い出しました

by aparke 2025. 5. 23.

3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

ハデスにサタン噓群れがめられています。ですからハデスはいです[1]創造されます[2]められています。ですからいです。メシヤが映ります[3]今、光にいます。

暗闇で、置かれます。ハデスのに、はエデンを置かれます。エデンのに、はエデンの置かれます聖所に、至聖所置かれます。エデンの命の木があります。エデンの至聖所です[4]至聖所に、めを置かれます。エデンのに、めを置かれます[5]

アダムはめを破ります。アダムは罪の奴隷になります[6]。アダムは追い出されます。アダムは至聖所からされます。ケルビムと炎のへのいでいます[7]。ケルビムといのふたがめにかういでいます。ケルビムと御座永遠かういでいます。アダムが命の木の果実べるためには、アダムはケルビムと炎の通過しなければなりません。アダムが永遠るためには、アダムは至聖所御座通過しなければなりません[8]

義と公正恵みとまこと御座基礎です[9]めが御座基礎であります。めで被造界支配されますめを死にます[10]。戒めを御座通過できません。めを命の木の果実べることができません[11]めを永遠ることができません[12]

めをるのです[13]服従しないのです[14]隣人みにじるのです[15]罪を犯し続ける被造物裁きを受けます[16]めを基準被造物かれます。めを被造物めを被造物で、被造物かれます。イエス服従する被造物イエス服従しない被造物とで、被造物かれます[17]隣人する被造物永遠生きます[18]隣人みにじる被造物まれます。

めをるか守らないかは、被造物各自選びます。主イエス様服従するかどうかは、被造物それぞれが選びます。戒めをればき、めをるとまれます[19]めを被造物にとって、めは命の木であります[20]めを被造物に、めは禁断の果実であります[21]

隣人しなさいというめが、隣人する被造物には命の木の果実となり、隣人みにじる被造物には禁断の果実となります。隣人するは、命の木の果実べる行ないれます。隣人踏みにじる心は、禁断の果実べる行ないれます。めだが、そのめに対する被造物違います。

は、被造物めでえられます[22]。神様が隣人みにじる被造物生かしておかれるという意味はみつけられる被造物愛していないという意味ですめを被造物かしておけば、被造物は互いを踏みにじるでしょう。きといの基準めです。永遠と火の池の基準めです。

御座では裁きが成されます[23]めををおいすれば死にます[24]。戒めを御座つと死にます[25]。戒めを至聖所ると死にます[26]。戒めをがエデンのると死にます。戒めを命の木の果実べようとすると死にます[27]

主イエスめをるすべての被造物火の池燃やされます。そのに、主イエス被造物めのえました。主イエスしくられ、被造物てます[28]被造物らかになります。てた被造物火の池投げ込まれません[29]めを被造物火の池まれません。

行ないがあらわれたものにすぎません[30]。アダムはすでに禁断の果実べることもできるっていました。アダムはすでにっていました。状況だけになれば、アダムは禁断の果実べるでした。状況になると、アダムは禁断の果実べました。

禁断の果実べると死にます。禁断の果実べると、もう命の木の果実べることができません。それでもアダムは禁断の果実べました。アダムにとって命の木の果実価値は、ちょうどそれだけだったのです。姦淫すれば、もうにできなくなります。それでも姦淫します。価値は、ちょうどそれだけなのです。

みをらない安息大切さも知りません。死らない生命大切さも知りません[31]。禁断の果実苦しみを知らないは、命の木の果実大切さも知りません。命の木の果実大切さをらないは、たぶん禁断の果実べることもできます。めの大切さをらないは、多分戒めをることもできます。

命の木の果実べればアダムは永遠きるでしょう。めをになれば、アダムは命の木の果実べることができるようになるでしょう[32]。アダムがめをになれば、アダムは永遠きるでしょう[33]。しかしアダムは命の木の果実の大切さを知りませんでした。

アダムは自分知りませんでした。アダムは自分命の木の果実べることができない状態にあるという知りませんでした。アダムは自分禁断の果実べることができる状態にあるという知りませんでした[34]アダムは自分よりもエバをもっとしているという知りませんでした[35]アダムは自分命の木の果実がどれだけ必要なのかを知りませんでした。

禁断の果実命の木の果実べさせるためにあるのです。禁断の果実がなければ、アダムは自分らなかったでしょう[36]禁断の果実がなければ、アダムは自分よりもエバをもっとしているというらなかったでしょう[37]禁断の果実がなければ、アダムは自分がすでにんでいるというらなかったでしょう。禁断の果実がなければ、アダムは自分命の木の果実がどれだけ必要なのかをらなかったでしょう。

禁断の果実べると死にます。いいえ、死人禁断の果実べます。禁断の果実自分んでいることをらせるだけです。禁断の果実は、自分かられていることをらせるだけです。行ないにあらわれます。禁断の果実べられる禁断の果実べる行ないにあらわれます。

禁断の果実べた自分実体ることになります。禁断の果実べた自分んでいることをるようになります。禁断の果実べたは、自分命の木の果実必要だというるようになります。アダムはよりもエバをするからすでにんでいました。禁断の果実にそのらかにしただけです。

めがるとれます。禁断の果実めがるとアダムのれます。アダムはでした[38]。アダムは自分実体悟ります今、アダムはります。

セをして律法映りました[39]主イエスて、律法真実るくらします[40]。アダムはよりもエバをしていました。めをれないアダムにとって、めは裁きの根となります[41]めをれないアダムにとって、めはアダムをになります[42]めをることができないアダムにとって、めは禁断の果実としてれます。

アダムがするようになると、アダムはめをることができます。めをることができるアダムにとって、めは生命となります[43]めをることができるアダムにとって、めはアダムをかすになります。めをることができるアダムにとって、めは命の木の果実としてれます[44]

アダムが禁断の果実べるという意味は、めがまだアダムにという意味であります。アダムがまだしていないという意味ですめが、アダムに禁断の果実になったり、命の木の果実になったりします[45]さないアダムにとって、めは禁断の果実です[46]するアダムにとって、めは命の木の果実です[47]めはわりません。アダムがわらなければなりません。アダムが命の木の果実べるにならなければなりません。

支配するしています[48]。アダムはエデンを支配します。エデンはアダムのしています。エデンのには命の木だけがあるわけではありません。エデンのには悪知識もあります。自由意志完成されていないアダムのにはまだ禁断の果実っています[49]。アダムにはまだらう可能性っています。エデンのには命の木だけがなければなりません。アダムから隣人みにじる可能性消滅されなければなりません。

被造物する被造界にはだけが残ります[50]被造物する被造物にはだけが残ります被造物する被造界にはだけが残ります被造物する被造物にはだけが残ります[51]被造界永遠消滅させることをみます[52]は、被造界しみとしみを永遠消滅させたがります[53]被造物がもはや犯罪しなくなることをんでいます。

