ダニ7:9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
ダニ7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
† 年を経た方は父です。ここは父を象徴する存在でしょう。しかし、まるで黙示録でヨハネに現れられた御子を連想させます[1]。実際の父は被造物が見ることができません。もともと御子も私たちが見ることができない方です[2]。第2位神様が被造物となられたので、私たちが第2位神様を見ることができるのです[3]。
† 被造物は時空間の中にのみ存在します。神様は過去現在未来のすべての瞬間すべての場所に常に同時にいらっしゃって[4]、過去現在未来のすべての瞬間すべての場所を常に同時に存続させていらっしゃいます[5]。すべての場所にいつもいらっしゃる方を被造物がどのように見ることができるのでしょうか。すべての瞬間にいつもいらっしゃる方を被造物がどのように見ることができるのでしょうか。被造物は神様がご自身を表わされたその分だけ[6]神様を見ることができます[7]。ダニエルの時はまだ第2位神様が時空間の中にご自身を被造物として表わされる前です。ダニエルは夢の中の幻を見ただけです[8]。
† 幾つかの文書が開かれています。この場面は大きな白い御座の裁きを連想させます[9]。父を象徴する存在が御座に座られました。この場面がもし大きな白い御座の裁きをあらかじめ示す場面であれば、大きな白い御座の裁きの時に大きな白い御座で裁かれる方は父でしょう。
ダニ7:13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って來られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
ダニ7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
† 人の子のような方が天の雲に乗ってお見えになります。この時はいつですか?再臨の時ですか?それとも大きな白い御座の裁きの時ですか?人の子のような方はきっと御子を象徴します。したがって、年を経た方は父を象徴します。
† 御父は御子に主権と光栄と国をくだされます。御子が1000年王国を成される場面です。大きな白い御座の裁きの後には御子が御父に国をお渡しになります[10]。大きな白い御座の裁きの後には、父がすべてにおいてすべてとなられます[11]。
ダニ7:21 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
ダニ7:22 しかし、それは年を経た方が來られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が來た。
Dan.7:22 Until the Ancient of days came, and judgment was given to the saints of the most High; and the time came that the saints possessed the kingdom.
† 聖徒たちは1000年王国を受け継ぎます[12]。御子が再びお見えになって1000年王国を成されます。ここでは、まるで父がお見えになるように表現されます。
† 御子が被造界を完成されます。被造界が完成されると、完成された被造界を御子が御父にお渡しになります。父が被造界のすべてとなられます。被造物が父を見ることはできないという意味です。
† 御子が御父の御名を相続されました[13]。御子は御父に代わって[14]父の御業を行なわれます[15]。御子が御父に代わって[16]裁かれます[17]。御子が御父に代わっておっしゃいます[18]。御子が聖徒たちに国を指定されます[19]。父が行なわれるように表現されているが、御子が行なわれるとみなすこともできるのです。
† 年を経た方がお見えになります。翻訳が違います。年を経た方が裁かれるという翻訳があります。聖徒たちに裁きが与えられるという翻訳があります。この御言葉が、御座に座った者たちに審判権が与えられるという意味かもしれません[20]。あるいは、主イエス様がサタン噓群れを裁かれることを、聖徒たちが手伝うという意味かもしれません[21]。
黙1:4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に來られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
† 父は後にお見えになる方です。この御言葉が、父がすべてにおいてすべてとなられるという御言葉を変えて表現した御言葉かもしれません[22]。
黙1:8 神である主、常にいまし、昔いまし、後に來られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
† 父は後にお見えになる方です。父はアルファであり、オメガであります。ここでの神様である主を主イエス様と見る見方もあり得ます[23]。
黙21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
黙21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
† 父はアルファとオメガです。
黙22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
† 御子もアルファとオメガです[24]。
黙4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に來られる方。」
黙4:9 また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
† 父は後にお見えになる方です。
ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
ヨハネ5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
ヨハネ5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て來る時が來ます。
ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
† 御子が裁かれます。御子が大きな白い御座に座られる可能性があります。御子は御父の御心通りに裁かれます。したがって、御子の裁きはすなわち父の裁きと同じです。父は被造物に対するすべての裁きを御子にゆだねられました。
† 火の池に投げ込まれるのは、死とハデスと[25]悔い改めない被造物たちです[26]。聖徒の霊についてはここでは議論しません[27]。基本的に御使いは霊であり[28]、人は魂です[29]。聖徒たちは霊的な体を着て復活します[30]。聖徒たちは霊的な体を着て御使いのようになります[31]。
† 悪人たちは、火の池の罰を受けることができる体で復活するでしょう。火の池に耐えることができる体がどんな体かは分かりません。悪人の魂が刑罰の体を着て火の池に投げ込まれるのです[32]。言い換えれば、悪人に霊があってもなくても[33]、悪人の魂と体だけが火の池に投げ込まれます[34]。悪人の霊が生きていようが死んでいようが[35]、悪人の魂と体だけが火の池に投げ込まれます。しかし、悪人は現世でも[36]悪行の苦しみを受けます[37]。
† 神様は悪行の動機と分量によって異なって罰しられます。被造物はすべてを知りません[38]。被造物が知らない状態で神様が犯罪者を罰しられるならば、被造物が神様の公義を誤解する可能性があります。したがって、神様は明らかにされた悪行に基づいて犯罪者を裁かれます[39]。
† しかし、神様は心の動機まで明らかにされます[40]。御使いでもアダムでも例外はありません[41]。それぞれが犯した悪行の動機と分量によって[42]刑罰の重さも変わるでしょう[43]。憎みますが、殺人にまで実行に移さなかったら、神様は憎んだ分だけ罰しられるでしょう[44]。
† 行ないにまで明らかになった悪い動機と行ないにまで明らかになっていない悪い動機は異なります。悪い動機が行ないにまで明らかになっていなければ、必ず善い動機がそれを防いだからです。殺したかったのですが、殺さなかったのなら、彼を殺人罪で裁いてはいけないのです。殺さないようにする善い動機が殺そうとする悪い動機よりさらに強力だったという事実が彼の行ないで明らかになったのです。
† 神様がもし憎んだ罪と殺人した罪を同じように罰しられるならば、被造物が神様の公義を誤解するかもしれません。もちろん憎しみは殺人です[45]。しかし、憎む心を抑制し、殺人にまで発展させなかったら、神様は憎んだ心を殺人罪で罰しられることはないでしょう。憎しみに抵抗しようとする意志が彼にあったからです[46]。
† 彼が刑罰が恐れて殺人しなかったのかもしれません。それでも、神様は彼が実際に殺人したのと同じように彼を罰しられることはありません。とにかく、主イエス様に服従しない被造物は、すべて火の池に投げ込まれます[47]。
† 刑罰に差があるという意味です[48]。重い罪と軽い罪があります[49]。罪の動機と分量もそれぞれ異なります。犯罪者がそれぞれ処した状況も異なります。神様は公義です。神様はすべての犯罪者を同じように罰しられません[50]。
