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十字架を通してのみ被造物の自由意志が完成されます
神様がご覧になる時、アダムはすでに死んだ者でした[1]。神様がアダムをその時裁かれたなら、アダムは死んだでしょう。神様はアダムに罪を悟って悔い改める機会を与えられました[2]。その機会がサタンの惑わしでした。
禁断の果実を通してアダムの隠された罪が明らかになりました。アダムは死ぬことを知りながらエバを選びました。もちろんアダムは死が何なのでしょうかよく分からなかったでしょう。アダムは死がどのような結果をもたらすのかよく分からなかったでしょう[3]。
神様は耐えられる試みだけを許されます[4]。もしアダムが勝とうとしていたら、アダムは勝つことができたでしょう[5]。しかし、アダムがサタンの惑わしに勝ったとしても、アダムの自由意志は完成されなかったはずです。アダムが神様の愛と公義をまともに知らなかったはずだからです[6]。被造界にまだ十字架が立っていないからです[7]。十字架を通して神様の愛と公義が証明されます[8]。
もしアダムがサタンの惑わしに勝つはずだったとすれば、創造を完成されるために神様は他の方法を創世前にあらかじめ定められたはずです。神様は今とは違う方法で神様の愛と公義を被造物たちに証明されることを創世前に先にあらかじめ定められたでしょう。そしてアダムの自由意志は苦しみなく完成されることができたでしょう。御使いたちはヘレルの惑わしに打ち勝ちました。御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます[9]。罪による苦しみは、自分が選ぶことです[10]。
(あるいは、犯罪しないアダムの代わりに、犯罪する他の被造物をアダムの席に置かれたでしょう。そして創造は今と同じ過程で成されたでしょう。)
サタンはエバを使ってアダムを殺しました。アダムの犯罪によって地は呪われました[11]。肉体も地です[12]。肉体は呪われました。今、肉体では茨とアザミが出てきます[13]。今、肉体では肉の欲望が出てきます[14]。アダムは戒めを守るのがもっと難しくなりました[15]。サタンはアダムを罪の奴隷にしました。今、アダムはサタンに服従します[16]。アダムは肉体の命を守るためにサタンに服従します[17]。サタンはアダムを使って地を圧制します[18]。
サタンの作戦は成功したように見えました。しかし、主イエス様はアダムに主イエス様の血を覆われます。主イエス様の血の中で、聖霊神様がお臨みになります[19]。聖霊神様を通して、アダムは戒めを守ります[20]。呪われた肉体を着ても、アダムは戒めを守ります[21]。聖霊神様を通して、戒めの真実さはより強烈に現れます。
被造物には愛がありません。被造物は自分の力で隣人を愛することができません[22]。被造物が隣人を愛するためには、被造物は神様から愛を受けなければなりません[23]。神様の愛は、十字架を通して被造物に伝えられます[24]。
被造物自らの力では心でまで戒めを守ることができません[25]。神様の恵みだけで[26]、被造物は心でまで戒めを守ることができます[27]。被造物が神様の恵みを拒まなければ[28]、被造物は十分に戒めを守ることができます[29]。神様はそのような構造で被造物を存続させていらっしゃいます[30]。
しかし、神様は被造物に自由意志をくだされました。したがって、被造物はいくらでも神様の恵みを拒むことができます[31]。被造物はいくらでも戒めを破ることができます。
戒めは愛だけで守ることができるのです[32]。ですから、神様の愛を知るまで、被造物の自由意志は完成されません。神様の愛を知るまで、被造物には依然として犯罪の可能性が残っています。十字架を通して、被造物が神様の愛を知るようになります。十字架を通して、被造物から犯罪の可能性が消滅されます。したがって、十字架を通して創造が完成されます[33]。
神様は創造を始められる前に、創造を完成されることをまずあらかじめ定められました[34]。神様は創造を始められる前に、被造界に十字架を立てられることをまずあらかじめ定められました[35]。神様はヘレルとアダムの犯罪をあらかじめご存じでいらっしゃいました。神様はヘレルとアダムの犯罪を通して被造界に十字架を立てられることをまずあらかじめ定められました。その後、神様は創造を始められました。
十字架で神様は被造物のためにすべてを捨てられます。被造物は十字架を通して神様の愛を見ます。被造物は十字架を通して神様を愛するようになります[36]。神様を愛する被造物は神様の戒めを守ります。しかし、神様の愛を見ても神様を愛さない被造物がいます。神様の愛を見ても恵みを拒む被造物がいます[37]。彼らは戒めの真実さが証明された後、火の池に投げ込まれます[38]。
神様は耐えられる試みだけを許されます。十字架を立てられる前にも、被造物は戒めを守ることができます。ただ心でまで守れないだけです[39]。神様は犯罪を犯すようにさせる方ではありません[40]。もし戒めが守ることができないものであれば、被造物はすべて死ぬでしょう[41]。神様は隣人を踏みにじる被造物を火の池に燃やされるからです。戒めが守ることができないことという意味は、神様が被造物を燃やされて殺すために被造物を創造されたという意味です[42]。
神様は被造物に自由意志をくだされました。神様は被造物を犯罪するしかない状況に置かれません[43]。神様は被造物を犯罪することが不可能な状況に置かれません。犯罪するかどうかは、被造物が自ら選びます。被造物の選択に応じて、神様は被造物を裁かれます。
罪は自分が選ぶのです[44]。ですから、自らが自分の罪に対する責任を負わなければなりません[45]。私たちは呪われた肉体を着ています。しかし、私たちが聖霊神様に服従している間[46]、私たちは十分に戒めを守ることができます[47]。私たちが神様と隣人を愛しているならば、私たちは霊的な体を着るでしょう。霊的な体では肉の欲望が出てきません。もし私たちが霊的な体を着るならば[48]、私たちは決して犯罪しないでしょう[49]。
肉体の弱さによる被造物の間の罪を言うのではありません[50]。自分の意志で神様の支配から抜け出そうとする罪を言うのです。まだ被造物の自由意志が完成されていません。したがって、被造物に小さな傷があるかもしれません[51]。しかし、被造物が悔い改めようとしなければ、その罪は解決する方法がありません[52]。
肉体の弱さは悔い改めることができます[53]。しかし、神様に反対しようとする意志に固執する間、悔い改めは不可能です[54]。私たちは倒れることができます。しかし、私たちが悔い改めたいならば[55]、神様は必ず私たちに悔い改める恵みを注がれます[56]。しかし、私たちが私たちの主になろうとするならば[57]、私たちは神様を私たちの主として仕えることはできません[58]。私たちが拒んだ場合[59]、神様は私たちに悔い改めの恵みを与えられません[60]。
神様はアダムを通して神様の愛と公義を証明されるためにアダムを創造されました。神様は被造物の自由意志を完成されるためにアダムを創造されました[61]。「アダムが禁断の果実の試みに勝ったとしたら、戒めの真実さが完全に証明されたのでしょうか?」「アダムがサタンの惑わしに勝ったならば、御使いたちの自由意志がすぐに完成されたのでしょうか?」このような疑問があるかもしれません。
私の考えはこうです。被造物の自由意志は、神様の十字架を通してのみ完成されます。十字架を通してのみ神様の愛と公義が証明されるからです。御使いたちの自由意志も十字架を通して完成されます[62]。
死は罪を通して被造物を捕まえます[63]。罪に打ち勝つと死に打ち勝ちます。戒めを守れば死に打ち勝ちます。死に打ち勝つと復活変化します[64]。復活変化したという意味は戒めを守ったという意味です。したがって、アダムの復活変化によって戒めの真実さが証明されます。殉教証人たちの復活変化によって戒めの真実さが確実に証明されます[65]。神様は復活変化する殉教証人の数をすでに定められています[66]。