新しいエルサレムにはもはや悪知識がありません。しいエルサレムには命の木だけがあるだけです。被造界永遠消滅させるためにアダムを創造されました[54]被造界命の木だけをすためにアダムを創造されました[55]

しかし、アダムは最初から命の木の果実べることができません。アダムは最初からキリストに服従することはできません。らず、まずすることができる被造物はありません[56]十字架らず、まずのためにてられる被造物はありません[57]被造物自分命の木の果実べることができません。被造物らの永遠に生きることはできません[58]

めは、被造物十分ることができるのです[59]。ただし、ってこそることができます。めはるのです[60]十字架してしています[61]れる被造物めを守ります自分たすために拒む被造物めを破ります[62]する被造物だけを残しておかれます隣人みにじる被造物火の池やされます[63]隣人みつけません。被造界消滅されます。被造界安息成されます

被造物に自由意志をくださった方です。被造物くださった自由意志侵害されません。がなぜ被造物に自由意志をくださったのかはわかりません[64]。おそらく、被造物しているからであると推測されます。

被造物に自由意志をくださいました。被造物説得しなければなりません。被造物納得させなければなりません。被造物になぜ愛さなければならないのかをえなければなりません。被造物はまずしようとしません。それゆえ、被造物にまず見せてくださいます被造物のために十字架から神のすべてを捨てられます

もし被造物自由意志をくださらなかったなら、はすべてをてる必要はありませんでした。命令にそのまま服従するものになるように被造物られてもよいのです。

はすべての被造物のすべてのをすでにご存じでいらっしゃいます[65]のような構造被造界は、そのように選ぶ被造物をその配置されます[66]服従する被造物あらかじめご存じでいらっしゃいます。憐れみえます[67]らう被造物あらかじめご存じでいらっしゃいます。彼は悔い改めません。捨てられます[68]我慢された[69]犯罪者たちをかれます[70]被造物のそれぞれの使って被造界消滅させられます。

十字架しています。したがって、被造物るようになるまで、過渡期があるかもしれません。被造物十字架るまで、殺人しないようにじられました。被造物十字架るようになった敵をするようじられます。被造物状態によってめられる基準なるのです。したがって、いかなる場合でも、じられたとおりにめをることができます。

はイスラエルの民に律法えられました[71]将来お見えになるメシヤをじるイスラエルの民は律法りました[72]。すでにお見えになったメシヤをじる聖徒たちは、キリストの律法ります[73]将来お見えになるメシヤをじる人々殺人しませんでした。すでにお見えになったメシヤをじる聖徒しています。メシアをじる信仰表現律法るのです[74]律法らなければ、メシヤをじるのではありません[75]行ないとして証明されない信仰裁きを通過できません[76]

ヘレルは堕落しないことが可能でしたミカエルとガブリエルは堕落しませんでした。アダムは堕落しないことが可能でした。ノアとダニエルとヨブは堕落しませんでした。イスラエルの民は堕落しないことが可能でした。ヨシュアとカレブは堕落しませんでしためが間違っていません。犯罪者間違っています。

被造物たちにみをえます。もしサタン噓群れがみを拒絶しなかったならば、サタン噓群れは御使いとしてることができたでしょう。御使いたちにみがどのようにされたのかはかりません。ただし、堕落した御使いたちがめないことをると[77]らがけたみはかなり強力だったと推測されます。これらは、自由意志十分発揮してわざわざ犯罪しなければ[78]犯罪できない状態にあったようです[79]。もしそうなら、サタン噓群れはめることは不可能です[80]らは知ってもわざわざしたのです[81]。神様ご自身が被造物くださった自由意志を、侵害されません。

はアダムにめを照らされました。アダムはを受けました。アダムはその禁断の果実反射することができます。また、アダムはその命の木の果実で反射することができます。禁断の果実はサタンの表しています命の木の果実表しています。アダムはサタンのくことができます[82]。また、アダムはくことができます。アダムはサタンのになることができます[83]。さらに、アダムはになることができます[84]

アダムがサタンのくならば、アダムは禁断の果実べるでしょう。アダムがくならば、アダムは命の木の果実べるでしょう。禁断の果実命の木の果実はアダムの行ないとして表します。アダムはサタンのになることを選びました[85]

もちろん、アダムは自分永遠きることができません。アダムはまずすることができません。アダムは十字架らなければめてすることができます[86]十字架に、アダムは永遠生きることができません。十字架に、アダムは命の木の果実べることができません。自由意志完成される前に、アダムは命の木の果実べることができません[87]

アダムがべることが不可能だったという意味ではありません。実際べたかもしれません。しかし、十字架らず、べてみたら、それが実際永遠えることはできないという意味です主イエス象徴します[88]小羊主イエス象徴します[89]主イエス永遠をくださるのです。主イエスする動物永遠えるのではありません。アダムが禁断の果実べなかったときにも、アダムはいつでも犯罪できるでした。

もしアダムが禁断の果実拒んだなら、アダムはよりも快適ることができたでしょう[90]。アダムがったならば、アダムの自由意志しみなく完成されることができたでしょう。ヘレルの惑わしに勝った御使いたちは[91]、アダムよりもっと快適っています[92]。もちろん、犯罪しないアダムのわりに、犯罪する人間をアダムのかれたかもしれません。過程創造完成されることで創世前あらかじめ定められ創造められました。

もし勝つアダムを時代いたならば、教証人になったでしょう[93]教証人最初のアダムかれたなら、禁断の果実惑わしに勝ったでしょう。そして創造過程わったでしょう。

しかし、敗北する最初のアダムかれました。禁断の果実敗北後十字架勝利という過程[94]創造められます[95]時間空間創造され[96]存続させています[97]

はすべての被造物のすべての[98]完全ご存じでいらっしゃいます[99]服従する被造物もあり、らう被造物もあります[100]はあらかじめめられたって[101]各被造物配置されました[102]望み通り行われます[103]被造物などがあえて創造関与できません[104]たちはただ服従するだけです[105]

アダムは禁断の果実べました。アダムはめて自分禁断の果実べるであるという悟ります。アダムはめて自分らうであるという悟ります。アダムはめて自分さないであるという悟ります。アダムはめて自分んでいることにづきます。今、アダムはります。

主イエスはすなわちです。十字架はすなわち命の木の果実です[106]2位神様ご自身が被造物となられ被造物えられます。御子してのみ被造物えられます[107]御子服従する被造物だけにがあります。御子十字架で父死に至るまで服従されました。御子十字架して被造物たちにけるしました[108]

たちは禁断の果実して自分んでいることを発見します[109]たちは今生きるためにあがきますいて私たち十字架発見します。十字架とって苦痛です。たちはがなぜそんなに苦しむべきかを見ます私たち十字架近づきます

十字架で、たちに注がれます十字架で、んでいるたちを生かされるために注がれます十字架で、たちがけなければならないいをわりに受けられます[110]十字架で、御子捨てられます[111]十字架で、御子捨てられます十字架1位神2位神いていらっしゃいます[112]

「なぜ…なぜ…このようになさるのですか?」「どうしてこんなにご自分を苦しめていらっしゃるんですか?」「のために被造物なんかに自由意志のようなものをられましたか?

