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2 存在のお召し

130 聖霊神様が新しい契約になってくださいます

by aparke 2025. 5. 25.

 私たちはイエス・キリストを主として受け入れ、罪の赦しを受けました[1]。しかし、私たちは私たち自身の力で罪に打ち勝つことはできません[2]。私たちは私たち自身の力で心でまで神様と隣人を愛することはできません[3]。私たちは聖霊神様を通してのみ罪に打ち勝つことができます[4]。私たちは聖霊神様を通してのみ心でまで神様と隣人を愛することができます[5]

 聖霊神様は私たちの自由意志を侵害されません。私たちは選ぶことができます。私たちが肉の欲望に打ち勝つためには、私たちは聖霊神様に服従することを選ばなければなりません[6]。聖霊神様は真理の御霊です[7]。私たちが肉の欲望に打ち勝つためには、私たちはみことばに服従することを選ばなければなりません。私たちが聖霊神様に服従しなければ、私たちは肉の欲望に打ち勝つことはできません。もし私たちがずっとみことばに服従しなければ、聖霊神様は心配され[8]、結局私たちを去られます[9]。しかし、私たちが聖霊神様に服従することを選ぶとき、聖霊神様は私たちに罪に打ち勝つようにさせてくださいます[10]

 すべての被造物は不完全です[11]。罪の赦しを受けても、彼は不完全です。人間自らの力では罪に打ち勝つことができません[12]。人間自らの力では心でまで戒めを守ることができません。彼をそのままにすると、彼は再び犯罪します。ですから、聖霊神様が私たちを握ってくださるのです。聖霊神様が私たちの証印になってくださいます。聖霊神様が私たちの保証になってくださいます[13]

 もし私たちが聖霊神様を拒み続けるなら[14],聖霊神様はもはや私たちの保証になってくださりません[15]。私たちは肉の欲望を選びました[16]。私たちは神様を離れることを選びました[17]。ですから、聖霊神様は私たちを去られます[18]。私たちの罪の赦しは取り消されます[19]

 しかし、私たちが聖霊神様に服従するならば、聖霊神様は私たちを変えてくださいます[20]。私たちが罪から逃れようとする意志を証明すれば[21]、聖霊神様は私たちに救いの保証となられます[22]。主イエス様が再びお見えになって犯罪者を裁かれるとき、私たちは裁きから逃れます[23]

 主イエス様が聖霊神様を通して罪に勝たれたように、私たちも聖霊神様を通して罪に勝ちます。聖霊神様を通して私たちは心でまで神様と隣人を愛するようになります[24]。聖霊神様を通して私たちは心でまで戒めを守ることになります[25]。聖霊神様を通して私たちは神様の形で完成されます[26]

 

エレ31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

エレ31:34 そのようにして、人人はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主の御告げ。―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。

ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

ヨハネ14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

ヨハネ17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

ロマ8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

ヘブ10:9 また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために來ました。」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。

ヘブ10:15 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。

ヘブ10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。

ヘブ10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」

ヘブ10:18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。

ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。

ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

いものです[27]。しかし、はそのらない殺します[28]したがって良いそのは、そのれないには[29]となります[30]お見えになると肉の欲望に勝つことができます[31]してることができます。霊神様してになります[32]

初めの契約結びました[33]。初めの契約書かれました。証明できません。初めの契約れるえられませんでした。初めの契約はそれ自体ではになりませんでした。初めの契約には欠けがありました[34]初めの契約はメシヤに一時的契約でした[35]初めの契約らせる契約でした[36]。もちろん、初めの契約行ないではることができます。行ないでは殺人しないことができます[37]行ないでは姦淫しないことができます。しかし、初めの契約してはすることはできません[38]

しい契約はメシアの結ばれます[39]。新しい契約心の板書かれます[40]。メシヤの血で神証明されます[41]しい契約ることができるえられます。メシヤのして霊神様肉体の中お見えになります[42]。聖霊神様してたちはることができます。したがって、しい契約たちにとってになります[43]しい契約欠けのない契約であります[44]しい契約永遠契約です[45]しい契約つことができるようにする契約です[46]

