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60 主イエス様が燔祭の祭壇の捧げ物になりました イザ53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。イザ53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。イザ53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。イザ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がに.. 2025. 5. 24.
59 主イエス様は至聖所に行く道です ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに來ることはありません。使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」ヘブ7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。ヘブ7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人人を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。ヘブ9:8 これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。ヘブ9:11 しかしキリストは、すで.. 2025. 5. 24.
58 庭と神殿:主イエス様がお見えになった被造界 出3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。出3:3 モ-セは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」出3:4 主は彼が横切って見に來るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モ-セ、モ-セ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。イザ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。イザ9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。マタイ1:23 「見よ、処女がみご.. 2025. 5. 24.
57 主イエス様は安息です マタイ12:3 しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。マタイ12:4 神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。マタイ12:5 また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。マタイ12:6 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。マタイ12:7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。マタイ12:8 人の子は安息日の主です。」マルコ2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちに.. 2025. 5. 24.
56 主イエス様は捧げ物になられました 神様は被造界に愛の戒めを立てます。神様を逆らって隣人を踏みにじる被造物は死ななければなりません。隣人を踏みにじる被造物を生かしておくと、踏みつけられる被造物が苦しみます。戒めを破る被造物は必ず死ななければなりません。最初のアダムは戒めを破りました。したがって、最初のアダムは死ぬべきです。最初のアダムは必ず火の池に投げ込まれなければなりません。 神様は被造界に「代わりに死ぬ」という概念を立てられます。被造界の安息を守るためには、犯罪する者を殺さなければなりません。被造界の苦しみを終わらせるためには、犯罪するまさにその人を殺さなければなりません[1]。他人を代わりに殺してみたら被造界の苦しみは終わりません。生き残った犯罪者は、引き続き隣人を踏みにじるでしょう。犯罪する者を生かすために他の人を代わりに犠牲にしてはなりません。犯罪する者が生き残るならば、犯罪する者は引き続き隣人を踏みにじるでし.. 2025. 5. 24.
55 影の実体 マタイ5:17 わたしが來たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために來たのです。マタイ5:18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。マタイ5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。マタイ5:21 昔の人人に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言う.. 2025. 5. 24.
54 主イエス様は命です ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネ5:21 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。ヨハネ5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。ヨハネ5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのち.. 2025. 5. 24.
53 主イエス様は創造主です ヨハネ1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネ1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。ヨハネ8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」ヨハネ10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」ヨハネ10:31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。ヨハネ10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。.. 2025. 5. 24.
52 主イエス様はみことばです 箴8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。箴8:22 主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。箴8:23 大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。箴8:30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で樂しみ、箴8:31 神の地、この世界で樂しみ、人の子らを喜んだ。ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ヨハネ1:2 この方は、初めに神とともにおられた。ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから來られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。ヨハネ6:47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを.. 2025. 5. 24.