十字架して、たちはの愛を知りました[113]。十字架して、たちはたちのためにどのような対価ったのかをりました[114]今、私たち私たち十字架負いますたちはくしてします。今、私たちは得ます[115]今、私たちは命の木の果実べます[116]

悪知識がなければ、んでいることをわかりません[117]んでいることをらなければ、きるためにあがきません。きるためにあがかなければ、十字架ることができません。十字架なければ、ることができません[118]らなければ、することができません。さなければ、めをることができません。めをらなければ、ることができません。したがって、禁断の果実がなければ、命の木の果実べることができません。

禁断の果実律法であります。禁断の果実命の木の果実養育係です禁断の果実らす鏡です禁断の果実して悟ります[119]禁断の果実して進みます主イエスはすなわちです。主イエスしてして死にます[120]。主イエスして新しく生まれます[121]主イエスして霊神様のバプテスマをけます[122]

がアダムが命の木の果実べないように、アダムをエデンのからされます。真実は、がアダムをさなければ、アダムは命の木の果実べることができません。

命の木の果実自由意志完成されだけべることができます。自由意志十字架してのみ完成されます[123]十字架らない命の木の果実べることができません。自由意志完成されていないは、いつかは禁断の果実べます。

アダムから犯罪可能性消滅されないり、アダムは禁断の果実べるしかありません。アダムが命の木の果実べるためには、十字架してアダムの自由意志完成されなければなりません。したがって、はアダムをエデンのからされます。もし禁断の果実べるアダムを永遠生きさせられるならはサタンも永遠きさせなければなりません。サタンが永遠きると、アダムの人生地獄になります。

禁断の果実がアダムをすのではありません。従順がアダムをすのです。命の木の果実がアダムをかすのではありません。従順がアダムをかすのです。果物には永遠生かす力がありません。もし果物自体永遠に生かせる力を置かれたのなら、めは永遠命と関係ないでしょう禁断の果実命の木の果実は、めをるからないかを行ない道具だけです。禁断の果実命の木の果実は、アダムの道具だけです。

果物べてかられるなら、めは何に必要ですか。果物べて永遠きるようになったら、愛は何に必要ですか。ただ果物べることやべないことで被造界めればいいのではないでしょうか。すでにかられてしまったアダムに果物つのでしょうか。果物従順従順行ないとして道具だけであります。

禁断の果実それ自体には死がありません。命の木の果実それ自体にはがありません。死人禁断の果実べます。きている命の木の果実べます。死人めを破ります生きている人主イエスします。禁断の果実命の木の果実はそれをべるたちの状態号表示にすぎません。

服従するき、わなければぬというを、つの果物して被造物たちにえてくださるのです。禁断の果実命の木の果実は、被造物めのくために使用される教材であります。

はアダムが禁断の果実べないになることをんでいます。はアダムが命の木の果実べるになることをんでいます。禁断の果実べたりべたりしないことはあまり重要ではありません。今禁断の果実べても、め、再び食べないなら大丈夫です。今禁断の果実べていなくても、いつかは禁断の果実べるならなのです。果物べないではなく、従順になることをんでいるのです。果物べるではなく、従順になることをんでいるのです。

犯罪した被造物裁きを受けてななければなりません。犯罪したアダムが永生すれば犯罪するサタンも永生しなければなりません。犯罪するサタンが永生すれば、被造界はまさに地獄になるでしょう。犯罪したアダムは永遠きてはいけません。それをアダムが命の木の果実べてはならないと表現されるのです。

犯罪被造物裁きを避けることは不可能です。がそのようにめられたからです。また、全能であるからであります。

したがって、アダムが実際命の木の果実べることは不可能です。がアダムをエデンのからされたというみことばして、たちは犯罪者して永遠きることができないというびます。アダムに命の木の果実べる可能性があり、がアダムをされたのではありません。

もちろんアダムは実際されたでしょう。しかし、アダムがエデンのにとどまっていたとしても、アダムは命の木の果実べることができなかったでしょう。実際にその果物べたとしても、アダムは永遠きることができませんでした。従順永遠生きるようにするのです。果物永遠生き続けさせてくれるわけではありません。犯罪者して永遠生きることができません。

自分自分主人となった禁断の果実食べます。神自分主人としてめない禁断の果実食べます。彼十字架を背負うことができません[124]命の木の果実べることができません。禁断の果実べた瞬間はエデンからされます[125]犯罪したサウルはまだです。しかしサウルはもはやではありません[126]犯罪したサウルはエデンのからされたのです。

自分自分主人になったは、命の木の果実にあっても命の木の果実べることができません。十字架にあっても十字架ることができません。自分禁断の果実べているというさえ悟っていません[127]

自分自分主人になったは、自分します。アダムにとってはエバでした。アダムにとって、はエバと禁断の果実べてぬことでした。アダムにとってでした。アダムにとって禁断の果実べてんだエバをてることでした。

アダムは禁断の果実を食べて死にました。今、アダムにとって、エバは悪です。今、アダムにはエバをくださった神様が悪です[128]。「エバのせいで私は禁断の果実を食べた」「エバをくださった神様が間違われたのだ」「神様のせいで私は犯罪した」「神様の判断は間違った」アダムは善と悪の基準を自分が定めた。

自分自分主人になったは、められた基準れません。自分てた基準従いますめをれません。自分従います

めを禁断の果実食べます。愛めを命の木の果実食べます[129]。戒めをは、十字架ってめをになります[130]十字架るまで、めをることができません。十字架るまで、隣人することはできません。十字架るまで、命の木の果実べることができません。

禁断の果実べないことは重要ではありません。禁断の果実べないになることが重要なのです。めをらないことは重要ではありません。めをらないになることが重要なのです。隣人みつけないことは重要なことではありません。隣人みにじらないになることが重要なのです。

めないサタンだけをし、めるアダムはかされます。めるアダムだけが命の木の果実べさせられます。2位神被造物としてお見えになります。サタンは2位神殺します[131]。サタンは命の木の果実べることができません[132]。アダムは2位神します[133]。アダムは命の木の果実食べます。第2位神はアダムだけをかされ、サタンはやされます[134]