被造物が神様の愛と公義を完全に確認するためには、戒めの真実さが必ず証明されなければなりません。戒めが守れないものであるならば、戒めを守れと命じられる神様の愛と公義も、偽りであるからです。しかし戒めの真実さだけが証明されたからといって、被造物の自由意志が完成されるわけではありません。
被造物の自由意志が完成される理由は、被造物が神様の愛と公義を悟るからです。被造物が戒めの真実さを確認しなければならない理由は、戒めの真実さが神様の愛と公義を証明するからです。神様の愛が被造物の自由意志を完成するのです。戒めの真実さは神様の愛に被造物を導くだけです。
私たちは罪に打ち勝ちます。私たちは戒めを守ります。私たちが戒めを守る理由は、私たちが神様を愛するからです[67]。私たちが神様を愛する理由は、神様が私たちを愛しているからです[68]。私たちが罪に打ち勝つ理由は、神様が私たちを愛しているからです。私たちは主イエス様の十字架を通して神様の愛を悟りました[69]。
神様の愛が私たちに死に打ち勝つようにします。十字架の愛が私たちに復活変化するようにします。十字架の愛が私たちの自由意志を完成します。アダムが禁断の果実の試みに打ち勝ったからといって、被造物の自由意志が完成されるわけではありません。戒めの真実さが証明されたからといって、被造物の自由意志が完成されるわけではありません。被造物の自由意志を完成するのは神様の愛です。被造物の自由意志を完成するのは神様の十字架です。戒めの真実さは、十字架を通して証明された神様の愛と公義が真実であるという事実をもう一度確認させるだけです。
したがって、被造物の自由意志が完成されるためには、十字架の贖いに準ずる証明がなされなければなりません。アダムが禁断の果実の試みに勝ったとしても、すぐに御使いたちの自由意志が完成されることはなかったでしょう。アダムが禁断の果実の試みに勝ったとしても、御使いたちは神様の愛と公義を確認しなければならなかったでしょう。しかし、アダムが禁断の果実の試みに勝ったならば、アダムの自由意志は苦しみなく完成されることができたはずです。ヘレルの惑わしに勝った御使いたちの自由意志は苦しみなく完成されます。
アダムは神様よりもエバを愛していました。アダムは偶像礼拝者でした。その心が現れなかっただけです。しかし、神様がアダムを直ちに殺してしまうと[70]、御使いたちが神様を誤解する可能性があります。被造物が守ることができない戒めを神様が被造物に守れと強制されると御使いたちが誤解することがあります。御使いたちがサタンの嘘を真実と勘違いするようになることもあります[71]。神様が被造物を殺そうと被造物に戒めを守れと強制されることで御使いたちが誤解するようになるかもしれません[72]。それに、義なる御使いたちも犯罪の可能性を抱いています。
自由意志は犯罪の可能性です[73]。自由意志をいただいた被造物は犯罪の可能性をいただいたのです。犯罪すれば死にます。したがって、彼の自由意志が完成されるまで、被造物は死ぬことができます。神様は被造物を死の中に創造されたのです。
愛を通してだけ死から抜け出すことができます[74]。神様はそのような構造で被造界を存続させていらっしゃいます。したがって、神様は被造物のために十字架ですべてを捨てられます。自由意志の代価が、神様の全部であるのです。
すべての御使いたちと人間は、罪を選ぶことができる可能性が染み込んだまま作られました。被造物が犯罪するかどうかを選ぶことができるように神様が許されました。したがって、被造物は犯罪する可能性があります[75]。可能性が1%でもあれば、いつかは必ず犯罪します。さらに、被造物が犯罪する可能性はそれほど少なくありません[76]。しかし、神様は被造物が犯罪する前に、被造物の自由意志を完成されます。神様は被造物が耐えることができる試みだけを許されます。
神様がもし被造物を犯罪できないようにされるならば、被造物に自由意志をくださったのではありません。神様がもし被造物を犯罪するしかないようにされるならば、被造物に自由意志をくださったのではありません。自由意志をいただいたという意味は、犯罪しようとする時に犯罪することができなければならないという意味です。自由意志をいただいたという意味は、犯罪しようとしない時に犯罪しないことができなければならないという意味です[77]。自由意志をいただいた被造物はいつかは必ず犯罪します。ですから、神様は被造物が犯罪する前に、被造物の自由意志を完成されます。
神様の愛を知る時のみ、被造物は神様を愛します[78]。神様を愛する時のみ、被造物は犯罪への意志を捨てます[79]。被造物が犯罪への意志を持っている場合、被造物は裁きを通過できません。神様が被造物を創造されるやいなや直ちに裁かれるなたば、被造物はすべて死ぬことになるでしょう。その意味は、神様が被造物を殺されるために被造物に自由意志をくださったという意味です。しかし、神様は裁きを一番最後に延ばされます[80]。
自由意志をいただいた被造物は、神様の愛を知ってこそ神様を愛します。したがって、神様は十字架を通して神様の愛を証明されます。十字架の愛の前で、被造物は選びます。十字架の愛のために、被造物は神様を愛することを選ぶことができます。
サタンは神様の愛が証明される前に犯罪しました。サタンは主イエス様が十字架を背負われる前に犯罪しました。それならサタンは無罪ですか。
神様は耐えられる試みだけを被造物に許されます。ヘレルがもし犯罪しなかったならば、神様はヘレルの自由意志も完成されてくださったでしょう。ヘレルがもし犯罪しないであろうとしたら、神様は今とは異なる過程で創造を完成されることを創世の前にまずあらかじめ定められたでしょう。あるいは、犯罪しないヘレルの代わりに、犯罪する他の被造物をヘレルの席に置かれたでしょう。多くの御使いたちがヘレルの惑わしに打ち勝ちました。ヘレルも、堕落しないことができたはずです。
ヘレルがもし悔い改めることだったとすれば、神様はヘレルを贖われることを創世前にまずあらかじめ定められたでしょう。それなら創造の過程が変わったでしょう。サタンがもし十字架の愛を受け入れることだったら、神様はサタンも悔い改めさせられたでしょう[81]。それなら、十字架の愛がサタンを再び犯罪しない者に完成したでしょう[82]。それなら創造の過程が変わったでしょう。
しかし、ヘレルは罪から立ち直るにはあまりにも強力な真理を受けたようです。ヘレルは自分の意志をすべて発揮して犯罪することを選んだようです[83]。サタンは十字架の強力な光を見ても悔い改めようとしません。サタンは最後まで悔い改めようとしません[84]。それなら、ヘレルはきっと自由意志を確定させることができるほどの強力な真理を受けたはずです[85]。アダムも強力な真理を受けた後に堕落すると悔い改めることができません[86]。
真理を悟った後に堕落すれば、悔い改めが不可能になることもあります。しかし、真理を悟らなくても悔い改めることは不可能です[87]。欲があれば惑わされます[88]。惑わされると真理を悟ることができません[89]。真理を悟らなければ悔い改めることができません[90]。悔い改めなければ火の池に投げ込まれます[91]。欲に固執すると火の池に投げ込まれます。
もし今サタンが悔い改めれば、地から突然犯罪が消えるでしょう[92]。もし今サタンが悔い改めるなら、サタンは聖徒たちを殺さないでしょう[93]。(サタンは悔い改めても、堕落した御使いたちは悔い改めないかもしれません。ですから確かではありません。)サタンが聖徒たちを殺さなければ、殉教証人の定められた数が満ちません[94]。殉教証人の定められた数が満ちなければ、第1の復活が起こりません[95]。第1の復活が起こらなければ、戒めの真実さが証明されません[96]。
