創3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
コヘ12:7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。
イザ26:19 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は使者の霊を生き返らせます。
イザ26:20 さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。
イザ26:21 見よ。主はご自分の住まいから出て來て、地に住む者の罪を罰せられるからだ。地はその上に流された血を現わし、その上で殺された者たちを、もう、おおうことをしない。
イザ27:12 その日、主はユ-フラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。
イザ27:13 その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリヤの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが來て、エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。
ダニ12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
ダニ12:3 思慮深い人人は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世世限りなく、星のようになる。
ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
使徒2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
使徒24:15 また、義人も悪人も必ず复活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
ロマ2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
ロマ2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と轝れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
ロマ2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
1コリ15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
1コリ15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
1コリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
1コリ15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
1コリ15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
フィリ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス․キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
フィリ3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
1テサ4:14 私たちはイエスが死んで复活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人人をイエスといっしょに連れて來られるはずです。
1テサ4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び來られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人人に優先するようなことは決してありません。
1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って來られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
1テサ4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
ヘブ11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。
† 人が死ぬと、土の肉体は土に帰り、霊はそれを下さられた神様に帰ります。魂は燔祭の祭壇すなわちハデスに待機します[1]。魂と肉体は大きな白い御座の裁きの時に復活します[2]。土の肉体を着た時のことばと行ないがすべて公開されます[3]。信仰が真実であることが証明されると永遠に生きることになります[4]。神様と隣人を愛する者は永遠に生きることになります[5]。信仰が偽りに現れれば火の池に投げ込まれます[6]。神様を逆らって隣人を踏みにじる者は火の池に投げ込まれます[7]。
† 人は魂的な体を着た「魂」です。犯罪して火の池に燃やされるのは魂と体です[8]。もちろん[9]人には[10]「霊」も[11]あります[12]。御使いは「霊」です[13]。犯罪の御使いは汚れた霊です[14]。犯罪した御使いの霊と犯罪した人の魂と体が火の池に投げ込まれます[15]。
† 復活変化した聖徒は霊的な体を着て[16]御使いのようになります[17]。御使いのようになった聖徒の魂が相変わらず魂なのでしょうかは分かりません[18]。御使いがただ体のない霊なのでしょうか[19]、霊的な体を着た霊なのでしょうかは分かりません[20]。とにかく、御使いのようになった人々と御使いたちは永遠に生きます。
† 土は再びハデスに戻ります。魂もハデスで待機します。ハデスの中に義人の領域と悪人の領域が区分されているかは分かりません。ガラスの海もあるので、義人がガラスの海の近くに待機していると見る見方もあり得ます[21]。殉教証人だけが第1の復活によって甦り、1000年王国を相続します[22]。殉教証人も第1の復活前まではハデスで待機します。御使いの天に上られた方は、主イエス様だけです[23]。とにかく殉教証人の魂は祭壇の下で叫んでいます[24]。そしてこの祭壇は燔祭の祭壇すなわちハデスであります。香の祭壇は御使いの天にあります[25]。
† ダビデも御使いの天に上ることができませんでした[26]。十字架の贖いがなされていないのに、どのように復活できるのでしょうか。獣の血は主イエス様の血を象徴しただけです。獣の血では罪を赦されることはできません[27]。旧約時代の殉教証人たちも第1の復活によって甦ります[28]。殉教証人たちも第1の復活時に甦ります。第1の復活前までは殉教証人たちも眠ります[29]。第1の復活によって甦った殉教証人だけが1000年王国を相続します[30]。残りの聖徒たちは1000年王国が終わった後に復活します。残りの聖徒たちは大きな白い御座の裁きの時に復活し、各自の行ないを通して各自の信仰を検証されなければなりません[31]。
† 祭壇には青銅の燔祭の祭壇と金の香の祭壇があります。青銅の燔祭の祭壇は庭にあります。金の香の祭壇は聖所の中にあります。青銅の燔祭の祭壇はハデスです。金の香の祭壇は御使いの天にあります。祭壇の下で殉教証人たちが叫びます。土地でアベルの血が叫びます[32]。
† 燔祭の祭壇で獣を燃やします。ハデスで犯罪者を燃やします。ハデスが火の池に投げ込まれます。ハデスが火の池に投げ込まれる前に、聖徒たちは復活してハデスから逃げます。
† 殉教証人が裁きを叫びます。恨みで悔しいという意味ではありません[33]。被造界で犯罪を終わらせるように求めるのです。弱肉強食の圧制を終えてくださるように願うのです[34]。被造物の苦しみを終わらせるように願うのです[35]。隣人を踏みにじる犯罪が再び発生しないことを求めるのです。
† 殉教証人たちは死に至るまで神様と隣人を愛しました。殉教証人たちは死に至るまで戒めを守りました。殉教証人たちの存在自体が戒めの真実さを証明します。殉教証人たちが犯罪者に対する裁きを確定します[36]。犯罪者が裁きを受けなければ被造界に安息が成されません。罪が消滅されなければ被造界の苦しみが終わりません。
† 死は罪から来る報酬です[37]。罪は戒めを破るのです[38]。戒めを破ると死にます。戒めを守れば死にません。戒めを守れば死に打ち勝ちます。死に打ち勝つと復活します[39]。復活したという意味は戒めを守ったという意味です。
† 第7のラッパが鳴るとき、第1の復活が起こります。死に至るまで戒めを守った殉教証人たちが死に打ち勝ちます。戒めの真実さが証明されます。戒めが裁きの基準として立てられます。戒めを破った犯罪者に対する裁きが始まります。地上に7つの災害が降り注ぎます[40]。7つの災害が降り注ぐ間、殉教証人たちは部屋に入り隠れます[41]。7つの災害が降り注ぐ間、殉教証人たちはガラスの海のほとりで小羊の歌を歌います[42]。7つの災害後、主イエス様が地上にまでお見えになります。殉教証人たちは天軍として主イエス様と共に下って来ます[43]。
† すべての報いは1000年王国で与えられます。100年の忠誠で1000年の報いを得るのです[44]。報いの期間が終わればすべて平等になります。1000年王国の後にはすべて平等になります。
† 神様は各人の行ないに応じて報いをされます[45]。罰には差があります。多くの悪を行った者は多くの罰を受けます。少ない悪を行った者は少ない罰を受けます。多くの悪を行ったサタンは多くの罰を受けます。少ない悪を行ったアダムは少ない罰を受けます。犯した罪以上の罰を受けることはないでしょう[46]。犯した罪ほど火の池に燃やされると推測します。
† 罪の代価を払っても永遠に生きるようになるわけではありません[47]。火の池に燃やされても隣人を愛するようになるわけではありません。火の池に燃やされても自由意志が完成されるようになるわけではありません。自由意志は罰によって完成されるわけではありません[48]。最後まで悔い改めることを拒んだ者が、突然神様を愛することになりません。十字架の愛でも彼らの犯罪を防ぐことができませんでした。十字架の愛でさえも、彼らが神様を愛するようにすることはできませんでした。
自由意志は愛だけで完成されます[49]。愛する時だけ犯罪しません。愛する時だけ戒めを守ります。火の池の罰によって自由意志が完成されることができたならば、神様は被造物を創造されるとすぐ火の池に焼かれたでしょう。神様は神様の愛だけで被造物の自由意志が完成される仕組みで、被造界を存続させています。神様は火の池の罰を通して被造物の自由意志を完成されません。火の池で罪の代価を払った後は、おそらく非存在に戻ることになるだろうと推測します。
[1] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
[2] ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
[3] ロマ14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
ロマ14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