アダムは罪の奴隷になりました。アダムの肉体では肉の欲望出ます[135]アダムはサタンにします[136]。そのようなアダムがエデンに快適んでいるなら、アダムはめません。めないので、アダムは命の木の果実べません。めないので、アダムはしません。服従しないので、アダムは火の池まれます。エデンの保護がむしろアダムをすのです。

それゆえ、はアダムにしみをえます[137]苦しみ通してアダムは苦しみを知るようになります[138]苦しみしてアダムは肉の欲望戦います[139]苦しみしてアダムは神様に近づきます[140]苦しみしてアダムは命の木の果実食べます。エデンからされ、アダムは命の木の果実食べます。

至聖所東側垂れ幕があります。垂れ幕にケルビムがされています[141]。エデンの東側にケルビムと炎のがあります。垂れ幕まって至聖所ることができません[142]。ケルビムと炎のまってエデンのることができません。垂れ幕まって栄光ることができません[143]。ケルビムと炎のまってることができません。

主イエス血で至聖所垂れ幕かれます[144]十字架背負って主イエス至聖所入ります十字架背負って主イエスってアダムも至聖所入ります[145]十字架背負って主イエスってアダムもエデンの入ります十字架背負って、アダムはケルビムと炎の通過します。

至聖所ってアダムはめを見ます。エデンのり、アダムは見ます。アダムがめをると、すなわち主イエスです[146]。アダムがると、すなわち主イエスです[147]主イエス命の木の果実を渡します[148]。アダムが命の木の果実ると、すなわち主イエスです[149]。アダムが命の木の果実ると、すなわち霊神様です[150]。アダムは主イエスべ、主イエスみます[151]。アダムは犯罪しません[152]。アダムは永遠きます。

主イエスはすなわち被造物めです[153]主イエスはすなわち被造物です[154]主イエス受けた被造物だけにがあります[155]主イエス服従する被造物だけ命の木の果実食べます[156]

エデンの追い出されたアダムはいです。みのでアダムは安息大切さを悟ります[157]アダムはエデンの懐かしく思っています。アダムは憎みます

以前、アダムはエデンのでのかさを当然えていました。以前アダムはみを当然えていました[158]今、アダムはみを悟りますアダムは悟ります[159]アダムはになります[160]。アダムをびエデンのむために、のすべてを捨てられました。

 

2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。

33:18 すると、モ-セは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

33:19 主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

33:21 また主は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。

33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。

33:23 わたしが手をのけたら、あなたはわたしのうしろを見るであろうが、わたしの顔は決して見られない。」

レビ16:1 アロンのふたりの子の死後、すなわち、彼らが主の前に近づいてそのために死んで後、主はモ-セに告げられた。

レビ16:2 主はモ-セに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。

6:22 これで、この方が主の使いであったことがわかった。それで、ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は面と向かって主の使いを見てしまいました。」

13:21 ...主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。...そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。

13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」

イザ6:1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、

イザ6:2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、

イザ6:3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」

イザ6:4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。

イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」

エゼ1:26 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。

エゼ1:27 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。

エゼ1:28 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。

エゼ2:1 その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」

エゼ2:2 その方が私に語りかけられると、すぐ霊が私のうちにはいり、私を立ち上がらせた。そのとき、私は私に語りかけることばを聞いた。

ダニ8:15 私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。

ダニ8:16 私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。

ダニ8:17 彼は私の立っている所に來た。彼が來たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」

ダニ8:18 彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、

ダニ10:5 私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。

ダニ10:6 そのからだは綠柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。

ダニ10:7 この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人人は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。

ダニ10:8 私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。

ダニ10:9 私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。

1:13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。

1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。

1:15 その足は、爐で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

はすべての瞬間、すべての場所同時にいらっしゃって[161]、すべての瞬間、すべての場所同時存続させています[162]。神様は過去と現在と未来のすべての瞬間、すべての場所に同時にいらっしゃいます[163]。神様は過去と現在と未来のすべての瞬間、すべての場所を同時に存続させています[164]

時間空間被造物です[165]被造物時間空間の中にのみ存在します[166]御使い人間時空間にのみ存在します時間空間存続させています[167]時空間にまるでないようなものです[168]時空間をいつでも創造することができます[169]時空間をいつでも消滅させることができます[170]

存在であるだけでなく、非存在でもあります[171]ばれれば非存在存在になります[172]せば、存在非存在となります。無限存続させています[173]。神様は常に無限を超えています[174]きいです[175]実際神殿やハデスにめられません[176]御使い人間などがそうした実際においすることはできません[177]

様は実際御座御名置かれます[178]。その御名によって御使いたちはをおえします。実際見たものではないので、御使い消滅されません。御名によって御使い人間られます[179]人間御名によって御使い見ます[180]をおいしたわけではないので、人間消滅されません。

アダム[181]、アブラハム[182]、モ[183]、ヨシュア[184]、ギデオン[185]、マノア、エリヤ[186]、イザヤ、エゼキエル、ダニエル、そしてくの預言者消滅されませんでした。ヨハネも被造物となられた神様をおいしてきたのです。ヨハネは復活したイエスをおいしました。ヨハネは御使いのようになったをおいしたのです[187]。したがって、ヨハネは消滅されませんでした。

しかし、人間をおいすればぬというらなければなりません[188]。したがって、人間御名によって送られた御使いります。人間御名に出ります。人間死にます

眠り意味します。完全2の、すなわち火の池であります[189]犯罪者大きな白い御座の裁き第2の死けます。つまり、完全死にます。死された[190]ほど[191]えなければなりません。罪の代全部ったと永遠生きることにもなりません。自由意志として完成されません。火の池罪の代ったからといって、隣人するにはなりません。

恐怖から出た服従ではなく、愛から出た服従にならなければなりません[192]。自由意志が隣人を踏みにじることを、火の池の罰を受けることによってのみ避けることができるならば、神様はその自由意志をただ殺すでしょう。

完全象徴するのは土の死です。たちは土の死して2の見ますたちは肉体して完全見ます肉体るのは眠りであります。土の死実際ではありません[193]

実際てられるです。るからといって、から切れるわけではありません。肉体戻っても、から切れるわけではありません。しかし、てられればから断ち切られます[194]てられると肉体きていてもんだのです[195]てられた火の池投げ込まれます。火の池まれたら完全死にます。

 

土の死=眠り=実際の死の象徴

捨てられる死=神様の命から断たれること=実際の死

火の池=完全な死

[見方1] 第1の死=眠り+捨てられる死 / 第2の死=火の池

[見方2] 第1の死=眠り / 第2の死=捨てられる死+火の池

 