霊神様聖徒肉体の中ってくださいます[47]霊神様しい契約になってくださいます[48]霊神様お見えになり、神らせてくださいます[49]れば[50]愛します[51]。神すれば[52]めを守ります[53]。戒めをるが、たち自身るのではありません。霊神様してたちはめをります。みによってたちはめをります[54]

主イエス結ばれた契約完全契約であり、最後契約であります。これ以上契約贖いのいけにえはありません[55]しい契約踏みにじる者火の池まれます[56]

霊神様して[57]主イエス眠った者の初になられました[58]先の雨としてお見えになった聖霊神様して弟子たちがの初をいただきいただいています[59]後の雨としてまでお見えになる聖して人々の中から贖われた初まで出てきます[60]。新しい契約通して殉教証人の定められた数満ちます[61]教証人勝ちます[62]戒めの真実証明されます[63]被造物えられた自由意志完成されます[64]



[1] 使徒19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

 使徒19:3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。

[2] イザ64:6 私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。

[3] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

 ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

[4] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[5] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

[6] ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

 ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

[7] ヨハネ14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

[8] エフェ4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

[9] 1テサ5:19 御霊を消してはなりません。

[10] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

[11] ヨブ15:15 見よ。神はご自身の聖なる者たちをも信頼しない。天も神の目にはきよくない。

 ヨブ15:16 まして忌みきらうべき汚れた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。

[12] ロマ3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

 ロマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

 ロマ3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

 ロマ3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

[13] 2コリ1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

 2コリ1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

[14] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

 ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

 ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

 ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

[15] 2ペト2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。

 2ペト2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。

[16] ガラ5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

 ガラ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、 派心、分裂、分派、

 ガラ5:21 ねたみ、聆瓔、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

[17] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

 ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

[18] ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

[19] マタイ18:32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。

 マタイ18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』

 マタイ18:34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。

 マタイ18:35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

[20] ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[21] ヘブ10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

 ヘブ10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

[22] 2ペト1:10 ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。

 2ペト1:11 このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエスキリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。

[23] 2ペト3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

 2ペト3:13 しかし、わたしたちは、神の約束にしたがって、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

 2ペト3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

[24] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

[25] 使徒7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

 使徒7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」

 使徒7:57 人人は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。

 使徒7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。

 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

 使徒7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

[26] ガラ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

[27] ロマ7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

 ロマ7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

[28] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[29] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

 ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

[30] ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

[31] 1ペト2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

[32] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[33] ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

 ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

 ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

 ヘブ9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

[34] ヘブ8:7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。

 ヘブ8:8 しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が來る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。

[35] ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 ガラ3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。

[36] ロマ7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

[37] 21:23 しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。

 出21:24 目には目。歯には歯。手には手。足には足。

 出21:25 やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。

[38] マタイ5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

[39] ヘブ9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

[40] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

[41] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

[42] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[43] 2コリ3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

 2コリ3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モ-セの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモ-セの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、

 2コリ3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。

 2コリ3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。

[44] ヘブ9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人人に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

 ヘブ9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

[45] ヘブ13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、

[46] 1ヨハ3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。

[47] 1コリ6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

 1コリ6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

[48] 1コリ3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

 1コリ3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

[49] 1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

 1コリ2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

[50] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 ロマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬嶺な者のために死んでくださいました。

[51] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

[52] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

[53] ロマ13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

 ロマ13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。

 ロマ13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

[54] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

[55] ヘブ10:11 また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。

 ヘブ10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、

[56] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

 ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

 ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

 ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

[57] ロマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストイエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

[58] 1コリ15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

[59] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

[60] 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。

 黙14:5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。

[61] 6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」

 黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。

[62] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

 1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[63] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

 ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

 ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。

 ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」

[64] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。

 1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエスキリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。