† 刑罰に差がないと、被造物が神様の公義を誤解する可能性があります[51]。被造物が神様を誤解すると、被造物は神様を愛することはできません。被造物が神様を誤解すると、被造物から犯罪の可能性が消滅されません[52]。そのような被造物はそのまま放っておくと、いつかは必ず犯罪することになります。結局、彼は必ず刑罰を受けることになります。
† 神様が刑罰に差をつけないという意味は、したがって、神様が被造物を燃やして殺されるために創造されたという意味です。神様が愛ではないという意味です。しかし、神様は愛です。神様は必ず公正に裁かれます[53]。
† 「犯罪した被造物を神様が火の池に燃やされるのではなく、未来に犯罪する被造物をあらかじめ火の池に燃やされるのがより良いのではないでしょうか?」という疑問があるかもしれません。「どうせ犯罪する被造物なら、神様が彼を創造されるやいなや火の池で燃やされるのがもっと良いのではないでしょうか?」という疑問があるかもしれません。「犯罪する被造物を神様がそもそも創造されない方が良いのではないでしょうか?」という疑問があるかもしれません。
† 神様はすべてをご存じでいらっしゃいます。神様がそもそも犯罪しない被造物だけを創造されようとされたとすれば、神様はそのようにされたでしょう。神様が当初犯罪する被造物を創造されなかったら、犯罪する被造物はなかったでしょう。神様が今とは全く違う構造で被造界を創造されようとされたなら、神様はそのようにされたでしょう。
† しかし今の被造界は経験を通して神様を学ぶ被造界であります[54]。今の被造物は、神様の恵みを拒むかどうかを自ら選ぶ被造物であります[55]。今のような構造の被造界では、被造物は経験せずに神様を知ることができません。今のような構造の被造界では、被造物は神様を知らない状態で神様を愛することはできません。今のような構造の被造界では、神様を愛さない被造物の自由意志は完成されません[56]。
† 言い換えれば、今のような構造の被造界では、被造物の自由意志が最初は不完全であります[57]。今のような構造の被造界では、犯罪する被造物がなければ十字架が立てられることができません[58]。今のような構造の被造界では、十字架がなければ、被造物が神様の愛を知ることはできません[59]。今のような構造の被造界では、神様の愛を知らなければ、被造物が神様を愛することができません[60]。
† 今のような構造の被造界で神様が最初から犯罪しない被造物を造られるには、被造物に自由意志をくださらない方法しかありません。あるいは、神様のみがご存じでいらっしゃる全く別の世界として被造界を創造されなければならないでしょう。
ヨハネ5:30 わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
† 御子は御父の御心通りにだけ裁かれます。御子は十字架を通して罪に対する裁きを確定されました[61]。
2コリ5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
2コリ5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
† 私はキリストのさばきの座を大きな白い御座の裁きと見ます[62]。大きな白い御座の裁きの時に善悪の間に裁きを受けます。殉教証人たちは第1の復活によって甦り、報いを受けます[63]。
† 多分このキリストのさばきの座が、御子の再臨と大きな白い御座の裁きの両方を意味するかもしれません。御子は再臨されても裁かれ、大きな白い御座でも裁かれます[64]。御子は再臨されて聖徒たちに報いをくだされます[65]。御子は大きな白い御座で犯罪者を火の池に投げ込まれます[66]。とにかく御子が行なわれる裁きです。時期が異なっても同じキリストのさばきの座であることができるのです[67]。
1コリ15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
1コリ15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
† 一番まず御子が復活されます。その後、殉教証人たちが復活変化します。最後に、大きな白い御座の裁きの時に命の復活と裁きの復活があります。
† 御子は大きな白い御座の裁きを通して、罪と関連したものを被造界で完全に消滅させられます。御子は大きな白い御座の裁きを通して、あらゆる支配とあらゆる権威とあらゆる権力を滅ぼされます。被造界で罪が消滅されると、被造界が完成されます。御子は完成された被造界を御父にお渡しになります。大きな白い御座に着座された方は御子であると私は信じています。
黙20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
† KJVには「御座」ではなく「神様」と訳されています。どんな単語が原本に書かれた単語なのかは分かりません。「神様」である「デオス」が元の単語であれば、御座に着座された方を「父」と見る見方が多い可能性があります。しかし、「御座」である「ドロノス」が元の単語であれば、御座に着座された方を「御子」と見る見方が多い可能性があります。私は御座に着座された方を「御子」とみなします。父が御子にゆだねられた裁きがまだ終わっていないと見るからです[68]。
ロマ2:16 私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト․イエスによって人人の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。
† 御父は御子を通して裁かれます。私はこの日を大きな白い御座の裁きの時と見ます[69]。
1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
イザ25:8 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から淚をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。
† 死とハデスの鍵を持たれる方は御子です[70]。御子はサタン噓群れはもちろん死まで火の池に投げ込まれます。死を火の池に投げ込まれるまでは[71]、御子が王として被造界を支配されます。
† 死が敵であるが、死は被造物でもあります。自由意志をいただいたすべての被造物は死の中に創造されます。そのままにすれば必ず犯罪することになるからです。犯罪の可能性が1%でもあれば、いつかは必ず犯罪します。したがって、御子は被造物が犯罪する前に被造物の自由意志を完成されます。
† 死は非常に強力な被造物です[72]。しかし愛はその死までも[73]勝ちます[74]。そしてその愛は被造物に十字架を通して伝えられます[75]。神様は十字架を通して被造物を死から救われることにまず定められ、その後死を創造されました[76]。
† 御子は犯罪者を火の池に燃やされた後、国を御父にお渡しになります。御子は大きな白い御座の裁きの時に犯罪者を火の池に燃やされます。それなら大きな白い御座の裁きはまだ御子が御父に国をお渡しになる前です。ですから、大きな白い御座に着座された方は主イエス様であるでしょう。
† また、大きな白い御座に座られた御子は、おそらくまだ復活の体を着られている状態でしょう。神様はすべての瞬間すべての場所に常に同時にいらっしゃいます。第2位神様が被造物の状態でなければ、被造物が神様を見ることができません。(もちろん第2位神様は時空間の中でだけ被造物です。)
† もしかして、ダニエル7:9の[77]御言葉や黙示録20:12の[78]一部の翻訳に基づいて、大きな白い御座に着座された方を父として見る見方もあり得ます。御子は御父と一緒に[79]御父の御座に着座されます[80]。御座に置かれた御父の御名を相続され、御座に座っていらっしゃるという意味でしょう[81]。御子が御父の御名によって御父の御座に座っていらっしゃるので、あえて御父と御子を区分していなかったのかもしれません。
御座に着座された方が父であっても御子であっても、変わることはありません。御座に着座された方が第1位神様であっても第2位神様であっても、変わることはありません。神様に礼拝して神様に服従することに、何の違いもありません。争うほどしがみつく問題ではないと信じます。
[1] 黙1:13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
黙1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
黙1:15 その足は、爐で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
黙1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
[2] 1テモ6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
1テモ6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。轝れと、とこしえの主権は神のものです。ア-メン。