[見方1] からたれることを実際とみなす見方があり得ます。てられた火の池投げ込まれるという見方ですてられてもめれば生きることができるという見方です

[見方2] 完全ぬことを実際見方があり得ます。投げ込まれながら完全てられるという見方です最後までめなかったから完全てられるという見方です

土の死いの結果です。いからせば土の死からも出します復活変化すると土の死から出します捨てられる死土の死1見ます[見方1]

肉体重要です。義人霊的な体御使いのようになります[196]悪人肉体復活します[197]土の肉体しいえられません。悪人されたほど燃えなければなりません。悪人えつつも消滅されない肉体なければなりません。

義人肉体戻ります罪の赦しを受けても肉体戻りますしてきるようになる時点[198]肉体いがわる時点なります[199]。(別の見方で、霊がきるようになる時点肉体いがわる時点なります。)肉体んでもきているがいて[200]肉体きていても死んだがいます[201]っている義人命を受けるために復活し、永遠きます[202]っている悪人裁きを受けるために復活してまれます[203]

捧げ物イエス様のです。血で実際贖いは成されません[204]贖罪約束ぎません。証明できません。主イエス実際捧げ物です。主イエスの贖い成されます。主イエス十字架して、証明されます[205]。したがって、主イエス血で贖いが成されるまで、実際罪の赦しを受けることはできません全部約束だっただけです[206]

エノクやエリヤは変化予表だっただけです。罪人に打ち勝つことはできません[207]。まだ公式罪の赦しがなされていないので、彼らが変化することはできません。主イエスっている初穂です[208]

主イエス十字架背負っています贖い成されます聖徒公式罪の赦しを受けます[209]今、聖お見えになります[210]聖徒に打ち勝ちます[211]聖徒復活します[212]

被造物をおいすると死にます。ですから、2位神むなしうして被造物となられるのです[213]御使い人間見ることができます[214]実際見ても御使い人間死にません[215]

イエス復活されて霊的お召しになりました[216]イエス霊的栄光ます[217]教証人たちも霊的栄光になります[218]教証人たちもイエスのような着ます[219]復活したイエスをおいしても弟子たちは死にませんでした[220]弟子たちは被造物となられたをおいしたからです。

主イエス霊的ています。ヨハネは主イエスんだのようになりました[221]。ところが弟子たちは死人のようにはなりませんでした。主イエスていらっしゃるのに、なぜヨハネだけんだのようになったのでしょうか。えには、ヨハネが主イエス栄光たからであるようです[222]

主イエス復活するに、ペテロとヨハネはひどくれていました[223]。おそらく主イエス栄光たからです[224]。しかし、栄光じであるとじています。たちが異なって感じる理由は、おそらく私たちがその栄光を見ることができないからです[225]

たちは、栄光せるときにれています。しかし、栄光すときは、します。御使いしてシナイおっしゃったとき、イスラエルの民はれていました。黒雲暗やみおっしゃったとき[226]、イスラエルの民はれていました[227]。しかし、しておっしゃると、はそのします[228]御使い御名栄光れたとき、死人のようになりました[229]御使いがただれたとき、いただけでした[230]

主イエス十字架公式贖い成されます。公式贖いが成される前に、セとエリヤは栄光のうちに現れました[231]セとエリヤがすでに復活したという意味ですか。1の復活以前にも教証人復活変化できるという意味です[232]

そうではないでしょう。教証人たちは1の復活に打ち勝ちます[233]。それで、1の復活めの真実さ証明されるのです。1の復活はまだこっていません。モセとエリヤも実際復活することはできませんでした。

したがって、ペテロとヤコブとヨハネが「たこと」は、おそらく掲示であるでしょう[234]。パウロも第3幻と掲示ました[235]。第31000年王、すなわちパラダイスです[236]1000年王はまだ成されていません。

このはまだ主イエス十字架背負う前です。このはまだ公式贖罪がなされる前です。このはまだ聖徒たちに主イエスわれる前です[237]。モセやエリヤのような罪人が復活して歩き回っているということはあり得ません。

主イエスがまた1000年王成されます。主イエス栄光としてお見えになります[238]主イエス自分栄光ます[239]御子栄光えます。したがって、栄光はすぐに御子栄光です[240]主イエスはまた、聖徒たちに主イエス様の栄光えます[241]。ですから、王である祭司たちもまた、主イエス様から受けた栄光の中を歩みます[242]

2位神被造物となられて被造界相続されることをあらかじめ定められ創造始められました[243]被造物に自由意志をくださいます。自由意志完成されると創造完成されます自由意志だけで完成されます[244]

主イエス血で被造物がつながります。十字架で、被造物がつながります[245]十字架して、主イエス被造界ぼします[246]主イエスされた被造界する創造完成されます。被造物となられた第2位神で、被造物1位神入ります[247]被造物となられた第2位神で、被造物1位神につながります[248]

被造物自体価値がないのです[249]はいつでも被造物創造することができます[250]被造物今、御子われました。御子われたので被造物大切です。被造物御子のために創造されました[251]御子に逆らう被造物意味がありません[252]らは火の池投げ込まれます。

十字架して、公義一次的証明されました。められた教証人に打ち勝つとき[253]めの真実さ証明されます[254]1の復活こると、愛と公義完全証明されます。めの真実さ証明されると、御使いたちはもはや誤解しません[255]めの真実さ証明されると御使いたちの自由意志完成されます。められた教証人に打ち勝つと、御使いたちの自由意志完成されます

聖徒復活変化して霊的ます。霊的れば、聖徒犯罪することはできません。われたていても、霊神様すれば、聖徒に打ち勝つことができます[256]われたているので、霊神様しなければ、聖徒罪に打ち勝つことができません[257]犯罪しないために、パウロもサタンの使いから苦しめられなければなりませんでした。犯罪しないために、パウロも肉体のとげが必要でした[258]。パウロも自分たなければなりませんでした[259]。ですから、聖霊神様を祀ってもしなければ罪に打ち勝つことができません[260]

しかし、アブラハムはイサクをささげ、められました[261]。ダニエルは約束けました[262]。パウロも自分信仰ったことを告白しました[263]らは試験合格したたちです。これらを自由意志完成されたちとてもいようです。人間合格すれば、自由意志完成されることもあるようです。人間合格すれば、われた肉体ても犯罪することが不可能になることもあるようです。きてすれば、われた肉体ても自由意志完成されることもあるようです。

かなのは、霊神様いらっしゃる間して犯罪しないということです[264]霊神様完全屈服するして犯罪しないということです[265]

 