[4] 1ペト1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
[5] マタイ25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
マタイ25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
マタイ25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
[6] マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
マタイ7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
マタイ7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
[7] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
マタイ25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
マタイ25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
[8] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
[9] 創41:8 朝になって、パロは心(ルアー霊)が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。
[10] ロマ8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
[11] ダニ2:1 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心(ルアー霊)が騒ぎ、眠れなかった。
[12] 1テサ5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス․キリストの來臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
[13] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[14] 使徒8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。
[15] ヤコ5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。
ヤコ1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1ペト4:18 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
1ペト4:19 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人人は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。
[16] 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。
[17] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[18] 1コリ15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者(プシケ魂)となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊(プネウマ霊)となりました。
[19] ルカ24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
使徒12:7 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
[20] ルカ24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
ルカ24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
ルカ24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
創18:7 そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。
創18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した小牛を持って來て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
ヘブ13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人人は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。
[21] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[22] 黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。
黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[23] 1ペト3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
[24] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
[25] ヘブ8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモ-セが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
ヘブ9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
[26] 使徒2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
[27] ヘブ10:4 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。
[28] ヘブ11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
[29] 1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って來られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
1テサ4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
[30] 黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。
[31] 黙20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[32] 創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
[33] 使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
使徒7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
[34] コヘ4:1 私は再び、日の下で行なわれるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の淚を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。
コヘ4:2 私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
コヘ4:3 また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかった者だ。
[35] ロマ8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
ロマ8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
ロマ8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
[36] ヨブ2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」
[37] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[38] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
[39] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[40] 黙15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
[41] 1テサ4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
[42] 黙15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
黙15:3 彼らは、神のしもべモ-セの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
[43] 黙19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
黙19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
[44] ロマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ロマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将來私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
[45] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[46] 出21:24 目には目。歯には歯。手には手。足には足。
出21:25 やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。
[47] 詩37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
[48] 1ヨハ4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
[49] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
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