出13:7 種を入れないパンを七日間、食べなければならない。あなたのところに種を入れたパンがあってはならない。あなたの領土のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。
レビ2:11 あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
レビ2:12 それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。
レビ2:13 あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。
レビ24:5 あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパン十二個を焼く。一つの輪型のパンは十分の二エパである。
レビ24:6 それを主の前の純金の机の上に、一並び六個ずつ、二並びに置く。
レビ24:7 それぞれの並びに純粋な乳香を添え、主への火によるささげ物として、これをパンの記念の部分とする。
レビ24:8 彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。これはイスラエル人からのものであって永遠の契約である。
ヨハネ6:48 わたしはいのちのパンです。
ヨハネ6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。
ヨハネ6:50 しかし、これは天から下って來たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
ヨハネ6:51 わたしは、天から下って來た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
1コリ11:23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
1コリ11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
1コリ11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
1コリ11:26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が來られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
† パン種は、神様の御言葉に対抗する[1]人の教訓を意味します[2]。塩は変わらない契約の御言葉を意味します[3]。ただし、五旬節にあげるパンにはパン種を入れます[4]。①御霊の初穗をいただいている聖徒たち[5]の中で、堕落した者たちが[6]混ざっていた[7]からという[8]見方があり得ます[9]。②パン種が良い意味で使われる時もあるという見方もあり得ます[10]。パン種は通常[11]良くない意味で使われます[12]。
† 金の机のパンを神様の前に供えます。このパンは命を与える神様の御言葉を象徴します。主イエス様は命のパンです[13]。供えのパンの実体は主イエス様です。神様が天から与えたマナは主イエス様を象徴します。マナは肉体の命だけを維持しました。天から与えたマナは存在を生かします[14]。天から与えたみことばは存在を生かします。天から与えた霊は存在を存続させます[15]。被造物は主イエス様の御言葉によってその存在を維持されます[16]。
† みことばが肉体になりました[17]。主イエス様の肉体はみことばを象徴します。神様の御言葉がすなわち命のパンです。みことばがすなわち命を与える霊です。主イエス様の肉体がみことばを象徴する時もあるが、死の体を[18]象徴する時もあります[19]。ここでは主イエス様の肉を食べて命を得るという意味で使われました。ここで主イエス様の肉体はみことばを象徴します。呪われて肉の欲望が出てくる実際の人肉という意味ではありません[20]。
† 主イエス様の肉体が死の体を象徴するときは、垂れ幕を指す時です[21]。至聖所への道を垂れ幕が塞いでいます。命への道を死の体が塞いでいます。主イエス様の血は聖霊神様を象徴します[22]。聖霊神様が真の飲み物です[23]。主イエス様は呪われた肉体をお召しになりました。呪われた肉体を流れる死の血を飲まなければならないという意味ではありません。
† (逐次的な時間の流れの中にのみ存在する被造物の考えと考えます。)神様は、無数に多くの被造界を無限に創造することができます[24]。被造物自体は神様に何の意味もないのです[25]。しかし、神様は被造物を神様の形に[26]仕上げることをあらかじめ定められて創造を始められました[27]。神様は十字架を通して被造物の自由意志を完成されることをあらかじめ定められて[28]創造を始められました[29]。予定を実行するために、神様は被造物に[30]なります[31]。
† 被造物を神様の形に仕上げるために、神様が被造物たちから犯罪の可能性を消滅させます[32]。被造物の自由意志を完成されるために、神様は被造物に神様の命を注がれます[33]。被造物に神様の命を注ぐために、神様は被造物となられます[34]。被造物は被造物となられた神様の肉を食べて血を飲みます。
† 被造物自体は何の価値もないのです[35]。価値のない被造物に、神様が神様の血を注がれます。価値のない被造物のために、神様はすべてを捨ててくださいます[36]。価値のない被造物のために、父は御子を[37]捨てます[38]。価値のない被造物のために、御子は[39]父に捨てられます[40]。
† 今、被造物に神様の血が覆われました[41]。今、被造物に神様の涙が覆われました[42]。今、被造物に神様の愛が書かれました[43]。今、被造物は初めて大切になりました[44]。価値のない被造物だが、神様が貴重に思われるなら、貴重なのです。
† アダムはただみことばを受け取ることができません。アダムはただ聖霊神様を祀ることができません。アダムは神様から絶えました[45]。アダムは呪いの下にあります。最後のアダムが最初のアダムの罪を代わりに着てくださいます。最後のアダムは最初のアダムに代わって神様から絶えます。最後のアダムが最初のアダムが受けなければならない呪いを代わりに受けます[46]。
† さて、最初のアダムは罪の赦しを受けました。今、最初のアダムは聖霊神様を祀ることができます[47]。今、最初のアダムは聖霊神様を通して最後のアダムから新しく生まれます[48]。今、アダムは主イエス様の肉を食べ、主イエス様の血を飲みます。今、アダムは神様の御言葉を食べ[49]、聖霊神様を飲みます[50]。
† 神様は、被造物に神様の肉と血をくださることをあらかじめ定められ、創造を始められました[51]。神様は被造物に神様の肉と血をくださる方法で創造を完成されることをあらかじめ定められ、創造を始められました。時の満ちるに及んで、神様が被造物となられ、被造物たちに神様の肉と血を与えてくださいます[52]。
十字架を通して、被造物が神様の愛と公義を見ます[53]。十字架を通して、被造物が神様を愛するようになります[54]。神様を愛するために、被造物は罪を捨てます[55]。十字架を通して被造物が神様と和解するようになります[56]。十字架を通して被造物の自由意志が完成されます[57]。
[1] マルコ7:6 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
マルコ7:7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
マルコ7:8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
[2] マタイ16:11 わたしの言ったのは、パンのことなどではないことが、どうしてあなたがたには、
マタイ16:12 彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。
[3] 民18:19 イスラエル人が主に供える聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたとあなたの息子たちと、あなたとともにいるあなたの娘たちに与えて、永遠の分け前とする。それは、主の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」
[4] レビ23:15 あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って來た日から、満七週間が終わるまでを數える。
レビ23:16 七回目の安息日の翌日まで五十日を數え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を主にささげなければならない。
レビ23:17 あなたがたの住まいから、奉献物としてパン―主への初穂として、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼かれるもの―二個を持って來なければならない。
[5] ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
[6] ガラ3:2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
[7] 使徒20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
使徒20:31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、淚とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて來たことを、思い出してください。
[8] 1テモ1:19 ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。
1テモ1:20 その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。
[9] 2テモ2:17 彼らの話は癌のように広がるのです。ヒメナオとピレトはその仲間です。
2テモ2:18 彼らは真理からはずれてしまい、复活がすでに起こったと言って、ある人人の信仰をくつがえしているのです。
[10] ルカ13:20 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。
ルカ13:21 パン種のようなものです。女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」
[11] ガラ5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。