ヨブ28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」

19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

3:18 知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。

8:12 知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。

8:22 主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。

8:23 大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。

8:30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で樂しみ、

9:10 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

11:30 正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。

13:14 知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。

15:4 穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。

15:31 いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。

15:32 訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。

15:33 主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄轝に先立つ。

21:7 悪者は自分の暴虐に引きずられる。公義を行なおうとしないからだ。

コヘ7:12 知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。

コヘ12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

コヘ12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。

ヨハネ12:49 わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。

ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

めを被造物だけをし、りはかれます[266]被造物ることができる唯一方法は、めをるだけです[267]。したがって、被造物れるようにするであります[268]めを守らせる知恵です[269]めを守らせがすなわち木です[270]

神様めにづいてたちの言葉行ない裁かれます[271]裁きを恐れなければ、むやみにって行動します。むやみにって行動すれば裁きを受けます[272]言葉行ないをつければ裁きを受けません[273]裁きを恐れるのが恵です神様れるのがです。神様れるのがです。その命の木の果実であります[274]。すなわち愛ですです[275]であるイエス模範うとき、たちもになります[276]十字架背負って主イエスうとき、たちもになります[277]

めにづいて裁かれます。愛めが裁きの基準です裁きの基準です[278]命の木の果実です[279]れるとき、たちはきをれています。きをれるとき、たちは隣人しています[280]裁きを恐れるとき、私たち命の木の果実べます[281]裁きを恐れるとき、私たちになります。裁きを恐れるとき、私たち十字架背負いますきをれるとき、たちはめをります[282]。ですから、裁かれる神れることがであります[283]

基準めです。しかし、サタンは基準めません[284]。サタンは自分基準てます[285]。サタンは自分裁きの基準となります[286]。サタンには、サタンにびをえるのが善です[287]。サタンにとって、サタンに苦しみをもたらすものはすべて悪です[288]隣人みつけてもたすことができれば、サタンには隣人踏みにじるのが善です[289]隣人くなって自分くなれば、サタンにはそれが悪です[290]。サタンの自分自身です[291]自分自身悪知識無視します自分自身めを無視します自分自身禁断の果実べます[292]めのために、火の池投げ込まれます。

めはです[293]めるめを守ります自分自身善と基準としません。めを基準とします[294]自分びになってもしみになれば、はそれをとしてめます[295]自分しんでもびになれば、はそれをめます[296]自分自身善とは思わないのです[297]。彼にはめが善です悪知識めます。めをめます。禁断の果実べません。十字架背負います自分否定しますめのために、永遠きます。

被造物となられました[298]被造物であるかをれます[299]被造物されるように隣人愛します[300]被造物むように憎みます[301]被造物従います被造物になります。被造物従います被造物になります[302]になった被造物は、隣人命の木の果実えます[303]になった被造物隣人えます[304]命の木の果実けた隣人ると、であります[305]だったたちは[306]、いつのにかになっていました[307]



[1] 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

[2] 1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。

[3] 2コリ4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

[4] 22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

[5] 2:16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

 創2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

[6] ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。

[7] ヘブ4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

 ヘブ4:13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

[8] 20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

[9] 89:14 義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことは、御前に先立ちます。

[10] 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

[11] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

 ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、

 ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

[12] 1コリ6:9 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

 1コリ6:10 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

[13] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。

[14] エゼ22:23 次のような主のことばが私にあった。

 エゼ22:24 「人の子よ。この町に言え。おまえは憤りの日にきよめられず、雨も降らない地である。

 エゼ22:25 そこには預言者たちの陰謀がある。彼らは、獲物を引き裂きながらほえたける雄獅子のように人人を食い、富と宝を奪い取り、その町にやもめの數をふやした。

 エゼ22:26 その祭司たちは、わたしの律法を犯し、わたしの聖なるものを汚し、聖なるものと俗なるものとを区別せず、汚れたものときよいものとの違いを教えなかった。また、彼らはわたしの安息日をないがしろにした。こうして、わたしは彼らの間で汚されている。

 エゼ22:27 その町の首長たちは、獲物を引き裂いている狼のように血を流し、人人を殺して自分の利得をむさぼっている。

 エゼ22:28 その町の預言者たちは、むなしい幻を見、まやかしの占いをして、しっくいで上塗りをし、主が語られないのに『神である主がこう仰せられる。』と言っている。

 エゼ22:29 一般の人人も、しいたげを行ない、物をかすめ、乏しい者や貧しい者を苦しめ、不法にも在留異国人をしいたげた。

 エゼ22:30 わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。

 エゼ22:31 それで、わたしは彼らの上に憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを絶滅し、彼らの頭上に彼らの行ないを返した。―神である主の御告げ。―」

[15] 1テモ1:9 すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、

 1テモ1:10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。

[16] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

 マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、

 マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』

[17] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[18] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。

[19] エゼ18:10 しかし、彼が子を生み、その子が無法の者で、人の血を流し、先に述べたことの一つさえ行なわず、

 エゼ18:11 これらのことをしようともせず、かえって丘の上で食事をし、隣人の妻を汚し、

 エゼ18:12 乏しい者や貧しい者をしいたげ、物をかすめ、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て、忌みきらうべきことをし、

 エゼ18:13 利息をつけて貸し、高利を取るなら、こういう者ははたして生きるだろうか。彼は生きられない。自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する。

[20] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[21] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

[22] 33:5 主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。

[23] 7:11 神は正しい審判者、日日、怒る神。

 詩7:12 悔い改めない者には剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、

 詩7:13 その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。

[24] イザ6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」

  ルカ5:8 これを見たシモンペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。

  13:22 それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」

  1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

  32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。

[25] 33:19 主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

 出33:20 また仰せられた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

[26] レビ16:2 主はモ-セに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。

[27] 20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」

[28] ヨハネ1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に來ようとしていた。

[29] ヨハネ3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に來ているのに、人人は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。

 ヨハネ3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに來ない。

 ヨハネ3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに來る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

[30] マタイ15:18 しかし、口から出るものは、心から出て來ます。それは人を汚します。

 マタイ15:19 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て來るからです。

 マタイ15:20 これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」

[31] イザ45:7 わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」

[32] 2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』

[33] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

[34] 2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。

  3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

[35] 2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」

[36] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[37] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

[38] ロマ1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。ア-メン。

[39] マタイ5:27 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

[40] ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[41] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

[42] ロマ7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが來たときに、罪が生き、私は死にました。

 ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

[43] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[44] ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[45] 30:15 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。

 申30:16 私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その數はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。

[46] ヨハネ10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」

 ヨハネ10:33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」

[47] ガラ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

 ガラ5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

[48] レビ18:24 あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国国は、これらのすべてのことによって汚れており、

 レビ18:25 このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。

[49] エレ4:14 エルサレムよ。救われるために、心を洗って悪を除け。いつまで、あなたの中には邪念が宿っているのか。

[50] 22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

[51] 1コリ13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

[52] 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

[53] 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

[54] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。

 ロマ8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

 ロマ8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

 ロマ8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

[55] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

 1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

  ヘブ10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、

 ヘブ10:13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。

[56] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

[57] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

[58] 使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

[59] 30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。

 申30:12 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。

 申30:13 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って來て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。