戒めの真実さが証明されなければ、戒めは裁きの基準として立てられることができません[97]。戒めの真実さが証明されなければ、被造物の自由意志が完成されることができません。戒めの真実さが証明されなければ、創造が完成されることができません。今のような創造の過程でサタンがもし悔い改めれば、創造は完成されることができません。もしそうなら、創造の過程は変わったでしょう。もしそうなら、神様は創世前に今とは違う創造の過程をあらかじめ定められて創造を始められたはずです。
アダムは犯罪しました。地は呪われました。肉体は呪われました[98]。アダムは罪の奴隷になりました。この御言葉を、サタンが肉体から直接肉の欲望を起こすと見る見方があり得ます。この御言葉を、肉の欲望をサタンが利用すると見る見方があり得ます。
もしサタンがアダムの肉体から直接肉の欲望を起こすのなら、サタンがなければ肉の欲望も出ないでしょう。もしサタンがただ肉の欲望を利用するだけであれば、サタンがいなくても肉の欲望は依然として出てくるでしょう。地の呪いが解けない限り、肉の欲望は依然として出てくるでしょう。
1000年王国では地の呪いもなく、犯罪もありません。肉の欲望がないので、獣たちも互いを傷つけません[99]。その理由が、サタンがないからだという見方があり得ます。その理由が、地の呪いが解けたからだという見方があり得ます。とにかく、1000年王国ではサタンもなく[100]、地の呪いもありません[101]。
サタンが直接肉の欲望を起こすことであれ、さもなければサタンがただ肉の欲望を利用することであれ、アダムは自らの力だけではサタンに勝つことはできません[102]。また、サタンが惑わさなければ、アダムは自らの力だけでは犯罪することができません。
サタンがなくなれば、肉の欲望もなくなるという見方があり得ます。肉の欲望自体がなくなるという見方です。サタンがなくなれば、肉の欲望が犯罪に発展できないという見方があり得ます。肉の欲望はあるが犯罪はしないという見方です。とにかく私は、アダムが自分で犯罪を始めることができないと信じています。アダムがその程度の真理を受けてはいないと私は信じています[103]。
もしアダムが自ら犯罪を始めることができるほどの真理を受けた後に犯罪すれば、アダムは悔い改めるのが難しいでしょう[104]。真理を悟った後にわざわざ犯罪するには、自分の意志をほとんど発揮しなければなりません。真理を悟った後に自分の欲を選ぶには、自分の意志をほとんど発揮しなければなりません。自分の意志をほとんど発揮して選択すれば、選択を変えるのが難しいでしょう[105]。自分の意志をほとんど発揮して犯罪すれば、悔い改めるのは難しいでしょう[106]。
ヘレルが犯罪した後、ヘレルに悔い改めの機会があったかもしれません。しかし、主イエス様が十字架にかけられた頃には、サタンはすでに悔い改めることができない状態になっていました[107]。十字架の愛を見ても[108]、サタンは悔い改めません[109]。したがって、サタンは自分の自由意志を最後に確定します[110]。十字架の光ほど強力な光はありません[111]。十字架は、十字架の愛さえも拒む犯罪者たちの裁きを最後確定します[112]。
もしヘレルが犯罪しなかったならば、神様はヘレルの自由意志も完成してくださったでしょう。今のような創造の過程の中では、被造物は十字架を通して神様の愛と公義を悟ります。したがって、今のような創造の過程の中では、被造物の自由意志は十字架を通して完成されます。もしヘレルが犯罪しなかったならば、神様は他の方法で神様の愛と公義を被造物たちに示されたかもしれません。あるいは、犯罪しないヘレルではなく犯罪する他の被造物をヘレルの席に置かれたかもしれません。
主イエス様の十字架がアダムだけのためのものであるという見方があり得ます[113]。十字架が御使いたちとは関係がないという見方があり得ます[114]。私たちは子供に向けた親の愛からその答えを推測することができます[115]。兄息子は、弟のために命を捨てる父の愛を見ます。兄息子は悟ります。自分が弟と同じ状況にあったとしても、父はきっと自分のためにも命を捨てたはずです[116]。
御使いたちのために神様の愛と公義を証明されようと、神様が被造物となられます[117]。御使いたちのために戒めの真実さを証明されるために、神様はすべてを捨てられます[118]。御使いたちのために十字架で父に捨てられる御子の愛を御使いたちが見ます[119]。御使いたちのために十字架に御子を捨てられる父の愛を御使いたちが見ます[120]。被造界で罪と死を永遠に消滅させられようと[121]、ご自分のすべてを捨てられる神様の愛を御使いたちが見ます。ご自分のすべてで、被造物たちにご自分の愛を証明される神様の痛みを御使いたちが見ます[122]。このような愛を理解できないほど御使いたちが愚かだと思いますか。
十字架の贖いは直接的にはアダムのためであります。しかし、間接的には御使いたちのためのものでもあります[123]。最後のアダムは十字架で最初のアダムを贖われます。しかし、十字架の贖いを通してサタンの嘘が暴露されます[124]。十字架の贖いを通して御使いたちから神様への疑いが消滅されます[125]。十字架の贖いを通して御使いたちの自由意志が完成されます[126]。それゆえ、御使いたちのためにアダムを贖われると見なすこともできます。
主イエス様は、被造界で罪を完全に消滅させられるために十字架を背負われます[127]。神様は御使いたちが犯罪することをあらかじめご存じでいらっしゃいました[128]。神様はアダムを創造されることをあらかじめ定められました[129]。神様はアダムを通して御使いたちの自由意志を完成されることをあらかじめ定められました[130]。たとえ十字架の血がアダムの罪だけを洗うとしても、その結果として御使いたちの自由意志が完成されます[131]。
もし堕落した御使いたちが悔い改めることだったとすれば、神様は堕落した御使いたちも贖われてくださったでしょう。もし堕落した御使いたちに贖いが必要だったなら、神様は創世前に堕落した御使いたちを贖われるようにまずあらかじめ定められ、その後創造を始められたでしょう。しかし、堕落した御使いたちは悔い改めないようです[132]。それなら堕落した御使いたちには贖いが必要ないでしょう[133]。おそらく強力な真理の中でわざと犯罪したからでしょう[134]。
被造物はまず神様の愛を知ってこそ、その後になって初めて神様を愛することができます[135]。被造物はまず神様を愛してこそ、その後になって初めて戒めを守ることができます[136]。神様はそのような構造で被造界を存続させていらっしゃいます。もし神様の愛を知らないにもかかわらず、被造物が神様を愛することができれば[137]、それは神様が被造物を自らの力で戒めを守れるように創造されたという意味です。そうすれば、被造物は自らの力で永遠に生きることができるでしょう[138]。
それなら、被造物はわざわざ神様の愛を確認しなければならない必要はないでしょう。そうすれば、神様は被造物のためにわざわざ十字架からすべてを捨てなければならない必要はないでしょう[139]。それなら、被造物は神様にあまり価値がないでしょう。
神様が被造物に自由意志をくださったという意味は、神様が被造物の自由意志を完成されることに先にあらかじめ定められたという意味です。神様が被造物の自由意志を完成されることをあらかじめ定められたという意味は、神様が被造物たちに神様の愛と公義を証明されることをあらかじめ定められたという意味です[140]。
神様があらかじめご存じのとおり、ヘレルとアダムは犯罪しました[141]。神様があらかじめ定められたとおり、神様は十字架を通してヘレルに対する裁きを確定され、アダムを贖われます[142]。神様があらかじめ定められたとおり、十字架を通して被造物の自由意志が完成されます[143]。
[1] 黙3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
