| 殉教証人でも花嫁でないことができるのでしょうか? | ||||
| = 霊的な体を着ても花嫁でないことができるのでしょうか? | ||||
| 前提1:白い衣 = 麻布 = 復活変化の体 = 霊的な体 前提2:殉教証人だけ霊的な体を着ます。 前提3:殉教証人の復活変化についてのみ考えます。第1の復活についてのみ考えます。魂的な体を着て甦る復活については考えません。再び死ぬことができる検証の復活については考えません。つまり、パラダイスにいる犯罪人の復活については考えません。 |
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| 見方1:殉教証人≠花嫁 | 見方2:殉教証人=花嫁 | |||
| =霊的な体を着て小羊の婚宴に招かれたとしても、小羊の花嫁ではないかもしれません。 [招かれた者たち≠花嫁] =殉教証人でも、花嫁ではないかもしれません。 =新しいエルサレム都に入ることができても、花嫁ではないかもしれません。 |
=霊的な体を着て小羊の婚宴に招かれた者たちはすべて小羊の花嫁です。 [招かれた者たち=花嫁] =殉教証人はすべて小羊の花嫁です。 =新しいエルサレム都に入ることができれば、全部花嫁です。 |
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| 黙7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。 黙7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 黙7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 黙7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから來たのですか。」と言った。 黙7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て來た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 黙7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 黙7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 黙7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」 |
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| だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆は、大きな患難から出てくる者たちです。これらも殉教証人です。これらも霊的な体を着ました。しかし、これらは花嫁ではありません。彼らは婚宴に参加した客です。 花嫁は光り輝くきよい麻布を着ます。しかし、彼らは白い衣を着ました。これらは花嫁ではありません。 花嫁が着る霊的な体と殉教証人が着る霊的な体は異なります。霊的な体に差があるという意味です。 |
白い衣を着た大ぜいの群衆は、大きな患難を経験した殉教証人たちです。これらもまた、新しいエルサレム都の御座の前にいるはずです[1]。これらもまた、新しいエルサレム都に入ります[2]。大ぜいの群衆も花嫁という意味です。 | |||
| 黙7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから來たのですか。」と言った。 黙7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て來た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 黙19:7 私たちは喜び樂しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が來て、花嫁はその用意ができたのだから。 黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」 黙19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。 黙19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。 黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。 |
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| 花嫁は麻布を着ます。客は礼服を着ます[3]。 花嫁は光り輝くきよい麻布を着ます。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着ます。花嫁は天にある軍勢の一部でしょう。しかし、すべての殉教証人が花嫁ではありません。花嫁ではなく殉教証人たちは婚宴の客です。 花嫁が着る体と客が着る体は違います。霊的な体に差があります。 |
だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆は殉教証人たちです。花嫁だけが新しいエルサレム都に入ることができます。王である[4]祭司たちだけが[5]新しいエルサレム都に入ることができます。したがって、この大ぜいの群衆を婚宴の客として見ることはできません。この大ぜいの群衆は花嫁なのです。 大ぜいの群衆は花嫁です。ですから花嫁の服を着ます。花嫁なので花嫁の体を着ます。花嫁は光り輝くきよい麻布を着ます。大ぜいの群衆も光り輝くきよい麻布を着るでしょう。 殉教証人ごとに忠実な分量が異なります。したがって殉教証人が受ける報いには差があります[6]。殉教証人たちの栄光には[7]差があります。しかし、誰もが同じ霊的な体を着ます[8]。 報いの時間が終わった後はすべて平等になります。報いの時間がすでに終わったのに、栄光が違うことはありません。報いが終われば栄光も終わります。 |
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| 1コリ15:38 しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。 1コリ15:39 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。 1コリ15:40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、 1コリ15:41 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個 の星によって栄光が違います。 1コリ15:42 死者の复活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 1コリ15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、 1コリ15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。 |
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| 個の星によって栄光が違います。個の霊的な体によって栄光もまた違います。花嫁が着た体と客が着た体の栄光もまた違います。花嫁の体があり、客の体があります。 より忠実であれば、より大きな栄光を得ます。より忠実であれば、より栄光の体を着ます。とても光栄な体があり、あまり光栄でない体があります。 同じ霊的な体でも、差があります。体自体が違います。 |