 申30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。

[60] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

[61] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[62] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

 ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

[63] 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

 黙20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。

[64] ロマ9:15 神はモ-セに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。

 ロマ9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

 ロマ9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。

 ロマ9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。

 ロマ9:19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」

 ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

[65] 1ヨハ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

[66] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」

[67] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

[68] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

[69] 2ペト3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

[70] ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

[71] ガラ3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無效とされたりすることがないということです。

[72] ガラ3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が來られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

[73] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

[74] ガラ3:23 信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ翔められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。

 ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 ガラ3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。

[75] テト1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。

[76] ヤコ2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

 ヤコ2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」

 ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

[77] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

 ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

[78] 1ヨハ5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人人に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。

[79] 35:31 あなたがたは、死刑に当たる悪を行なった殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない。

[80] ヘブ6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、

 ヘブ6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて來る世の力とを味わったうえで、

 ヘブ6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

[81] 35:21 あるいは、敵意をもって人を手で打って死なせるなら、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は殺人者である。その血の复讐をする者は、彼と出会ったときに、その殺人者を殺してもよい。

[82] 2ペト2:12 これらの者は、捕らえられ、ほふられるために生まれてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。

[83] 13:15 それから、その獣の像に息を吹き翔んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 黙13:16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 黙13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

[84] 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 創1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

[85] 49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

[86] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

 2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

[87] 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

[88] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

 ヨハネ15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人人はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

[89] 1ペト1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

[90] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―

[91] 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、

[92] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

 1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

[93] 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

[94] ロマ5:14 ところが死は、アダムからモ-セまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人人をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。

[95] 1ペト1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。

[96] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、

 ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリストイエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

[97] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[98] 王上8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。

[99] イザ46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。

 イザ46:10 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。

[100] ロマ9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、

 ロマ9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。

 ロマ9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。

[101] ダニ4:34 その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って來た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代代限りなく続く。

 ダニ4:35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。

[102] 王上13:2 すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」

[103] ロマ9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

 ロマ9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。

[104] 139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日日が、しかも、その一日もないうちに。

[105] ヨハネ21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」

 ヨハネ21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの來るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

[106] ルカ22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

 ルカ22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

 ルカ22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

[107] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

 1ヨハ5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

[108] マタイ16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて來たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて來なさい。

 マタイ16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

[109] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

[110] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

[111] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

[112] 22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

 創22:8 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

[113] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

[114] イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

[115] テト2:14 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。

[116] ヨハネ6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

 ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

[117] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

[118] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

[119] ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[120] ロマ6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリストイエスにあって生きた者だと、思いなさい。

 ロマ6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。

 ロマ6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

[121] ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

  ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

[122] コロ2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。

 コロ2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

[123] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[124] マタイ10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

[125] サム上16:14 主の霊はサウルを離れ、主からの悪い霊が彼をおびえさせた。

[126] サム上15:23 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」

[127] ヨハネ9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に來ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」

 ヨハネ9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人人が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」

 ヨハネ9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

[128] 3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

[129] 8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

 雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。

[130] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

[131] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

 ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」

[132] ヨハネ12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。

 ヨハネ12:32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」

[133] 1ヨハ3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。

[134] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

 1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[135] ロマ7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

 ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

 ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[136] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

 エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

[137] 3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

[138] ヘブ12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

 ヘブ12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人人に平安な義の実を結ばせます。

[139] 119:67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。

[140] 119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

[141] 26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。

[142] ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[143] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

 ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、

 ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

[144] ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。

 ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

[145] ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

 ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

[146] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[147] ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

 ヨハネ15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人人はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

[148] ヨハネ4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

 ヨハネ4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

 ヨハネ4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに來なくてもよいように、その水を私に下さい。」

[149] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

[150] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。

 ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

[151] ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。

 ヨハネ6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。

 ヨハネ6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

[152] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[153] 1ヨハ3:23 神の命令とは、私たちが御子イエスキリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。

[154] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

[155] ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。

[156] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[157] ルカ15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

 ルカ15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

[158] 2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。

  3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

[159] 5:9 彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、

 黙5:10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

[160] ルカ15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

 ルカ15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

[161] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。

 エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。

[162] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

[163] 4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に來られる方。」

[164] エフェ4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

[165] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、

 ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリストイエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

[166] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。

[167] コロ3:11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

[168] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。

 イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

 イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

[169] イザ40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。

 イザ40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を數えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。

[170] コロ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

[171] 1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエスキリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。

[172] ネヘ9:6 「ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。そして、天の軍勢はあなたを伏し拝んでおります。

[173] 使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。

[174] ヨブ11:7 あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。

 ヨブ11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。

[175] ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

 ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」

[176] 代下6:18 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

[177] 1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。

[178] エズ6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」

[179] ホセ12:3 彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。

 ホセ12:4 彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。

[180] 使徒7:35 『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人人が拒んだこのモ-セを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになったのです。

[181] 3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

[182] 18:1 主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。

[183] 使徒7:30 四十年たったとき、御使いが、モ-セに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。

  使徒7:38 また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。

[184] ヨシュ5:14 すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、來たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」

 ヨシュ5:15 すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

[185] 6:20 すると、神の使いはギデオンに言った。「肉と種を入れないパンを取って、この岩の上に置き、その吸い物を注げ。」それで彼はそのようにした。

 士6:21 すると主の使いは、その手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種を入れないパンに触れた。すると、たちまち火が岩から燃え上がって、肉と種を入れないパンを焼き尽くしてしまった。主の使いは去って見えなくなった。

 士6:22 これで、この方が主の使いであったことがわかった。それで、ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は面と向かって主の使いを見てしまいました。」

 士6:23 すると、主はギデオンに仰せられた。「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」

[186] 王上19:12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。

 王上19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

[187] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。

 ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。

[188] 130:3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。

[189] 20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。

[190] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。

 ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。

[191] 20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

[192] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。

 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

[193] マタイ22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」

[194] エフェ4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

[195] 1テモ5:6 自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。

[196] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[197] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

[198] エフェ2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―

 エフェ2:6 キリストイエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

[199] 22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

[200] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

 エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

[201] コロ2:13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、

[202] ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。

[203] 20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ翔まれた。

[204] ヘブ10:4 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。

[205] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[206] ヘブ11:39 この人人はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。

 ヘブ11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。

[207] 89:48 いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、よみの力から救い出せましょう。セラ

[208] 1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

[209] マタイ27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

[210] 使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

[211] 1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。

[212] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

 1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[213] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

 フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

[214] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

[215] ヨハネ14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。

[216] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[217] フィリ3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

