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2 存在のお召し

144 1000年王国、モーセ、そしてヨシュア

by aparke 2025. 5. 25.
  1000年王、モセ、そしてヨシュア
31:2 言った。私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない。」と言われた。
31:3 あなたの神、主ご自身が、あなたの先に渡って行かれ、あなたの前からこれらの国国を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領しよう。主が告げられたように、ヨシュアが、あなたの先に立って渡るのである。
 カナンの地は1000年王国を象徴します。モーセは律法を象徴します[1]。正確に言えば、石の板に書かれた戒めを象徴します[2]。ヨシュアは主イエス様を象徴します。石の板に書かれた戒めでは1000年王国に入ることができません[3]。主イエス様を通してのみ1000年王国に入ることができます。主イエス様を通してのみ[4]新しいエルサレムに入ることができます[5]
 主イエス様を通してのみ聖霊神様がお見えになります[6]。聖霊神様を通してのみ神様の愛を悟ることができます[7]。聖霊神様を通してのみ肉の欲望に打ち勝つことができます[8]。聖霊神様を通してのみ死に打ち勝つことができます[9]。ですから、カナンの地の前でモーセは死にます[10]。心に書かれた法を通して[11]、石の板に書かれた法は死にます[12]
 新しいエルサレム都は至聖所です。新しいエルサレム都には御座と命の木があります[13]。至聖所にも御座と[14]戒めがあります[15]。新しいエルサレム都は長さも幅も高さも同じです[16]。至聖所も長さも幅も高さも同じです[17]。エデンの園も至聖所の象徴です。エデンの園にも神様がいらっしゃいます[18]。エデンの園にもケルビムと輪を描いて回る炎の剣があります[19]。エデンの園にも命の木があります[20]
 律法の下にある者は1000年王国を相続することができません。律法の下にある者は子になることができません[21]。律法の下にある者はまだしもべです[22]律法は罪を悟らせることができますが、罪に勝つようにすることができないからです[23]
 律法自体は良いものです[24]。しかし、聖霊神様を通さなければ、心でまで律法を守ることができません[25]。ですから、モーセを通して受けた律法では罪から抜け出すことはできません[26]。私たちは石の板に書かれた律法を守ることができませんでした[27]。聖霊神様は私たちにお見えになります[28]。今、律法が私たちの心に書かれています[29]。今、私たちは心でまで律法を守ることができます。今、モーセの律法は私たちにとってキリストの律法になります[30]。今、モーセの律法は私たちにとってヨシュア(イエス)の律法になります[31]
 主イエス様の血で罪の赦しを受けた者に[32]聖霊神様がお見えになります[33]。聖霊神様を通して罪に打ち勝ちます[34]。罪に打ち勝つ者は[35]子になります[36]。罪に打ち勝つ者は死に打ち勝ちます[37]。死に打ち勝つ者は復活します[38]。復活変化すれば1000年王国に入ります。
 モーセを通して与えられた律法は初めの契約です。主イエス様を通してお見えになった聖霊神様は新しい契約です[39]。初めの契約は罪を悟らせる契約であります[40]。新しい契約は罪に打ち勝つようにする契約です[41]。初めの契約は主イエス様に導く契約です。新しい契約は主イエス様から命を受けるようにする契約です[42]。初めの契約は獣の血で結びます[43]。新しい契約は主イエス様の血で結ます[44]
 モーセが率いる民は古い人を象徴します[45]。ヨシュアが率いる民は新しい人を象徴します[46]。犯罪した者は荒野で滅ぼされます。38年後[47]、民が新しく生まれます[48]。エジプトから出てから40年ぶりに[49]、民が約束の地に入ります。
 律法を通して罪を悟り、主イエス様に出てきます[50]。主イエス様の血で罪の赦しを受け、聖霊神様を祀ります。聖霊神様を通して罪に勝ち、復活変化します[51]。霊的な体を着て約束の地に[52]入ります[53]


[1] ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

[2] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[3] ロマ3:27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

 ロマ3:28 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

[4] ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

[5] ヘブ10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。

 ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。

[6] ヨハネ16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに來ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

[7] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

  1コリ2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

 1コリ2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

[8] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

[9] ロマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストイエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 ロマ8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

 ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

[10] 34:4 そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう。』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」

 申34:5 こうして、主の命令によって、主のしもべモ-セは、モアブの地のその所で死んだ。

[11] ロマ7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

[12] ヘブ8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。

[13] 22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

[14] 25:20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。

 出25:21 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。

[15] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

[16] 21:16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。

[17] 王上6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに主の契約の箱を置くことにした。

 王上6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。

[18] 3:8 そよ風の吹く(霊の)ころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

[19] 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

[20] 2:9 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。

[21] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。

 ガラ4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。

 ガラ4:6 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

 ガラ4:7 ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

[22] ガラ4:9 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

 ガラ4:10 あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

 ガラ4:11 あなたがたのために私の勞したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

[23] ロマ3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人人に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 ロマ3:20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

[24] ロマ7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

 ロマ7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

 ロマ7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

[25] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

[26] ガラ2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリストイエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリストイエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

[27] マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

[28] 2コリ3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

[29] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

  ヘブ8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

[30] 1コリ9:21 律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

[31] ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

[32] ルカ22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

[33] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

[34] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 ロマ8:2 なぜなら、キリストイエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

[35] ロマ6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。

[36] 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

[37] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

 1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

 1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

[38] 1コリ15:42 死者の复活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

 1コリ15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

 1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉の(プシキコス魂的な)からだがあるのですから、御霊の(プネウマチコス霊的な)からだもあるのです。

[39] ヘブ8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

[40] ロマ7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが來たときに、罪が生き、私は死にました。

 ロマ7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

 ロマ7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。

 ロマ7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

 ロマ7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

[41] ロマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 ロマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

[42] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。

 ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

[43] ヘブ9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

 ヘブ9:19 モ-セは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

 ヘブ9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

 ヘブ9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

[44] ヘブ9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。

  ヘブ12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。

[45] コロ3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、

 コロ3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

[46] エフェ4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

 エフェ4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、

 エフェ4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

[47] 2:14 カデシュバルネアを出てからゼレデ川を渡るまでの期間は三十八年であった。それまでに、その世代の戦士たちはみな、宿営のうちから絶えてしまった。主が彼らについて誓われたとおりであった。

  ヨハネ5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。

 ヨハネ5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」

[48] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

 ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

[49] 1:3 第四十年の第十一月の一日にモ-セは、主がイスラエル人のために彼に命じられたことを、ことごとく彼らに告げた。

[50] ガラ3:23 信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ翔められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。

 ガラ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 ガラ3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。

[51] 20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。

 黙20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の复活である。

 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

[52] イザ65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。

 イザ65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも樂しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を樂しみとする。

 イザ65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を樂しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

[53] 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」