ガラ5:8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。
ガラ5:9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。
[12] 1コリ5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
1コリ5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
1コリ5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。
[13] ヨハネ6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに來る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
[14] ヨハネ6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
[15] 使徒17:27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
[16] ヘブ1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
[17] ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
[18] ロマ7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
ロマ7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
[19] ヘブ4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
[20] 創3:17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
創3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
[21] ヘブ10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
[22] ヨハネ7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに來て飲みなさい。
ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
[23] ヨハネ6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
[24] イザ40:15 見よ。国国は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島島を細かいちりのように取り上げる。
イザ40:16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
イザ40:17 すべての国国も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。
[25] ヨブ22:2 人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ、ただ自分自身の役に立つだけだ。
ヨブ22:3 あなたが正しくても、それが全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。
[26] 2コリ4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
[27] エフェ1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
エフェ1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
[28] エフェ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
[29] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[30] ガラ4:4 しかし定めの時が來たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
ガラ4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
[31] ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人人を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
[32] ロマ6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
[33] 2ペト1:3 というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。
2ペト1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
[34] 1ヨハ5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
1ヨハ5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
[35] ヨブ34:14 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、
ヨブ34:15 すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。
[36] イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
イザ53:12 それゆえ、わたしは、多くの人人を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに數えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
[37] ヨハネ17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
[38] 創22:7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
[39] ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
[40] マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
[41] ヘブ9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブ9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
[42] ヘブ5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と淚とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
[43] ガラ6:17 これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。
[44] 2コリ4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
[45] ロマ6:23 罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト․イエスにある永遠のいのちです。
[46] ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
[47] 使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス__キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
[48] ヨハネ3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
ヨハネ3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネ3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
[49] 1ペト1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
[50] 1コリ12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
[51] 1ペト1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1ペト1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
[52] ヨハネ10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
ヨハネ10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父ら受けたのです。」
[53] ロマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
[54] 1ヨハ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
[55] ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
[56] コロ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
[57] 1ヨハ3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
'2 存在のお召し' 카테고리의 다른 글
67 主イエス様の肉体は垂れ幕です (0) | 2025.05.24 |
---|---|
66 主イエス様は金の香の祭壇の香です (0) | 2025.05.24 |
64 主イエス様は金燭台の光です (0) | 2025.05.24 |
63 主イエス様は神殿の門です (0) | 2025.05.24 |
62 主イエス様は真理です (0) | 2025.05.24 |