[218] ロマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将來私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

[219] 1ヨハ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

[220] 1コリ15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

 1コリ15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。

 1コリ15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

[221] 1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

[222] 1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。

 黙1:15 その足は、爐で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

 黙1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

[223] マルコ9:5 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。あなたのために一つ、モ-セのために一つ、エリヤのために一つ。」

 マルコ9:6 実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。

[224] 2ペト1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエスキリストの力と來臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。

 2ペト1:17 キリストが父なる神から轝れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」

[225] 2コリ3:15 かえって、今日まで、モ-セの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

 2コリ3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

 2コリ3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

 2コリ3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の?きによるのです。

[226] ヘブ12:18 あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、

 ヘブ12:19 ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。

[227] 20:18 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。

 出20:19 彼らはモ-セに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」

[228] マタイ23:37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

[229] ダニ10:9 私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。

[230] 使徒12:7 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。

[231] ルカ9:30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモ-セとエリヤであって、

 ルカ9:31 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。

[232] 1コリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。

 1コリ15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

[233] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

[234] ルカ9:36 この声がしたとき、そこに見えたのはイエスだけであった。彼らは沈黙を守り、その当時は、自分たちの見たこのことをいっさい、だれにも話さなかった。

[235] 2コリ12:1 無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。

 2コリ12:2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に―肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。―第三の天にまで引き上げられました。

[236] 2コリ12:4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。

[237] 5:9 彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、

[238] マタイ16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて來ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。

 マタイ16:28 まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人人の中には、人の子が御国とともに來るのを見るまでは、決して死を味わわない人人がいます。」

[239] マタイ25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って來るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

[240] ヨハネ17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

[241] ヨハネ17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

[242] 21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。

[243] ヘブ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

[244] 8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

 雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。

[245] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

[246] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

 1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。

[247] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

[248] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、

 エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、

[249] ヨブ35:6 あなたが罪を犯しても、神に対して何ができよう。あなたのそむきの罪が多くても、あなたは神に何をなしえようか。

 ヨブ35:7 あなたが正しくても、あなたは神に何を与ええようか。神は、あなたの手から何を受けられるだろうか。

 ヨブ35:8 あなたの悪は、ただ、あなたのような人間に、あなたの正しさは、ただ、人の子に、かかわりを持つだけだ。

[250] 1:8 神である主、常にいまし、昔いまし、後に來られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

[251] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。

 ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

[252] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

[253] 12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

[254] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

 黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[255] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

 1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

[256] ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[257] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[258] 2コリ12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。

[259] 1コリ9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

[260] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

 ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

[261] ヤコ2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。

 ヤコ2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、

 ヤコ2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

 ヤコ2:24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。

[262] ダニ12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

[263] 2テモ4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに來ました。

 2テモ4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 2テモ4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

[264] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[265] ロマ6:14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

 ロマ6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

[266] マラ3:5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。―万軍の主は仰せられる。―

[267] ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

 ルカ10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

 ルカ10:27 すると彼は答えて言った。「『心を所くし、思いを所くし、力を所くし、知性を所くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

 ルカ10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

[268] コロ2:20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、

 コロ2:21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。

 コロ2:22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。

 コロ2:23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。

[269] ガラ4:8 しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本來は神でない神 の奴隷でした。

 ガラ4:9 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

 ガラ4:10 あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

 ガラ4:11 あなたがたのために私の勞したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

[270] コロ2:8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。

 コロ2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

 コロ2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

[271] マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

[272] マタイ12:34 まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。

 マタイ12:35 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。

 マタイ12:36 わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。

 マタイ12:37 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」

[273] ヤコ3:1 私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。

 ヤコ3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

[274] ガラ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

 ガラ5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

 ガラ5:24 キリストイエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

[275] ヨハネ15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

 ヨハネ15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

[276] 1ペト2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

 1ペト2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

 1ペト2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

[277] マタイ10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて來ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 マタイ10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

[278] 1ヨハ3:14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。

 1ヨハ3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。

[279] ロマ6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。

 ロマ6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。

 ロマ6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。

[280] 39:9 ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」

[281] イザ66:2 これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。―主の御告げ。―わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。

[282] エゼ9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人人の額にしるしをつけよ。」

 エゼ9:5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。

 エゼ9:6 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。

[283] イザ22:12 その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ。」と呼びかけられたのに、

 イザ22:13 なんと、おまえたちは樂しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。」と言っている。

 イザ22:14 そこで万軍の主は、私の耳を開かれた。「この罪は、おまえたちが死ぬまでは決して赦されない。」と、万軍の神、主は仰せられた。

[284] 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

 創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

[285] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

 ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

 ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

 ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

[286] イザ14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国国を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。

 イザ14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星星のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。

 イザ14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』

[287] 王上21:7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手に入れてあげましょう。」

 王上21:8 彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印で封印し、ナボテの町に住む長老たちとおもだった人人にその手紙を送った。

 王上21:9 手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、

 王上21:10 彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった。』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」

[288] 王上18:16 そこで、オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって來た。

 王上18:17 アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」

 王上18:18 エリヤは言った。「私はイスラエルを煩わしません。あなたとあなたの父の家こそそうです。現にあなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。

[289] マルコ12:38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、

 マルコ12:39 また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。

 マルコ12:40 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

[290] マルコ15:9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。

 マルコ15:10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。

 マルコ15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。

[291] エゼ18:26 正しい人が自分の正しい行ないから遠ざかり、不正をし、そのために死ぬなら、彼は自分の行なった不正によって死ぬ。

 エゼ18:27 しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行なうなら、彼は自分のいのちを生かす。

 エゼ18:28 彼は反省して、自分のすべてのそむきの罪を悔い改めたのだから、彼は必ず生き、死ぬことはない。

 エゼ18:29 それでも、イスラエルの家は、『主の態度は公正でない。』と言う。イスラエルの家よ。わたしの態度は公正でないのか。公正でないのはあなたがたの態度ではないのか。

[292] エゼ28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。

[293] イザ55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ。―

 イザ55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

[294] 王上21:2 アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。 もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」

 王上21:3 ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」

[295] サム上26:11 私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」

[296] 使徒20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

 使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

[297] マタイ15:3 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。

 マタイ15:4 神は『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言われたのです。

 マタイ15:5 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、

 マタイ15:6 その物をもって父や母を尊んではならない。』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。

[298] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

 ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。

 ヘブ2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。

[299] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

 1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

[300] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

[301] 2:6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

[302] 22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

 黙22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

[303] マルコ16:17 信じる人人には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

 マルコ16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

[304] 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

 使徒7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

[305] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

[306] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

 エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

[307] テト3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快樂の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。

 テト3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、

 テト3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。