黙16:15 ―見よ。わたしは盗人のように來る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。―
創2:25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
[2] エレ7:25 あなたがたの先祖がエジプトの国を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを、毎日朝早くから、たびたび送ったが、
エレ7:26 彼らはわたしに聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって、先祖たちよりも悪くなった。
[3] ロマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、瓦瓦それというのも全人類が罪を犯したからです。
[4] 1コリ10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
[5] イザ48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
[6] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[7] ヨハネ12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
ヨハネ12:32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
[8] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[9] エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[10] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―
[11] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[12] ルカ8:11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。
ルカ8:12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が來て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。
[13] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
[14] 創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[15] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
ロマ7:25 私たちの主イエス․キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
[16] エフェ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[17] ヘブ2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブ2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。
[18] ルカ4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国国を全部見せて、
ルカ4:6 こう言った。「この、国国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
[19] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[20] ガラ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[21] ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト․イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ロマ8:2 なぜなら、キリスト․イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
[22] ヨハネ15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
[23] ロマ5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
[24] 1ヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
[25] ガラ2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
[26] ロマ3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄轝を受けることができず、
ロマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト․イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
[27] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[28] 1コリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
[29] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[30] 使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
[31] 2コリ6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
[32] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[33] 黙21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
[34] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
エフェ1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス․キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
[35] 黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
[36] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
[37] ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[38] 黙20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ翔まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
[39] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