霊的な体があり、魂的な体があります。殉教証人たちは第1の復活の時に霊的な体を着ます。一般聖徒たちは大きな白い御座の裁きの時に霊的な体を着ます。霊的な体を着ると御使いのようになります。御使いのようになった聖徒たちと御使いたちは永遠に生きます。 霊的な体の間にも栄光が違います。殉教証人ごとに忠実な分量が異なります。したがって殉教証人たちの間でも栄光が違います。しかし殉教証人たちはすべて第1の復活によって甦ります。殉教証人はみな霊的な体を着ます。殉教証人は皆花嫁です。 人の体と獣の体は同じ土です。しかし、人が獣よりも栄光です。同じ人の間でも、ある人は他の人よりも光栄です。しかしその人の体も土です。このように霊的な体の間にも栄光が違います。 報いの期間が終わると、大きな白い御座の裁きが始まります。大きな白い御座の裁きの時に一般聖徒たちが霊的な体を着ます。報いの期間が終わりました。大きな白い御座の裁きの時にはすべて平等です。ですから栄光も同じです。 霊的な体が変わるという意味ではありません。栄光が同じになるという意味です。当初から同じ霊的な体だからです。貴族が平民になったからといって、貴族の体が変わるわけではありません。彼の栄光だけが変わるのです。体は同じで、栄光だけ違います。 |
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| 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。 黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」 黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。 |
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| 殉教証人の中に花嫁がいます。しかし、すべての殉教証人が花嫁ではありません。すべての殉教証人は霊的な体を着ます。したがって、すべての殉教証人は新しいエルサレム都に入ります。 殉教証人たちは主イエス様を愛して命を捨てました。しかし、すべての殉教証人がすべて花嫁ではありません。すべての殉教証人がすべて花嫁の体を着るわけではありません。 |
黙示録6章の殉教証人たちは白い衣を着ます。白い衣は霊的な体です。殉教証人は霊的な体を着ます。 黙示録7章の大ぜいの群衆もやはり白い衣を着ます。「リュコス・ストーレ」として単語も同じです。黙示録7章の大ぜいの群衆も霊的な体を着ます。黙示録7章の大ぜいの群衆も殉教証人たちです。 黙示録7章の大ぜいの群衆もやはり新しいエルサレム都に入ります[9]。新しいエルサレム都は花嫁です。大ぜいの群衆も花嫁です。第1の復活によって甦る者たちはすべて花嫁です。 |
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| 黙3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。 黙3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。 |
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| 殉教証人は勝利を得た者たちです。勝利を得た者たちは新しいエルサレム都に入ります。しかし、これらすべてが花嫁ではありません。これらすべてが花嫁の体を着ることはできません。 144000と大ぜいの群衆は違います[10]。花嫁と客も違います。殉教証人の中に花嫁がいます。 救いは行ないによって決定されません。しかし、報いは行ないによって決定されます。最高の忠誠をささげた殉教証人だけが花嫁になります。最高の忠誠をささげた殉教証人だけが花嫁の体を着ます。 |
勝利を得た者が白い衣を着ます。勝利を得た者の名は命の書に書かれています。獣に勝った者たちの名も命の書に書かれています。命の書に名が書かれた者たちは獣を拝みません[11]。 白い衣は黙示録6章から白い衣でも、黙示録7章から白い衣でも、黙示録19章で麻布としても表現されました。すべて霊的な体を象徴します。 命の書に名が書かれた者たちは、新しいエルサレム都に入ります[12]。新しいエルサレム都に入るなら、全部花嫁です。第1の復活の時に霊的な体を着るなら、全部花嫁です。 |
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| 私はこの見方を支持します。 | ||||
[1] 黙21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
[2] 黙22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
[3] マタイ22:12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって來たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
[4] 黙21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に來る。
[5] 黙20:6 この第一の复活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
[6] ルカ19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
ルカ19:18 二番目の者が來て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
ルカ19:19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
[7] ロマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ロマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将來私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
[8] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[9] 黙7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから來たのですか。」と言った。
黙7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て來た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
黙7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
黙7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
黙7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
[10] 黙7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。
黙7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
[11] 黙13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
[12] 黙21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。
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