[3] 1ヨハ1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1ヨハ1:2 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
[4] エレ23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
エレ23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
[5] イザ44:6 イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。
イザ44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未來の事、來たるべき事を告げさせてみよ。
イザ44:8 恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。
[6] エフェ3:3 先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
エフェ3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
[7] マタイ11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
マタイ11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
マタイ11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
[8] ダニ7:1 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。
[9] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
[10] 1コリ15:24 それから終わりが來ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
[11] 1コリ15:27 「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
[12] 黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
[13] ヨハネ5:43 わたしはわたしの父の名によって來ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において來れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
[14] ヨハネ5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。
[15] ヨハネ14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
[16] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[17] ヨハネ5:30 わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
[18] ヨハネ7:16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
ヨハネ8:28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。
ヨハネ8:40 ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
[19] ルカ22:29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。
ルカ22:30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
[20] 黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
[21] 黙19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
黙19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
黙19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。
[22] 1コリ15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
[23] 1ヨハ5:20 しかし、神の御子が來て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス․キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
[24] 黙22:16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
黙22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに來る。」ア-メン。主イエスよ、來てください。
[25] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[26] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
[27] ロマ8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
[28] ヘブ1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人人に仕えるため遣わされたのではありませんか。
[29] マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
[30] 1コリ15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
1コリ15:44 血肉の(プシキコス魂的な)からだで蒔かれ、御霊に属する(プネウマチコス霊的な)からだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
[31] ルカ20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、复活の子として神の子どもだからです。
[32] ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
[33] コヘ3:19 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息(ルアー霊)を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
コヘ3:20 みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
コヘ3:21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
[34] 1ペト1:8 あなたがたはイエス․キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
1ペト1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
[35] 1コリ15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者(プシケ魂)となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊(プネウマ霊)となりました。
[36] ロマ2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、
[37] エレ4:18 あなたの行ないと、あなたのわざが、あなたの身にこれを招いたのだ。これがあなたへのわざわいで、実に苦い。もう、あなたの心臓にまで達している。
[38] 王上8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
[39] 黙16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
黙16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
[40] 1コリ4:5 ですから、あなたがたは、主が來られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
[41] ヨハネ19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者(サタン)に、もっと大きい罪があるのです。」