[40] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
[41] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
[42] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
[43] 創22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
[44] 箴24:12 もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった。」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行ないに応じて報いないだろうか。
[45] ロマ14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
[46] ガラ5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
ガラ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
[47] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[48] 1コリ15:42 死者の复活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
1コリ15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
1コリ15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
[49] ルカ20:35 次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から复活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[50] サム上2:25 人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころであったからである。
[51] ヨブ25:5 ああ、神の目には月さえも輝きがなく、星もきよくない。
ヨブ25:6 ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである。
[52] ホセ11:7 わたしの民はわたしに対する背信からどうしても離れない。人人が上にいます方に彼を招いても、彼は、共にあがめようとはしない。
[53] マタイ26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
[54] ヨハネ13:26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリテ․シモンの子ユダにお与えになった。
ヨハネ13:27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
[55] 1ヨハ5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。
1ヨハ5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
[56] 箴24:16 正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。
[57] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
創3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
[58] マタイ13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
[59] ロマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
[60] 2テサ2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2テサ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
[61] 創1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[62] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[63] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[64] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[65] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[66] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[67] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[68] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[69] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[70] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[71] ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
[72] 1ヨハ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
[73] ヨシュ24:15 もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神神でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神神でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
[74] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[75] マタイ13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
[76] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
[77] エゼ33:12 人の子よ。あなたの民の者たちに言え。正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことはできない。悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはできない。正しい人でも、罪を犯すとき、彼は自分の正しさによって生きることはできない。
[78] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[79] 2コリ5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
2コリ5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
[80] ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
