| 小羊の婚宴と1000年王国 | ||
| 見方1:小羊の婚宴の後、1000年王国が始まります。 見方2:小羊の婚宴が1000年王国で1000年間続きます。 見方3:1000年王国が成された後、しばらくの間の婚宴があります。 |
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| 見方1:婚宴が終わって1000年王国が始まります | 見方2:1000年王国がすなわち婚宴です | |
| 黙19:7 私たちは喜び樂しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が來て、花嫁はその用意ができたのだから。 黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」 黙19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。 |
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| 大きな白い御座の裁きの時にも命の復活があります。第1の復活は報いの復活です。花嫁の地位がすなわち報いです。 もし1000年王国の全期間が婚宴の期間であれば、1000年王国が終わった後に結婚生活が始まるでしょう。それなら、大きな白い御座の裁きの時に命の復活によって甦る聖徒たちは、御子の花嫁になることはできないでしょう。という意味は、大きな白い御座の裁きの時にも花嫁と一般聖徒の間に差があるという意味でしょう。しかし、花嫁は1000年王国をすでに報いとして受けました。1000年王国以降は、これ以上聖徒たちの間に差がなければならない理由がありません。 大きな白い御座の裁き以降は、父がすべてにおいてすべてとなられます。これを見ると、1000年王国以降はおそらく花婿と花嫁の概念がなくなるようです。それならその前に花嫁でなければなりません。1000年王国で花嫁でなければなりません。したがって、1000年王国は婚宴の期間ではないでしょう。婚宴が終わった後初めて1000年王国が始まるでしょう。 1000年王国の間、御子は花婿であり、殉教証人たちは花嫁です。したがって、花嫁は誰とも結婚しません。 御子は獣の軍勢を裁かれます。婚宴が成されます。その後、1000年王国が始まります。 |
婚宴に招かれた者は幸いです。言い換えれば、1000年王国に招かれた者は幸いです。小羊の妻は新しいエルサレム都です。花嫁は新しい天と新しい地が成された後に下ってきます。1000年王国の時から婚宴が始まるという意味です。したがって、1000年王国は婚宴の期間でしょう。 バビロン淫婦が焼き尽くされた後にのみ婚姻の時がきたとおっしゃいます。時がきたという意味は、まだ婚姻が始まっていないという意味です。1000年王国がなされてこそ婚宴が始まります。 王である祭司たちだけが新しいエルサレム都に入ります。花嫁だけが新しいエルサレム都に入ります。1000年王国の全期間が婚宴の期間でしょう。 |
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| 見方3:1000年王国が始まった直後にしばらくの間婚宴があります | ||
| 婚宴は主イエス様が敵を裁かれた後に始まります[1]。花嫁は麻布の衣を着ています[2]。主イエス様が敵を裁かれた後、新しい天と新しい地を成されます[3]。新しい天と新しい地から花嫁が下ってきます[4]。1000年王国が成された後に婚宴が始まるようです。それ以来、ほぼ1000年間結婚生活が続くようです。1000年王国以降に大きな白い御座の裁きがあります[5]。大きな白い御座の裁きが終わると、永遠王国があります。 | ||
| 大きな白い御座の裁きが終わると 大きな白い御座の裁き以降のことは聖書にほとんど書かれていません。御子は再び御父と同等に[6]なるのではないでしょうか[7]?(時空間の中だけに存在する被造物の考えをもって考えます[8]。第2位神様は時空間内でのみ被造物です[9]。第2位神様は時空間を存続させていらっしゃる方です[10]。) 神様は被造物と結婚されるために[11]男女を造られました[12]。神様が花婿としてお見えになるために結婚という制度を造られました[13]。殉教証人たちは花嫁です。殉教証人たちは1000年の間に花嫁という報いを受けます[14]。1000年が終わると花嫁の報いも終わるでしょう。1000年後にはおそらくすべて平等になるのではないでしょうか? 被造物はただ神様が悟らせられたまさにその分だけ悟ることができます[15]。被造物は時空間外のことを想像することができません。被造物は時間と空間の[16]中でのみ存在します[17]。被造物は、自分が創造される前の時間に存在として存在することはできません。被造物が永遠に生きても、被造物は時間と空間の中でのみ永遠に生きることができます。 神様は時空間を存続させていらっしゃいます[18]。非存在もやはり神様の中にすでにあるのです。したがって、神様は被造界が常にあると感じられるかもしれません[19]。 神様にはすべてが「あるようになることが可能なこと」です[20]。神様にはすべてが「なくなることが可能なこと」です[21]。神様にはすべてが「あること」かもしれません[22]。神様にはすべてが「ないこと」かもしれません[23]。神様はすべてを「ある」と感じられるかもしれません[24]。神様はすべてを「ない」と感じられるかもしれません[25]。 しかし、被造物は時空間の中でのみ存在します。被造物は時空間の中でのみ消滅されることができます[26]。神様がご覧になる時空間は[27]、被造物などが[28]あえて[29]想像できる[30]ものでは[31]ありません[32]。 |
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[1] 黙19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
[2] 黙19:7 私たちは喜び樂しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が來て、花嫁はその用意ができたのだから。
黙19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
[3] 黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
[4] 黙21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って來るのを見た。
[5] 黙20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
[6] ヨハネ5:18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。
[7] フィリ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
フィリ2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
[8] ヨブ38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
[9] ルカ24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
ルカ24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
ルカ24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
ルカ24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
創18:7 そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。
創18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した小牛を持って來て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
[10] コロ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
[11] ロマ5:14 ところが死は、アダムからモ-セまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人人をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
[12] 創2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
創2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
[13] マタイ1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
[14] ルカ19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
ルカ19:18 二番目の者が來て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
ルカ19:19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
[15] ヨハネ3:27 ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。
マタイ10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
[16] 詩139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
詩139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
[17] ロマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に來るものも、力ある者も、
ロマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト․イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
[18] 1コリ8:6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス․キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
[19] エレ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国国への預言者と定めていた。」
[20] ダニ4:35 地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。
[21] 詩39:5 ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ
[22] ルカ20:37 それに、死人がよみがえることについては、モ-セも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。』と呼んで、このことを示しました。
ルカ20:38 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」
[23] イザ48:12 わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。
イザ48:13 まことに、わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を引き延ばした。わたしがそれらに呼びかけると、それらはこぞって立ち上がる。
[24] ヨブ11:7 あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。
ヨブ11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。
[25] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
[26] 詩37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
詩37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
[27] 詩139:2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
詩139:3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
詩139:4 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
詩139:5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
詩139:6 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
[28] コヘ3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
[29] ヨブ37:23 私たちが見つけることのできない全能者は、力とさばきにすぐれた方。義に富み、苦しめることをしない。
ヨブ37:24 だから、人人は神を恐れなければならない。神は心のこざかしい者を決して顧みない。
[30] 詩145:3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。
[31] ロマ11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り所くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
[32] 1ヨハ3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
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