[42] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[43] 黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[44] 創4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
[45] 1ヨハ3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
[46] ロマ12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
[47] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[48] ルカ12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
ルカ12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
[49] 出21:12 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。
出21:13 ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。
[50] エレ2:19 あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦苦しいことかを。―万軍の神、主の御告げ。―
[51] ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブ1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
ヨブ1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
ヨブ1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
[52] 創3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
[53] 出34:6 主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
出34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
[54] 詩119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
[55] 箴23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。
[56] 1ヨハ4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
[57] ヤコ1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
ヤコ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
[58] ヨハネ8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
[59] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[60] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
[61] ヨハネ10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父ら受けたのです。」
[62] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[63] 黙22:12 「見よ。わたしはすぐに來る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて來る。
[64] ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
[65] マタイ25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って來るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
マタイ25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
マタイ25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
マタイ25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
[66] マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
[67] 1コリ15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
1コリ15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。
[68] ヨハネ5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
ヨハネ5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
ヨハネ5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て來る時が來ます。
ヨハネ5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
ヨハネ5:30 わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
[69] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
黙20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
[70] 黙1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
黙1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
[71] 黙20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ翔まれた。これが第二の死である。
[72] 1コリ15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
1コリ15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリ15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
[73] 黙12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
[74] 雅8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
雅8:7 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
[75] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[76] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[77] ダニ7:9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
ダニ7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
[78] 黙20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数 の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
[79] 黙7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
[80] 黙3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
[81] エフェ1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
エフェ1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に來る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
エフェ1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
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