[81] サム下18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
[82] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[83] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
[84] 黙20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
黙20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
[85] エゼ28:12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
[86] ヘブ6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
ヘブ6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて來る世の力とを味わったうえで、
ヘブ6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
[87] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[88] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコ1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
[89] 詩49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。
[90] ホセ4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
[91] 2テサ2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2テサ2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2テサ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
[92] イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。
黙20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
黙20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
[93] 黙12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[94] 黙6:9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
黙6:10 彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の复讐をなさらないのですか。」
黙6:11 すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
[95] 1ペト1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人人を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。
1ペト1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス․キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
[96] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[97] 黙11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声 が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
[98] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[99] イザ11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。
イザ11:7 雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
イザ11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
イザ11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
[100] 黙20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
黙20:3 底知れぬ所に投げ翔んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
[101] 黙22:3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
[102] コヘ7:20 この地上には、善を行ない、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。
[103] 創3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
創3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
創3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
[104] ヘブ10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ヘブ10:27 ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。
[105] 民35:20 もし、人が憎しみをもって人を突くか、あるいは悪意をもって人に物を投げつけて死なせるなら、
民35:21 あるいは、敵意をもって人を手で打って死なせるなら、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は殺人者である。その血の复讐をする者は、彼と出会ったときに、その殺人者を殺してもよい。
[106] 出21:14 しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。
[107] ヨハネ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
[108] ヘブ10:28 だれでもモ-セの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。
ヘブ10:29 まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
[109] ヨハネ15:22 もしわたしが來て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。
ヨハネ15:23 わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。
ヨハネ15:24 もしわたしが、ほかのだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行なわなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。
1ヨハ4:3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが來ることを聞いていたのですが、今それが世に來ているのです。
[110] ヨハネ12:31 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
ヨハネ12:32 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
ヨハネ16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
[111] マタイ4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
マタイ4:16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人人に、光が上った。」
[112] ルカ20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ルカ20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
ルカ20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
[113] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[114] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[115] ヘブ12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
[116] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[117] フィリ2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト․イエスのうちにも見られるものです。
フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
フィリ2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
[118] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」
[119] ヨハネ10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
ヨハネ10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父ら受けたのです。」
[120] 創22:7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
[121] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[122] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
[123] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[124] 創3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
[125] 1ヨハ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
[126] ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
ヨブ1:12 主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。
[127] 1ヨハ3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
1ヨハ3:5 キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。
[128] ユダ1:6 また、主は、自分の領域(アルケ始め)を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
[129] 創1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
エフェ2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
[130] エフェ3:9 また、万物を創造された神の中に世世隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。
エフェ3:10 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
エフェ3:11 私たちの主キリスト․イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。
[131] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[132] ヤコ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
[133] 2ペト2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄(タルタロウ)に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
[134] 創3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
創3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
[135] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
1ヨハ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
[136] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[137] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[138] ヨハネ12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」
[139] エフェ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エフェ2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
[140] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[141] 黙13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
[142] 1ヨハ4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
[143] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
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